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一章
聴取記録
しおりを挟む「治療の時、可燃性粒子がマンチェスターの身体前面に多く付着していたと報告を受けた。恐らくそれも重症を負った理由だろう。それを踏まえて、逃げた犯人の特徴や属性について、何か思い出せることはあるか」
ロゼは病棟の四階で、リデナスから先日の誘拐未遂についての聴取を受けていた。リデナスの傍らには、聴取の内容を書きとるシュデルが座っている。
ロゼはベッドに横になるリリーに一度目を向けた。
ロゼが目を覚ましてから二日で、リリー=マンチェスターは意識を取り戻した。火炎爆発によって爛れた胸部から腹部、太腿に至るまでの表皮は塞がり始めているが、内部の損傷の治癒には長時間の安静が必要だろうと判断され、今もベッドで横になっているのだ。
そのリリーをちらりと横目で見て、そして少し乾いた唇を開いた。
「……犯人が私に行った攻撃は、全て神力を用いていないもののようでした。でも一度、私が身を守る際に展開させようとした竜巻を彼は難無く消していました。しかしそれが自身の力だったのか、それとも物を使ったのかまでは定かでは無いので……今のところ属性については、分からないとしか言いようがありません。……申し訳、ありません」
ロゼは話す程に俯きがちになり、自身の未熟さを恥じた。視界に入る膝に置かれた両手の節は、気付かぬうちに拳に力を入れていたために白くなっている。
これまで自分は、努力していると胸を張って言える程には、日々頑張っていると思っていた。訓練を熱心に行い、力を磨き、高め、そして実践で発揮できるようにする。その繰り返しの中で徐々に培われていった自信が、今までの時間が、誘拐未遂の一件を経て、ロゼの中で全て崩れ去ってしまった。普段なら努力が足りなかったのだと、また前を向いて頑張れただろう。だがそう思う事さえ無意味なのではないかと、今は妙な脱力感を感じてしまう。
もし、あの少年への警戒を怠らなかったら。
もし、あの口元を覆った男への攻撃を、もっと強いものにできていたら。
仮定の話の延長に現実はないと分かっていても、もしそうであればリリーがこんなにも傷つくことはなかったと考えてしまう。
「……ロゼ。ロゼは、十分に凄かったよ。あの黒い外套の男の不意をついて、私を助けてくれたじゃない」
そう言って、リリーは自身の傍らに座るロゼへとねかせていた手を伸ばす。触れるまでには届かなかったその手を、ロゼは下から支えるようにしてそっと握り返し、そして額を彼女の手の甲につけ、ごめんねとだけ口にした。
少しの間そうしていたロゼは、リデナスへと向き直る。
「属性は分かりませんが、気になったことはいくつかあります。まず、彼の命令を聞いていた少年がいた事。そして、彼が私の首に嵌めようとした枷のような物についてです」
まだ前向きな気持ちにはなれないが、当事者のロゼがそうして気落ちしていては諸々に支障が出てしまうだろう。せめて表に出さないようにと、ロゼは真っ直ぐにリデナスの目を見ながらはっきりとした口調でそう告げた。
そう告げたロゼに、リデナスは僅かに目を細めた。シュデルは一切口を挟むことなく、ロゼに一度視線を向けてからペンを紙の上で滑らせ始める。
「少年は最初、リリーに声を掛けて路地裏へと誘い、わざと私に見せるようにして連れ込みました。そして鈍器で私を殴った時、彼は動じた様子もなく男の言うことを聞いていました」
「……恐らくは、普段から訓練されているのだろうな。子供の容姿を利用して油断させるのは常套手段だ。マンチェスター、君は、なぜ最初彼と共に路地裏に行った?」
「……あの男の子が、私の手の中にある揚げ芋を欲しがり、路地裏にいる仲間にも分けてあげたいと、そう言ったからです。ならもう幾つか買おうかと言ったら、彼は首を振って、私の手の中にあるものだけでいいと……」
「……成程。その者の詳細については、また後で詳しく聞こう。シュワルツェ、もうひとつの"枷"というのは?」
「はい。私を連れ去ろうとした際に、男が首に嵌めようとした、銀色の首輪のような形状のものです。男は左手で枷を持ち、右手で印を組んでいました。詠唱が始まる前に副師団長様達が到着したので、どんな術なのかは分かりませんが」
「……それは、重要な話だな。首輪のようなものを嵌めようとしていたというのは聖副師団長様から伺っているが、何かしらの仕掛けがあるとすると厄介だ。違法に開発されたものである可能性が高い。認知されているものかどうか、話と照合して確かめる必要があるな」
