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1巻
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しおりを挟む「……母は、後宮に上がる前は王宮専属の踊り子でしたので、西方の国からの使節団を迎えた酒席にて、余興で語られたのを聞いたそうです」
シャラフは踊り子と聞いても侮蔑もせず「そうか」とあっさり頷く。
「お前は物語の他に、母君から舞も習ったのか?」
「いいえ。母は早くに病で亡くなりましたし、あちらの正妃様が舞を好まれなかったので……宴席で聞いた面白い話は教えてくれても、舞を教えようとはしませんでした」
故郷の苦い思い出に、僅かに表情を曇らせてしまう。すると、シャラフが軽く咳払いをした。
「余計な事を聞いたな……ところで、今夜はどこの国の話を聞かせてくれるんだ?」
「あっ……あの、今夜は、私が考えたものにしようかと思います」
どぎまぎしながら言えば、シャラフが興味深いものを見るような顔になった。
「お前は物語を語るだけでなくつくりもするのか? それは楽しみだ」
「き、気に入っていただけると良いのですが……」
ナリーファは息を吸い、幾年か前に自分でつくった物語を話し出す。
それは、本当は優しいのに恐ろしい外見で皆に避けられてしまう豹が、ふとした事から出会った臆病な兎と、友情を育んでいく物語だった。
先ほど寝台にゆったり横たわるシャラフを見た時から、これにしようと決めていたのだ。
――今夜も、シャラフは物語を聞くうちに安らかな表情で眠り、ナリーファはその傍らで起きていた。緊張はまだあったが、昨夜よりもずっと幸せな気分だった。
それからも、シャラフは毎晩ナリーファのもとへ来た。
長い話を幾晩かに分けて話す事もあれば、以前に話したものをまた求められる事もある。
しかし幸いにも、彼が求めるのはナリーファの物語だけで、夜伽は求めない。『気の進まない女を抱くほど飢えてはいない』と、初日に言った通り、ナリーファはシャラフの好みとは、やはり異なるのだろう。
そしてシャラフは、ナリーファが朝まで眠りたくないと言ったのもパーリに伝え、食事の時間なども昼間眠るのに合わせるようにしてくれた。
よってナリーファは、朝、シャラフを送り出した後に朝食をとり、昼過ぎまで眠る。
相変わらず、起きれば寝台はぐちゃぐちゃだが、初日の失敗を踏まえて不自然でない程度に整えているので、パーリにも気づかれていない。
酷い寝相で疲れた身体を、読書をしながらゆっくり休め、夕食と湯浴みを済ませば、またシャラフが訪れる時間となる。
そんなわけで、ナリーファは部屋に籠もったまま他の寵姫とも会わず穏やかに過ごしていた。
――そして、二週間ほど経った晩。
「ナリーファ。お前に大事な話がある」
今日はすぐ寝転ばず、寝台に胡坐をかいて座り込んだシャラフが、やけに神妙な声で切り出した。
「は、はい」
ナリーファが顔を強張らせ、恐る恐るシャラフの向かいで正座すると、彼はいつになく歯切れの悪い調子で話し始める。
「なんと言うかだな……俺は、お前のおかげでよく眠れているわけだ。だから、まぁ……正妃の座でも何でも、お前にやる。遠慮せずに欲しいものを言え」
もっと恐ろしい話かと思って身構えたのに、そんな事を言われ、拍子抜けした。ナリーファは微笑んで首を横に振る。
「有難いお言葉ですが、既に何不自由ない暮らしをさせていただいている身です。これ以上の望みなどございません」
「くっ……お前はそう言んじゃないかと思ったが、その答えは却下だ」
顔をしかめたシャラフに食い下がられて、ナリーファは困った。
身の回りの品をろくに持たずに来たナリーファに、シャラフは美しい衣装や装飾品をたくさん贈ってくれている。必要最低限というには多すぎるほどだったが、寵姫に不自由させないのも王の義務だから遠慮するなと言われ、恐れ多く思いながら受け取った。
部屋に籠もっていても毎日美味しい食事をもらえ、花瓶に生ける綺麗な花も届けられる。書き物をする上等な道具も備わっているから、自分のつくった物語を書き記してこっそり楽しんでもいた。これ以上望むものなど……と、目を泳がせて考えた末に、一つ思いつく。
「それでは、本を何冊かお借りできますでしょうか?」
「本?」
「はい。この部屋にあった本は全て読み終えてしまったのです。こちらの王宮には立派な図書室があると聞いたので、宜しければと……」
