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一章
それぞれの装い
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波が割れるようにしてはけた人々の合間から、男が近づいてくる。歩きながら揺れる巨躯はいつ見ても逞しく、その佇まいは、舞踏会のような絢爛な場所にあっても変わらずに堂々としていた。
その姿に、目を引き寄せられる。
白を基調とした、式典用の隊服。襟と袖部分に銀の刺繍が施されたそれは、神殿の御使いならば誰もが持っているものだ。しかし今夜の男は、その上に揃いの白いコートを羽織っていた。彼の肩に引っ掛ているそのコートが、動くたびにゆらりゆらりと揺れ動いている。
普段無造作に下ろしている前髪は緩く後ろに撫でつけられ、こぼれた髪が顔にかかる様はどこか気怠げで、男らしかった。
……男らしい、という陳腐な表現しか、今のロゼにはできなかった。今目の前にいる男は、畏ろしくて――人間として、生物として、絶対的上位に君臨するような……本能的に避けるべき相手であると思わせるのには十分な威圧感があるのに。その身からは色気と言うにふさわしい、中てられてしまうほどの雄々しさが醸し出されている。
放心したように見惚れる少女を、男もまた見つめていた。
「……――ロゼ。その格好は」
「…………私の、母の見立てです。全て、シュワルツェ商社のものなんですよ」
ゼルドのどこか呆然としたような呟きに、彼よりも早く我に返ったロゼが肩をすくめ、そう言葉を返した。どうにも照れ臭さが抜けなかったので、少しふざけるつもりで、ドレスをつまんで腰を落とし、ひとつカーテシーをした。
ロゼのカーテシーは淑女の見本のように美しく、少し俯けた首からはらりと髪が零れ落ちる。近くを通り過ぎた男性が数人、足を止めた。
ロゼが今宵舞踏会に参加している男たちの目にどの様に映っているか、それは想像に容易い。シャンデリアからの光を集めた、ロゼの胸元で揺れる琥珀の宝石が光と影を落とす、透き通るように白い柔肌。ドレスを押し上げる豊かなふくらみも、スリットから覗く健康的な脚も、彼らの不埒な想像を掻き立てるには十分なものだった。
しかし足を止めた彼らは、次の瞬間には慌てたようにして立ち去っていった。急ぐようにして遠ざかっていく足音を不思議に思ったロゼが顔を上げると、眉間に皺を寄せて舌打ちをする、あからさまに不機嫌な巨悪面があった。
後ろで、ひっ、と言う声が2人分聞こえる。声からしてセーナとアドルフであることは間違いなかったが、今のロゼにそちらを確認する余裕などない。目の前の男が不機嫌な理由を頭の中で巡らせるが、どれもが当てはまりそうにもなかった。あるとすればよほどロゼの姿が醜いということだが、センスのある母が選んだ装いなので、その可能性は低いように思える。
「羽織るものは」
「えっ」
「羽織るものはあるのかと聞いている」
「い、いいえ。持ってきていません」
体が冷える心配をしてくれてるのかな、などと考えながらロゼが答えると、ゼルドの眉間の皺がさらに深くなり、渓谷のようになってしまった。
「きょ、今日は、寒くありませんし、必要ないと思ったんです。あと、…………動きやすい方が、良いと思いまして」
「それはそうだが。ならば、なぜそれほどに露出する必要がある」
「露出、は少ない方だと思いますよ。現にここにいらしている参加者の女性の方々よりも肌は出していませんし。それにこのドレス、実は母が色々仕込みやすいように特注で作ってくれたのです」
ふんす、とロゼは自慢げに話した。しかしゼルドは納得がいかないようで、ありとあらゆる方向からドレスにダメ出しをしようとする。やれ胸元が見えすぎだ、やれ足のスリットが深すぎて肌が見えすぎだ、終いにはうなじを見せるなとまで言ってくる始末。これにはロゼも不満顔になった。なにせ、母であるセーナを筆頭に屋敷の使用人やシュデル達まで褒めそやしてくれたのだ。少しくらい自惚れがあったとしても、そんなに目も当てられない状態というほどに酷い訳では無いだろう。
