強面さまの溺愛様

こんこん

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一章

取り決め

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第一棟を出たロゼは回廊に沿って植えられた低木を掻き分け、足早に第一訓練場の末端、森に隣接する場所へと向かった。そこには、こちらに背中を向けるようにして自身の得物ハルバードを振っている男がおり、一振りする度に足元に生える若草を、森の木々を波立たせていた。

ロゼの足音が聞こえたのだろう、ゼルドは大振りの得物を振ることをやめ、傍の所々が黒ずんだ切り株に手を伸ばし、その上に置いてある鞘に得物を収めた。

「――どういうことですか。なぜ、教えてくれなかったのですか」

ロゼは立ち止まり、突然そう切り出した。

「何をだ」

ロゼの常ならぬ様子に、しかしゼルドが動じる様子は無い。まるで事の顛末に気付かれることがわかっていたとでもいうようだ。そのいつも通りの態度が、ロゼの心を益々波立たせた。

「っあなたは!なぜ情報を私に共有するなと、そう判断したのです!?」
「知ったところでどうする。相手を倒しにでも行くか?……事情を聞いたのなら分かるだろう。全ての情報をその耳に入れることは、それ相応のリスクを伴うものだ。深みに嵌ったら最後、足掻いても抜け出せなくなる」
「っでも、……教えてくれても良かったはずです。狙われているのは、私なのですから」

そう言いながらも、ロゼの言葉は先程までの勢いを失くしていた。

本当は、分かっているのだ。
ゼルドが自分のことを心配しているのは。
神殿上層部や政界に関する重大なことを知って、更なる渦中に巻き込まれることを。知ることで、ロゼが害を被ることを。
……本当は自分はこの男に怒りを覚えているのではなく、彼に配慮されるような不甲斐ない自分に対して、親友を守るどころか巻き込んでしまった自分に対して、憤っているのかもしれない。ただそれを言外に示されたから、彼に矛先を向けているだけなのかも、しれない。

だが、理解したところでこの内から燻るような気持ちはどうすることも出来ない。荒波の立つ心を沈めることも出来ず、行き場のない怒りを拳に込め、ただ痛いほどに握ることしか出来なかった。


ロゼの葛藤が内から漏れ出ていたのだろう。彼は無表情で一つ瞬き、なんの感慨もなさそうに言い放った。


「お前は、弱い。知るには不十分だと判断した」


雷に打たれたように、目の前が真っ暗になった。数秒の後、ロゼはやっとのことで震える唇から言葉を紡ぐ。

「…………あなたが、それを言うのですか」

私の近くでずっと訓練をつけてくれていたあなたが。
弱いことなど、自分がいちばん知っているし、今回痛いほどに思い知った。実力だって隊の同期の中では中の下、せいぜいその少し上だ。だから自分なりに頑張ってきたつもりだった。若くして数多の期待をその肩に背負うゼルドに追いつかないにしても、彼に認められて、そして何かしらの手助けになれるようになりたかった。

それなのに。

「……ロードさんにだけは否定されたくなかった」

今までの努力が、直接的な言葉で否定された訳では無い。だが、まるでそれと同等の悲しさとやるせなさを感じるには十分な言葉だった。

先程のものが心配からの言葉でも、今の自分にはすぎたもの。怒りが腹から、喉から湧き上がり収まってくれない。こんな気持ちは知らない。こんな、悔しくて悲しくて、そして――寂しいなんて感情は。

しかし、こんな感情を自分勝手に持つ自分が嫌になっても、どうしても相手を嫌うことが出来ない。それさえも今のロゼを苛む感情だった。

「もう、いいです」

それは感情をそのまま表したようでも、渦巻いた心を無理やり収束させたようでもある言葉だった。

―――ただ、今はこの人の顔を見たくない。


ロゼは踵を返し、元来た道を去っていった。






「……――今のは、かなり言い過ぎなんじゃないかな」

森の中の木の影から、困惑した顔のシュデルが顔を出す。一部始終を聞いていたこの男がそう切り出しても、ゼルドは動じた様子もなく眉一つ動かさずにいた。

「お前には関係の無いことだ」
「……ゼルド、お前は言い方が悪いんだよ。なぜ心配だからと、一言言わない?あれではお前がロゼちゃんの努力も積み上げてきたものも、全て否定してしまうようじゃないか。彼女は今、リリー=マンチェスターの件で心に傷を負っている。自分に自信がないんだ。それなのに今、お前があんな事を言ったら――」

