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第4話 甘いアタックと、攻防
しおりを挟むあの日の「番」宣言以来、リクの“本能アタック”は本格的に幕を開けた。
それはまるで、澪の静かな日常に、甘くて濃密な嵐が吹き込んだかのようだった。
ある雨の日の朝、澪が店の鍵を取り出そうとしたその時。
目の前の光景に、思わず足を止めた。
黒のスーツに身を包んだ男が、黒い傘をさしたまま、店の前で静かに立っている。
堂々としたその姿は、まるでここが自分の居場所であると主張するかのように揺るぎない。
「……早いですね、リクさん」
呆れと笑いが混じった声を投げかけると、リクは澪をまっすぐに見つめ、迷いなく言い放つ。
「ここはお前の匂いが濃い。一番、落ち着くんだ」
その言葉に、彼の持つ獣人としての本能的な性質を改めて突きつけられ、澪の頬は微かに熱を持つ。
「毎日こんなに早く来てたら、体を壊しますよ」
心配と皮肉を半々に込めた澪の言葉に、リクの瞳が一瞬だけ揺れる。
「そんなことより、早く開てくれ。澪が淹れるコーヒーを飲みたい」
リクの声は低く、どこか甘さを含んでいる。
その視線に微かな圧を感じながら、澪は小さく息をついた。
「はいはい。少々お待ちくださいね」
澪が店の鍵を開けると、リクも当然のように店内へ入ってきた。朝の空気がまだ冷たく、店内もひんやりしている。
換気をし、照明をつけて澪は手際よく準備を始める。
「座っててください。すぐに淹れますから」
澪がエプロンをつけながら言うと、リクはいつもの席に腰を下ろし、無言で澪の動きを目で追っている。
コーヒー豆を挽く音、ポットで湯を沸かす音。
ひとつひとつの音が、澪には妙に心地よく響いていた。
湯を注ぐと、ふわりと香ばしい香りが立ち上る。
淹れたてのコーヒーをリクの前に置くと、彼はゆっくりと目を閉じて、その香りを吸い込む。
「……最高だ」
「美味しいですか?」
「ああ。雫が淹れたものだからな」
さらりと言うと、視線だけで澪を捉える。
その熱い視線に、澪は身体の芯から温かくなるのを感じた。
「そんなに好きなら、タンブラーに入れて持ち帰ります?」
何気なく言ったつもりが、リクは真顔で返事をした。
「ここで澪が淹れてくれて、顔を見ながら飲むのがいいんだ。お前の淹れるコーヒーは、俺だけのものだからな」
「……リクさん、それ、普通に言います?」
「何か問題か?」
真面目すぎる答えに、思わず笑ってしまう。
けれど、顔の奥がじんわりと熱い。どうしてこの人は、こんなに真っ直ぐに気持ちをぶつけてくるんだろう。
「さて、と。あとは掃除だけだし、開店までまだ時間あるし……」
バックヤードに向かおうとした、その時だった。
カップを置いたリクが、すっと立ち上がる。
そして、カウンターの内側に回り込もうとする澪の前に、ぴたりと立ちふさがった。
「――っ、リクさん?」
その大きな身体が、逃げ場を防ぐように迫ってくる。
リクは、何も言わずに片腕を伸ばし、カウンターにドンと手をついた。
澪の呼吸が、少しずつ浅くなる。
心臓の鼓動が、彼に聞こえてしまいそうなほど早くなっていく。
「どこへ行くつもりだ?」
低く、甘い声が耳元で響いて、澪は、びくりと肩を震わせる。
「え、掃除……ですけど」
「コーヒーを淹れてもらったんだ。礼は、きちんとするのが筋だろう?」
金色の瞳が、真っ直ぐに澪の目を見つめて離さない。その奥で、静かに獲物を定める獣の光が宿っていた。
「お、お礼って……」
「お前への礼は、俺の匂いで満たしてやることだ」
そのまま、リクの顔が澪の首筋へと滑り込む。
熱を帯びた吐息が肌に触れ、ぞくりと震えが走る。
「んっ……」
リクの息遣いが、すぐそこで肌を撫でている。
そのたびに、身体の奥からじわりと甘い熱がこみ上げてくる。
やがて澪の身体から、甘くて濃厚な香りがふわりと立ちのぼる。
それはまるで、彼の本能を誘うかのように空気中に滲み出ていた。
リクは鼻先を首筋に押し当て、ゆっくりと擦りつける。
熱い吐息が、肌を這う。
まるで、獲物の匂いを確かめるように――執拗に、愛おしげに。
「……やっぱり、お前の匂いはたまらない」
低く唸るような声が喉の奥で響く。
そして、リクの犬歯が澪の肌にそっと触れた。
まるで、自分を抑えていることを示すように――
そのまま、犬歯を当てた上から、ゆっくりと舌が滑った。
慰めるように、名残惜しむように。
「……っあ……」
澪の口から、かすかな吐息が漏れる。
理性が、甘い痺れの奥でじわじわと溶けていく。
リクが顔を上げると、金色の瞳が澪を見つめている。
その奥には、静かに燃える独占の光。
「……満足か?」
「満足してるのは、リクさんの方じゃないですか」
澪は息を整えながら、呆れたように呟く。
「ああ。朝から最高の気分だ」
リクはくすっと笑い、澪をそっと引き寄せる。
彼の体温と匂いが澪の全身を包み込む。
「この店も、澪も……俺の、大事なテリトリーだ」
その言葉の荒々しさの奥にあるのは、限りない愛情。
澪の鼓動が、またひとつ跳ねる。
「もう……開店時間、近いんですけど」
ようやく絞り出した声に、リクは肩越しに笑った。
「ああ。でも――こうしておけば、余計なオスは近寄れないだろ?」
開店を告げるランプが灯る頃。
澪の身体はすでに、リクの甘い匂いで満たされていた。
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