強面さまの溺愛様

こんこん

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一章

知らされる事実

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リリー=マンチェスターが目を覚ました翌日の早朝、濃い霧が立ち篭める森の中でロゼは息を切らしながら走っていた。

「っは、もう、これで何匹目……っ!」

後ろを振り向くと減速してしまうため、その何処に向けるともない愚痴はロゼの進行方向へと続く木々の合間にこだまし、消えていく。そしてロゼの後方には、猪突猛進を体で表すかのように木々へと突進を繰り返す氷猪アイスボアが迫っていた。



ロゼが神殿直轄地内の収容所ラーゲリ、バルバ収容所への出発を決意した昨日、善は急げと夜になるまでに準備を整え神殿を出た。
幸いな事にロゼには明日まで養成という名の休暇が与えられている。同じ神殿直轄地内とは言え収容所は神殿から大分離れた所にあるが、比較的安全な森を横切れば一日で往復出来る距離だ。ロゼの担当の医官も、今日からは多少体を動かしても良いと言っていたし……まあ一日中歩くのは"多少”では済まないだろうが、バレなければ大丈夫だろう。そう思っていた。

―――まさかこんなに魔物がいるなんて!


比較的安全と高を括っていた森で、ロゼは不運な事に厄介な魔物に多々出くわし、そしてその度に体力を消耗していた。この氷猪は大きいものの中では四匹目で、しかも一番早い魔物だ。

ロゼは長く走るのは不利と判断し、自分と氷猪の距離があと二メートル程となった時、自身の上にあった太い枝目掛けてくるりと回転し、すとんと飛び乗った。

追っていた獲物ロゼを見失った氷猪は走っていた勢いを突然収めることも出来ず、前方にあった巨木へと頭から突っ込んでいった。
ずおん、という音と共に震える足元を何とか体幹で固定したまま、ロゼは自身の背中と斜めがけにしている矢筒からそれぞれ弓と矢を取り、そして構える。
きりきりと弦を張り詰めさせた数秒後、その矢は直線上を辿るように氷猪へと向かい放たれる。肉に矢が深く沈む音と共に、甲高い嘶きが鬱蒼と茂る森の中に木霊した。

「つ、疲れた……。もう出てこない事を祈るばかりですね」

木の幹から滑り降りたロゼは、その場でどさりと腰を降ろしため息を吐いた。

―――魔物が予想以上にいたため、当初の予定よりも大分押してしまっています。帰りもこの調子では今日中に帰れるかさえ分かりません。

休んでいる暇は無いと、疲弊した脚に力を入れロゼは立ち上がった。




その五時間後に、ロゼは何とかバルバ収容所に辿り着いた。途中、崖を渡ったり小さな魔物を相手にしたりと様々あったが、幸い上級の魔物に出くわすことなく順調に進んで行けたのだ。

目の前にある収容所ラーゲリは要塞の如く深い森の中に佇み、此方を見下ろしている。昼間だというのにあたりは薄暗く、野生の鴉が飛び交い鳴き声をあげる様はなんとも不気味だ。だが管理は行き届いているらしく、要塞のように出入り口を閉ざしている黒黒い鉄格子には蔦一本として巻き付いていなかった。
収容所の唯一の出入り口の前に立つ門番に話し掛け、事前に手に入れていた許可証を見せる。少し目を見開いた男の門番は暫し待つようにとロゼに伝え、門の横にある出窓を三回手の甲で叩いた。
内開きの窓から顔を出した役人らしき人物は、門番にロゼの渡した許可証を見せられ、少しの間それを検分した後にロゼへと目を向けた。

「神殿本部の御使いの方ですか?」
「はい。ロゼ=シュワルツェ、第一聖師団第一隊の所属です。五日前に本部から此方に送られた男性に面会したいのですが」
「…………五日前に、本部から?おい、そんな男いたか?」

窓から顔を出した男はロゼの言葉に怪訝そうに首を傾げ、親しげに門番の男へと話し掛ける。

「いや、俺は知らないな。五日前って言ったらあれじゃないか、確か雷雨が酷かった日」
「ああ、そう言えばそうだったな。そんな日にこんな危険な森の中、しかも山奥に来るなんて、命知らずもいいところだろう。はははっ」

軽快な笑い声をあげる二人の言葉に、ロゼは耳を疑った。フランチェスカの言った通り、確かにこのバルバ収容所にあの男は送られてきた筈なのだ。その事実は聴取記録でも確かめたし、その送られた日付も今から五日前、つまり犯人が捕縛された日の翌日で間違いなかった。

何かの間違いでは、とロゼがもう一度門番に問いかけようとした時だった。ギギィ、と音をたてて門の鉄格子が上がり始め、中から身なりの整った、痩せ型の中年の男が現れる。

「こんにちは、本部の御使い様。私はここの管理を任されているテイムと申します。この様な辺鄙な場所にお越し頂いたにも関わらず、部下が失礼な態度を取ってしまったことをお許しください」
「っあ、いえ!失礼なんてそんなことは……突然の訪問をしたのはこちらですから」

