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1巻
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世界で魔力を持つ者が最も多く住む、魔法使いの国ロクサリス。
その頂点に立つのは、二十三歳の若き女王アナスタシアである。
十八年前。とある事件により、父王と異母兄二人が相次いで亡くなったため、彼女は五歳という幼さで戴冠した。
この異例の王位継承は意外な事にすんなりと周囲に受け入れられた。ロクサリス王家の血を引くのが彼女だけであったうえ、その身に宿す魔力が歴代の王の中でも群を抜いて強大だったからだ。
それまでアナスタシアの持つ魔力は異母兄たちよりも劣るとされていたが、それは異母兄たちの謀だったと公表され、幼すぎる女王の即位は問題なく決まった。
母后を早くに亡くしたアナスタシアは、陰惨な権力争いが繰り広げられていた当時の宮廷において、父王にさえ顧みられず殆ど無視された存在だった。
廷臣たちも王位を継承する可能性が高い王子に取り入ろうと躍起になっており、アナスタシアには目もくれなかったのだ。
彼女が王座につくなど誰も予想していなかっただろう。彼らは、アナスタシアが戴冠した時、仰天したものの、五歳の幼子ならば操るのは簡単と歓迎すらした。
王冠を授けられた幼い姫は、補佐官をつけられ、熱心に政務を学んだ。
そして時は流れ、補佐官に囲まれてあどけない笑みを振りまいていた可愛らしい少女は、廷臣たちを従わせ、国民から高い支持を得る立派な女王となった。
彼女が生まれ持っていたものは、強大な魔力だけではない。
昔から『可愛らしい姫様』と称された極上の容姿は、年齢が上がるにつれてその妖艶さを開花させた。
波打つ黄金色の豊かな髪とアーモンド型をした深い緑色の目。形の良い鼻と薄めの唇が実にバランスよく小さな顔に収まっている。小柄な肢体は女性らしい丸みを帯び、肌はどこも真っ白く滑らかでしみひとつない。
そんな彼女は、少女時代から、それはもう多くの男に口説かれてきた。
特にここ一年近くは、声をかけられない日は皆無と言っても過言ではない。
何かにつけて貴族の男たちが宮廷を訪れ、アナスタシアが政務の休憩時間に庭を散策しようものなら、たちまち駆け寄ってくる。
貴女は世間の評判通り、気高く、美しく、聡明で……善良な女性だと褒めるのだ。
――アナスタシアが彼らにうんざりしている事や、壮絶な腹黒さを上手く隠した『猫かぶり女王』だなんて、欠片も気がつかないで……
1 偽の愛人
うららかな春の昼下がり、ロクサリス国の王宮ではまもなく、女王の謁見が始まる時刻だ。
アナスタシアは謁見の間に向かうべく、宮廷の二階を繋ぐ渡り廊下を歩いていた。後ろには数人の大臣と文官がつき従い、周囲を近衛兵が守っている。
午後の柔らかな陽射しを受け、若き女王の髪が黄金のごとく煌く。
アナスタシアを称える口述に『髪は黄金のごとし、肌は雪花石膏のごとし、瞳は最上級のエメラルドのごとし』というのがある。それを彼女自身は今一つ気に入っていなかった。
高価な貴金属類にたとえて褒めようとしているのはわかるが、そこまで言うとギラギラしすぎているし、全体的に硬くて重そうだ。
とはいえ、他人からどう形容されても不利益にならないかぎり、禁じようとは思っていない。
豪奢なドレスを揺らし渡り廊下をゆったりと歩きながら、アナスタシはふと窓の下へ目を向けた。
形良く刈り込まれた植え込みと春の花が盛りの花壇、それから白塗りのベンチが一つ置かれた小さな中庭が目に留まる。王宮内に幾つもある中庭のうち、彼女が最も気に入っている場所だ。
「…………」
アナスタシアは一瞬だけ足の速度を緩めると、目を細めて唇に僅かに弧を描いた。
中庭へ視線を向けて微笑む彼女の姿は、傍目には春の日和の風景を楽しんでいると映ったのだろう。
「本日は誠に心地良い天気でございますな、陛下」
