106 / 111
最終章
萌芽 12
しおりを挟む
《perspective:結月》
『結月さん、いつか一緒に行きましょうね。お母さんにも、会いに』
慈しむような柔和な瞳と声。
あの時そう言ってくれた亜矢の顔をまだ覚えている。
まさか、この場所に独りで来ることになるなんて。
とにかく早く日本を出たかった。
あそこに居たら、また無意識に亜矢を求めてしまう。
自分がこれから行くべき場所は、ただひとつしか残っていなかった。
長い年月が経っているのか、墓石に彫られた名前は消えかけているものが多く、探し出すのにずいぶんと時間がかかった。
ようやく見つけた母の墓は、まるで存在を隠すかように荒んでいた。正妻のそれとは真逆の惨状。
誰からも祝福されない恋だった。故郷に戻っても頼れる身内などなく、ひっそりとこの世を去ったのだろうか。
遣り切れない想いを抱えながら、出来る限り綺麗に清掃して、最後に花を供えた。
母が俺を胸に抱いた時間はどれ程あったのだろう。僅かな時であっても、幸せだと感じてくれていたのなら。離れた後も、俺のことを忘れずにいてくれたのなら――
早咲きの勿忘草。
こんなにも寂しい花は、此処に相応しくないのかもしれない。それでも、これを母に贈りたかった。
亜矢に教えてもらった誕生花。
そして、薄青色の小さな花が持つ言葉は、ささやかな願いだったから。
あれから1週間。
観光目的の短期滞在であればビザは必要ないが、フランスにこのまま留まるとなるとそうはいかない。これからどうしていこうか考えた末、生活の拠点はパリに決め、ストラスブールを出発する前に、もう一度墓参りをすることにした。
墓地に着いた頃には、今にも雨が降りそうな曇天が広がっていた。傘は無い。空を気にしつつ、足早に母の墓石へと向かう。
そこに近づいたとき、あるものが目に飛び込んできた。
靄がかる景色の中に浮かび上がるかのような、白の西洋菊。
それは、以前供えた勿忘草の花束の横に、寄り添うように置かれていた。
前に此処に来たときには、確かに無かった。
長い間、何者も訪れていなかったであろうこの場所に、生花が供えられているのは不自然だ。
一体、誰が……。
隣の勿忘草にふと視線を移すと、花と花の間に白い紙が挟まっているのが見えた。
それを拾い上げ、折り畳まれた紙を開いた瞬間に、踵を返して走り出していた。
勿忘草のもう一つの花言葉が脳裏をよぎる。
――「思い出」
風に揺れる花びらが、心の奥底にしまいこんだそれを、気づかせているようで。
(会いたいです)
数字を含んだ文字列に添えられたその言葉。そして見覚えのある文字に、心も体も、すべてが支配される。
頬に雨粒が当たるのを感じても、息が上がっても、駆り立てられるように地面を蹴る脚はもう止められなかった。
――母さん。最後にもう一度、人を愛してもいいですか?
そう願うことがたとえ罪だとしたら、何度でも懺悔する。
愛する人を、忘れられる方法があるのなら、誰か教えてほしかった。
忘れる術が無いのなら、再び出会うところから、始めればいい……
『結月さん、いつか一緒に行きましょうね。お母さんにも、会いに』
慈しむような柔和な瞳と声。
あの時そう言ってくれた亜矢の顔をまだ覚えている。
まさか、この場所に独りで来ることになるなんて。
とにかく早く日本を出たかった。
あそこに居たら、また無意識に亜矢を求めてしまう。
自分がこれから行くべき場所は、ただひとつしか残っていなかった。
長い年月が経っているのか、墓石に彫られた名前は消えかけているものが多く、探し出すのにずいぶんと時間がかかった。
ようやく見つけた母の墓は、まるで存在を隠すかように荒んでいた。正妻のそれとは真逆の惨状。
誰からも祝福されない恋だった。故郷に戻っても頼れる身内などなく、ひっそりとこの世を去ったのだろうか。
遣り切れない想いを抱えながら、出来る限り綺麗に清掃して、最後に花を供えた。
母が俺を胸に抱いた時間はどれ程あったのだろう。僅かな時であっても、幸せだと感じてくれていたのなら。離れた後も、俺のことを忘れずにいてくれたのなら――
早咲きの勿忘草。
こんなにも寂しい花は、此処に相応しくないのかもしれない。それでも、これを母に贈りたかった。
亜矢に教えてもらった誕生花。
そして、薄青色の小さな花が持つ言葉は、ささやかな願いだったから。
あれから1週間。
観光目的の短期滞在であればビザは必要ないが、フランスにこのまま留まるとなるとそうはいかない。これからどうしていこうか考えた末、生活の拠点はパリに決め、ストラスブールを出発する前に、もう一度墓参りをすることにした。
墓地に着いた頃には、今にも雨が降りそうな曇天が広がっていた。傘は無い。空を気にしつつ、足早に母の墓石へと向かう。
そこに近づいたとき、あるものが目に飛び込んできた。
靄がかる景色の中に浮かび上がるかのような、白の西洋菊。
それは、以前供えた勿忘草の花束の横に、寄り添うように置かれていた。
前に此処に来たときには、確かに無かった。
長い間、何者も訪れていなかったであろうこの場所に、生花が供えられているのは不自然だ。
一体、誰が……。
隣の勿忘草にふと視線を移すと、花と花の間に白い紙が挟まっているのが見えた。
それを拾い上げ、折り畳まれた紙を開いた瞬間に、踵を返して走り出していた。
勿忘草のもう一つの花言葉が脳裏をよぎる。
――「思い出」
風に揺れる花びらが、心の奥底にしまいこんだそれを、気づかせているようで。
(会いたいです)
数字を含んだ文字列に添えられたその言葉。そして見覚えのある文字に、心も体も、すべてが支配される。
頬に雨粒が当たるのを感じても、息が上がっても、駆り立てられるように地面を蹴る脚はもう止められなかった。
――母さん。最後にもう一度、人を愛してもいいですか?
そう願うことがたとえ罪だとしたら、何度でも懺悔する。
愛する人を、忘れられる方法があるのなら、誰か教えてほしかった。
忘れる術が無いのなら、再び出会うところから、始めればいい……
0
あなたにおすすめの小説
僕の幸せは
春夏
BL
【完結しました】
【エールいただきました。ありがとうございます】
【たくさんの“いいね”ありがとうございます】
【たくさんの方々に読んでいただけて本当に嬉しいです。ありがとうございます!】
恋人に捨てられた悠の心情。
話は別れから始まります。全編が悠の視点です。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
六年目の恋、もう一度手をつなぐ
高穂もか
BL
幼なじみで恋人のつむぎと渉は互いにオメガ・アルファの親公認のカップルだ。
順調な交際も六年目――最近の渉はデートもしないし、手もつながなくなった。
「もう、おればっかりが好きなんやろか?」
馴ればっかりの関係に、寂しさを覚えるつむぎ。
そのうえ、渉は二人の通う高校にやってきた美貌の転校生・沙也にかまってばかりで。他のオメガには、優しく甘く接する恋人にもやもやしてしまう。
嫉妬をしても、「友達なんやから面倒なこというなって」と笑われ、遂にはお泊りまでしたと聞き……
「そっちがその気なら、もういい!」
堪忍袋の緒が切れたつむぎは、別れを切り出す。すると、渉は意外な反応を……?
倦怠期を乗り越えて、もう一度恋をする。幼なじみオメガバースBLです♡
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる