キラキラ狼は偏食の吸血鬼に喰らわれたい

小桜けい

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閑話 

鳥飼の復讐者

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 **** 復讐やめますか? それとも人間やめますか? *****



 長い間、吸血鬼に苦しめられていた王国があった。
 国の一画には黒い森と呼ばれる広大な森林があり、吸血鬼たちはそこで、いくつもの泉から仲間を増やしていた。
 他の魔物と同じように、吸血鬼も自分たちの身からは繁殖が出来ず、代わりに特別な泉から産まれ続ける。
 そして人里に降りてきては人間を犯し、血を啜るのだ。
 王国は、何度も吸血鬼たちを討伐せんと、戦いを挑んだ。
 しかし、うっそうとした深い森林は昼でも暗く、湿気が多いために火を放つのも不可能だ。魔力で草木を操る吸血鬼たちにとって、黒い森は頑強な砦。
 何度も送り込まれた討伐隊たちは、吸血鬼たちの数を多少は減らしつつつも、いつもあと一歩というところで全滅させる事は叶わなかった。

 そして百数十年も昔。
 吸血鬼たちの中に、凄まじい力をもつ一人の女吸血鬼が現れたのだ。
 黒鉄の仮面で顔を覆った女吸血鬼キルラクルシュの前に、万を越す人間が敗れて屍の山を築いた。討伐隊と吸血鬼たちの形勢は、完全に逆転した。人間達は本格的な脅威を抱き、仲の悪かった近隣諸国からさえも、吸血鬼討伐に援助が申し出られるという、前代未聞の事態となった。
 しかし、キルラクルシュは強かった。半身を焼かれようと手足の骨を粉砕されようと、不死のごとく立ち上がり、戦い続ける。
 百年も戦い続けた末に、ついに彼女は人間達の気力までもへし折った。
 王国は吸血鬼たちへ、毎年決まった人数の生贄と、金銀財宝の供物を差し出すことで、他の民は襲わないでくれと申し出た。
 そして条約は結ばれ、何十年もの時が静かに過ぎていった。

****

 ―― 王都の円形広場は、歓喜に沸く民の熱気で溢れかえっていた。
 この国は貧富の差が激しく、民の大半はやせ細った貧しい身なりの者だ。広場から見える豪奢な白亜の城や、きらびやかな高級店が連なる大通りとの対比が、よけいにそれを浮き彫りにしていた。
 それでもゆるやかな風は、街路樹に咲く白いリンゴの花から良い香りを平等に広め、空は民を祝福するように、どこまでも青く澄み渡っている。

 熱狂の始まりは一週間前。
 突然やってきた旅の青年が、自分の飼っている鳥人ハーピーの少女一人だけを伴って黒い森へ乗り込み、たった二人で吸血鬼たちを討伐してしまったのだ。
 何人かは逃げてしまったようだが、それでも最強の脅威であった女吸血鬼キルラクルシュを討ち取ったことで、吸血鬼の脅威は終わりを告げた。

 涙と共に家族から生贄を差し出し、彼らに金銀財宝を差し出すために、高い税金を課せられて極貧に喘いでいた民は、そんな苦労の日々も終わったと、やつれた顔で笑い会った。
 子どもたちも、広場で『勇者さま』を一目見ようと、興奮して駆けていく。

 この広場は罪人の処刑場であり、中央には苔むした木の台が置かれていた。晒し台や絞首刑台など、罪人たちがここで様々に無残な処刑をされる。
 晒し台の一つには、黒い日よけ布を張った木箱が置いてあった。
 外からでは良く見えないが、奥には女吸血鬼キルラクルシュの生首が釘で打ち付けられている。
 吸血鬼の身体は日光にあてれば、数時間で灰になってしまう。胴体は灰にされたが、半分だけ残っていた顔は、こうして晒されていた。日よけ布の奥で、黒い髪をした生首は腐り溶け、無数の蛆を這わせて異臭を放っている。

 蝿の飛び交う木箱の前に、壮年の国王と美しい末姫が、護衛の騎士に囲まれて立っていた。
 これから吸血鬼を殲滅した勇者に、勲章を授ける授与式を行うのだ。
 王も姫も豪奢に着飾り、堂々と立っていたが、顔はわずかにひきつっていた。
 本来ならば式典は、豪華な王宮で行われるはずだったのに、勲章を受ける青年は、金銀の褒美などいらぬ代わりに、どうしても式典をこの広場にしてくれと申し出たのだ。

「……わざわざ仕留めた死体の前で称えてくれとは、わかりやすい虚栄心ですこと」

 王の傍らで、姫が扇で蝿と悪臭を払い除けながら、小声で険悪に呟いた。
 周囲には、きらびやかな武装をした近衛兵たちが並び、国の高官や諸外国の大使なども参列している。武装した兵が列席者を護衛し、見物に集まる民が近づきすぎないように、気を配っていた。
 ほどなく正午となり、開始のファンファーレが響くと騎士たちが道を開け、一人の青年が、鳥女ハーピーの少女を後ろに連れて歩いてくる。

