45 / 57
一章
本領発揮 2
しおりを挟む
「よお、ダン。今回は結構な収穫だったな」
「まあな。これで下の実験施設にいる連中も、俺らに対する払いを良くしてくれるはずだぜ。期間限定の契約とはいえ、こっちは命懸けで魔物の森を走り回っているんだからな」
ダンと呼ばれた男は、いつものようにおどけた口調でそう話した。元々各国を飛び回る傭兵である彼は、ノルドにある傭兵ギルドの伝手でこの実験施設で雇われていた。
一年という契約期間内、彼は実験施設で得体の知れない奴等が何をしていようがそれを気にしてはならないし、契約期間が終了した後でもそのことを誰かに口外してはならない。そういう契約を、あの少年と結んだ。
―――待遇だって、決していいわけじゃねえ。給料も契約書の穴に気づかなかった馬鹿な俺には丁度いいくらいに、低い。ただ、ここで臍まげて帰るわけにもいかねえ。
契約上、彼は一年という期間を過ぎるまではこの森から出てはいけない。それが彼にはもどかしかった。
行き当たりばったりでその日暮らしの生活を送る彼が、こんな危険な仕事を請け負ってまで金に執着するのは、そんな彼に惚れ、彼に着いてきてくれる妻ができたからだ。最近息子を生んだ彼女は、今はノルドの安宿に泊まって町の居酒屋で働いている。小さな、生後一年に満たない子供の世話をしながら働ける場所ができたのだと、嬉しそうに笑う顔を見たのはもう一年近く前のことだった。
「……俺は、あとひと月以内にここを出れる。今までの働き分の金を携えてな」
今まで耐えてきた時間に比べれば、あとひと月など瞬きの間だろう。もう直ぐで、こんな劣悪な環境とは違う場所で――妻の柔らかな腕の中で、息子を抱えて眠ることができるのだから。
そう言って口元に柔らかな笑みを浮かべ、手に持っていたコップに口をつけようとした、その時だった。
突如大きな爆発音が響きわたり、ダンの身体を、座っている椅子を激しく揺らした。
そのあまりの衝撃に椅子から転げ落ちそうになるも何とか耐え、続いて上から聞こえてきた聞き覚えのない幾つかの声に、その体を凍り付かせる。
「っ神殿の連中だ!なぜ場所がバレた!?おいダン、お前、つけられるようなヘマを犯したのか?!おい!」
先程まで穏やかに談笑していた男の罵声に、しかしダンは呆然とすることしか出来なかった。今彼の頭には、大きな動揺と、そして絶望が奔流となり渦巻いていた。
彼は実験施設で何が行われているのか、詳細には知らない。だがそれが、決して良いものでは無いことも、分かっていた。事情を知らされていなかったとはいえ、奴らに雇われた自分は神殿に連行され、罪に問われる。たとえ釈放されたとしても、前科持ちの彼が職に就くことは難しくなる。――自分の家族を、路頭に迷わせてしまう。
家族の顔が脳裏に過ぎ去った瞬間、ダンは迷わず彼に与えられた部屋へと足を向けた。
「っおい!どこに行く」
「決まってるだろ!逃げるんだよ」
この施設に雇われている荒くれ者の纏め役であるダンが逃げることに焦りを覚えたのだろう、男は顔を蒸気した赤から青へと器用に変え、がなり立て始めた。だがその声はダンの耳をすり抜ける。今彼に聞こえているのは、上の階からの騒音と、そしてこちらへと降りてくる複数の硬質な足音だけだった。
彼は、とっ散らかった思考の中で何とか逃げる算段を立てていた。
―――まず部屋に戻って、必要最低限の荷だけひっつかんで脱出通路から逃げる。俺の神力はそう強くないが、荷の中にあるものでなんとかするしかねえ。
脱出通路を通るには、最下層にある実験施設を通るしかない。出入りを禁じられていた場所だが、この有事にそんなことを言って咎める者もいまい。彼は階段を駆け下り、真っすぐに下へと向かった。
下は想像通り、騒然としていた。あの爆発音から続く不穏な物音に、戦闘経験などないだろう研究員たちは慌てふためき、途中入ってきたダンに安堵した様子だった。
だが、当然ダンに彼らを守るつもりなどない。契約金が支払われるかも分からない今、いたずらに自分の命を脅かそうなどと考えるほど彼はお人好しではなかった。
驚く研究員達の前を突っ切り、脱出通路へと続く扉へと向かう。錆ついた、開くのかも分からない様な扉だった。その扉の取っ手に手を掛けて下に引き下ろすも、焦っていた勢いのせいか、取っ手は無情にも根元から壊れ、鋭い音を立てて床に落ちてしまう。
「っクソが!」
悪態をつきながらも、ダンは扉に体当たりをする。それを何度か続け、体当たりの衝撃に扉が傾ぎ、塞がれた未来に光が差したように思えた、その時。
突如として浮遊感を感じ、その後にダンの全身を突き上げるような痛みが襲った。
壁にたたきつけられたと、どこか頭の冷静なこところで理解しながらも、気管に詰まった血液混じりの咳を吐き出すこともできず、全身に駆け巡る衝撃の余波を逃がそうと無意味に縮こまることもできず、ただ痙攣することしか出来なかった。
