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作戦その1「Ms.Aの張り込み」

恋愛マイスターとピンチ

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手に収まる程度のメモと4色ボールペン、そして牛乳とあんパンを手に、東野優は1のBを張り込んでいた。

掃除用具ロッカーの中で。

東野優という男はどんな時であれ、“尾行”というものの定義を忘れたりはしない。必ずあんパンと牛乳は用意するし、どれだけ暑くても膝まであるブラウンのコートを着る。
すなわち、今日という日のために欠席届けを準備することは一日中彼女を尾行することに至って当然の事だろう。


「ごきげんようみなさん。」

後ろのドアからターゲットが入ってきた。
“今時ではないあいさつが彼女の支流のようだ。彼女に対するあいさつは中世ヨーロッパ風であるとよいだろう。”

ただのあいさつにでも原稿用紙2行分ほどはメモをとる東野は、昔から“少し盛る癖”がある。
ご近所のおばさんには「マダム」、坊主頭の少年は「機動的マルタージュ」と言う。

常時目を離さず監視していたが、昼休みまでMs.Aには動きがなかった。
今朝から雨だったのだが、その雨もあがって暖かくなってきた。
春の風のよく通る教室は快適空間と化し、暑くもなく寒くもないちょうど良い気温である。
その中でも一人、先程から汗の止まらないヤツがいた。
紛れもない東野である。
春とは言えど5月。薄着の人もちらほら見え始めるなか、風の通らないロッカーでロングコートを着ている。

暑い暑い暑い再び。
Ms.Aとの対面の時とは明らかに違う暑さ。この狭いロッカーの中でこのコートを脱ぐのは至難の技であろう。

“おいおい東野優。お前の精神力はそんなものだったのか?まだいけるだろ?”

平然を装って自分にそう言い聞かせる言葉にはなんの意味もなく、滴る汗の量はどんどん増していっている。
ここでいきなりロッカーが開くと注目がこちらに集まるのは必然であり、そんなヘマをしては作戦はここで中止となるだろう。
しかし、このままでは暑さで監視に集中できない。
方法は一つ。コートを脱ぐしかなかった。



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