だが、どんどんシャラフの顔が険しくなっていくのに気づき、ナリーファは声を萎ませた。
「ご迷惑でしたら、結構です。どうかお忘れください」
さっとひれ伏すと、シャラフが焦った声を出す。
「迷惑ではない! ただ、そんなささやかなもので良いのかと驚いただけだ。正妃の座でも良いと言っているだろう」
「そのような事はとても……お気持ちだけ有難くいただきます」
ナリーファは困惑して、しかめ面をしている彼を見上げた。
正妃の座なんて大それた願いを、ナリーファには冗談でも口にする勇気はない。
シャラフは、どんな贅沢な願いでも遠慮なく申し出られるように言ってくれたのかもしれないが、本当にこれで十分だ。
しばしの沈黙の後、シャラフがぼそっと呟いた。
「……そうか。お前は、本が良いのか」
「せっかくお気遣いくださいましたのに、つまらない願い事で申し訳ございません」
どことなくガックリした彼の様子に、ナリーファは居た堪れなくなる。何でも願いを叶えてやると張り切っていたランプの魔人に、小物すぎる願いをして落ちこませた気分だ。
「いや、気にするな。俺よりもスィルの方が蔵書に詳しいから、明日にでも選り抜きの本を用意させる。どんなものが好みだ?」
シャラフが気を取り直したように笑みを浮かべたのを見て、ナリーファも嬉しくなって自然と口元が綻ぶ。すると、胸の奥が温かくなると同時に、きゅうと締め付けられるような甘い痺れを感じた。
(あ……また……)
最近、シャラフにこうして笑いかけられるたび、こんな感覚に襲われる。覚えのない不思議な気持ちだったが、こういうものに似た表現を本で時々読んだ。
――それはナリーファが今まで経験した事がなかった、恋する気持ちだった。
「失礼します、ナリーファ様」
翌日の夕暮れ、ナリーファの部屋を二人の青年が訪れた。シャラフの側近である、文官のスィルと武官のカルンだ。
全然似ていない彼らだが、同じ両親から生まれた兄弟で、シャラフの信頼厚い乳兄弟だという。ちなみに、スィルの方が兄でシャラフと同年、カルンは二つ年下らしい。
シャラフが寝所まで護衛に伴うのは、大抵この兄弟のどちらかだ。彼らは時に、シャラフの言伝を届けにくる時もある。
「陛下の命により、こちらをお届けにあがりました」
スィルが言い、カルンが両手で持った大きな木箱を差し出す。その中には様々な厚みの本が数十冊も入っていた。重たそうだが、屈強な体格のカルンは楽々と持っている。
「こんなに……」
せいぜい五、六冊のつもりでいたから、ナリーファは目を見開いた。
「陛下から伺ったナリーファ様のお好みを踏まえ、目ぼしい本を吟味して参りました。またいつでもご用意いたしますので、お気軽にお申しつけください」
涼やかな声でスィルが言い、無表情で優雅に礼をする。一方で、彼の隣にいるカルンはなぜか、笑いを堪えているらしき表情だった。真面目で堅い雰囲気を崩さない兄と違い、彼は基本的に陽気な性質のようだ。
乳兄弟という間柄故か、彼はシャラフとさえも、ちょくちょく砕けた口調で話している。
「陛下も照れないではっきり言えば、自分より本を選ばれたと落ち込まずに済んだのに」
カルンが何か言ったけれど、ナリーファはよく聞いていなかった。彼らの後ろから、猛烈な勢いでシャラフが走ってきたためだ。
「わっ、陛下! なんでここに!?」
振り向いたカルンの手より、シャラフが木箱を奪い取った。
「本は俺が届けるつもりだったのに、お前が図書室から運んだと聞いて追ってきた。よもや、余計な事は言ってないだろうな?」
鋭い目つきをより物騒にしてカルンを睨んでいたシャラフは、ナリーファに目を留める。
「……お前の、寝衣でない姿を見るのは初めてだな。良く似合っている」
「こ、光栄にございます」
自分の頬がポッと熱を持つのを、ナリーファは感じた。
今身につけているのは、多色のビーズ飾りを縫い付けた若草色の衣服で、シャラフが贈ってくれたうちの一枚である。しかし、彼を寝所で迎える時はナリーファも寝衣に上着という姿だから、こうした普段着姿を見せるのは初めてだ。
一方のシャラフは、刺繡入りのカフタンとゆったりした下衣に腰帯を巻き、袖なしの上着を羽織っている。ナリーファにしても、シャラフの普段着の姿を見るのは初めてで、新鮮な感じだった。
シャラフはしばらくナリーファを上から下まで眺めていたが、急に慌てた様子で顔を背けると、重そうな木箱を楽々と居間に運び込んで隅に置いた。
「ありがとうございます、陛下。カルンさんに、スィルさんも」
ナリーファは三人に礼を言う。
「これくらいの望み、いつでも言え」