 日焼けした精悍な顔立ちの青年は、二十代の半ばといったところだろうか。
 逞しい長身には王室から与えられた騎士のマントを羽織り、腰に大剣を皮ベルトで留めている。髪は広場の土のような赤褐色。夕陽色の瞳は猛禽のように鋭い。
 壇上にあがった青年は、王の前に片膝をつき、ハーピー少女も一歩下がってそれに習った。

 少女の容貌を一言で表せば、『派手』だ。
 背中に伸びた大きな翼は、黄緑をベースに赤や緑の混じった、南国の鳥を思わせる極彩色。極端に短く刈った髪も、翼と同じ美しい黄緑に、数束の赤いメッシュが入っている。
 くりくりした目が可愛らしい顔立ちは、人間で言えば十五、六歳といったところだろう。
 もっとも、ハーピーという種族は、吸血鬼と同じように、泉から生まれた姿で一生を過ごすから、実際の年齢はわからないが。
 だいたいのハーピー女がそうであるように、彼女も小柄で華奢ながら、胸だけは豊満という身体つきをしていた。
 衣服は豊かな胸を覆う留め布と短いショートパンツのみで、褐色の瑞々しい肌は大きく露出している。
 空を飛ぶハーピーは、少しでも身体を軽くするために、極端な軽装を好むのだ。
 ただし、その少ない布地には、発光鉱石を細かく細工した高価なビーズが無数に縫い付けられていた。
 耳に揺れるピアスも首につけたチョーカーも、発光鉱石で作られた魔道具だ。革の軽装なサンダルにも、両手につけた手甲にも、細かな鉱石が光り輝いている。
 彼女が身体を動かすたびに、全身の鉱石ビーズが乱反射し、虹色の光を生み出した。

 子どもたちは、その美しい光と鮮やかな翼に見ほれ、男たちは褐色の胸元へ鼻の下を伸ばす。
 少女はすっかり慣れているらしく、集まる視線にも表情一つ変えない。
 黄色い瞳は、ただまっすぐに主の背だけを見つめていた。

 王の傍らに立つ姫は、絹の扇の影で、そっと顔をしかめた。
 汚臭に吐き気を催したのもあるが、この生意気な男が不愉快だった。
 いくら伝説の吸血鬼を退治したとはいえ、所詮は男。宝石姫と称えられる美しい自分が微笑みかければ、途端に相好を崩すと思っていた。
 それを見て、青年の飼っているハーピー少女がどんなに悔しがるか、想像しただけでも愉快だった。

 ハーピーは生まれて最初に見た相手へ、強烈な恋心を刷り込まれる魔物だ。そして、このハーピー少女が最初に見たのは、主人である青年だということは明らかだ。
 無愛想な青年は、自分のハーピー少女にも素っ気無かったが、少女のほうは滑稽なほど、彼を夢中で追い掛け回していた。
 しかし、姫が城に滞在している青年にいくら甘く誘い掛けても、迷惑そうにかわされてしまった。
 幾多の恋人を軽々と破局させてきた姫にとって、耐え難い屈辱だった。おまけにハーピー少女は、姫になびかぬ青年を見てニヤニヤしているときた。あの露出狂を鞭で引っぱたいてやりたいと、どれほど思ったか!

 姫が密かに眉を吊り上げている間にも、授与式は粛々と進んでいく。

「ごほっ……ここに、我が国を吸血鬼の脅威から救ったことを……」

 国王が悪臭に咳き込みながら、青年を称える言葉を述べている途中だった。

「お待ちください」

 突然、青年がスクリと立ち上がった。続いてハーピー少女も立ち上がる、
 広場の騎士や民衆はどよめき、国王は目を見開いた。王の言葉を遮り、途中で立ち上がるなど、無礼にも程がある。

「私はまだ、この国を吸血鬼から完全には救えておりません」

 ざわめく広場の中、青年の低めな声が響いた。

「お、おお、そうか……殊勝なことを申すの。確かに、まだ逃げた吸血鬼も多いそうだ」

 動揺を声に滲ませ、王は口元に愛想笑いを浮かべた。
 国を救った英雄に違いなくとも、どうもこの男は苦手だった。どこか暗い夕陽色の双眸は、まるで白刃を喉元に当てられているような気がする。

「お主と飼い鳥が、これからも我が国を守ることを、期待しておるぞ」

 そこまで言い終えた時、王の下腹部に激痛が走った。青年が流れるように自然な動作で鞘から剣を抜き、王の腹を正面から突いたのだ。
 王の丸い顔に張りついた笑みが一瞬で青ざめ、続いて大きく開いた口から絶叫と赤い血がほとばしる。

「きさ……っ!!」

 護衛の騎士たちが荒げた声を、風切り音が遮った。
 敏捷という言葉をはるかに超えた速度で、ハーピー少女が身を翻す。彼女の手甲から伸びた刃が、護衛たちの眼球を次々と真横に切り裂く。
 盲目となった騎士たちは剣を取り落とし、悲鳴をあげて顔を抑え、のたうちまわった。
 祝いに浮かれていた広場は、一瞬で混乱と血臭と恐怖の渦に叩き込まれた。