「――嘘でも、褒めてくれたっていいじゃないですか」
ついぽろっと出てしまった本音に、思いのほか拗ねたような響きが混ざっていることに自分でも驚く。
そのまま拗ねてしまえ、とどこか子供のように意地を張ったロゼは、少しの意趣返しのつもりで目線を顔ごと逸らすが、次の瞬間には強制的にゼルドの方へと向けさせられた。
「っちょ」
「――それとこれとは、別問題だ。今後このように着飾るのは、俺が横にいるときだけにしろ」
鋭い眼光でこちらを見つめる男は、どうしてもロゼを褒めてはくれないらしい。褒められるために着飾ったわけではなかったが、これには少し落ち込んでしまう。目に見えてしゅんとしてしまったロゼをゼルドは何か言いたげに見つめていたが、肩を抱いて強く引き寄せることはしても、何かそれ以上の言葉をかけることはなかった。
「あの二人が、お前の両親か」
「……はい。ロードさんにご紹介します。父のアドルフと、母のセーナです。もう知っているとは思いますが、父は商社を営んでいて、母はその経営と商品開発に携わっているのです。とうさま、かあさま、こちらは私の所属する第一聖師団第一隊の先輩で、ゼルド=ロードさんです」
突然話の矛先を向けられたセーナとアドルフは、ゼルドの鋭い眼光に見下ろされ、青かった顔を今度は真っ白にしている。
話すこともできないような二人の様子を心配に思いながらも、これではゼルドに失礼だと考えたロゼは、何とか会話を続けようと試みる。
「ロードさんは見た目だけではなくて、本当に強い方なんですよ。とうさまも会いたがっていましたよね」
「……――っ、そ、そうだな。娘が普段お世話になっている方だし、な…………ご紹介に預かりました。父のアドルフ=シュワルツェと申します」
ゼルドを優美な男だと予想していたらしいアドルフは、その予想が外れたことに余程の衝撃を受けているのか、手をかたかた震わせながらゼルドに差し出した。……いや、これはただ単に怖いだけだろうとロゼは思い直す。
ゼルドが差し出された手を握った後からは、アドルフもつっかえることなく話すようになった。表情も幾分か明るくなり、見下ろされるかたちでゼルドと話していても圧倒されているような様子は見受けられない。流石、商社を一代で急成長させただけのことはある。
母のセーナも、ぎこちなく笑ってはいるものの、顔色は元通りになっていた。
「母のセーナと申します。ロゼが大変お世話になっています」
「ご丁寧に、どうも。神殿本部、第一聖師団第一隊隊員のゼルド=ロードと申します」
「ロード様のことは、勝手ながらよく知っておりますわ。娘がよこす手紙には、いつもあなたのことが沢山書かれていますから。……とても、良くしていただいているようで」
「っちょっと、かあさま!」
「あら、いいじゃない。とてもいじらしくて、可愛くて」
ねぇ、と同意を求めるセーナに、珍しく驚いた表情を浮かべていたゼルドは一つ瞬きをした。そして横にいる、ロゼの顔を確認するように覗き込んでくる。
「……そうなのか?」
「――――っ、そう、ですけど」
何の拷問だ、とロゼは俯きながら思った。恥ずかしいのと、そして先程から尾を引いている拗ねたような気分とで、すこしぶっきらぼうな返事になってしまったのが自分でもわかった。口と指先をもにょもにょと軟体動物のように動かしながら、自分の顔に熱が集まっていることに気づく。視界いっぱいに広がる大理石の床がシャンデリアの光を反射していて、とても眩しい。
しかしそんな可愛げのないロゼの言葉に、ふ、と上から抜けるような息遣いが聞こえた。
「そうか」
顔を上げて見ると、ゼルドが、あのゼルドが口元を緩ませ笑っているではないか。