シャラフはそう笑ったが、直後、一転して表情を厳しくした。
「ナリーファ。俺はこれより二週間ほど多忙で、王宮を留守にする日も多くなる。しばらくここにも来られないだろう。その間は後宮の警備を増やすが、お前は日中も、部屋を一歩たりとも出るな。口にするものは、その場で毒見されたもの以外は禁止だ」
「は、はい。かしこまりました」
有無を言わせぬ強い口調の命令に気圧され、厳重すぎる警戒に疑問を抱く余地もなく、ナリーファは頷く。
「陛下……」
何か言いたげなカルンを、シャラフが鋭く睨みつけて黙らせる。素早く踵を返した彼は、不愛想な声で言い放った。
「スィル、行くぞ。カルン……少しくらいのお喋りなら許してやるが、なるべく早く戻ってこい」
「ではナリーファ様、失礼いたします」
スィルが淡々とお辞儀をし、既に回廊を歩き出していたシャラフの後を追う。
居間の真ん中に立ち尽くしたままそれを見送ったカルンは、肩を竦めて扉を閉めると、ナリーファに向き直る。
「いきなりで驚いたでしょう。部屋に軟禁同然とは、正直どうかと思いますが……陛下はこの後宮で過去に二回も、大事な存在を留守中に殺されているんです」
溜め息交じりに告げられ、ナリーファは驚いた。
「そのような事が……」
「一度目は陛下がまだ少年の頃、狩りの訓練で野営に出ていた間に飼い猫が溺死させられました。そして数年後の討伐遠征中、母君が毒殺されたんです。どちらも証拠は消されてしまいましたが、陛下の異母兄の一人が母親と共謀してやったと、俺達は知っていました」
苦い声で語るカルンの言葉を、ナリーファは呆然と聞いていた。シャラフの母が故人とはわかっていたが、そんな事情は知らなかった。
異母兄の母という事は、後宮の住人だ。ここに来た初日に女官から、寵姫の嫌がらせを手伝った宦官達を、シャラフが追い出したと聞いたのも思い出す。
今の話の後では、彼が寵姫の争いやそれを助長する者達を酷く嫌悪するのも頷ける。
「件の異母兄はもうこの世にいませんが、国王なんてどうしても恨みを買う職業です。特に陛下は、王位決闘で助命を願った異母兄達へ慈悲をかけたせいで、古参の家臣の幾人かにも苦々しく思われていますから。万全の守りを固めたいのでしょう」
「お兄様方へ慈悲をかけて、苦々しく思われるのですか……?」
理解しがたくて聞き返すと、カルンが顔を曇らせた。
「ナリーファ様はやはり、ウルジュラーンで新王の即位時に、王の異母兄弟は処刑される、という法をご存じないようですね」
「処……っ!?」
物騒な単語に思わず悲鳴を上げかけ、ナリーファは慌てて両手で口を覆った。
「昔、王の異母兄弟が内乱を起こす事が続いたせいで、国の安定のためという名目で決められたんです。建前では一応、病死や自害と公表されますが、この近隣の国では公然の秘密ですよ。ただ、ミラブジャリードくらい遠いと、正確には伝わっていないんじゃないでしょうか」
「え、ええ……存じませんでした」
「陛下は王座についてから、異母兄のうちの三人を、僧院に行くのを条件に助命しました。それで、国を不安定にする火種を残したと、陰で文句を言う者もいます」
とんでもない事実に、ナリーファは絶句する。
それでは、シャラフは王座を得るしか生きる道がなかったわけだ。残虐なのは彼ではなく、この国のやり方ではないか。
さらにカルンは、シャラフが即位後に、前王の老齢に付け込み暴利を貪っていた家臣や役人を王宮から一掃した事、王宮を追われ逆恨みした彼らから悪意に塗れた噂を流された事も教えてくれた。
シャラフが王位決闘にて見せた驚異的な強さや気骨は周囲を十分に怯えさせたし、苛烈で残虐な凶王という話題を無責任に楽しむ者も多い。面白おかしく語られる間に尾ひれがついてしまったそうだ。
「ナリーファ様はもう承知してくださっていると思いますが、陛下は絶対に理不尽な暴君じゃありません。だから俺と兄貴は、陛下に一生ついていくと決めたんです」
真剣な顔で言うカルンを前に、ナリーファは消え入りたくなるほどの羞恥に襲われる。
ナリーファとてシャラフに初めて会った時、不機嫌そうで辛辣な口調の彼を恐ろしく思った。
でも、彼と半月も毎晩過ごす中で、髪一筋も傷つけられた事はない。彼が側近兄弟の他、衛兵やパーリと話す姿を見る機会があったが、一度も横暴な態度をとっていなかった。
会った事もないシャラフの悪評を、鵜呑みにしていた自分が恥ずかしい。
「教えてくださって、ありがとうございます」
消え入りそうな声で、ようやくそれだけ言えた。
