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42 日常の中で5
しおりを挟む夕方になり、外はしとしとと雨が降り出した。その雨は次第に強くなり。林の木々に降り落ちる雨粒の音が、騒がしいくらいに響き渡っている。
(まだ、いらっしゃるわ……)
締め切ったカーテンの隙間から外を覗いてみると、木の陰にはいまだにオリヴァーらしき人影が見える。
木の下にいるからといっても、全く雨に当たらないわけでもないだろうに。彼は一向に動こうとしない。
このままクローディアが就寝するまでいるとなれば、彼はずぶ濡れになってしまう。
つきまといに対して怒っていたクローディアだが、雨が降り出してからは心配ばかりが募る。
寒い思いをしていないか。風邪を引いたらどうしよう。
迷ったあげくにクローディアは、傘を二本持って外へと飛び出してしまった。
「お客さま! そちらにいらっしゃるのでしょう! お願いですから、もうお帰りください!」
窓から覗いた時は確認できたが、素早い彼は木の後ろにでも隠れているようだ。玄関からは姿が見えない。
クローディアは傘をさして林へと歩き出した。姿は見えずとも、大体の場所は把握している。
「私は、お客さまの卵が無事に孵化することを、心から願っておりますわ! ですからどうか、婚約者様の元へお戻りください!」
何が目的なのかわからないが、いつまでもこのままではいけない。
彼は王太子であり、この国の未来を背負っている。
あの卵が孵化しなければ、王家の存続が危ぶまれてしまう。
オリヴァーがいるであろう辺りの少し手前で立ち止まってみる。けれど彼は姿を現さない。
大量の雨粒が、まるで二人の間に柵を立てているようだ。
(私、オリヴァー様を拒否するばかりで、彼の気持ちを聞いていなかったわ……)
ここまでするには、彼にも理由があるのかもしれない。
それを聞いて、お互いに納得しなければ解決しないのではないか。
そう思ったクローディアは一旦心を落ち着かせてから、静かに声をかけてみる。
「オリヴァー様。私とお話ししてください」
するとオリヴァーは、静かに木の影から姿を現した。
「やっと。名前で呼んでくれましたね」
「…………っ」
雨に濡れているせいで、彼は微笑んでいるのに泣いているように見える。
クローディアが拒絶するたびに、寂しそうな顔をしていた彼を思い出して、心が痛む。
「……まずは、傘をお使いください」
もう一本持ってきた傘を、彼に差し出そうとして、足を踏み出す。
すでに靴の中には大量の雨水が入り込んでおり、足先は冷えてしまっている。上手く足を踏み出せなかったクローディアは、滑って倒れ込みそうになる。
「きゃっ!」
そこへ素早く動いたオリヴァーによって、クローディアは彼の腕に受け止められる。
「大丈夫ですかディア!」
「ありがとうございます……。地面が滑っただけで……。えっ? あっあの……!」
彼はそのままクローディアを抱えあげると、別荘へと走り出すではないか。
拒絶していた相手に助けられるとは、情けない話だ。クローディアは恥ずかしくてうつむいた。
玄関の中へと入ったオリヴァーは、近場にあった椅子にクローディアを座らせ。すぐに彼女の足首の確認を始めた。
「痛みはありますか?」
「大丈夫です……」
「すみません。俺のせいでディアを危険に晒してしまいました」
彼は荷物の中からタオルを取り出すと、丁寧にクローディアの両足を拭き始める。
(私、何をしているのかしら……)
彼に手を差し伸べるつもりが、逆に世話されている。
いたたまれない気持ちになり、作業する彼の手を止めさせた。
「私はもう、大丈夫ですから……。それより、オリヴァー様のほうが心配ですわ。今、お風呂の用意をしますね」
「俺のことは気にしないでください。すぐに出ていきますから」
「いけませんっ。おとなしくお風呂に入って、着替えてくださいっ」
出て行こうとする彼の袖を、咄嗟に掴んで引き止める。
振り返った彼は、照れたように顔をほころばせた。
「ディアに心配されると、嬉しいです」
これだから、彼を憎むに憎めないのだ。
諦めたように微笑み返したクローディアは、彼を浴室へと案内した。
オリヴァーをお風呂に入らせている間に、クローディアは二階にあるクリスの寝室へと入った。
(申し訳ありません、クリス様。着替えをお借りします)
心の中で謝ってから、チェストの引き出しを開けて着替え一式を取り出す。クリスの服では少し大きいかもしれないが、そこまで差はないはずだ。
「オリヴァー様。クリス様から着替えをお借りしましたので、置いておきますね」
「何から何まで、すみません。――ディアが沸かしてくれたお風呂は温かいです」
浴室に向かって声をかけると、彼からほんわかした声が返ってくる。
「ふふ。ゆっくり温まってくださいませ」
気持ちに蓋をせずに彼と話すのは、すごく久しぶりな気がする。
お祭りから一ヶ月も経っていないが、クローディアにとってはとても苦痛な期間だった。
好きな相手を拒否するのは、思いのほか精神的な消耗が大きい。
彼と話し合いをするまで、少しの間だけ心の休憩をしたい。
玄関へと戻ったクローディアは、置きっぱなしだった彼の荷物を居間へと運んだ。
スエードのカバンなので、中は無事のようだが表面はすっかり濡れている。暖炉に火を入れて、乾かさなければならない。
(中身は大丈夫かしら……)
もしかしたら本当に、調査もしていたかもしれない。
調査機材を暖炉の前においても大丈夫だろうかと、クローディアは心配になる。
(精密機械が入っていないか調べるだけよ……)
申し訳ない気持ちになりながらも、クローディアはカバンの中身を確認することにした。
そっとカバンの中を開いたクローディアは、瞳を大きく見開いた。
(卵が入っているわ……)
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