朦朧とする、保てているのか定かではないような意識の中で、ダンは床に無様に蹲る自分の前に立つ男の足を見た。
のろのろと顔を上げ、目の前にある編み上げの黒ブーツ、黒いズボンと、その目線を上に移動させてゆく。これは相手を睨もうとか、そんな勇猛な発想ではなく、ただ条件反射のようにして身体が自然にしたことだった。
そして、見たことを後悔した。
ダンを見下ろしていたのは、黒光りする鎌を携えた、無慈悲で冷酷な死神だった。
「まあな。これで下の実験施設にいる連中も、俺らに対する払いを良くしてくれるはずだぜ。期間限定の契約とはいえ、こっちは命懸けで魔物の森を走り回っているんだからな」
ダンと呼ばれた男は、いつものようにおどけた口調でそう話した。元々各国を飛び回る傭兵である彼は、ノルドにある傭兵ギルドの伝手でこの実験施設で雇われていた。
一年という契約期間内、彼は実験施設で得体の知れない奴等が何をしていようがそれを気にしてはならないし、契約期間が終了した後でもそのことを誰かに口外してはならない。そういう契約を、あの少年と結んだ。
―――待遇だって、決していいわけじゃねえ。給料も契約書の穴に気づかなかった馬鹿な俺には丁度いいくらいに、低い。ただ、ここで臍まげて帰るわけにもいかねえ。
契約上、彼は一年という期間を過ぎるまではこの森から出てはいけない。それが彼にはもどかしかった。
行き当たりばったりでその日暮らしの生活を送る彼が、こんな危険な仕事を請け負ってまで金に執着するのは、そんな彼に惚れ、彼に着いてきてくれる妻ができたからだ。最近息子を生んだ彼女は、今はノルドの安宿に泊まって町の居酒屋で働いている。小さな、生後一年に満たない子供の世話をしながら働ける場所ができたのだと、嬉しそうに笑う顔を見たのはもう一年近く前のことだった。
「……俺は、あとひと月以内にここを出れる。今までの働き分の金を携えてな」
今まで耐えてきた時間に比べれば、あとひと月など瞬きの間だろう。もう直ぐで、こんな劣悪な環境とは違う場所で――妻の柔らかな腕の中で、息子を抱えて眠ることができるのだから。
そう言って口元に柔らかな笑みを浮かべ、手に持っていたコップに口をつけようとした、その時だった。
突如大きな爆発音が響きわたり、ダンの身体を、座っている椅子を激しく揺らした。
そのあまりの衝撃に椅子から転げ落ちそうになるも何とか耐え、続いて上から聞こえてきた聞き覚えのない幾つかの声に、その体を凍り付かせる。
「っ神殿の連中だ!なぜ場所がバレた!?おいダン、お前、つけられるようなヘマを犯したのか?!おい!」
先程まで穏やかに談笑していた男の罵声に、しかしダンは呆然とすることしか出来なかった。今彼の頭には、大きな動揺と、そして絶望が奔流となり渦巻いていた。
彼は実験施設で何が行われているのか、詳細には知らない。だがそれが、決して良いものでは無いことも、分かっていた。事情を知らされていなかったとはいえ、奴らに雇われた自分は神殿に連行され、罪に問われる。たとえ釈放されたとしても、前科持ちの彼が職に就くことは難しくなる。――自分の家族を、路頭に迷わせてしまう。
家族の顔が脳裏に過ぎ去った瞬間、ダンは迷わず彼に与えられた部屋へと足を向けた。
「っおい!どこに行く」
「決まってるだろ!逃げるんだよ」
この施設に雇われている荒くれ者の纏め役であるダンが逃げることに焦りを覚えたのだろう、男は顔を蒸気した赤から青へと器用に変え、がなり立て始めた。だがその声はダンの耳をすり抜ける。今彼に聞こえているのは、上の階からの騒音と、そしてこちらへと降りてくる複数の硬質な足音だけだった。
彼は、とっ散らかった思考の中で何とか逃げる算段を立てていた。
―――まず部屋に戻って、必要最低限の荷だけひっつかんで脱出通路から逃げる。俺の神力はそう強くないが、荷の中にあるものでなんとかするしかねえ。
脱出通路を通るには、最下層にある実験施設を通るしかない。出入りを禁じられていた場所だが、この有事にそんなことを言って咎める者もいまい。彼は階段を駆け下り、真っすぐに下へと向かった。
下は想像通り、騒然としていた。あの爆発音から続く不穏な物音に、戦闘経験などないだろう研究員たちは慌てふためき、途中入ってきたダンに安堵した様子だった。
だが、当然ダンに彼らを守るつもりなどない。契約金が支払われるかも分からない今、いたずらに自分の命を脅かそうなどと考えるほど彼はお人好しではなかった。
驚く研究員達の前を突っ切り、脱出通路へと続く扉へと向かう。錆ついた、開くのかも分からない様な扉だった。その扉の取っ手に手を掛けて下に引き下ろすも、焦っていた勢いのせいか、取っ手は無情にも根元から壊れ、鋭い音を立てて床に落ちてしまう。
「っクソが!」
悪態をつきながらも、ダンは扉に体当たりをする。それを何度か続け、体当たりの衝撃に扉が傾ぎ、塞がれた未来に光が差したように思えた、その時。
突如として浮遊感を感じ、その後にダンの全身を突き上げるような痛みが襲った。