「……望み通り、残りのダニを処分してやる」

 凄惨な暗い笑みを浮かべた青年が、王の腹から剣を引き抜く。
 血に濡れた刃は、その赤すら判明できないような、深い漆黒の色をしていた。

「生贄選抜の制度を利用し、民の血税を搾り取った吸血ダニを処刑するには、ここはピッタリの場所だろう?」

 続いた男のセリフは、悲鳴すらあげられずにいる姫へ向けられていた。
 ハーピー少女はとっくに背後から姫を羽交い絞めにし、血の気の引いた喉首へと、手甲の刃を押し当てている。

 吸血鬼たちへの生贄は、この国に住む十五歳から二十五歳の男女から選ばれていた。毎年、合計で十人の男女が供物と共に黒い森に連れて行かれ、二度と帰ってはこない。
 生贄は孤児から王族まで、該当する年齢の男女から身分の差を問わずにくじ引きで選ばれることになっていた。
 当初の記録では、確かに貴族の子女や王族の一人までも選ばれたことがあったらしい。

 それがいつからか、くじ引きを逃れる『救済札』という制度が出来た。

 毎年、一人分の救済札は銀貨十五枚で購入できる。貴族階級ならば小遣い程度。絹のハンカチ2、3枚の値段の額だ。
 しかし、ただでさえ重税にあえぐ貧困階級には、とても用意できる金額ではない。いくら我が子の命が惜しくとも、一人につき銀貨十五枚を十年分…百五十枚など無理な話だ。
 貴族階級が逃れた分、生贄の層は必然的に貧困階級へと狭まっていく。
 そして救済札の収益金は王室を潤し、積極的に王家のご機嫌取りをする貴族たちにも振り分けられた。
 吸血鬼への供物分と引き上げられた税も、実質は半分以上が王家の散財に使われていた。

「ひ、ひぃ」

 姫の口から引きつった悲鳴が漏れたが、刃はその喉を引かなかった。ハーピー少女は、姫を背後から羽交い絞めに抱え、極彩色の翼を力強く羽ばたかせる。
 ふわり、と豪奢な靴の先が宙に浮き、姫が今度は金切り声の悲鳴をあげた。

「あんた、太り過ぎだし飾り過ぎ。つまり、重すぎ」

 ずっと押し黙っていたハーピー少女が、豪奢な裾広がりのドレスを着て宝石を飾った姫に、舌打ちせんばかりの声を吐きかけた。
 壇の下から駆けつけた騎士が、姫を助けようと剣を振りかざすが、ハーピー少女は刃を避けてすばやく急上昇する。

 すでに青年へも、無数の騎士たちが剣を向けていた。
 選び抜かれた近衛騎士たちだったが、青年の強さは、まさに鬼神のごときというのに相応しい。一合も打ち合わずに、つぎつぎと騎士たちの身体が分断されていく。
 青年の黒い剣は、まるで野菜でも斬るように、鉄の鎧ごと軽々と相手を切り裂く。血脂に切れが鈍るどころか、血を吸った刀身はさら妖しい黒の輝きを増し、更なる獲物を求めて切れ味を鋭くしていくようだ。

 しかし、いくら青年が強かろうと、たった一人で無数の騎士たちを相手取れるものではないだろう。

「全員で囲め!」

 年配の将軍が鋭く冷静な指示をだし、騎士たちは青年の周囲へ円形の包囲網を作成した。
 輪を狭めていく騎士たちに、青年は無造作に構えたまま焦るでもなく、片手の親指で上空を示す。

「あんたたち! 剣を引かなきゃ、姫さまを落っことして、腐ったトマトみたいに潰してやるから!」

 はるか上空で、ハーピー少女が怒鳴る。
 その細腕に抱えられた姫は、恐怖のあまり失神したのか、グッタリとうな垂れていた。
 今にも斬りかかる寸前だった騎士たちが、顔を青ざめさせて足を止める。
 弓隊がハーピーを射落とそうと矢をつがえるが、姫に当たるかもしれないと、射ることができない。

「不意打ちのうえ、姫を人質になど……どこまで卑怯者だ!」

 うめく将軍に、青年は凄みのある笑みを向けた。

「ほぉ、たった二人に大勢で切りかかるのは、清廉潔白な騎士道だってのか?」

「ぐ、む……」

 痛い点を突かれた将軍の顔が、赤黒く染まった。

「それにあの女も、民の血税をたっぷり吸ったダニだ。俺が城へ滞在している間中、あの女の下へ商人がこない日は無かったぞ」

 軽蔑を露にした口調に、騎士たちは思わず顔を見合わせる。
 甘やかされた末姫の浪費クセは、彼らもよく知る所だった。
 心ある侍女や臣下が勇めようとしたこともあったが、クビにされるか鞭打たれるのが関の山で、そのうちに誰も何も言わなくなった。