この収容所の管理者である男が出迎えの態度に言及した時、門番と窓に肘を着いた役人がそれぞれ決まりの悪い顔をして俯くのが視界に移り、慌ててロゼは二人を援護する言葉を口にした。その言葉を聞いて、硬い表情だった男二人はほっと方を撫で下ろす。

テイムと名乗った管理者の男もそれ以上言及することなく、ロゼを建物の中へと招いた。



通された客間らしき部屋で、ロゼは一度頭を下げてからソファに腰を下ろし、向かいに座ったテイムへと顔を向ける。
先に口を開いたのは、テイムの方だった。

「さて、シュワルツェ様でしたか。本日はどの様な御用向きでいらっしゃったのでしょう」
「はい、今日は此方で捕らえられている男への面会に来ました。話すのが無理でも、この目で見るだけでもいいのです。………私の認識違いでなければ、神殿本部からこのバルバ収容所に、五日前に送られた筈なのですが」

最初ははきはきと喋っていた言葉も、後半になると少し頼りなさげになってしまった。先程の門番と役人の言葉が、ロゼの心に不安の陰りを落としているのだ。

僅かな期待虚しく、やはりその不安は次に発せられたテイムの言葉で現実となってしまう。

「……シュワルツェ様。大変申し訳ありませんが、現在この収容所にそのような男は居りません。ただ、その男の事は知っています」
「?!っそ、それは、どういう事でしょうか」

驚き目を瞬かせるロゼを見て、何故かテイムは困惑顔になる。

「……?失礼、もしや伺っていないのですかな?シュワルツェ様は神殿本部の方ですから、知っているものかと思いましたが」

含みのあるテイムの言葉に、ロゼの頭はますます混乱に陥る。あの犯人について自身の目で確かめようとここまで来たはずなのに、先程からずっと雲行きが怪しい。

取り敢えず落ち着かなければと深呼吸をし、テイムに話の続きを促した。――しかし続けて与えられた事実は、ロゼを驚愕させるのみで、決して安心を与えるものなどではなかった。


「その男は、死んだのですよ」


しんだ、と乾いた唇で言葉のかたちをつくるも、声が喉につかえてしまう。そして漸く衝撃から立ち直ったロゼは、その詳細をテイムから聞き出した。


「――確かに五日前、シュワルツェ様が言うような男がこのバルバ収容所まで送られてくる手筈でした。…………ですが、その日は雷雨が酷く、護送する馬車が通れる道も切り立った崖の近くのみで…………不運なことに、捕らえられていた男を乗せた馬車は崖下へと滑り落ちてしまったそうで」
「……そ、んな。で、ではその男は」
「護送していた神殿本部の方の報告では、亡くなったと」

―――事故で死んだ、ということ?

そのことに関して何ら不自然なことは無い。雷雨の激しい日に、山道、それも切り立った崖のあたりを通れば事故に遭う可能性も高いだろう。

そしてロゼは、はたとあることに気がついた。

「……その、男の遺体は今何方にあるのでしょうか」

先程テイムはロゼに、この収容所にと言った。門番と役人の男二人も、死んだ男の存在さえも知らないようだった事を考えると、この収容所内に遺体はないのだろう。しかしロゼも通った事故現場である崖からこの収容所まで、施設どころか建物さえも見当たらなかった。安置できる場所など、この収容所しか無いはずだが……

「遺体は確か、護送していた方がその場で火葬したと。何でも、落ちた衝撃で男の身体が無惨な状態になっていたとか」
「…………」

そこまで聞いて、ロゼは黙り込んでしまった。


何もかもがおかしい。
男が捕らえられた翌日、しかも危険な雷雨の日に遠く離れた山奥にあるこの収容所まで男を輸送したことも。
男の遺体を、その場で火葬したということも。
そして、ロゼがあの男に負わせた傷の記載が、聴取記録に残っていなかったことも。


しかしある瞬間、ロゼの中でこの不可思議な事実が一本線上で繋がり、そして型にはまっていくようにして合わさる。




「?……シュワルツェ様、」
「――失礼。来て早々ですが、帰らせて頂きます」
「っえ、あ」

弾かれるようにして頭をあげたロゼを見てテイムが困惑の声をあげるも、既に事実を知ったロゼの耳には入らず、唐突な帰還を告げる言葉に遮られてしまう。先程からの困惑した雰囲気からがらりと変わったロゼに、長年この収容所の長を務めてきたテイムでさえも一瞬たじろいでしまう。

ロゼは部屋を出る前に一度礼をしてから、元来た道を振り返ることなく折り返していった。










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