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第一章
第十七話 ジークの怒り
しおりを挟む今日の陽力訓練は普段の半分ほどで終わることになった。
葬送官として重要な仕事である、哨戒任務へ向かうためだ。
リリアとジークは正式なバディではないが、実戦経験を積むためにテレサが支部へ掛け合ったのである。
戦闘準備を終えて家を出る二人を集め、テレサは言った。
「二人とも、今日はいつも以上に気をつけな」
「どうしたんですか。師匠がまじめな表情をするなんて珍しいですね」
「まじめにもなるさ。大侵攻の予兆はまだ消えていないんだからね」
その言葉に顔色を変えたのはリリアだ。
ジークはどこか緊張した彼女の様子に首を傾げ、
「ダイシンコー? あ、お饅頭を作るときに使うアレですか?」
「それはダイシン粉だよ。じゃなくて、大侵攻。悪魔が街に押し寄せてくるのさ」
「……っ」
ようやく意味を理解し、ジークも顔をこわばらせた。
過去、悪魔に街を滅ぼされた例は数多く、そのたびに多くの葬送官が命を落とした。そうして滅ぼされた街の廃墟を、ジークは数えきれないほど見たことがある。
冥王直下の死徒や、幻級の悪魔たちが率いる悪魔の軍勢。
津波のごとく街を呑みこむそのさまを、人は『大侵攻』と呼んで恐れている。
「大侵攻の予兆は、未踏破領域にそのレベルに見合わない悪魔が出ることだ。森葬領域アズガルドの瘴度ーー悪魔の蔓延るレベルは十段階評価で四。中級から上二級悪魔が巣食ってる。でも先日、とあるレギオンから上一級悪魔の出現報告を受けた」
「ぁ」
テレサの言葉に、ジークは思い当たるところがあった。
というより、忘れられない。
なぜなら自分は当事者だからだ。
「コキュートス……!」
「そう。あんたが遭遇した奴だね。あのレベルがうろついてるから、大侵攻が警戒されてる」
「だから、僕が葬送官なったとき、あんなにピリピリしてたんですね。スパイじゃないかって」
「そうだよ。今夜も充分に気をつけなきゃいけない。ひっく」
最も、とテレサは酒瓶を肩に担ぎ、
「あれから二週間。コキュートスの出現報告は出ていない。偵察のほうも成果なしだ。杞憂かもしれないけどねぇ」
「分かりました。気を付けていってきます」
二人は頷き、緊張を覚えながら出発する。
満天の星々がかがやく空の下、サンテレーゼの照明が闇を退ける。
哨戒任務では街の外と内で葬送官たちが出歩いており、昼と夜の部がある。
ジークたちが今回担当するのは夜の部の外周区だ。
引継ぎのために街に行くと、道ゆく人々の視線が突き刺さった。
「おい、見ろよアレ。半魔だ……」
「横にいるのはあいつだぜ。ほら、ブリュンゲルから追放された……」
「なんで半魔が葬送官なんてやってんだよ。組むほうも組むほうだぜ、クソ」
そんな呟きが聞こえてきて、ジークは申し訳なくなる。
ジークだけなら慣れたものだが、リリアは完全な巻き添えだ。
「リリアさん。ごめんね。僕のせいで」
「気にしないでください。わたしのことも言われていますし」
そう言いつつ、リリアの顔色は芳しくない。
彼女は取り繕うように、
「それよりも、修業の成果が楽しみですね! わたしたち、強くなってるんでしょうか?」
「どうだろう……ちょっとずつ成果は出ているけれど」
ジークはだんだんと剣を避けられる時間が増えているし、リリアもそうだ。
初日は五つほどしか的を破壊できなかったが、今は八つも壊せている。
どうにか悪魔との戦いに生かせると信じたい。
「そういえば、さ。リリアさんはどうして、僕と一緒に頑張ってくれるの?」
「え?」
「いや、気持ち悪くないのかな、って……」
ジークは目をそらし、他人よりも尖った耳に触れて言った。
以前、同じことを聞いたとき、リリアは否定してくれた。
けれどそれは助けられた恩がそう言わせたのであって、本音は別ではないのか。
そんな不安が、ジークの心を常に苛んでいる。
「わたしは……」
リリアは胸を抑えた。
「確かに初めて見た時は怖かったですけど……でも、今はそんなことなくて」
自分の考えをまとめるように、リリアは言葉を途切れさせる。
数秒、そうして迷った彼女は、意を決したように口を開き、
「ーーあ、あ! もう着いたみたい! ほら、早く行こう!」
「え、あ、はいっ」
口にしかけた言葉を遮り、ジークは葬送官支部へ駆け出していた。
(な、なんで止めたんだろ、僕……)
ドキドキと、心臓が高鳴っている。
聞きたいのに聞きたくない、そんなジレンマで胸が苦しい。
俯きながら歩いていると、
「わっ」
「きゃっ」
「ご。ごめんなさ……!」
誰かにぶつかって、ジークは慌てて顔を上げた。
そこにいた人物を見て息を呑む。
「あ、君は……」
「……ジーク」
アンナ・ハークレイ。
ジークに突っかかってきた先輩葬送官が、彼を見下ろしていた。
「どうした、アンナ。っと、お前は……」
後ろからオリヴィアが歩いてきた。
同じようにジークに追いついてきたたリリアは目を見開いて立ち尽くす。
「お姉さま」
「え?」
今なんて言った? お姉さま? でもリリアさんの姓は……。
ジークは二人を見比べた。