「ええ、そうね」
声をかけてきた大臣に、アナスタシアは微笑みを浮かべたまま頷いた。
しかし実のところ、春の景色を楽しんでいたのではない。心の中では穏やかとはほど遠い画策をしていたのだ。
鬱陶しく言い寄る男に邪魔をされず、お気に入りの中庭でゆったり快適に過ごすために……
なんとしても早急に、手ごろな偽の愛人――生け贄を手に入れよう。
そう思いながら、アナスタシアは謁見の間に入った。
元はといえば、このロクサリス王国の結婚制度が悪いのだとアナスタシアは考える。
ここロクサリス王国では、一定値以上の魔力を有する男性は三十歳までに妻帯する事が義務づけられ、さらに複数の妻を持つ事も可能。逆に、高い魔力を生まれ持ち爵位を継いだ女性は正式な結婚をせず、多くの男性と交遊し、法律上の父親が存在しない婚外子を生む事が推奨される。
婚外子を生む女性は、多くの国では身持ちが悪いと非難されるし、この国でも大抵はそうだ。
それなのに、家督を継いだ魔法使いの女性だけ婚外子が奨励され、国が援助金まで出すのは、魔法使いの家系存続が最優先となるからだ。
そもそもこの非常識とも思える結婚制度は、高い魔力を持つ者ほど男女問わず子に恵まれにくくなるという、未だに原因が解明されていない問題に起因する。
何しろ、ロクサリスの支配階級は全て魔法使いである。爵位と家名を継ぐには、その家の血縁者である事ともう一つ、規定値以上の魔力を持つ事が必須となるのだ。よって、貴族の家を絶やさぬために、ロクサリスでは魔法使いに対してこのような結婚制度が定められているのだ。
国の頂点たる王家は、率先してその制度を厳守せねばならない。という訳で、歴代に何人かいたロクサリス女王も誰一人として王配を据えず、気に入った男たちを家臣として傍に置いて跡継ぎづくりに励んでいた。周囲も、この国の女王とはかくあるものと認識している。
現女王のアナスタシアにとっては、非常に迷惑な事だ。
彼女はまだ十五、六の少女の頃から、多くの男たちに口説かれてきた。
『私ごときが美しく賢い陛下から寵愛を受けられるなどとは思いませんが、ロクサリス女王たるもの、知る男性の数は多い方が宜しいでしょう? 私の事もお試ししてみませんか? なに、気楽な遊びで良いのですよ』などと囁かれるたびに、お前は試供品になりたいのかと内心で苦笑したものだ。
もちろん本心であるはずがなく、遊び慣れている彼らが、一度抱かれれば若い女王は自分に夢中になると思っているのは見えすいている。
彼らは言葉を尽くして、アナスタシアの容姿や女王としての統治能力を褒める。
自身を無闇に卑下する気はないから、それらの全てがまったくのお世辞という訳ではないとは承知していた。
己の容姿が上等な事は自覚している。また、家臣と国民の支持を得るべく政務には真剣に取り組んでいたから、真面目な賢い女王という自負もある。
それでも結局のところ、彼らはアナスタシア自身にではなく、ロクサリス女王の愛人という地位に魅力を感じているのはわかっていた。
自身に対する他人の感情に、アナスタシアはとても過敏だ。
彼らの語る求愛の美辞麗句は、いつも薄気味が悪い。女王に気に入られて得をしたいという、下心の混じった不快な響きをまとっている。
うやうやしく手をとられれば、おぞましい虫にまさぐられているような気色の悪さを感じた。純粋な好意ではなく、利用したいという悪意を孕んでいるからだ。
他意のない相手の声は不快でないし、触れられてもそこまで嫌悪を覚えない。アナスタシアにしかわからぬ、歴然とした違いが確かにあった。
他人に触れられるのはもともとあまり好きではなかったが、不快な男に言い寄られるようになってからはさらに嫌いになった。どんなに見目麗しい色男に美辞麗句を囁かれようと、アナスタシアにとっては拷問に等しい不快さを与えられるにすぎない。
ただ、女王が男性不信である事を公にして弱みになっては困るので、至極冷静な素振りで追い払っている。