口端を上げるだけのものではない。榛の瞳を細め、厳つい眉を僅かに緩めたその微笑は、心を普段他人に見せない彼が表に出した感情の一部。業火のような熱情とも、狂おしいほどの執着とも違う、柔らかな心の部分だった。
それを見た瞬間、何か見えないものに引っ張られるようにしてロゼの心臓が跳ね、口から出んばかりに暴れはじめた。喧しいほどに鳴り響く心拍の所為か、肌が汗ばみ、急に呼吸を意識し始めてしまう。
急に眼を見開いてすべての挙動を停止したロゼは、なんとも不自然だっただろう。しかしそんなロゼの心内を知ってか知らずか、ゼルドの大きな褐色の手が、小さな亜麻色の頭を柔らかく撫で始めた。ロゼの綺麗にまとめられている髪に配慮してだろう、その手つきは普段のものよりも幾分か優しく、包み込むようなものだった。ぬくもりと安らぎをロゼに与える大きな手が、ゆっくりとかたちを辿るように撫ぜていく。節くれだった指が顎を擽った時、ロゼは猫のように気持ちよさげに喉を鳴らした。
親が子供にするような、愛情と慈しみの込められた行為。しかしそのなかに色づいた意味があることは、両者の瞳に求めるような光が宿っていることは、誰の目から見ても明らかだった。
「……あらぁ、まぁ」
「………………………………」
完全なる二人の世界に、ロゼの両親である二人はというと。セーナは驚いたように口を開け、アドルフは眉間に皺を寄せながら黙り込んでしまっていた。結婚云々はまだ早い、と考えているのが分かりきったようなその顔に、隣にいるセーナは苦笑いを零した。娘が家を出てから少し年を取った、しかし初老にはまだ至らぬ背が、今はとても小さく見える。子供の旅立ちを見送る親とはこのように頼りなさげで哀愁を漂わせるもなのかと、セーナはどこか他人事のように思った。その片割れは自分であるというのに、だ。
「それで、ロードさん。守備の方なのですが」
両親に恥ずかしいところを見られたと今更ながらに理解したロゼは、少しでも気を紛らわせようと大仰に一つ多きな咳ばらいをし、本題を切り出した。
「ああ。先程、無事邸宅内に侵入できたと報告があった。今後は予定通り、俺がロゼとご両親を警護する。副師団長様も、客として会場に潜入している。そろそろつく頃だろう」
思わぬ人の名に、ロゼは目を瞬かせる。あのご麗人の名がリストに載っていた記憶はない。今回の作戦のすべての統括を任されているレライも、確か副官は神殿に居残りだと、リストを手渡された会議の場で話していた。
「フランチェスカ様、ですか?しかし、神殿の者は私とロードさん以外は正式な参加者としては参加できないはず……なにか、身許偽造のようなことを行われたのでしょうか」
犯人側が神殿の者、特に御使いを警戒しているのは分かり切ったことだ。先程確認した屋敷の警備も、普通の夜会とは思えないほどに厳重で、庭には雇われの傭兵と思われる顔つきの厳つい男たちが数多くいた。今夜の舞踏会の主催者であるドーキンス氏は商才もあり、切れ者であるとアドルフからは聞いている。そんな者が神殿所属の者、それも御使いをやすやすと参加者として招き入れるとは思えなかった。恐らく客として潜入するという可能性も含めて、事前に招待者の身許は調べているはずだ。
「いや、彼女は身許を一切詐称していない。出自そのままに、招待客としての参加をドーキンス家に直接希望したようだ。ロゼに知らされなかったのは、直前に参加希望の手紙を送ったために承諾されるかの保障がなかったからだろう」
「出自を、そのままに……?待ってください。今日の舞踏会は身分の高い、もしくは懇意にしている商社の者しか参加していないはず。フランチェスカ様は――」
ロゼがそう言いかけたところで、会場が不自然に熱気立ち、騒然となった。近くで喋っているロゼの声を遮るほどの周りの声に、ゼルドも怪訝に眉を寄せる。周りの声から想像するに、どうやら有名な者が参加者として会場に現れたようだ。
ゼルドがあたりを見渡す。背の高い彼の視界を遮るものなどなく、人々の目線が集中している会場二階の一点に視線が辿り着く。そして、ああ、と納得したように声を上げ、ロゼに振り向いた。