「き……貴様は一体、何が目的だ!」

 将軍が怒りに声を震わせ怒鳴ると、青年の暗い双眸の奥に、黒い火が燃え上がった気がした。

「復讐だよ。クソ忌々しい吸血鬼も腐った王家も、全部を灰にしてやる」

「なんだと!?」

「能が無いセリフだな」

 鼻で笑われ、将軍は怒りのあまり、上空の姫も忘れて斬りかかった。
 青年の黒い革ブーツが地面を蹴る。獣よりも俊敏な跳躍だ。漆黒の刃が一閃し、国で並ぶものはない騎士といわれた将軍の胴を、鎧ごとあっさり分断する。

「コイツ……に、人間じゃ、ない……」

 騎士の一人が震える手から剣を取り落とし、恐怖に喘いだ。
 小さな呻き声が、あっという間に仲間たちへと恐怖を伝染していく。司令官を失った騎士たちは悲鳴をあげ、崩れるように逃げ出した。
 青年は、逃げる者たちを執拗には追わなかった。果敢に退路を塞ごうとする者だけを倒し、混乱の極みにある広場から迅速に抜け出す。

 青年が広場の端に到達するころには、ハーピー少女も姫を抱えたまま、とっくに空のかなたへと消えていた。
 逃げ込んだ裏路地で、青年は血染めになった騎士のマントを脱ぎ捨てると、あらかじめ隠してあった暗緑色の外套をはおる。
 そしてふと、先ほど無名の騎士が発したセリフを思い出し、一人で低く笑った。

「そうだとも。人間なら、とっくに辞めた」

****

 青年が混乱渦巻く王都を逃れ、郊外にある一軒の館に到達した時は、深夜になっていた。

 ここはまがりなりにも貴族の屋敷だが、それほど豪華ではない。外見も内装も質素で、絵画など装飾らしいものも殆どなかった。
 六十過ぎの柔和そうな当主は、青年を書斎に招き入れると、椅子を勧めた。

「上手く行ったそうだね。疲れただろう」

 当主はグラスに弱い酒を注ぎ、青年と自分の前に置く。

「……レムナは?」

 青年は広場での大騒ぎから今まで、一度の休息もとらず、水の一滴も飲んでいない。
 死にそうなほど喉が渇いていたが、グラスをとる気にもなれず、開口一番にハーピー少女の安否を尋ねた。
 予定ではもっと早くにここへ着いているはずだったが、予想以上に追っ手が多く、まくのに時間がかかってしまったのだ。
 レムナを信頼しているが、こうやって別行動をとるときは、いつも安否を確かめるまで落ち着かない。

「君が遅いから探しに行くと大騒ぎだったが、なんとか説得した。今は部屋で休んでいるよ」

 当主の苦笑に、青年は頭を抱えたくなった。どんな大騒ぎをしたか、考えただけで頭痛がしてくる。
 それでも胸中の不穏はようやく静まり、一息に酒を飲み干した。

「それはさぞ、迷惑をかけただろう。まったく、アイツは……」

「いやいや。うちの娘の小さな頃に比べれば、あのくらい可愛いものだ」

 老当主は柔らかく笑い、それからふと表情をひきしめた。

「姫も、先ほど目を覚まされたが、大人しく部屋に篭もっていただいている。詳しいことは全て、隣国の軍が到達してからお話しようと思う」

 確認するような当主の視線に、青年は片手を振った。

「この先は任せます。小難しい政治のやり取りは、俺には不向きだ」

 明日になれば、隣国の王が兵を率いて攻め込んでくる。姫は引き渡され、国の併呑を有利に進める取引材料となるだろう。
 青年は、とりたてて政治分野に興味や野心はなかった。
 ただ、姉を殺した奴らに、復讐をしたかっただけだ。

 青年はこの国の貧しい家庭に生まれ、ものごころついた時にはすでに、両親は他界していた。
 十歳年上の姉が、必死に弟を育ててくれた。
 とりたてて美人ではなかったけれど、とても優しい姉だった。
 ……十五歳になった弟をクジ引きから逃れさせるために、密かに身体を売り、救済札を買ってくれたほど。
 自分はもう九回もクジを引いて大丈夫だったのだからと、弟に札を押し付けて、姉は最後のクジを引きに出かけ……そして黒い森に連れて行かれた。

 瞼の裏に今も焼きつく姉の記憶を糧に、いつか復讐してやると誓った。
 姉を殺した吸血鬼たちと、それすらも利用して私腹を肥やしていた王家と貴族たちに。

 一国を潰すのは容易ではなく、隣国との渡りをつけることができたのは、この当主のおかげだった。
 かつては国内でも有数の大貴族たった彼は、救済札の不公平性と税金の軽減を訴えたために王の不況をかい、横領の濡れ衣を着せられたあげくに、領地と財産の殆どを没収されていたのだ。
 しかし、国が潰れたところで、当主の未来は決して明るくはない。

「……この先、どれだけ穏便に隣国との片がつこうと、貴方は明日から、売国奴の汚名を着ることになる」

 青年の呟いた言葉に、老当主は穏やかに頷いた。

「とうに汚された家名だよ。今さら、どうなるものでもない。それに、自分が正しいと思うことをして被った泥なら、いっそ清清しい」

 青年は深く息を吐き、黙って頭を垂れた。
 貴族はどれも同じダニだと思っていたが、それが間違いと教えてくれたのは、目の前の老当主だった。言葉での弁解ではなく、態度で教えてくれた。