アナスタシアに言い寄る男が絶えないのは、過去の女王たちが寵愛した男たちを宮廷で厚遇し、彼らの親族を高官に取り立てたからだ。ロクサリス女王はパートナーを一人に絞らなくて良いので、何人もの色男たちが一人の女王に群がり甘い蜜を吸っていたようだ。
アナスタシアも同じようにするべきだと、言い寄る男たちは思い込んでいる。女王として世継ぎをなす義務があるだろう、そのためにも自分を寵愛しろ、としつこく口説いてくるのだ。
そんな男と肌を合わせるなど、想像しただけで虫唾が走る。手を握られるのさえ絶叫したくなるほどなのに、性交なんて絶対に無理だ。それよりもどこかから密かに養子を取って、その子が王家の血を引いていたと国全体を騙す方が、断然上手くできる自信がある。
何しろ、アナスタシアは生まれた時からずっと猫をかぶって自分を偽り、五歳の時には国中を騙す大芝居をしたのだから。
(――鬱陶しい男たちに毎日毎日寄ってこられるのも、もう我慢の限界だわ)
心の中でぼやきつつも表情と声には微塵も出さず、アナスタシアは謁見を滞りなく済ませていく。
アナスタシアが王位を継いでから、謁見の間は新しく場所を移された。
前王の時代まで代々使われていた部屋は王宮で最も荘厳な造りだったが、今はその階ごと厳重に封鎖されている。
十八年前に前王がその部屋で殺害され、王位を争っていた当時の第一王子と第二王子がすぐ近くの部屋で決闘をし、相打ちとなって果てたので、不吉すぎるという訳だ。
新しい謁見の間は深緑と金を基調にした調度品で整えられ、女王と公の会話をする場に相応しい品格を備えているものの、以前ほど無駄にだだっ広くはなかった。
大昔と違い裁判所が別にあるので、陳情を持った平民や裁きを待つ罪人が謁見時間に行列をつくる事はない。これで十分なのだ。
たった今、子爵家を継いだ女性が挨拶を終えて下がり、壮年の男性と二十代半ばと思しき青年の二人連れが入室した。
「エルヴァスティ伯爵と、ご子息のライナー魔術師です」
入口の兵がそう告げると、謁見の間に控えていた家臣たちの大半は一瞬妙な顔をした。
アナスタシアも内心、首をかしげる。
謁見予定のリストに記されていたのは、隣国フロッケンベルクの錬金術師ギルドへ留学して八年ぶりに帰国したライナー魔術師だけ。その父親、エルヴァスティ伯爵の名前はなかったはずだ。
壮年のエルヴァスティ伯は微妙な空気をものともせず、丈の長い上着とタイで正装した小太りの身体を揺すり、丸っこい顔中に媚びるような笑みを貼りつけて玉座の前へやって来る。
一方、ライナーは魔術師ギルドの正装である深緑色のローブを羽織っており、父の隣で礼儀正しく無表情を保っていた。
報告書によれば、彼は今年で二十五歳。伯爵家の一人息子だが、少年時代から魔術師ギルドに所属し、その高い魔力と知性、さらに柔軟な性格を買われて、隣国の錬金術師ギルドへの交換留学生に選ばれたという。
短く切った髪と瞳は父親と同じ胡桃色だが、その他の容姿は、いかにも小物じみた雰囲気の父親とまるで似ていなかった。
細すぎず厳つすぎない身体はそこそこ上背があり、優しげな顔立ちはかなり整っている。
しかし、おそらく女性たちから騒がれるようなタイプではないだろうなと、アナスタシアは思う。
彼は非常に控えめで穏やかな雰囲気をまとっている。
つまり、一言で言うと『地味』な青年であった。
他人の気配に酷く過敏なアナスタシアでさえ、目の前にいても存在が気にならない。
(思い出したわ……八年前と変わらないわね)
アナスタシアは頭の中の引き出しから、ライナーが隣国への出立の挨拶のために謁見しにきた、八年前の光景を引っ張り出す。自分はまだ十五歳の少女だったが、ようやくお飾りの補佐官をつけずに執務や謁見ができるようになった頃だ。
十七歳の少年だったライナーとの謁見はごく簡素なものだったが、印象に残らないほど物静かな彼の雰囲気が逆に印象的だったという妙な理由で覚えている。
