逆ざまぁされた王子のその後

蒼穹月

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第五話

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 今日の仕事が終わった俺は、バクシーさん宅の風呂と着替えを借りてサッパリ綺麗になれた。
 湯上りに体の臭いを確認したが、石鹸の匂いしかしなくてホッとした。
 あの臭いはダメだ。鼻が曲がる。落ちて良かった。

 「おう、綺麗になったな。つっても俺の服じゃあブカブカだな!がっはっは!沢山食って早くデカくなれよ!」
 「いたっいてっ」

 バクシーさんは愉快そうに俺の背中をバンバン叩くものだから、俺は叩かれる度に痛いし前のめりになる。
 しかも俺が痛がってるのにテルロは笑っていて止めてくれない。恨みがましく見てるのに気付くと、ゴホンと咳払いした後で無表情になった。肩の震えは寧ろ酷くなってる。

 「飯の準備は出来てるぜ」

 バクシーさんはそんな俺達のやり取りに気付かず居間へと案内してくれた。
 中へ入るとふわっと温かみのある良い匂いが鼻を擽った。外へも漏れ出ていて良い匂いがしていたが、中はその比じゃなかった。
 途端に俺の腹が「ぐううう」と元気に鳴った。

 「がっはっは!腹が鳴るのは元気な証拠!食え食え!」

 ドッカと席に腰掛けたバクシーさんは、空いている席を指して言った。
 俺は匂いに我慢が出来ず、言われるなり席につき、目の前の湯気が立ち昇るシチューに手を伸ばした。
 近くで嗅ぐと殊更腹に直接響く。暖かくて。温かくて。スプーンで掬ったシチュー(肉付き)にゴクリと唾を飲み込む。そして、口に入れた瞬間。涙が溢れた。

 「……美味い」

 美味い。今迄食べたどの料理よりも美味い。
 それで何故涙が溢れたのか、暫くわからなかった。しかし何度も口に運び、その理由がわかった気がした。
 城には無かったのだ。
 熱いくらいの温かな料理も、ワイワイと語らう賑やかな団欒も。
 城では常に人の目が光っていた。
 料理は毒味を経て並べられる為、どれもぬるく冷めていた。
 食事は常にマナーに気を使い、会話はその日にあった事を報告の様に淡々と語り、他愛の無いものはマナーが悪いと教育係に叱責された。
 今この瞬間の胸が暖かくなる空間は一度たりとて存在しはしなかったのだ。

 「こんなに美味いものを食べたのは、生まれて初めてだ……」
 「あらまあ、嬉しいねぇ」
 「がっはっは!そうだろう美味いだろう。ウチの農場で作ったミルクや野菜をふんだんに使って母ちゃんが愛情込めて作ってくれてんだからな。世界一美味いに決まってらぁ!」

 愛情。そうか。これが、これこそが愛情の味というものなんだな。
 俺は自然と頬が緩んだ。そして「美味い」「美味い」と言いながら、涙で歪んで見える料理を片っ端から平らげていった。
 それをどうしたのだと不思議そうに見つめ合うバクシー夫妻に、テルロがこの国の王族の有り様を説明してる。
 それを聞いたバクシーさんは何故か血管を浮き上がらせ、テーブルをドン!と叩いた。テーブルが壊れるかと思った。

 「何だそれは!お偉いさんってのは血も涙もねぇのかよ!ガキ相手に何してやがんだ!俺がいっちょ子育ての何たるかを叩き込んで来てやらぁ!」

 俺がさっきの振動で溢れた汁物を拭き取ってる間に何やら盛り上がったらしい。バクシーさんが筋肉で太ましい腕を巻くって席を立った。

 「ちょ!?落ち着いて下さい!一般人は城においそれとは入れませんよ!」

 それを止めて宥めるテルロ。流石に城で鍛えられた力にバクシーさんの筋力も勝てないらしい。「ふんぬ」と怒りを露わにしながらも動けずにいる。

 「あらあらまあまあおほほほほ。
 あなた。私もご一緒しますよ。子を産んだ同じ女としてじっくり井戸端会議する必要が有りそうだもの」
 「奥さんまで何を言いますか!?」

 動けないバクシーさんに代わり、奥さんがニコヤカに外へと向かう。
 この二人は、真剣に俺を見てくれてるんだな。それが嬉しくて、むず痒かい。

 「ちょっと殿下も笑ってないで止めて下さい!」
 「あはは。俺はもうただのアスターだろ、テルロ。
 それとバクシーさんも奥さんも怒ってくれてありがとう。でも、こことは違うかも知れないけど、それでも父上も母上も俺を愛してくれてたんだ」

 今になって思い出す。幼い日のあの頃を。
 いつから俺は愚者に成り下がっていたのだろうかと、過去を悔やむ。

 「くっそ!良い子じゃないか!」
 「うわっ!?」

 哀愁の笑みを浮かべる俺に、バクシーさんはテルロを振り切って俺を抱き上げた。
 いきなりの予想外の事で、俺もテルロも対応が遅れた。

 「ただのアスターなら俺んとこに養子に来れば良いんだ。
 ウチには息子が居なくてな。もう1人ぐらい作っとくかと思っていた位だ」
 「ぐえっ」

 広い胸筋と腕筋に羽交い締めにされた俺は、カエルが潰れたような呻き声を上げる。

 「あら!素敵ねあなた!
 私ももう良い年だし、アスター君なら私も大歓迎よ!」
 「ふぐっ」

 そんな苦しい俺を置いて、何故か奥さんもバクシーさんと一緒に俺を羽交い締めにしてきた。背中に柔らかいものが当たる。

 「あのっ、ちょっ、離して欲しいっ、苦しっ」
 「あら。ごめんなさいね。ほほほ」
 「おいおい、男だろう。この位で根を上げるとはまだまだ鍛え方が足らんな。
 よし!俺が一から鍛え上げてやろう。がっはっは!」
 「うっ、うっ」

 締め付けからは解放されたがバクシーさんがバシバシ背中を叩いてくるものだから、今度は背中がジンジンと痛む。

 「すまないっ、話を、聞いて欲しいのだがっ」
 「ん?何だ?俺達が親じゃ不服か?」
 「やっぱり本当のご両親が良いのよ」
 「しかしもう籍は離れてるっていうじゃないか」
 「きっと心の中ではご両親はずっとご両親なのよ」
 「そうか。それは無理強い出来んな。残念だ」

 この夫婦は話を聞かずに勝手に盛り上がってる。俺を思ってくれての反応だから嬉しくはあるのだが。

 「いや。申し出は嬉しいのだが、俺は子を為せぬ様にされた身だ。跡継ぎとしては不足だと」
 「そこは気にする必要はねぇんだが……。
 アスターとしてもまだ出会ったばかりの親父じゃ答え出し辛えか。
 まあ、気が乗らねぇって訳じゃねぇんなら一つの道として考えとけ」

 なんと!平民とは寛容なんだな。王侯貴族の世界じゃ種無しは跡継ぎどころか、縁すら切られる事もあるというのに。
 つくづく俺はものを知らぬと実感させられる。
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