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第5章
真実 09
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一ノ瀬は大学4年生になり、それなりに多忙だとは思うのに、木曜日の午後だけは、遅い時間であってもこの図書館に来て、いつもの場所で本を読んでいた。それを知っていた俺は、どんなに仕事が忙しくても何とか都合をつけて定時終業し、そこを訪れた。
昨日も彼に会っていた。
図書館に着いた時には既に一ノ瀬は来ていて、あろうことか、いつも俺の座っている席に伏せって目を瞑っていた。
起こそうか迷ったが、寝顔を見るのは初めてで新鮮だったので、そのままにすることにした。
隣に座り、整った顔立ちをじっと見つめていると、換気のため開けられていた窓から風が入ってきて、透明感のある栗色の髪を微かに揺らした。
寒かったのか少しだけ頭が動き、その瞬間、襟足の隙間から白いうなじが露わになった。うつ伏せで首が伸びているせいだろうか。いつもはシャツの襟やハイネックで隠れているそこを目の当たりにして、何故か見てはいけないものを見てしまったような妙な感覚に陥ってしまう。
そこはかとない色気にあてられ、そのまま目を離すことが出来なかった。
不意に指先に伝わるサラリとした感触に、ハッと我に返った。髪を触ってしまったのはほんの出来心。それに戸惑いつつも、気がつけば、箍が外れたように滑らかな髪を思うがまま撫でていた。
左耳に手が当たった時、キラリと光るものが見えた。そこにかかっていたサイドの長い髪を指先でそっと退ける。すると、今まで存在が隠されていた小ぶりなピアスが現れた。
濡れたように黒く輝く、一粒のブラックダイヤモンド。その周りをプラチナかシルバーかの銀のフレームが囲っている、シンプルなデザインのスタッドピアスだった。
とても小さなものだが、良家で育つ優等生の彼がそれをつけているのは、何とも意外に思えた。
髪を梳くように撫でながら、暫くその耳元をぼんやりと見ていると、一ノ瀬の肩がピクリと揺れた。
瞼がゆっくりと持ち上がり、俺の顔を見るなり「触るな」と言って手を払い除けた。
「お前、何で髪伸ばしてるんだ?鬱陶しいな」
俺は努めていつも通りに振る舞った。
確かに、前髪もサイドも長めのミディアムヘアだが、鬱陶しいなんて、本当はそんなことを思っていたわけではない。先刻の行為を、慌てて誤魔化したつもりだった。
一ノ瀬は一瞬訝しげな瞳を俺に向けてから目を伏せ、静かな声で話し出した。
「父親が昔、俺に言ったんだ。この目とこの髪を見れば、あのヒトを愛したことを忘れずにいられるから、って」
「……あのヒト?」
「俺の産みの母親で、父親の愛人だった。顔も知らないまま、死んだ」
何の感情も込められてない声で紡がれる告白を、俺は黙って聞いていた。
「祖母にとっては俺の存在なんか、忌わしいもの以外の何ものでもないだろうけど」
苦虫を噛み潰したような顔でぼそりと言った言葉の意味は、解らなかった。
ただ、その時の表情は初めて見るもので、出会ったあの日、瞳と髪を綺麗だと言った時のそれとは違った気がした。
あの時は、好奇の目で見られたことに対しての嫌悪感。しかし今回は、何かに失望しているような色を含んでいた。
昨日も彼に会っていた。
図書館に着いた時には既に一ノ瀬は来ていて、あろうことか、いつも俺の座っている席に伏せって目を瞑っていた。
起こそうか迷ったが、寝顔を見るのは初めてで新鮮だったので、そのままにすることにした。
隣に座り、整った顔立ちをじっと見つめていると、換気のため開けられていた窓から風が入ってきて、透明感のある栗色の髪を微かに揺らした。
寒かったのか少しだけ頭が動き、その瞬間、襟足の隙間から白いうなじが露わになった。うつ伏せで首が伸びているせいだろうか。いつもはシャツの襟やハイネックで隠れているそこを目の当たりにして、何故か見てはいけないものを見てしまったような妙な感覚に陥ってしまう。
そこはかとない色気にあてられ、そのまま目を離すことが出来なかった。
不意に指先に伝わるサラリとした感触に、ハッと我に返った。髪を触ってしまったのはほんの出来心。それに戸惑いつつも、気がつけば、箍が外れたように滑らかな髪を思うがまま撫でていた。
左耳に手が当たった時、キラリと光るものが見えた。そこにかかっていたサイドの長い髪を指先でそっと退ける。すると、今まで存在が隠されていた小ぶりなピアスが現れた。
濡れたように黒く輝く、一粒のブラックダイヤモンド。その周りをプラチナかシルバーかの銀のフレームが囲っている、シンプルなデザインのスタッドピアスだった。
とても小さなものだが、良家で育つ優等生の彼がそれをつけているのは、何とも意外に思えた。
髪を梳くように撫でながら、暫くその耳元をぼんやりと見ていると、一ノ瀬の肩がピクリと揺れた。
瞼がゆっくりと持ち上がり、俺の顔を見るなり「触るな」と言って手を払い除けた。
「お前、何で髪伸ばしてるんだ?鬱陶しいな」
俺は努めていつも通りに振る舞った。
確かに、前髪もサイドも長めのミディアムヘアだが、鬱陶しいなんて、本当はそんなことを思っていたわけではない。先刻の行為を、慌てて誤魔化したつもりだった。
一ノ瀬は一瞬訝しげな瞳を俺に向けてから目を伏せ、静かな声で話し出した。
「父親が昔、俺に言ったんだ。この目とこの髪を見れば、あのヒトを愛したことを忘れずにいられるから、って」
「……あのヒト?」
「俺の産みの母親で、父親の愛人だった。顔も知らないまま、死んだ」
何の感情も込められてない声で紡がれる告白を、俺は黙って聞いていた。
「祖母にとっては俺の存在なんか、忌わしいもの以外の何ものでもないだろうけど」
苦虫を噛み潰したような顔でぼそりと言った言葉の意味は、解らなかった。
ただ、その時の表情は初めて見るもので、出会ったあの日、瞳と髪を綺麗だと言った時のそれとは違った気がした。
あの時は、好奇の目で見られたことに対しての嫌悪感。しかし今回は、何かに失望しているような色を含んでいた。
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