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第27話 古の盟約と遺された記憶
しおりを挟むトン、トン──。
和室の引き戸が叩かれた。
布団の上で微かに身じろぎしたリクが顔を向けると、湯気を立てるスープとサンドイッチを乗せたお盆を持った澪の祖母が入ってくる。
「……おばあちゃん……」
澪の小さな呼び声に、リクは弾かれたように身を起こした。
「突然お邪魔してしまい、申し訳ありません。私は九条リクと申します。澪さんの……」
熱が残っているのか、少し頼りない声。それでも、誠実な響きがこもっていた。
祖母は微笑んで、お盆をそっと置き、手を軽く差し出す。
「そんなにかしこまらなくても大丈夫ですよ。話は、澪から聞いています。まずは体を休めて」
その穏やかな口調に、リクの表情が少しだけ緩む。
けれど澪は、その背で小さく息を呑んだ。
「……リクさん。話したいことがあるの」
その声に、リクの体がぴくりと反応する。
「……澪?」
「おばあちゃんが、教えてくれた話で……それを、リクさんにも伝えなきゃいけない気がして」
少し戸惑いながらも、リクは頷いた。
祖母が澪のそばに腰を下ろすと、手にしていた小さな木箱の蓋をゆっくりと開けた。中には、古びた日記と、柔らかい布に丁寧に包まれた"何か"。
布を解くと現れたのは──牙の形をした首飾り。
その根元には、黒獅子の紋章に似た彫刻が刻まれている。
複雑な曲線と幾何学が交差する模様を見た瞬間、リクの表情が変わった。
「これは……?」
「これは、私の母……澪の曽祖母が、かつて愛した獣人から贈られたものです。そしてこの日記には、その想いが綴られています」
そう言って、祖母は日記を開き、ある一文を指先でなぞる。
『贈られた首飾りに何度も触れながら、あなたを想っている。たとえ時を越えても、私たちの絆は決して絶えることはない』
その言葉に、リクの呼吸が止まる。
目を逸らせずに、ただ、首飾りを見つめていた。
「……我が家には、昔から伝わる『盟約』があります。それは、人間と獣人が争わずに生きて、命を繋いでいくための、誓い」
「……盟約……」
「母の番だった獣人も、その盟約に深く関わっていたけれど……
盟約は、愛による血の混ざり合いまでは許さなかった。番でありながら、引き裂かれた二人。それでも母は、彼を愛し続けたのよ。この首飾りと日記は、その証」
祖母はそう言うと、静かに目を閉じ、首飾りを握りしめた。その表情には、悲しみと、遥かな時への諦念が混ざり合っているようだった。
「共生のための盟約とはいえ、昔は異種族が子を成す前例がなくてね。だから、混血の誕生を恐れて阻止したい層が少なからずいたのよ。でも、黒獅子のような希少種は運命の番とでなければ子を成せないと分かって、状況は変わった」
祖母は、どこか遠い時代を見つめるように窓の外へ視線を向けた。そして、微かに、寂しげに微笑んだ。
「母と番だった獣人もね、その後、運命の番と出会ったと聞かされたわ。そのまま母と結ばれても、子を成すことはできなかっただろうから……悲劇的だけれど、結果としては良かったのかもしれないわね」
リクは首飾りに指を伸ばす。
牙の質感、紋章の感触──どこか懐かしいような、遠い記憶を呼び覚ます何かがそこにあった。
「……そんなことが……」
ぼそりと漏らした声には、困惑と確信が入り混じっていた。
「リクさん……」
澪がそっと彼の手に触れた。
「私は、本能で求められてるだけなのかもって不安でした。だけどこの話を聞いて、ようやく腑に落ちたの。私が感じていたのは、きっと……この『運命の番』という定めだけじゃなくて、その奥にある“想い”なんだって」
「……澪」
リクは、彼女の手を強く握り返した。
「俺は絶対に、お前を手放さない。この想いは、俺のものだ。番の本能でも、血の宿命でもない。……俺が澪を、心から愛してるんだ」
言葉が熱を帯びていく。
それは本能でも宿命でもない──彼自身の“意志”。
「いいか、澪。お前が“人間”だろうと、俺には関係ない。盟約の有無も、首飾りの存在も、俺が澪を愛する理由にはならない。……俺は、ただ、お前自身に惚れたんだ」
祖母は、ゆっくりと微笑んだ。
「運命はただ巡ってきただけではありません。母と彼が果たせなかった想いは……あなたたちが、自ら選んで結んだ絆に変わったのだと思いますよ」
リクと澪は、静かに目を合わせた。
胸の奥で、確かに何かが繋がる音がした。
もう怖がらなくていい。
これは偶然なんかじゃない。
選び、選ばれ、惹かれ合ってきた二人の、必然だったのだから──。
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