言われてみれば、確かに目元が似ているような気がする。
だが、そんな視線はオリヴィアには不快だったらしい。
「じろじろ見るな。気持ち悪い」
「あ、ごめんなさい……やっぱりあんまり似てないですね」
リリアはそんな言い方はしないという意味の言葉に、オリヴィアは眉根を寄せる。彼女の眼は複雑な感情で揺れていた。きつく目を瞑り、冷たく言い放つ。
「まだ葬送官を続けているとは思わなかった。リリア・ローリンズ葬送官」
「ぁ、ぇ、わ、わたしは」
「他人の迷惑になる前に辞めたほうがいい。また以前と同じ二の舞にはなりたくないだろう?」
「……っ」
リリアの表情に激震が走った。
わなわなと口元を震わせ、顔を蒼白にした彼女は両手で胸を抑える。
「フン。臆病者め」
神官服を翻し、旧世界の騎士のようにオリヴィアは去っていく。
リリアは何も言わない。
ただ震える子供のように胸を抱き、きつく目を閉じてーー
「待ってください」
「え?」
ジークはオリヴィアを呼び止めた。
不快そうな彼女の顔に、ピシ、と指を突きつける。
「なんでそんなひどいこと言うんですか? リリアさんに謝ってください!」
「なんだ、お前は」
ジークの心は燃えていた。
リリアが貶められることに耐えられなかったのだ。
「リリアさんは、頑張ってる。今の自分が嫌で、前に進もうとしてるんだ。僕を半魔じゃなくて、人間として扱ってくれた優しい人なんだ。姉だかなんだか知らないけど、そんな風に言うのは良くないと思います!」
「……意味が分からん。不愉快だ。お前などに、何が……!」
ギリ、と奥歯を噛んだオリヴィアはジークに一歩踏み出した。
だが、それを見かねたアンナが割って入り、
「お師匠様が相手をするまでもありません。この無礼者は私の手で」
アンナは特殊な歩法によって間合いへするりと入り込む。
襟首をつかみ、床へ押し付けようとした。
「ふ……ッ」
アンナの序列は千番台。
彼女は若くして上級葬送官に任じられた、将来有望な実力者だ。
地道に実績を積み重ね、オリヴィアの直弟子になるまで成長した彼女の年月は軽くない。
(お母さんの恨み、今ここで……ッ!)
上級の実力を前に、ジークはなすすべもなく倒される。
ーーはずだった。
「なッ!?」
転瞬、ジークの襟首をつかもうとした彼女の手は、逆に掴まれていた。
みし、みし、と骨が鳴る音がする。
(動かない……! こいつ、あの時と別人みたいに……!)
ジークはアンナを見て目を伏せる。
もしかしたら、彼女ともリリアと同じように友達になれたかもしれない。
けれどその未来は既にない。会話を拒絶する彼女にジークが言えることはなかった。
だからジークは、アンナの向こうにいるオリヴィアを見る。
同門弟子を馬鹿にされて、はらわたが煮えくり返っていた。
「不愉快なのも、無礼なのもそっちじゃないか」
「……っ」
「僕の友達を、馬鹿にするな。彼女に謝れッ!!」
リリアは大きく目を見開いた。
そんな彼女の様子に気づかず、ジークは湧き上がる怒りをぶつける。
「自分を変えたい人が頑張ってるのを、否定する権利なんてお前にはない!」
(ジークさん……)
リリアは心臓をつかまれたような気分だった。
つい四日前までなすすべなく倒されていたのに、今こうして彼は姉に立ち向かっている。
こんな落ちこぼれの自分を、ちゃんと見てくれている。
それは、今まで誰もしてくれたことがなかったことでーー。
「誰が謝るか。私は何も間違ったことは言っていない」
「……っ、離しなさいよ、この半魔ッ」
アンナがジークの手を振り放す。
オリヴィアは憮然と言った。
「リリア・ローリンズ下二級葬送官。今夜の哨戒任務。引継ぎ内容は特になし。各自注意されたし。以上」
「あ、はい。あの、お姉さま……ぁ」
リリアが呼び掛けたとき、すでにオリヴィアは支部から出て行っていた。
「……調子に乗らないでよ。これで終わりだなんて思わないで」
通り過ぎる間際、アンナはそう吐き捨てる。
途端、騒ぎを見守っていたロビーの中に喧騒が戻ってきた。
ジークは息を吐いてリリアを見る。
彼女は姉が去っていった方向を名残惜しそうに見ていた。
ジークは何と声をかけらいいか迷い、自分の行動を恥じる。
「ご、ごめん。リリアさん。お姉さんにあんな風に怒ったりして……僕、ついかっとなっちゃって。と、友達とか言っちゃったし」
「……ジークさん」
「リリアさんがいつも頑張ってるの、知ってるから。その」
リリアは首を横に振る。
胸の前で手を組み、頬を赤くしながら言った。
「嬉しかったです。あんな風に言ってくれる人、今までいなかったから」
彼が努力しているのを見ているから、その言葉はリリアの胸に響いた。
ーーそう、そうだ。ジークは努力している。
例え元々の素養が違おうとも、それは間違いないのだ。
自分も頑張らねば、人一倍努力している彼に顔向けできないと、リリアは思う。
ジークは頭を掻いて、
「そ、そう……? なら、いいんだけど」
「はい。明日からも頑張りましょうね」
花が咲いたようなリリアの笑みに、ジークは勢いよく頷いた。
「うん! 一緒に頑張ろう!」
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