異国に行っていた間に体格も顔立ちもすっかり青年らしくなったが、彼の静かな雰囲気だけは微塵も変わらなかったようだ。
アナスタシアが短い回想に耽っていた間に、伯爵親子は玉座の前で片膝をついて頭を垂れる。
「よく来ましたね。立ちなさい」
アナスタシアが声をかけると二人は立ち上がり、エルヴァスティ伯爵の方がいち早く口を開いた。
「お久しぶりでございます、陛下! 本日は我が息子がようやく帰国いたしましたので、こうしてご挨拶に伺わせていただきました! それにしても、陛下とこうして直接にお会いするのは戴冠なさって以来ですが、なんとお美しく成長された事か! 我が領地でも、陛下の美貌はかように称えられております。髪は黄金のごとし、肌は雪花石膏のごとし、瞳は……」
まくし立てられる言葉を、大臣の一人であるフラフス伯爵が大きな咳払いで遮った。
わし鼻が特徴的な初老のフラフス伯爵は、いささか堅苦しく気難しいところがあるものの、真面目で周囲の人望も厚い廷臣だ。
「エルヴァスティ伯。本日の謁見リストに名の記されていない貴殿が、なぜここにいるのかご説明願えるかな?」
フラフス伯爵がこれ見よがしに書類を手で叩いて見せると、部屋の両脇に整列している文官たちがエルヴァスティ伯爵に侮蔑の眼差しを向け、小さな嘲笑を上げた。
エルヴァスティ伯爵家は前王の時代まではそこそこの名家として名を馳せており、伯爵自身も宮廷で役職を持っていた。
だからアナスタシアも彼の事をよく知っていた。中身のろくでなし加減も、よーく。
十八年前に前王が亡くなったあと、王家を軽んじて宮廷を牛耳っていた魔術師ギルドへ不正調査が入った。その時、彼らと密かに癒着していた伯爵の官費横領も明るみとなったのだ。
エルヴァスティ伯爵は解任され、領地と財産を王家に献上する事で、なんとか投獄を免れた。
爵位と一家で細々と暮らせるだけの田舎の領地を残したのは、夫の罪に衝撃を受けつつも素直に謝罪し捜査へ誠実に協力した伯爵の正妻に対する恩情だ。
あれから時が経ち、夫人は亡くなったと聞いたが、伯爵自身は健在で、ろくでなし加減も相変わらずだったらしい。
エルヴァスティ伯爵は侮蔑を露にする文官たちを顔を赤黒く染めて睨んだあと、厳しい顔をしているフラフス伯爵へつくり笑いを向けた。
「フラフス伯、貴殿とは共に机を並べた親しい仲ではないか。自慢の息子がようやく帰国したのだから、陛下との謁見を見守りたいという親心をわかってもらえぬか?」
引き攣った笑みを向けるエルヴァスティ伯爵にフラフス伯爵は冷ややかな態度を崩さなかった。
「貴殿と親しくした覚えはないが、公私混同をするその呆れた態度ならばよく覚えている。許可もなく謁見に割り込むとは、陛下に対して大変な無礼であろう。それとも、貴殿の自慢の息子とやらは、付き添いなしには謁見もこなせぬ臆病者なのかな」
「な……こ、この石頭が……っ」
痛烈な嘲りに、エルヴァスティ伯爵の顔がさらに赤黒くなる。
彼の手が上着の脇に差した魔導の杖の辺りをそわそわとさまよいはじめた。
(あ~らあら、ここで大ゲンカでも始める気かしら)
女王の前――しかも謁見の間でケンカなど言語道断だが、アナスタシア個人としては、退屈な政務の合間に面白い騒ぎが見物できるのは大歓迎だ。
止める気など微塵もなく、内心でワクワクしながら高みの見物を決め込んでいた。
「父上、フラフス伯のおっしゃる通りです。どうかご退室ください」
不意に、ライナー青年がそっと父親の片手を押さえ、大きすぎも小さすぎもしない声で諌めた。
そして、彼が素早くエルヴァスティ伯爵の耳元で何か囁くと、ビクンと伯爵が身体を強張らせる。まるで声が出なくなったように、無言で口をハクハクと開け閉めした。
「申し訳ございませんが、父を医務室で休ませていただけますでしょうか」
顔を上げたライナーが扉の側にいた衛兵たちへ声をかける。慌てて駆け寄った兵が痙攣しているエルヴァスティ伯爵の両脇を掴んで部屋の外へ引き摺っていった。