 ****

 青年は当主に、明朝の出立まで世話になると告げて退室した。
 教えられた部屋の扉を静かに開けると、灯りの消えた室内に、ぼんやりと輝く細かな光の塊が見えた。
 さすがにサンダルは脱ぎ、大きな翼も体内に引っ込めてはいるが、全身に鉱石ビーズの魔道具をつけたまま、ハーピー少女は寝台の隅で膝に顔を埋めていた。

 扉が開いた気配に、レムナは弾かれたように顔をあげ、青年を見ると顔を輝かせる。

「ディキシス!」

 裸足のまま飛びつくレムナを、青年――ディキシスは片手で受け止めた。

「……遅くなったな」

 部屋は暗くても、ディキシスの目は人間だったころより、ずっと良く見えるようになっていた。
 褐色の頬に残る涙の痕を撫でると、レムナは幸せそうにな声をあげて目を閉じた。
 
 ディキシスは外套とブーツを脱いで寝台に座り、漆黒の剣をすぐ傍らに立てる。
 それから、とても軽いハーピー少女を抱えて、膝の上に向かい合わせに乗せた。
 ここはおそらく、一番いい客室なのだろう。こざっぱりと掃除され、寝台も広々としている。
 寝台の傍らには小さなテーブルがあり、水差しとコップに、ハーピーの大好物であるユリスの実を盛った器まであった。

「たいした客人待遇じゃないか。大仕事の後なんだから、もっとのんびり楽しんでろよ」

 手付かずらしい器を見てディキシスが苦笑すると、レムナは拗ねて唇を尖らせた。

「楽しもうとしてみたよ。ディキシスが死んだり捕まったりするはずないし。でも……もしかしたら、って……」

 そこまで言うとレムナは声を震わせ、うつむいてしまった。

「じゃあ、今から楽しめ」

 ディキシスは少女のほっそりした顎に手をあてて上を向かせる。大粒の葡萄に似たユリスの実を一つとり、自分の唇に咥えた。

「わっ! ディキシス、大好き!」

 途端にレムナが、嬉々とした表情を浮かべた。
 褐色の腕がディキシスの首に回され、口移しに実を自分の口に含む。刷り込み相手から、こうやって食べ物を与えられるのが、ハーピーにとっては無上の至福らしい。

「ん、もっと……」

 夢中で唇を合わせられる。何度も新しい実を咥えては少女に与えた。重なる唇を渡って、甘酸っぱい果実の味がディキシスにも伝わる。
 しまいにようやく器が空になり、名残惜しそうに唇が離れていく。

「……ごちそうさま」

 膝から降りようとしたレムナを、とっさに抱きしめて引き留めた。

「ディキシス……?」

 普段、ディキシスからは、こういう事をなるべくしないように努めていたから、きっと珍しい行為に連発に驚いているのだろう。
 求愛給餌だって、レムナに強請られなければ滅多にやらない。

「……十ニ年もかけて、やっと念願の半分が適ったんだ。俺も少し、興奮してるらしい」

 褐色の首筋に顔を埋め、言い訳のように呟いた。
 身体を離そうと思うのに、どうしても離せない。
 ようやく目標の半分を達成したと言うのに、達成感も高揚もない。ただ、なにかに掴まらなければ、もう立ち上がれなくなってしまいそうだった。
 本当は脆くてとても弱い自分を叱咤しようと、ディキシスは必死でうめく。

「いや……まだ、やっと半分だ。……キルラクルシュを、俺はまだ殺していない」

 広場で晒されている死体を、ディキシスも最初は本物だと思っていた。
 黒い森で吸血鬼たちと対峙したとき、黒い鉄仮面をつけた黒髪の女吸血鬼はあれ一人で、他の吸血鬼たちも、彼女をキルラクルシュと呼んでいたのだから。
 あまりにあっさりと斬り殺せた時は、拍子抜けしたほどだ。

 仮面を剥いだ顔は半壊して苦しみに歪みきり、判別は難しかったが、十二年前に、『本物のキルラクルシュ』を見ているディキシスは、腐りかけた顔を何度も見直し、やはり違うと確信した。
 しかし、吸血鬼の根城のどこを探しても、本物は見つからなかった。
 あとは逃げた吸血鬼を追いかけて、手がかりを探すしかないだろう。

「レムナ……」

 腕の中の小柄な軽い身体は温かくて安心できて、手放しがたい。このままずっと、抱きしめていたくなる。彼女が愛しいのだと、錯覚しそうになる。
 おずおずと、背中にレムナの手が回された。

