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第十六話 不器用な優しさ

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「ん~やっぱり蒼いのが似合うんじゃないかしら」
「ウチは断然黒派」
「こっちの白と緑なら仕事中にも着れそうですね」

 シェラは同僚たちに囲まれていた。
 前方に見える扉は固く閉ざされ、逃げ道を封じられている。
 夕食のあとにリヒムの邸宅を訪れた『カンターク洋裁店』なる者達がにこにこ顔で布を選んでいた。

「あの……なにしてんの?」
「見れば分かるでしょう」

 ルゥルゥがすまし顔で言った。

「あなたの服を選んでいるんです」
「いやだからなんで」
「俺が着せたいからだ」

 そう言ったのは、シェラの逃げ道を断った張本人である。
 リヒムは洋裁店の者達と布を選びながら楽しげに言った。

「君は放っておくと仕事ばかりしそうだからな。私服ぐらい持っておけ」
「……別に。使う機会なんてないから要らない」
「君に拒否権はない。言っただろう、俺が着せたいからだと」
「……」

 むっと黙り込んだシェラを無視して彼は周りに言った。

「今日は俺のおごりだ。シェラに三着作るから皆も布を一つ選ぶといい」
「まぁ! 旦那様、太っ腹です!」
「さすが旦那様」
「では私も仕事着の新調を」
「シェラのついでというのが気に食いませんけど、感謝いたします、閣下」
(お願いだから私のいないところでやってくれないかな)

 元よりおしゃれにあまり興味がないのである。
 今日は採寸と色合わせだけだというが、それにしたって使用人総がかりだ。あれがいい、これがいいなど、シェラを着せ替え人形にしてみんなが遊んでいるように見える。あのサキーナでさえもだ。シェラはきりのいいところで部屋から抜け出し、バルコニーで夜風に当たった。

「はぁ……」

 調子が狂う、とシェラは内心で嘆息した。
 リヒムが姉を殺したのは間違いないのに、どうしてこうも自分に優しくするのだろう。せめてイシュタリア人らしく乱暴で横暴で血も涙もない男だったなら憎むことが出来た。それこそ寝室に行って寝ている間にナイフを突き立てることも……。

「あいつ、なんで私を……」
「本当になんでだろうね?」
「!?」

 シェラは飛び上がった。
 いつの間にか真横に知らない男がいたからだ。

「だ、だれ」
「僕? 僕は──」

 男が手を伸ばしてきた時だった。

「なにをしている」

 ばさりとマントが翻り、シェラと男の間に影が入って来た。
 見れば、険しい顔をしたリヒムが背を向けて立っている。

「あ、将軍こんばんは」

 男の気が抜けそうな挨拶にリヒムはため息をついた。

「勝手に入るなといつも言っているだろう。ラーク」
「まぁまぁ。堅いこと言わずに~。僕と将軍の仲じゃないですか」
「……知り合い?」
「怖がらせちゃったかな? 二度目に会ったから大丈夫かと思ったんだけど」
「え……あ」

 よく見れば男の顔には見覚えがあった。
 あの脱走の夜、雑木林での出来事だ。
 シェラを助けたリヒムの後ろにこの男が立っていた。

 男はにこやかに微笑み、

「僕の名はラーク・オルトク。将軍の補佐をしている男で──」

 おちゃめに片目を閉じて言った。

「君と同じ、アナトリア人さ」
「私と同じ……?」
「正確にはハーフだけどね。幼い頃はアナトリアで育ったよ」

 アナトリア人の髪色は赤い。
 もちろん例外はあるが、ラークの髪は夜を秘めた黒だ。

「これからちょくちょく来るからよろしくね」
「はぁ」
「ラーク」
「いやいやだって気になるでしょ。今いる子たち以外に目もくれなかった天下の黄獣将軍アジラミール・パシャが、アナトリア人の娘を保護してるんだから。変な勘繰りされて処理するのは誰だと思ってるんですか」
「……感謝はしている」
「感謝は要らないのでお給料上げてください」
「そのうちな」