扉が閉まると、ライナーはアナスタシアへ深々と礼をする。
「陛下。頼りない息子を案じての行為とはいえ、父が大変な無礼をいたしました。責任は全て、原因となった私にあります。いかような処罰も受けますので、どうか父はお許しください」
穏やかで温和な声音に、緊迫して張り詰めていた室内の空気が和らぐ。
文官たちがそっと息を吐き、フラフス伯爵も表情から険しさを消した。
(へぇ……面白い魔法を使うわね)
なかなか興味深い男だと、アナスタシアは微笑みながら玉座の正面に立つライナーを見据える。
ライナーが父親の耳元へ囁いた時、微かに魔力の揺らぎを感じた。
彼は、素早く声封じと痺れの魔法を父親にかけたのだ。
それは、とても奇妙なやり方だった。
魔法は発動と同時に光が出る。それが見えないほどライナーの魔法は弱かった。だから、彼が魔法を使ったと気づけたのは、かけられた伯爵自身の他にはアナスタシアくらいだろう。
あの微弱さなら謁見の間を出てすぐに効果が解けるはずだ。
けれどそれはライナーの魔法が下手だという訳ではない。
その逆だ。
発音を少し変える事で、魔法は通常とやや違う形に応用する事ができる。そのためには十分な魔力を完璧に使いこなさなければならない。
しかも、声封じも痺れも高度な魔法なのに、彼は魔法の補助となる魔導の杖さえ使わなかった。
「わかりました。この件に関する貴方の処罰は、後ほど私が検討します。夜の九時に、私の執務室へ来るように。……フラフス伯も、それで宜しいですね?」
アナスタシアが声をかけると、フラフス伯爵は深々と腰を折った。
「陛下のお心に従います。また、先ほどは私の振る舞いも不適切でした事をお詫びいたします」
それからフラフス伯爵はライナーにも向き直り、非礼を詫びた。
「ライナー殿に対して申し訳ない発言だった。どうか許されよ」
「とんでもありません。こちらこそ……」
ライナーが少々慌てた様子で答える。
フラフス伯爵は、己にも他人にも厳しい事で有名だ。だからこそ文句なしに礼儀正しいライナーの態度に感心し、親子を一緒に侮蔑した自らの非を認めたのだろう。
これによって、他の者たちのライナーに対する目も一気に好意的なものに変わった。
そもそも、エルヴァスティ伯爵が無断で謁見に割り込んだのは確かだし、ライナーは父がここに入る前に止めるべきだった。
だが、騒ぎの責任を細かく追及していけば、許可されていない者を謁見の間に通した兵だって悪いし、口論が始まってもすぐに動かず傍観していた近衛兵も、彼らを教育している上司も問題である。フラフス伯爵の挑発的な発言も褒められたものではなかった。
その全てを、ライナーは自分が引っかぶる事で収めたのだ。
とはいえ、それだけなら単に身内の愚行を止められなかったお人よしの贖罪にすぎないが……
ライナーが父親の行動をあえて止めなかったのは明らかである。最初こそ大人しげで自己主張などまったく無縁な印象を受けたが、なかなかどうして、思い切った事をする度胸もあるようだ。
(ライナー・エルヴァスティ。この騒ぎが起きるのを貴方が狙った真意は、あとでじっくりと聞かせてもらいましょうね。……その返答で、貴方の利用価値を決めるわ)
アナスタシアは心の中で、ほくそ笑む。
「では、ここから正式な貴方の謁見を始めましょう」
アナスタシアは扇をパチンと鳴らし、場を仕切り直した。
「はい」
ライナーが軽く礼をし、本来の目的であった留学経験の報告を始める。
彼の口述は、見事なものだった。
八年間の留学で得た経験を、最も重要な部分だけ厳選して理路整然とわかりやすく報告していく。
さすが、魔術師ギルドが威信をかけてライバルギルドに送り込んだ選りすぐりだ。
アナスタシアは感心しつつ、同じ魔力を使いながら対立している、二つのギルドの事を考える。
