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第十九話 黄獣将軍の仕事
しおりを挟む──イシュタリア帝国軍事府。
──第三帝国軍統括棟。
「つまり、クルアーン将軍はアナトリアの神殿府を本当に望まないと?」
「くどいぞ。鷹匠殿」
応接室のソファに腰かけ、膝の上で手を組むリヒムは言った。
体面には皇帝との仲介役を担う鷹匠が座っている。
「俺が望むのは辺境のフォルトゥナだけだ。それ以上は何も望まない」
「ですが、あそこは大した収穫も望めず、焼き払われた山しかありません。元々、アナトリアの中でも小さな集落しかなかった場所ですが……」
「それでいい。それがいいのだ」
無表情で頷く黄獣将軍の瞳からは意図が読み取れない。
鷹匠はおのれの知識を総動員するが、フォルトゥナに何もないことは確かだ。
彼は下から覗き込むように問いかけた。
「……もしや、あそこに何かあるのですか?」
「ふぅ……」
リヒムは大仰にため息をついた。
ゆっくりと顔を上げた黄獣将軍の眼光に「ひッ」と鷹匠は竦みあがる。
「いくら皇帝のお気に入りと言えど、この俺に探りを入れるとはいい度胸だな」
「も、もうしわけ」
「俺が領地を望まないのは自分の領地の運営が上手くいっているからだ。領民からの税収も安定している。領地運営が下手な他の貴族共のように俺がアナトリアを欲しがると? 餌に群がる小鳥のように喜んで鳴くと、お前は本気でそう思ったのだな?」
「申し訳ありませんっ!! どうかお許しください!!」
鷹匠はソファから降りて頭を地面にこすり付けた。
首を差し出すその態度を受けてリヒムは立ち上がり、鷹匠へ甘ったるい声を囁く。
「案ずることはない、鷹匠殿。皇帝へ伝えるのだ。あなたの黄獣は決して手綱を噛み千切ったりはしないと。そうすればお前もこれまで通り安泰だろう……欲を出して俺のものを狙わない限りはな」
「は、はい……」
「分かったらいけ。貴官は帝国にとって大事な人材だ。他にやることはいくらでもあろう」
「はっ!」
鷹匠は背筋を伸ばして敬礼し、執務室を去っていく。
客人が去ると、リヒムはソファに背中を預けた。
「はあ……」
「お疲れですねぇ、将軍」
鷹匠と入れ替わるように入って来たラークが言った。
リヒムはじろりと睨みつける。
「そう思うなら俺の仕事を肩代わりしてもいいんじゃないか、副官」
「いやぁ。今や皇帝の代理者である天下の鷹匠様の相手をする気概は僕にはありませんよ」
「じゃああたしの仕事を手伝いなさい。このロクデナシ」
執務室の奥でひたすら書類仕事に励むのはサキーナだ。
同じ副官なのに仕事量が違うことに不満を持つ彼女はここぞとばかりに言う。
「渉外任務があんたの仕事だと分かってるけど、さすがに手伝いなさいよ。何よこの量、おかしいんじゃないの」
サキーナの前には山のように羊皮紙が積まれていた。
高価な羊皮紙の無駄遣いを嘆きながら彼女はため息をつく。
すると、にやにや笑いのラークがリヒムの肩に手を置いた。
「仕方ないですねぇ。どこかの将軍様がアナトリアの生き残りを引き取るってんで、火の宮といざこざ起こしてんですから。戸籍申請、住民登録、給与設定、待遇・身分の調整……人間以下の扱いだった女の子を生まれ変わらせるのは重労働ってことですよ」
「……将軍も手伝ってください」
「あぁ。分かった」
自分のわがままで部下に負担をかけてるのは自覚するリヒムである。
大人しく書類の一つを手に取った彼はラークに振り返った。
「で、進展は」
「ありませんね」
はぁ、とラークはソファに座って茶をすする。
「閣下と懇意の白夜将軍などにも探りを入れましたが、何も知りませんでした。可能性があるのは大宰相、あるいは……言いたくないですがもっと上かも」
大宰相の上などこの世には一人しか居ない。
リヒムは眉間にしわを刻みながら唸った。
「皇帝が命じたというのか。アナトリア人を皆殺しにしろと?」
「そうとしか考えられなくないですか? アナトリア侵攻を命じたのはあの方ですよ」
「……仮にそうだとしても、皆殺しにする理由にはならないだろう。あの方の狙いは『ゴルディアスの秘宝』だ。アナトリア人を皆殺しにしてしまえば伝説の料理も再現できまい」
「だからお手上げだって言ってるじゃないですか。いつまで調査する気です?」
「真相が明らかになるまでだ……おい、お前も手伝え」
「はーい」
肩をすくめて仕事に参加するラークを横目にサキーナが囁いた。
「閣下。本当なのですか。その、裏切り者がいると」
「間違いない」
リヒムの声は厳しい。
「そうでなければ俺の侵攻計画に合わせたように民間人を虐殺した理由が分からない」
「しかも、奴ら傭兵はイシュタリアの国旗を使っていた……」
「間違いなく裏切り者がいる。それも、アリシアとシェラの故郷を襲わせた奴が……」
ギリッ、とリヒムは拳を握りしめる。
脳裏に浮かぶのはおのれの屋敷で働くシェラの悲しげな瞳。
故郷を滅ぼされてなお前を向いて生きようとする彼女にあんな顔をさせたままでいられるものか。
「見つけ出して、報いを受けさせる。絶対にだ」
「……閣下は」
サキーナは躊躇うように俯いてから、上目遣いで問いかけた。
「その、何のためにシェラを気に掛けるのですか」
「……? どういうことだ」
「ですからっ、その、女としてどうなのですかと」
「……」
リヒムは目を逸らした。
「どうでもいいだろう」
「よくありませんっ! 大事なことなのです」
サキーナの目は真剣だった。
告白の言葉を受け取る女のような覚悟を決めた目をしている。
リヒムは仕方なくため息をつき、それにこたえようとして──
「あー、お二人とも、ちょっといいですか」
「……なんだ」
ここぞとばかりにラークの助け舟に乗ったリヒム。
不満げな部下の目から視線をそらすと、腕に鷹を止めたラークが居た。
助け船ではなかった。
「なんか火の宮の連中が暴走したみたいっす」
緊急事態だ。
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