「そ、そっか……ちょっとビックリしたけど……幸せ」

 嬉しそうにほお擦りされ、呼吸が詰まりそうになる。

 ――やめてくれ。 

 一気に頭が冷えて、レムナを引き剥がす。

「悪かった。つい……どうかしてた」

「あ……」

 あからさまに残念そうなレムナの視線に胸が痛み、ひどく苛立つ。

「いつも言ってるだろう。俺は、お前を愛してなんかいない。お前だって本当は、俺を愛してなんかいない。ただの刷り込みで、そう思いこんでいるだけだ」

 勘違いの愛を信じる少女に、言い聞かせた。
 レムナを愛しているなら、彼女を自分勝手な復讐の道具に使い、危険を冒させるなど、できるはずがない。

 いくらレムナが『特別製』でも。
 防御力に乏しい彼女の身を守るために、考えうる限りの魔道具で防御服をしつらえていても、だ。

 今日とて、一歩間違えれば騎士たちに斬り殺されていた。
 吸血鬼の巣窟まで連れまわして、命がけの戦いを一緒にさせるなど、有り得ない。
 彼女は所詮、自分の復讐を遂げる武器でしかないと、ディキシスの行為が証明している。
 そしてレムナにしても、ディキシスを盲愛するのは、目を開いて最初に見たのが彼という刷り込みの理由だけだ。

「うん……それでもわたし、幸せなの。ディキシスを困らせて、ごめんね」

 悲しそうに微笑まれ、衝動的に彼女を押し倒していた。

「じゃぁ、お前を愛していない男にこうされても、嬉しいのか」

「……ディキシスだったら」

「っ!」

 塞いだ唇を舌でこじ開け、穏やかで甘い求愛給餌とはほど遠い、荒々しい口付けを貪る。
 無数の鉱石ビーズが光る魔道具の衣服を脱がせ、褐色の肌へも口付けていく。
 レムナはどうされるのが好きか、どうすればあっという間に達してしまうか、とうに知り尽くしていた。
 愛撫に甘い鳴き声をあげる少女を抱えあげ、膝にのせて後ろから抱きしめる。触れる前からすっかり蕩けていた熱い秘所に指を差し込み、ぬかるみをかき混ぜた。

「あっ」

 もう片手で胸の突起も嬲ると、胎内の指がきつく締め付けられた。レムナは目を瞑って眉根をよせ、快楽に耐えるように身体を強張らせている。

「イっちまえ」

 耳たぶを噛みながら囁く。
 淫猥な音を立てて狭い孔の奥まで指を押し込むと、ビクビクと褐色の裸身が跳ねた。

「あ、あ……」

「満足したか?」

 汗ばんだ額に軽く口づけを落とすと、荒い息を吐くレムナが、薄っすらと潤んだ瞳を開けた。
 しなやかな褐色の手足が絡みつき、引き寄せられる。

「ディキシス……もっと……」

 甘い声音に、理性が砕けていく。
 彼女へのご褒美に楽しませるだけならともかく、愛していないと断言しておいて抱くのは、いつだって罪悪感ばかりで後悔してしまうのに。
 擦りついてくる身体を剥がすこともできず、必死で呟いた。

「……俺は、お前を武器として利用してるんだ」

「うん。武器なら、ディキシスがどんな危険な場所に行っても、ずっと一緒だよね……それって最高。嬉しすぎるよ」

 心底から嬉しそうに言うレムナを、たまらずに抱きしめ返した。

「この、鳥頭が……っ」

 ――だから、ハーピーは愚かでイカレていると、バカにされるんだ。
 刷り込みだけの盲愛に捕われないで、もう少しまともに目を開いて、ちゃんと頭を使って考えようとしないのか。

 世の中には、ディキシスより性格や人生観のずっとマシな男が、ゴロゴロしている。
 レムナのように献身的な美少女から尽くされれば、それなりの幸せと愛をきちんと返す男が、きっといるはずだ。
 ディキシスに、それはできない。
 レムナの愛を利用して搾取し、せいぜいこうして表面だけの快楽を与えてやるくらいだ。

 互いに荒い息を吐き、身体をつなげる。
 組み敷いた身体は華奢で細く、ディキシスを包む蜜道も狭くてギチギチと食い詰めてくる。いつも壊してしまわないかと不安になるほどだ。
 レムナの背中へ回した手で、肩甲骨に近い翼の出てくる部分を摩ってやると、一際甘い声をあげて褐色の身体が仰け反った。

「相変わらず、ここ弱いな」

 小さなコリコリした翼の元を指先で嬲ると、たまらないといった様にレムナが身をくねらせる。

「だ、だって、あ……あ、んんんっ!」

 隙間なく重なり、何度も唇を合わせながら、心は重なるはずもない。抱いて気持ちよければ、それだけ罪悪感が増していく。
 やがて精を注ぎ込み、濡らしたタオルでクタリとしてしまったレムナの身体を拭い終わると、急激な疲労感を覚えた。
 昼間からあれだけ動いていたら当然だろう。
 自分の身体も手早く拭き、ディキシスはレムナの隣へ横たわる。規則正しい寝息が心地良く、重い瞼が自然と落ちてくる。その裏に、懐かしい姉の顔が垣間見えた気がした。