壁にたたきつけられたと、どこか頭の冷静なこところで理解しながらも、気管に詰まった血液混じりの咳を吐き出すこともできず、全身に駆け巡る衝撃の余波を逃がそうと無意味に縮こまることもできず、ただ痙攣することしか出来なかった。
朦朧とする、保てているのか定かではないような意識の中で、ダンは床に無様に蹲る自分の前に立つ男の足を見た。
のろのろと顔を上げ、目の前にある編み上げの黒ブーツ、黒いズボンと、その目線を上に移動させてゆく。これは相手を睨もうとか、そんな勇猛な発想ではなく、ただ条件反射のようにして身体が自然にしたことだった。
そして、見たことを後悔した。
ダンを見下ろしていたのは、黒光りする鎌を携えた、無慈悲で冷酷な死神だった。
0
あなたにおすすめの小説
人生に絶望していたら異世界のデスゲームに巻き込まれました~ヤンデレ悪魔を召還したので、最期まで楽しもうと思います!~
雨宮 叶月
恋愛
「人の「正しさ」が崩れていく瞬間って、美しいと思いません?」
学校でも家でも理不尽な扱いを受ける少女・成瀬伊澄。
ある日、クラスメイト・担任と共に異世界のデスゲームに巻き込まれた。
召喚したのは悪魔・ディオラル。
なんだか様子がおかしいが、嬉しいので気にしない。
『死』は恐怖じゃない。だから最期までデスゲームを楽しむことにする。
彼氏がヤンデレてることに気付いたのでデッドエンド回避します
八
恋愛
ヤンデレ乙女ゲー主人公に転生した女の子が好かれたいやら殺されたくないやらでわたわたする話。基本ほのぼのしてます。食べてばっかり。
なろうに別名義で投稿しています。
かなり昔に書いたものなので今と芸風(?)が違うのですが、楽しんでいただけると嬉しいです。
一部加筆修正しています。
2025/9/9完結しました。ありがとうございました。
ストーカーから逃げ切ったつもりが、今度はヤンデレ騎士団に追われています。
由汰のらん
恋愛
ストーカーから逃げていたある日、ハルは異世界に召喚されてしまう。
しかし神官によれば、どうやらハルは間違って召喚された模様。さらに王子に盾ついてしまったことがきっかけで、ハルは国外追放されてしまう。
さらに連行されている道中、魔族に襲われ、ハルの荷馬車は置き去りに。
そのさなか、黒い閃光を放つ騎士が、ハルに取引を持ちかけてきた。
「貴様の血を差し出せ。さすれば助けてやろう。」
やたら態度のでかい騎士は、なんとダンピールだった!
しかしハルの血が特殊だと知った騎士はハルを連れ帰って?
いっそ美味しい血と癒しを与えるダンピール騎士団のセラピストを目指します!
お兄ちゃんは、ヒロイン様のモノ!!……だよね?
夕立悠理
恋愛
もうすぐ高校一年生になる朱里には、大好きな人がいる。義兄の小鳥遊優(たかなしゆう)だ。優くん、優くん、と呼んで、いつも後ろをついて回っていた。
けれど、楽しみにしていた高校に入学する日、思い出す。ここは、前世ではまっていた少女漫画の世界だと。ヒーローは、もちろん、かっこよくて、スポーツ万能な優。ヒロインは、朱里と同じく新入生だ。朱里は、二人の仲を邪魔する悪役だった。
思い出したのをきっかけに、朱里は優を好きでいるのをやめた。優くん呼びは、封印し、お兄ちゃんに。中学では一緒だった登下校も別々だ。だって、だって、愛しの「お兄ちゃん」は、ヒロイン様のものだから。
──それなのに。お兄ちゃん、ちょっと、距離近くない……?
※お兄ちゃんは、彼氏様!!……だよね? は二人がいちゃついてるだけです。
時間を止めて ~忘れられない元カレは完璧な容姿と天性の才能を持つ世界一残酷な人でした 【完結】
remo
恋愛
どんなに好きになっても、彼は絶対に私を愛さない。
佐倉ここ。
玩具メーカーで働く24歳のOL。
鬼上司・高野雅(がく)に叱責されながら仕事に奔走する中、忘れられない元カレ・常盤千晃(ちあき)に再会。
完璧な容姿と天性の才能を持つ世界一残酷な彼には、悲しい秘密があった。
【完結】ありがとうございました‼
あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜
瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。
まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。
息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。
あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。
夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……
夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる