宮廷料理官は溺れるほど愛される~落ちこぼれ料理令嬢は敵国に売られて大嫌いな公爵に引き取られました~

山夜みい

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第十七話 表と裏と、心と理屈と。

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「ん、ぁ、く、ぅ……ぁ!」
「そうだよ。シェラ。もうちょい我慢して」

 甘ったるい女たちの声が厨房に響いている。
 湯気の中で重なる人影は手のひらを重ね合っているように見えた。

「や、これ……んっ! くすぐった……っ」
「あたいも通った道さ。分かるよ。でもそこを我慢したら気持ちいいから」
「ゃ、ぁ、~~~~~~~っ!」
「よし今だ!」

 シェラは大鍋で茹でていた食材を思いっきり引き上げた。
 ざばぁん、と水揚げされるように現れたのは綺麗な紅白模様になった巨大海老だ。

 体長1メートル、体重二十キロはくだらないそれを釣りの要領でもちあげて、冷えたボールの中に慎重に落とす。途端、シェラは身体から力が抜けて尻もちをついた。

「ぜぇ、ぜぇ」
「すごいじゃないか! 火加減ばっちりだよシェラ」
「ど、どうも。ハァ、ハァ……ぜぇ」
「ほんと初めてとは思えないね。さすがあたいの後輩。にしし」

 腰に手を当てて誇らしげに笑うリーネ。
 全力疾走を終えた後のような疲労感と戦うシェラは荒立つ息を整えた。

(これ、めっちゃしんど……)

 シェラが調理していた食材を、紅白海老という。
 その調理法は『最高料理官』並みの繊細な技術を要求される。

 まず、背ワタを取って切れ目を入れた海老を九十度のお湯できっちり五十秒間茹でなければならない。一秒でも過ぎれば海老の身がボロボロになり、逆に足りなければ生臭さが残ってしまうし、下茹でせずに揚げれば海老の身がびっくりして身が崩れてしまう。

 中腰の姿勢で巨大な掬い網に海老を入れ、五十秒耐える苦行。
 鍋の中から立ち上る湯気が服の隙間に入り込み、汗がびっしょりだ。さらに胸の隙間から腰にかけて滴る汗がくすぐったくて、変な声が出てしまった。

「二度とやりたくない……」
「毎日やるんだよ。大丈夫。あんたならすぐ慣れるから」
「ですか」
「うん。じゃあ次行こう」
「はい」

 意外にも、月の宮の仕事量は多かった。
 一日の流れとしては朝に出勤して前日に仕込んでいた当日分の昼食を仕上げ、右手にある食堂へ渡す。そこで食べる前に最後の加熱処理を行い、昼食にやってきた官吏たちを捌いていく。その間に片づけを始め、翌日分の仕込みが始まる。このループが基本の仕事だ。食聖官であるガルファンなど皇帝スルタンの料理を作るチームはまた違った動きになるらしいが。

 火の宮よりも早く仕事が終わっても、仕事量が少ないわけではない。
 段取りする人間が違うだけでこうも違うものかとシェラは感心する。

「感心すんのはこっちだぜ、なぁおい」

 昼食の鉄火場を終えて休憩するシェラにガルファンが言った。
 月の宮ではチーム関係なく昼食はまとめて取るようになっている。

「恐魚を捌いた時から分かっちゃいたが、お前さんは筋がいい」
「……そ、そう?」

 少し顔が熱くなってしまうシェラである。
 月の宮の者たちはガルファンの言葉にうんうんと頷いた。

「そうそう! 紅白海老も一発でマスターしちゃったしね!」
「洗い物も嫌がらないし、掃除も丁寧。料理官の手本みたいないい子だ」
「ま、あたいの教え方がいいからだな!」
「いやいや、この分じゃすぐにリーネを追い抜いちまうぜ?」
「な、なんだとぉ!?」
「がはははは! ちげぇねぇ! どっちも頑張れよ!」

 ばんばんと背中を叩いてくるガルファンに顔を顰めるシェラ。
 表情に出しているほど嫌な気持ちになっていないのは内緒だ。

「ところでシェラよぉ。あんたリヒム将軍のところで働いてるって話だけど……」
「はぁ。それがなにか」
「「「え、マジなの!?」」」

 周囲が驚愕の声をあげた。

「マジで将軍の夕食作ってるの!? 一つ屋根の下!?」
「うらやまし~~~~~~~~~~! 私が代わりたい!」
「なら代わってください」
「やっぱ無理! 恐れ多くて無理!」

 どっちだ。

「あの人、そんなにすごい人なんですか」
「知らないの? まぁ知らなくても無理はないか」

 同僚の女性はうっとりと目を閉じて言った。

「リヒム閣下は孤児の身で将軍職まで上り詰めた平民の希望! 数多の戦争で活躍して公爵に養子入りした途端、貧民街改革政策を打ち出し、私たち下々の者にも優しさを振りまく最高に素敵な方よ。はぁ、うらやましい」
「あそこで働いている人ってみんな楽しそうに仕事するわよね。いいなぁ」
「あんな方に料理を作って支えてあげたい。むしろ抱かれたい」

 きゃっきゃと騒がしい女性陣にシェラは言った。

「あいつは私の姉を殺した男ですよ」

 しん、とその場が静まり返る。
 空気を読まずに発言した自分に舌打ちしつつ、シェラは目を逸らす。

「あいつが良い奴なんて、信じられない」
「だがなぁ。敵国とはいえ、閣下は兵士以外に手をかけるような男じゃない」

 女性陣の話を黙って聞いていたガルファンが言う。
 昼間っから酒を飲む上司は袖で口元を拭った。

「ひっく。きっと何か、事情があったんだろうよ」
「事情……」

 本当に何かあるのだろうか。
 将軍のリヒムが、非戦闘員だった姉を殺さなければいけない事情が。
 イシュタリア人は、アナトリア人を喜々として虐殺して回ったというのに──。

「──おい! ここにアナトリアの女はいるか!?」

 バタン、と扉が開かれ、月の宮の入り口から声が響いた。
 月の宮の料理官たちが一斉に振り返る。
 見れば、火の宮の制服を来た大勢の男たちが入り口に立っていた。

「……あ」

 男の一人と目が合う。
 周りを見渡していた男の一人と目が合う。

「あぁ、ようやく見つけたぜ、シェラ」

 クゥエルがいた。

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