 あれからもう十二年。
 ディキシスは二十七歳になり、記憶の中の姉は二十五歳で止まったままだ。

 ****

 ――あの日……十二年前の供物の夜に、ディキシスは供物の財宝を運ぶ馬車に忍び込み、黒い森に行ったのだ。
 あの救済札は、まぎれもなく姉のもので、生贄になるべきはディキシスだ。
 姉を助け出すか、自分が代わりになろうと思った。

 だが、十五歳のディキシスは、無力で無謀なだけのガキで、あっさりと吸血鬼たちに捕まってしまった。
 事情を訴えても彼らはあざ笑い、生贄の追加が増えたと喜んだ。
 なす術もなく、姉が犯されながら血を吸われ、死んでいくのを見せつけられた。
 そしてディキシスも喰われそうになった時、一人の女吸血鬼が姿を現したのだ。

『キルラクルシュ……』

 彼女が現れた途端、浮かれ騒いでいた吸血鬼たちが凍りつき、畏怖を篭めてその名を呼んだ。

 初めて目にした伝説の女吸血鬼は、思っていたよりもずっと小柄で華奢な少女だった。
 恐ろしい妙齢の美女を想像していたのに、話に聞いていたような黒装束の武装ではなく、粗末な貫頭衣の黒いローブと室内スリッパを履き、仮面すらもつけていなかった。
 恐怖に気絶寸前だったディキシスも、驚きに目を見開いて、自分と大して年端の変わらないような彼女の容姿をみつめた。
 長い闇色の髪は濡れたようにつや光り、その下にはあらゆる感情がすっぽりと欠け抜けている秀麗な顔だちがあった。
 赤い胡乱な瞳が仲間たちを見渡すと、吸血鬼たちはいっせいに口を閉じ、周囲の空気は凍りつくほど冷ややかになった。

 ふと気づけば、ディキシスを捕らえる吸血鬼も、彼女へ気を逸らしていた。
 その隙にツル草で縛られたまま逃げ出し、我に返った吸血鬼たちに追われた末に、吸血鬼たちを産みだす赤い泉へに落ちたのだ……。

 ……赤い泉の水は粘つき、全身を溶かしていくようにビリビリと痛んだ。苦しさに喘いだ口の中も溶かされ、内臓も溶けていく。

 ほどなく意識を失ったが、目覚めたディキシスはとても奇妙な場所に寝かされていた。 
 広い部屋の壁は、全てが発光鉱石を生む木で覆われていた。各所には拳ほどの鉱石が金具でとりつけられ、赤や緑や青の光を放っている。
 寝かされていたベッドは、肌触りのいいシーツや柔らかいマットレスまでも全て、見たことのない不思議な素材でできていた。

 部屋には白衣をきた中年の男が一人いて、ここは泉の底だと静かに告げた。
 ディキシスは全身の皮膚を溶かされて落ちてきたが、まだかすかに息があったため、治療をしたというのだ。
 白い病衣のようなものを着せられた身体をみれば、もう肌には傷一つなく、幼い頃についた古傷の痕さえも消えていた。

 ディキシスは泉に落ちた経緯を男に話し、もしここが本当に泉の底ならば、吸血鬼たちの泉を壊してくれと頼んだ。
 姉を殺した奴らを許せないと。
 泉を枯らし、奴らを根絶やしにして復讐できるのなら、なんでもすると懇願した。
 だが、男は静かに首を振り、泉は壊せないと拒絶した。

『私は番人。泉を守ること、それが私の役割だ』

 そして番人は、うな垂れたディキシスへ、こう続けた。

『……しかし、貧相な人間の少年がどこまで頑強になれるのかは、とても興味深い。よって、わたしは君に尋ねる』

 男のしゃべり方はとても奇妙で、声は普通の人間のはずなのに、どこか金属のような硬さを帯びていた。


『君は、人間を止めるか、復讐を止めるか。どちらを選ぶ?』


 ―― 答えなど、決まっていた。

 奇妙な泉の底で、ディキシスは五年間を過ごした。
 部屋の外も鉱石木にずっと覆われ、複雑に枝分かれした道は、永遠に地の底まで続いているようだった。
 泉の番人は、迷ったら二度と戻れないと警告し、安全な一部だけを教えてくれた。
 不思議なことに、番人の姿は会うたびに違っていた。中身は同じ人物のようなのに、外見は年齢も肌や髪の色も性別さえも、会うたびに違う人間の姿をしている。

 番人はディキシスの身体に何度も手術を施し、人ならざる能力をもつ魔物に対抗できるようにと改造をした。
 不思議な光で壁に映像を映し出し、あらゆる武術を習わせもした。

 最後に、満足のいくまでディキシスを鍛え上げた番人は、漆黒の剣をくれた。
 そして目隠しをした、一人のハーピー少女を連れてきた。

『あげよう。このハーピーも、きみの武器だ。』

『この子が、武器?』

 鮮やかな極彩色の翼と髪を持つ少女は、目隠しをされたまま不安そうに震えていた。

『そうだ。あらゆる身体能力を引き上げ、闇夜で吸血鬼と戦えるよう、視力の改造もした』

『そんな! これは俺の復讐だ! 他人を使うなんてできるか!』

 この五年間で、番人のやることは大抵が間違っていないと知っていたが、思わず食ってかかった。
 これからディキシスがやろうとしているのは、とても危険な復讐だ。見ず知らずの少女を巻き込むつもりはない。