「いえ。黙っていられないだけです。お節介すぎると陛下と兄貴によく怒られるのですが」
カルンが苦笑し、一礼して部屋を出る。彼と入れ違いに、新しい花を生けた花瓶を手にしたパーリが戻ってきた。
「回廊にも中庭にも衛兵の方しかいないので、静かすぎてちょっと怖いくらいです」
パーリが閉めた扉を振り向いて言う。そこでナリーファは、起きた時から何となく覚えていた違和感の正体にようやく気づいた。
毎日自室から出ないで過ごしていても、時おり部屋の前を通り過ぎる寵姫達のお喋りする声や笑い声が微かに届いてくるのに、今日はそれらが一度も聞こえない。
許可が下りるまで部屋から出ないようにという命令は、既に他の寵姫達にも通達されているようだ。ナリーファ一人が特別なわけではなく、ここにいる女性は皆、シャラフの大切な寵姫なのだから。
「今しがた、陛下からしばらく部屋を出ないようにと伺ったわ」
ナリーファは微笑み、部屋の隅に置かれた木箱に視線を向けた。
どのみち他の寵姫と顔を合わせる事に怖気づいている以上、禁じられずとも部屋を出なかったろうが、あれだけ面白そうな本があれば退屈する事もない。
国王の命令なら、侍女に伝言させるか紙一枚の通達でも良いはず。なのに、多忙な身ながらわざわざ自分で告げに来てくれたシャラフに、深く感謝した。
2 異色の正妃
告げられた通り、シャラフはその晩から寝所に訪れず、ナリーファはまた夜に眠る生活になった。寝台で目を瞑ればいつだってすぐ眠ってしまうので、寝る時間帯を変えるのは簡単だ。
食事は毒に詳しい使用人が運んで来るようになり、目の前で毒見をされる。
シャラフが毒殺に苦い思い出を持つとはいえ、大勢いるうちの一人に過ぎぬ寵姫に対し、大袈裟な気もする。
だが、彼は寵姫全員に同じ部屋を与え平等に扱っているのだから、ナリーファの身も等しく案じてくれるのだと、有難く思う事にした。
本を読んだり、新しく思いついた物語を書き留めたりして、ナリーファはのんびりと日中を過ごした。
(このお話も、そのうち陛下にお聞かせしたいわ)
新しい物語を書きながら、たびたびそんな思いが浮かぶ。
ただ自分が物語を楽しむだけでなく、シャラフに寝物語で聞かせたら楽しんでくれるだろうかと、つい考えてしまうのだ。
最初は苦肉の策で寝物語をしたというのに、おかしな気分である。
でも、シャラフが夜に訪れないのを、寂しく感じるのも事実だった。
……そんな、穏やかな日々が二週間ほど過ぎたある朝。ナリーファは賑やかな音で目を覚ました。
窓越しに空を見れば、やっと陽が昇り始めたばかりの早い時刻だったが、本殿のある方角からやたらに明るい声や物音が聞こえてくる。
(何か、本殿でお祝い事でもあるのかしら?)
ナリーファは首を傾げたものの、すぐに興味を失った。後宮に何も通達されないのなら、ここには関係のない行事だろう。そう思って窓から離れた彼女は、少し早いがもう起きようと、本日もグチャグチャに寝乱れていた寝台を適度に整える。
浴室の隅に備えられている水瓶で顔を洗い、いつもパーリが着替えを持ってきてくれる時刻まで、居間で本の続きを読もうと長椅子に腰かけた。
そして何ページか捲った頃。唐突に、大勢の足音が近づいてきたかと思うと、扉が叩かれた。
「ナリーファ様、失礼いたします」
届いたパーリの声はやけに上擦っており、ナリーファは驚いて本を脇に置く。
「どうぞ」
返事をすると扉がすぐ開いたが、そこには初日に案内してくれた女官を先頭に、十人近くの侍女やお針子らしい女性がいた。パーリは扉の脇に立ち、驚きと嬉しさが入り混じったような顔をしている。
「あ……あの、何か……?」
まだ寝衣姿なのを気まずく思いつつ、ナリーファが用件を尋ねれば、女性達は一斉に恭しい仕草で腰を折った。
「心よりお祝い申し上げます。ナリーファ様」
「……?」
次の誕生日はまだ当面先だが……と、内心で不思議に思っていると、女官がパンと手を打ち、連れてきた女性陣にキビキビとした声をかける。
「時間がないわ。早くナリーファ様の身支度を」
女官の指示が下るや否や、侍女達がナリーファを取り囲んだ。あっという間に、白地に銀糸の刺繍の美しい衣服を着せられ、お針子が素早く細部の丈を直す。
着替えが終わると髪を梳いて編んだり、化粧を施して爪に色を付けたりと、侍女達はナリーファをいっそう華やかに飾り立て始めた。
「失礼します、腕をこちらに」
「顎を少し上げていただけますでしょうか」
「瞼に色を付けますので、目を閉じてくださいませ」
(ど、どうなっているの……?)