 軽口を叩き合う二人は上司と部下というより親友同士のようだ。
 目を白黒させていると、ラークがリヒム越しに言った。

「将軍が女を身内に入れるのは本当に珍しいんだよ」
「……ふぅん」
「何か君に価値があるのかな。例えば──ゴルディアスの秘宝とか」

 シェラは冷めた目でラークを見返した。

「あんな伝説を本気で信じてるんですか? 子供じゃあるまいし」
「そりゃあね! 僕だってアナトリア人だもん。自国の伝説は気になるものさ」

 ゴルディアスの秘宝は食べた者に絶大な力を与えるという伝説の料理だ。
 ひとたびその料理を食べれば不老不死となり、万夫不当の力を得るという。

 アナトリア神話によれば初代アナトリア国王は神々よりその料理を賜り、大陸の隅々に料理の概念を広めていったのだとか。すべての料理はゴルディアスに始まり、ゴルディアスに終わる。初等学校ではそんなことを教えられていたものである。

「おとぎ話ですよ。信じてる人なんていません」
「そうかなぁ」
「そうです」

 断言するシェラにラークは肩を落とした。

「そっかぁ。そうだよなぁ」
「そんな与太話をするために来たんですか」
「いやだなぁ。与太話こそが人生の醍醐味なんだよ?」
「は?」

 地を這う虫を見るような目のシェラにラークはころころと笑った。

「同郷に会えたらちょっとは安心するかと思ったんだけど、もしかしてそれが素?」
「だったらなんですか」
「僕、君のこと気にいっちゃった」

 リヒムの横を通り過ぎて、ラークは玄関へ向かう。

「また来るよ。これからもよろしくね。シェラザードちゃん」

 ラークの背中はまたたく間に見えなくなった。
 夜風に髪を巻き上げれながら、シェラは首をかしげる。

(あれ……? 私、あの人に名乗ったっけ?)

 おそらく上司に聞いたのだろう。
 同郷とはいえ知らない男に名前を知られているのは気分がいいものではない。
 抗議の視線でリヒムを見上げると、彼はため息をついた。

「結局あいつは何をしに来たんだ」
「……あなたが私を雇ったりするからでしょ。何なのほんと」

 シェラは思い切ってリヒムに聞いてみることにした。
 うじうじと考えているのは自分の性に合わない。
 この男の意図が何なのかを早く知りたかった。

「ふむ。何なのとは、抽象的な質問だな」
「とぼけないで。敵意のある私を雇うこともそうだし、さっきみたいに服を買うこともそう。私を餌付けでもしたいわけ。私はペットなんかじゃない。あなたに尻尾は振らないわ」
「ペットだとしたら獰猛すぎるな」

 リヒムは「くく」と笑ったあと、シェラの顎をくい、と持ち上げた。

「不安か。姉の仇に優しくされるのが」
「……っ」
「安心しろ。俺が君を雇うのは単に実用的だからだ。アナトリアの女は料理が上手いからな。活用しなければもったいなかろう?」
「……なら、服を買う理由は」
「君が面白いから」

 リヒムは口の端をあげて言った。

「君をからかうのは楽しい」
「……っ、馬鹿にして!」
「おっと」

 手を振り払ったシェラからリヒムはわざとらしく飛び下がる。
 おどけたように肩を竦めると、彼は背を向けて言った。

「今夜は冷える。風邪をひかないうちに中に戻れ。いいな」

 念を押すように言うと、彼は返事を待たずに去ってしまった。
 残されたシェラははらわたが煮えくり返って仕方がない。

(なによ。なによなによあいつ!)

 ほんの少しだけ良い所もあると思った少し前の自分を殴りたい。
 褒められて有頂天になっていたのだろうか。
 やはり奴はイシュタリア人の典型だ。
 姉を殺した男に心を許すことなど、あってはならないのだ。

(ほんっとに嫌な男! 人を玩具みたいに弄んで!)

 内心で毒づいてから、シェラは「あれ?」と首をかしげる。

(そういえば、あいつは何をしに来たんだろう)

 ラークと呼ばれた男を注意しに来たのだろうか。
 知らない男にいきなり触られかけたのは正直怖かった。

(やっぱりちょっといいところも……いやいや! 何言ってんの私!)

 偶然だ、偶然。
 断じて部屋から出た自分を気にかけて守ってくれたわけじゃない。
 そう思うのに、なぜか顔が熱くなってしまうシェラだった。

(や、やっぱり大嫌い! 大嫌いなんだから!!)
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