 だが、今日は妙齢の女性の姿をしていた番人は、感情のない硬い声で告げる。

『五年間、君を審査し続けて判断した。君の心は脆く、一人では望む目標を果たすまで持つまい』

『なっ……そんなはずはない! ラドベルジュ王家を潰しキルラクルシュを殺す為なら、何だって耐えて見せる!』

 激高して反論したが、番人は淡々と首を横に振った。

『目的の為に何でも耐えると言いながら、他人を使うことはできないと言う。君の言動は既に矛盾している』

『それは……』

『君は、自分が目標半ばで倒れれば犠牲になる命ができるのを恐れ、協力者を拒んでいる。だが、それは間違いだ。君のような性格は、そうした存在があってこそ目標を追い続けられる。自分の復讐の為に他の命を奪っても、途中で投げ出せない理由が必要だ』

『――っ!!』

 冷たい言葉の棘で、グサリと心を刺された。
 五年前の無知な子どもだった頃ならともかく、今は自分の復讐を果たす為には少なからず他人を巻き込むと解る。
 無関係な人の命や人生を、自分が目的の為に摘み取り踏みにじるのだと思うと、足から力が抜けそうになった。

『彼女を条件に加えれば、君が復讐を果たす確率は、確実とは言えないが飛躍的に上がる』

 よろめくのを必死で堪えてディキシスは番人を睨み、しばらく苦悩した。
 だが、どうあがいてもこう答えるしかないのだと、理解できる程度には賢くなっていたから、震える声を絞り出した。

『そのハーピーを……をくれ』

『正しい判断だ』


 番人は頷き、それからディキシスにもう一つ、ある事を教えてくれた。
 キルラクルシュ自身すら忘れてしまっている、彼女と全ての吸血鬼に関する重大な秘密を……。

 聞き終わったディキシスが呆然としている前で、ハーピー少女の背後に回った番人が目隠しを外した。
 彼女がゆっくりと目を開き、黄色い瞳がディキシスを真っ直ぐに見つめた。

 ****

「!!」

 声にならない叫びをあげ、ディキシスは目を覚ました。

「はぁ……は……」

 嫌な汗が全身に噴出し、何度も肩で大きく深呼吸をする。生々しい過去が噴き出た夢の残滓に、心臓は激しく脈打っていた。
 まだ夜明け前で部屋は暗く、隣ではレムナがぐっすりと寝こけている。

(……レムナ)

 彼女を起こさないように、心の中で自分のつけた名前を呼んだ。

 目をあけた彼女は、刷り込み効果でディキシスをたちまち盲愛した。
 彼女は番人から自分の役割を聞いていたらしく、ディキシスの武器になると大張り切りだ。
 それは番人の勝手な判断で、危険な復讐に付き合う義理はないと諭しても、絶対に離れようとしない。

(……レムナ)

 色鮮やかな短い髪をそっと撫で、心の中でもう一度呼ぶ。
 彼女に名前をつけてくれとせがまれて、何日も悩んだあげくに、ようやくつけた名前だ。
 気に入ってくれるかと不安を抱きながら、思い切って『レムナ』と呼ぶと、とても喜んでくれた。
 あんまり嬉しそうな笑顔に、ディキシスまでつい嬉しくなってしまった。
 レムナが刷り込みではなく本当に自分を愛して、自分も彼女を愛していると、錯覚しそうになるほど……。

「う……」

 小さな声と共に、黄色い瞳がパチリと開いた。
 ディキシスは慌てて手を離し、そっぽを向く。自分のシャツを手早く着ると、昨夜、脱ぎ捨てたレムナの魔道具たちをかき集めて渡した。

「早く着けろ。すぐに出発だ」

「うん」

 昨日の一件で、ディキシスとレムナは指名手配犯となっている。隣国との吸収合併が落ち着くまでは、諸外国でも追われるだろう。
 おとなしく隠れ暮らすのが一番だが、そうのんびりもしていられない。
 逃げた吸血鬼が近隣諸国に拡散したおかげで、各国で討伐隊が組まれるそうだ。
 討伐隊に先を越され、キルラクルシュの大事な手がかりを殺されてしまっては困る。

「……まだ、半分だ」

 復讐は、まだ半分しか済んでいない。
 血税を吸って肥え太ったダニは潰しても、諸悪の根源はやはり吸血鬼たちで、彼らを率いていたのは、女吸血鬼キルラクルシュだ。

 濡れたようにつや光る闇色の髪をもち、感情の抜け落ちた顔に、胡乱な赤い瞳を淀ませていた吸血鬼を、必ず見つけて殺す。
 それまでは決して立ち止まれない。余計な感情は殺せと、自分に言い聞かせる。

――人間でいることよりも、復讐を選んだのだから。

「レムナ、行くぞ」

 身支度を終えたディキシスは、壁に立てかけた漆黒の剣を取り、もう一つのかけがえのない大切な『武器』を呼んだ。




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