そうして、ロゼの話を中心に聴取は行われ、昼頃にはリデナスとシュデルは病室を後にした。出ていく際、シュデルがロゼに対して何か物言いたげだったが、結局何も言うことなく去ってしまった。
「……リリー」
2人の背中が階段下へと消えるのを見つめながら、ロゼはベッドに横になっているリリーの名を呼んだ。
「……気にしないで、ロゼ。ロゼのせいじゃない。狙われたのがロゼでも、悪いのはロゼじゃない。だからそんな顔をしないで。――……それに、私がその場にいたから、ロゼを守れたんだよ。だから言うことは、ごめんなさいじゃないでしょう?」
リリーは眉尻を下げた困り顔でそう言い、ロゼへと手を伸ばした。先程と同じように伸ばされた手を、ロゼは今度は躊躇いもなくしっかりと握る。
「………ありがとう」
「うん」
「ありがとう」
「うん」
「っありがとう」
「っふふ、うん」
ほとんど泣き出しそうな声で繰り返し感謝の言葉を伝えるロゼを撫でようとリリーは動くが、片方の手はロゼに握られており、もう片方の手は起き上がれないためにロゼの方へ伸ばすことが出来ず、断念したようだった。そんなリリーの様子に、医官の言葉を思い出したロゼは慌てて口を開く。
「リリー、しばらくは安静だから!なるべく身体も動かさないでください」
「分かってるよ。本当に心配性ね、ロゼは」
ふふ、と笑いを零すその姿を見て、ロゼは幾分か自分の心が穏やかになっていくのを感じた。
「それじゃあ、私はここでお暇します。リリーもちゃんと休んでね」
「えぇ、もう少し居てもいいのに。何か用事でもあるの?」
夕方になり少し寒い風が吹いてきたので、お暇する前に開いている部屋の窓を閉めておこうとロゼは立ち上がった。そんなロゼの背中に、名残惜しそうな顔をしてリリーが問いかける。
「そう、用事があるんです」
ぱたん、と窓を締め、リリーの方を振り返りそう答えた。
昨日ロゼは、リデナスに頼み込んである聴取記録を見た。リリー=マンチェスターによって捕縛された犯人の内の一人についてのその記録は、普段はロゼでさえ場所の知らない地下牢の管理者が保管しているものだが、当事者ということもあり、ロゼは閲覧を許された。
その記録を見て、逃げた男やあの少年について、直接対峙したロゼにしか分からないことがあるかもしれないと思っての行動だった。
数枚の紙をひとつの台紙に挟むようにして貼ってある記録簿を開き、横書きの文字を目で辿っていく。
記録によると、いずれの質問に対しても犯人は沈黙を貫き、頑なに喋ろうとしなかったようだ。更に記録には、その時の犯人の状態や態度を書き記す欄が設けられている。
さらさらと目を通していたが、その目がある記述に辿り着いた時、ロゼの目は僅かに見開かれた。
「……リデナス隊長。この聴取が行われたのは、何時でしょうか」
「聴取が行われたのは、捕縛したその日だ。右上に、日時が詳細に書いてある筈だが」
「……は、い。ちゃんと、書いてあります。ですが――」
思わず確認してしまったのは、日時の記載を見逃したからではない。
ただ、あるはずのものがなかったからだ。
ロゼが凝視しているのは、犯人の身体の状態についての記述。危険物を持ち込んでいないか検査するために、一度身体全体を確認した時のものであろう。その記述の中には、犯人が負っている身体の傷についての詳細が書かれていた。
―――足の切り傷が、ない。
ロゼがリリーを助ける為に犯人に負わせた左足首の切り傷。かなり深いものであったはずなのに、それについては全く書かれていなかったのだ。犯人の治癒力が凄まじかったとしても、捕縛された日、つまりは深い切り傷を負った日に跡形もなく治るということはまず有り得ない。
聴取記録に漏れがあったのか、確認する際に見落としてしまったのか。―――それとも、何かしらの別の理由があるのか。
そこでロゼは思い出した。犯人が、二日と経たないうちに神殿直轄地内の収容所に送られたことを。
犯人が口を割らなかったため、拷問が禁止されている神殿から多少の無理が効くと噂の収容所へと早くに送られた可能性も否定はできない。だが、それにしても些か早すぎるのではないかと、フランチェスカから話を聞いた時から疑問に思っていた。
―――不可解な事が多いですね。………一度、この目で確認しないと。
聴取記録を閉じた時、ロゼはそう決意した。
……普段のロゼならここまで行動的になることは無いだろう。だが今回は自分は当事者であり、親友のリリーまでもが被害にあっているため、些細なことでも見過ごすことは出来なかった。
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