「黙れ」

怒気を孕んだ瞳で見据えられ、シュデルはぐっと口を閉じた。

「お前があいつの何を知っている?あいつに関してお前に諭される事など、一つとして無い。……………俺はもう、部屋に戻る」


巨大なハルバードを背負い歩いていく姿を見ながら、シュデルは小さく溜息を吐いた。

彼はゼルドを、本当に親友のように思っている。ゼルドはいつも彼が絡んでくるのを適当にあしらうが、信を置き、気を許しているのは確かで、だから彼もゼルドを親友と呼ぶことを憚らなかった。
多々衝突する事はあれど、今回のようにシュデルがゼルドを諭そうとするなど初めての事だった。ゼルド=ロードという男は常に正しく、恐ろしい程に冷静沈着で、言が厳しくとも間違ったことは言わない。それは彼の中で不文律のように絶対の、決して揺るがないものだった。――しかし最近、彼の中のその認識は変わりつつある。

「……ゼルドも人間だった、ってことかなぁ。…………拗らせ過ぎにも程があると思うけど」

シュデルはまた一つ、今度は大きな溜息を、まるで深呼吸をするかのように吐いた。そして既に小さくなったゼルドの背を目を細めて見ながら、あの日を思い出す。





――あの日、ロゼ=シュワルツェが意識を失った状態で神殿に運ばれてきた日。
訓練場で訓練を行っていた第一聖師団第一隊の元へとその報せが届き、隊を騒然とさせた。

その時のゼルドの表情を、シュデルは決して忘れないだろう。

彼は風のような速さで病棟へと赴き、そこにいた御使いを半ば脅すようにしてロゼが運ばれた病室を聞き出した。慌てて彼に着いて行ったシュデルはその行動に口を挟むことなく、ただ黙って後を付いて行った。

ゼルドが扉を軋ませる勢いで病室に入り、中にいたリデナス=オールディンドン、フランチェスカ=フィード、そしてレライ=ノーヴァに目もくれずに彼らが取り囲む部屋中央にあるベッドへと早足に近付いていった時は、流石に肝が冷えた。しかし己の上官でもあるその三人がゼルドの態度を咎める様子がないのを見て、シュデルも礼を一つしてから部屋へと足を踏み入れる。

「やめるんだ、ロード。シュワルツェはそこまで酷い傷を負った訳では無い。ただ、犯人に投与されたらしい薬によって昏睡状態にあるだけだ」

少女の眠るベッドの傍に膝を着くなり殺気を放ち、彼女の上に掛けられた厚手の毛布を捲ろうとしたゼルドを、第一隊の隊長であるリデナスが止めにかかる。

薬の投与、と聞いたからだろう。ゼルドは毛布を握りしめた手をぴくりと震わせ、瞳孔の開いた色素の薄い瞳を少女に据えながら、低く掠れた声で何事かを口にした。
声はそれ程大きくもなく、普通ならば部屋の隅に控えていたシュデルには届かないほどのものだった。
だが、シュデルの耳には何故か、その声が耳元で囁かれたようにはっきりと聞こえてしまった。


――殺してやる


聴いた者の足元から這い上がり、地獄に引きずり込むような声だった。常ならぬ殺気をもったその声に、シュデルはぞくりと鳥肌が立つのを感じた。
声の主は今、血の気の引いたような顔で少女の腹部を凝視している。血の気が引いた顔はおよそ人間とは呼べず、全身から放たれる恐ろしさにシュデルでさえも目を逸らしてしまう。

「……彼女に傷を負わせたのは、黒装束に身を隠した男と年端もいかない少年だった。現場にいたのは私だ、取り逃がしてしまった責も私にある。捕らえたもう一人の男から情報を聞き出し、所在を突き止める」

ゼルドの気に中てられたのだろう、第一聖副師団長であるフランチェスカ=フィードは少しばかり顔を青ざめさせながらも、真っすぐに彼を見据えた。

「……捕らえた男は、今どこに」
「……それは――」
「地下牢です」

言い淀んだフランチェスカの言葉を遮ったのは、この場で最も高い地位を持つレライ=ノーヴァだった。

「捕らえられた男は今、地下牢に幽閉されていますよ。それを聞いて、何をしようというのです?」
「――私に聴取を任せてはもらえないでしょうか」

ゼルドに任せてはいけないと、そうシュデルは思った。今彼に犯人の一人を合わせたら、冗談抜きで殺してしまうかもしれないと考えたのだ。
それにゼルドは、聖師長の唯一の孫とはいえ、今は一介の御使いに過ぎない。その実力は若いながらに上官であるリデナス、そしてフランチェスカを凌ぐほどのものであるが、未だ全盛期には至っておらず未熟とも言える。そんなゼルドに、策士と名高いレライが犯人の聴取を任せるなど到底思えなかった。

だがその申し出を受けたレライは、顎に手を添えて考え込む仕草をした後、頷いたのだった。

「いいでしょう。ただし、神殿の掟に背いた真似は許されませんよ。自らの感情を律することもできない者など、私の隊には要りません」

場違いに浮かべられた爽やかな笑顔にゼルドは押し黙ったが、暫くの後にレライに礼をとり拝命の意を示す。


――しかしそんな取り決めも虚しく、ゼルドが犯人の男と顔を合わせたのは男が殺されてからのことだった。



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