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番外編
バーグレイ商会、首領親子の会話
しおりを挟む「―― やっぱ、どう考えても納得いかない」
夜。
幌馬車の中に敷いた布団に寝そべり、チェスターは口を尖らせた。
魔法灯火の小さなランプが、母と自分の影を帆布へ投影している。
従者生活も悪くなかったが、久しぶりの我が家は落ち着くものだ。
愛犬ゾーイ二世をはじめ、一年ぶりに再会した隊商の仲間たちと戯れ、母と使っている幌馬車でようやく寝床に入ったところだった。
「おや、何が納得いかないんだい?」
煙管をふかしながら物思いにふけっていた母が、視線をこちらへ向けた。
チェスターと同じように、草木染めをした麻の薄いチュニックを重ね着し、木のビーズや鉱石でつくったアクセサリーを身につけている。
隊商の一座は無数にいるが、アイリーン・バーグレイの名前を知らない隊商はいないはずだ。
やり手の女商人であり、神業とまで言われる弓矢の名人。バーグレイ商会を見事に纏めあげながら、チェスターを女手一つで育て上げた女傑だ。
そしてフロッケンベルクの国王ヴェルナーとは、同年代の幼馴染にして親友でもある。
そろそろ五十に手が届く年齢で、決して若々しいとは言えないはずなのに、老け込んでもいない。
年齢に関係なく、本当の意味でイイ女なのだと、周囲に称されるし、息子の贔屓目を抜きにしても、それは正しいと思う。
「シルヴィアさまの銀鱗だよ。姿無き軍師は絶対に知ってたのに、なんで俺にも黙ってたんだ? 最初から教えてくれれば、もっと手っ取り早くいったはずなのにさ」
魔獣使いの襲撃や火炎犬のファミーユは、軍師にとってもアクシデントだと思う。
百万歩譲って、シルヴィアの全身が火炎に反応して銀鱗に覆われるのも、知らなかったとしよう。
しかし、チェスターを名指しで巻き込むなら、両手の秘密くらい教えてくれてもいいはずだ。
不満を露にする息子を眺め、アイリーンがポンと手を打つ。
「ああ、そうそう。ついさっき、ヘルマンの旦那が来て、アンタにこれを渡してくれってたのまれたんだっけ」
一通の封筒を差し出され、チェスターの顔が引きつる。
「げっ!? もう勘弁してよ!」
そもそも、今回の仕事を無理やり引き受けさせられたのは、ヘルマン・エーベルハルトが軍師からの手紙を持ってきたからだ。
「……チェスター。バーグレイ商会の一員として、姿無き軍師からの手紙を拒む事は許されませんよ」
『首領』モードの口調になった母が、厳しい声で手紙を突き出す。この口調の時、彼女とチェスターは親子ではなく、あくまで首領と隊商の一員だ。
「……はい」
溜め息を押し殺し、チェスターは手紙の封をきった。
「……なに、これ?」
上質な便箋の中央に一言、『合格』とかかれ、便箋全体にかかる大きな花丸が赤インクでかかれてた。
「良かったじゃないか。アンタの首領試験は文句なしに合格だって」
手紙を見た母は満足気に頷き、紫煙を吐き出す。
「あれが首領試験!? じゃあ俺、抜き打ちで試されてたってわけ!?」
「そういうことだね。あたしも先代も先々代も、色んな難問をふっかけられたよ。これしきがこなせないようじゃ、フロッケンベルクの命運は任せられないって事だろうね」
平然と言われ、たはたはと気抜けしてチェスターは座り込む。
そして花丸合格書を眺め、ふと好奇心をそそられた。
「ちなみに、母さんの試験はなんだった?」
「ああ……懐かしいね。とある小国の王子様が、叔父から王位奪還をする手伝いだったよ。もう十八年も前の話さ」
煙管の灰を落とし、アイリーンは昔を思い出すように目を細める。
「あの時は困ったね。何しろ消された前王より、乗っ取った叔父のほうがずっと優れてる。おまけに当の王子は、せっかく良い素質を持っていたのに、父に疎まれていたせいで、すっかり自信喪失ときた」
それでも母が現在の首領ということは、その難問を無事にクリアできたのだろう。
「へぇー十八年前ってことは……」
バルシュミーデ領にいる間に、チェスターは十七歳になった。
「ちょうど俺が仕込まれたあたりか」
途端に、目から火花が出るほど強力な拳骨を喰らった。
「アンタは昔から下品な表現が目立つよ。この童貞坊主」
……それは絶対に、母親に似たんだよ。と、チェスターは頭をさすりながら内心で愚痴った。
「その人、今でも国王やってるわけ?」
「……ああ。どこの国かは内緒だがね、元気でやってるようだ」
「ふぅん……」
布団に寝転がり、チラリと母親の顔を伺ったが、特に何も読み取れなかった。
「なんだい? ジロジロと人を眺め回して」
アイリーンが片眉を軽く吊り上げる。
「いや……その時期に母さんと一緒にいた人なら、俺の父さんを知ってるかもなって」
チェスターは自分の父親を知らない。
母は「未亡人」を名乗っているけれど、周囲に聞く限り結婚したこともないし、誰かとあからさまに恋をしていた様子も見せなかったそうだ。
もちろん息子にも、父親の名前はおろか、どんな人物だったかも、一切語ったことはない。
「おや、あんた父親が欲しいのかい? 悪いが、あたしは未亡人で再婚する気もないから、それだけはやれないねぇ」
クシャクシャと母そっくりの赤毛をなでられ、チェスターは顔をしかめる。
「そうじゃない。こんだけ家族がいれば、もう十分さ」
隊商の仲間は家族も同然だし、ハロルドをはじめ、大陸中にも家族同然の相手がいる。
「……ちょっと気になっただけだよ。おやすみ」
母に背を向け、かけ布をひっかぶって目を瞑る。
さっき昔を語った母は、とても懐かしく愛しい人を思い出すような表情を浮べていた。
あの母が甘い恋をするなんて想像もつかないが、行きずりの男と気軽に寝たりしないのも確かだ。
自分の父親がどんな人物か、まるで思い描けないけれど、きっと自信をもっていい。
アイリーン・バーグレイが選び、別れざるをえなくなった後でも、生涯愛し続けられるだけのイイ男で……自分はその血を引いているのだと。
終
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