「どうやら、無事に着いたようだな」
「……っえ、」
その言葉の対象が、今話に挙がっていたフランチェスカの事だと分かるが、ではなぜこんなにも周りは騒き、色めき立ち、高揚しているのだろうか。まるで今来た参加者が、普通ならば絶対にお目見えすることのできないような、遠く離れた尊い存在であるように。
―――二階層は、確か……――貴賓のための席。
そんなことを思い出しながら背伸びをし、人垣から様子を窺おうとするロゼを、傍らにいたゼルドが片手で抱き上げた。
両親の前で平然と抱き上げられたことにロゼは驚き、抵抗しようと腕をつっぱね――――二階席の方を見て、固まった。
「――フラン、チェスカ…様……?」
ロゼの目線の先には、貴賓席に辿り着く前に人々に囲まれ、困ったように微笑を浮かべている、一人の女性が、いた。身体の曲線美をこれでもかと美しく見せる、ドレープのドレス。そのドレスは彼女の空色の瞳と揃いの色だ。はちみつを溶かしたような、光加減によっては白金に輝く髪は緩く後ろに撫でつけるようにしている。嫋やかそうでいて、しかし凛とした、人々を魅了するようなその雰囲気は……ロゼの良く知る、あの麗人のものだ。しかし今の彼女は普段隊服をかっちりと着ている時とは異なり、スカートのドレープを広げながら二階の最も中央にある席にゆっくりと歩み寄り、周囲の熱を気にした風でもなく堂々とした佇まいで用意された一席に腰を下ろした。その堂々たる、どこか威厳を備えたさまは、まるで……
「フィードライド王国の、第二王女殿下だ。何とも、お美しい」
「本当に。初めてお目見えしたけれど、あの美しさなら噂にも納得だわ。ほら、どこかの国の王だか宗主様だったかが、彼女に求婚してこっぴどく振られたって話」
隣にいる夫婦らしき男女の話が、ロゼの耳に入り、頭をすり抜けていく。
そして、唐突に思いだした。ロゼの知る、彼女の、フランチェスカの名を。
フランチェスカ=フィード
フィードという名字は、土を司る神の子孫の国、フィードライド王国によくあるものだ。初代の神の名を持つかの国には、その名にあやかろうと、よく似た響の家名を持つ者が数多くおり、フランチェスカがその一つであるフィードの名を持つとことに懐疑する理由などなかった。
「……フランチェスカ=フィードライド」
吐息に載せて零した名前に、やっと理解する。
それが彼女の、本当の名なのだろう。このローザリンドから離れた場所にある、フィードライド王国の第二王女殿下。それはロゼの知らない彼女だったが、あの一目で心を奪われるような美しさと、真っすぐな心をそのまま表すような佇まいに、ああ成程、とどこか納得もできた。
―――遠い、人だったんだなぁ
寂しい、と感じてしまうのは自分勝手な事なのだろう。神殿での立場から考えても、親しみの感情を向けて良い相手ではない。しかし、ロゼが誘拐された時も、される前にも、何かと気にかけてくれたあの優しい麗人を思い出すと、胸がちくりと傷んだ。
その姿に、目を引き寄せられる。
白を基調とした、式典用の隊服。襟と袖部分に銀の刺繍が施されたそれは、神殿の御使いならば誰もが持っているものだ。しかし今夜の男は、その上に揃いの白いコートを羽織っていた。彼の肩に引っ掛ているそのコートが、動くたびにゆらりゆらりと揺れ動いている。
普段無造作に下ろしている前髪は緩く後ろに撫でつけられ、こぼれた髪が顔にかかる様はどこか気怠げで、男らしかった。
……男らしい、という陳腐な表現しか、今のロゼにはできなかった。今目の前にいる男は、畏ろしくて――人間として、生物として、絶対的上位に君臨するような……本能的に避けるべき相手であると思わせるのには十分な威圧感があるのに。その身からは色気と言うにふさわしい、中てられてしまうほどの雄々しさが醸し出されている。
放心したように見惚れる少女を、男もまた見つめていた。
「……――ロゼ。その格好は」