一秒すらも惜しそうに働く侍女達には、とても声をかけられない。訳がわからないまま、次々と出される指示に従うのが精一杯だ。
宝石のついた多数の装飾品を飾りつけ、最後に頭から被せた白いヴェールを組み紐で留めると、侍女達はナリーファから離れた。
「大変よくお似合いですわ。さぁ、本殿へ参りましょう。陛下がお待ちです」
微笑みながら女官に促され、ナリーファはようやく合点がいった。ヴェールの下で目を瞬かせていた彼女は、知らずに笑顔になる。
(急に何かと思ったら、寵姫達で陛下のお迎えに出るんだわ)
寵姫は普段、王の許可なしに後宮から出られない身だが、大掛かりな式典や、長く留守にしていた王の帰還に際しては、華やかに着飾って人前に出る事もある。
先ほどはナリーファへ向けるように祝いを述べられたせいで、勘違いしてしまった。
(あれはきっと、陛下が無事に戻られたのを祝う意味だったのね)
シャラフからは、しばらく忙しくて留守がちとだけ聞いていたが、盗賊の討伐など危険な理由で出かけていたのかもしれない。
ナリーファは久しぶりに部屋の外に出ると、先導する女官の後について歩き出した。
一ヶ月ぶりに見る回廊は依然として美しく磨き上げられ、屈強な衛兵が立っているのも変わらない。他の寵姫は既に迎えに出た後なのか、ナリーファ以外の寵姫の姿は見えなかった。
広い王宮は幾つもの棟に分かれている。後宮から本殿へ行くには、図書室などがある棟を抜け、回廊を長々と歩かねばならない。
もっとも、これには相応の理由がある。本殿が後宮に近いと、高官の男性達が美しい王の寵姫へ手を出したり、自分の立場を良くしたい寵姫が彼らに取り入ろうとしたりするからだ。
それ故、どこの国の後宮も、本殿と後宮を遠く離す造りとなっている。ようやく本殿にたどり着くと、見上げるほど高く大きな扉の前で女官が止まった。
「こちらでございます」
大広間の入り口とおぼしき扉の両脇には槍を手にした衛兵が並び、中からは大勢の人の気配がする。
「あの……」
中に入ったらどうすれば良いのかと、ナリーファが脇に退いてしまった女官へ、思い切って尋ねようとした時、衛兵が扉を両脇より開いた。
途端に、割れんばかりの歓声と拍手が轟き、ナリーファはビクンと肩を跳ねさせて声もなく硬直する。
天井の高い大広間は、溢れそうなほどの生花と果物や、様々な形の砂糖菓子、美しい布で飾りつけられていた。
盛装をした人々が壁際にずらりと並び、扉の開いたすぐ向こうに立っていたのは……
(陛下……)
豪奢な上着を羽織り、腰帯に飾りつきの刀を差した礼装のシャラフに、ナリーファは驚きも忘れて見惚れる。
だがすぐ我に返り、無意識に後ずさろうとしたナリーファの肩を、シャラフが素早く抱き寄せた。
そのまま耳元に口を寄せた彼に、囁かれる。
「驚いただろうが、黙って俺の隣に立っていれば良い」
一体、どういう状況なのかまるで理解できないけれど、とにかくシャラフの寵姫であるナリーファは、彼の指示に従うべき身だ。
「は、はい……」
数え切れぬほどの視線が自分に突き刺さるのを感じながらナリーファが頷くと、シャラフは広間の人々の方へ向き直った。
そして、大広間の隅々まで届くに違いない、大きな力強い声を響かせる。
「ウルジュラーン国王シャラフの名におき、ここにいるナリーファを我が正妃と宣言する!」
「せいひっ!?」
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