生まれつきの才能である魔力を持った者たちだけで形成され、その力を自分たちのために研究し高めてきたロクサリスの魔術師ギルド。同じく魔力を持った者で形成されながら、魔力のない者が使っても同じ魔法効果が得られる品――魔道具を造りつづけてきたフロッケンベルクの錬金術師ギルド。これら二つのギルドは、昔から非常に仲が悪い。
錬金術師ギルドの魔道具は、魔法使いの矜持を安売りする恥ずべき品だというのが魔術師ギルドの言い分である。
しかしこれはおかしな主張だ。
魔術師ギルドも、回復薬や動植物の成長剤といった魔法薬を開発しては、魔力のない平民階級へ売りさばいている。魔法薬だって魔道具の一部だ。
けれど、長らく魔術師ギルドの傀儡となっていたロクサリス王家はその考えを国民に強い、隣国フロッケンベルクとは険悪な仲だった。
その二国の関係を一変させたのが十八年前の事件だ。
当時五歳だったアナスタシアは、フロッケンベルク王と密かに契約を結び、数少ない協力者たちと共に父王と二人の異母兄を暗殺して王位を奪い取った。
仲が悪くて有名だった異母兄二人を、決闘で相打ちになったとみせかけるのは簡単だった。
さらに、王家を陰から操っていた魔術師ギルドの幹部たちに国王殺しの罪をなすりつけ、魔術師ギルドのやっていた数々の悪事を暴露してから一切の政権を握ったのだ。
そのあとも、表向きは補佐官頼りの無邪気な幼い女王を装いながら、しつこく残る敵を踏み消しつづけた。魔術師ギルドの新たな幹部には王家に協力的な人物が選ばれるように裏から可能なかぎりの手を回している。そして、隣国との関係を改めたいと国中に宣言し、二国間の険悪の原因である魔術師ギルドと錬金術師ギルドの交流を承知させたのだ。
フロッケンベルクでは昔から国王の発言力が非常に強いので、あちらの国王が希望すると錬金術師ギルドも同意した。
もちろん双方のギルドは心から交友を望んだ訳ではない。自国の王の顔を立ててしぶしぶである。
それでも最も大きな友好の証として交換留学の制度がつくられ、互いに優秀な若者を送り込んでは相手の技術を吸収させる事となった。
ちなみに留学生といっても決して呑気な学生扱いではなく、衣食住の保証と給金が出る代わりに、一人前のギルドメンバーとして研究や仕事を任される。
そこで大した結果を出せなければ、祖国が笑いものにされるのだから責任重大だ。
互いに相手ギルドへ敵対感情を抱いている事もあり、留学生は陰湿ないじめを受ける事が多く、大抵が一年で音を上げて帰ってきた。魔術師ギルド側も、錬金術師ギルドの留学生をことごとく追い払っている。最大任期の八年を勤め上げたのは、両ギルドでライナーが初めてだ。
穏やかな空気を全身から滲ませている青年はそんな背景には微塵も触れず、報告を終わらせた。
「――誠に実りの多い八年でした。錬金術師ギルドと友好を結び、素晴らしい機会を与えてくださった女王陛下には、感謝の言葉もございません」
深々と礼をし、ライナーはそう締めくくる。
「大変に興味深かったわ。魔術師ギルドでは、魔法薬の開発部に入るそうね。貴方の吸収してきた隣国の技術によって我が国の魔法薬がさらなる発展を遂げれば、大変嬉しく思います」
文句なしの上出来な報告をアナスタシアは褒め、最も周囲に受けの良いとびきりの微笑で労った。
二つのギルドが相手国からの留学生をせっせと追い払いつつ、自国から学生を送り込むのをやめないのは、たとえ短い期間であっても学ぶ事は多いと思い知っているからだ。
実際に、魔術師ギルドのつくる魔法薬の種類は錬金術師ギルドから得た知識によって倍増したし、向こうでもこちらで学んだ魔法を使って新しい魔道具を次々と開発しているらしい。
ライナーの得てきた八年分の知識は、魔術師ギルドにとって黄金よりも価値のあるものだ。それは結果的にロクサリス国を富ませる。
満足したアナスタシアは、そのまま彼の退室を許可しようと思ったのだが……
「陛下。私から、彼に一つ質問をお許し願えますでしょうか?」
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