「…………私の、母の見立てです。全て、シュワルツェ商社のものなんですよ」
ゼルドのどこか呆然としたような呟きに、彼よりも早く我に返ったロゼが肩をすくめ、そう言葉を返した。どうにも照れ臭さが抜けなかったので、少しふざけるつもりで、ドレスをつまんで腰を落とし、ひとつカーテシーをした。
ロゼのカーテシーは淑女の見本のように美しく、少し俯けた首からはらりと髪が零れ落ちる。近くを通り過ぎた男性が数人、足を止めた。
ロゼが今宵舞踏会に参加している男たちの目にどの様に映っているか、それは想像に容易い。シャンデリアからの光を集めた、ロゼの胸元で揺れる琥珀の宝石が光と影を落とす、透き通るように白い柔肌。ドレスを押し上げる豊かなふくらみも、スリットから覗く健康的な脚も、彼らの不埒な想像を掻き立てるには十分なものだった。
しかし足を止めた彼らは、次の瞬間には慌てたようにして立ち去っていった。急ぐようにして遠ざかっていく足音を不思議に思ったロゼが顔を上げると、眉間に皺を寄せて舌打ちをする、あからさまに不機嫌な巨悪面があった。
後ろで、ひっ、と言う声が2人分聞こえる。声からしてセーナとアドルフであることは間違いなかったが、今のロゼにそちらを確認する余裕などない。目の前の男が不機嫌な理由を頭の中で巡らせるが、どれもが当てはまりそうにもなかった。あるとすればよほどロゼの姿が醜いということだが、センスのある母が選んだ装いなので、その可能性は低いように思える。
「羽織るものは」
「えっ」
「羽織るものはあるのかと聞いている」
「い、いいえ。持ってきていません」
体が冷える心配をしてくれてるのかな、などと考えながらロゼが答えると、ゼルドの眉間の皺がさらに深くなり、渓谷のようになってしまった。
「きょ、今日は、寒くありませんし、必要ないと思ったんです。あと、…………動きやすい方が、良いと思いまして」
「それはそうだが。ならば、なぜそれほどに露出する必要がある」
「露出、は少ない方だと思いますよ。現にここにいらしている参加者の女性の方々よりも肌は出していませんし。それにこのドレス、実は母が色々仕込みやすいように特注で作ってくれたのです」
ふんす、とロゼは自慢げに話した。しかしゼルドは納得がいかないようで、ありとあらゆる方向からドレスにダメ出しをしようとする。やれ胸元が見えすぎだ、やれ足のスリットが深すぎて肌が見えすぎだ、終いにはうなじを見せるなとまで言ってくる始末。これにはロゼも不満顔になった。なにせ、母であるセーナを筆頭に屋敷の使用人やシュデル達まで褒めそやしてくれたのだ。少しくらい自惚れがあったとしても、そんなに目も当てられない状態というほどに酷い訳では無いだろう。
「――嘘でも、褒めてくれたっていいじゃないですか」
ついぽろっと出てしまった本音に、思いのほか拗ねたような響きが混ざっていることに自分でも驚く。
そのまま拗ねてしまえ、とどこか子供のように意地を張ったロゼは、少しの意趣返しのつもりで目線を顔ごと逸らすが、次の瞬間には強制的にゼルドの方へと向けさせられた。
「っちょ」
「――それとこれとは、別問題だ。今後このように着飾るのは、俺が横にいるときだけにしろ」
鋭い眼光でこちらを見つめる男は、どうしてもロゼを褒めてはくれないらしい。褒められるために着飾ったわけではなかったが、これには少し落ち込んでしまう。目に見えてしゅんとしてしまったロゼをゼルドは何か言いたげに見つめていたが、肩を抱いて強く引き寄せることはしても、何かそれ以上の言葉をかけることはなかった。
「あの二人が、お前の両親か」
「……はい。ロードさんにご紹介します。父のアドルフと、母のセーナです。もう知っているとは思いますが、父は商社を営んでいて、母はその経営と商品開発に携わっているのです。とうさま、かあさま、こちらは私の所属する第一聖師団第一隊の先輩で、ゼルド=ロードさんです」
突然話の矛先を向けられたセーナとアドルフは、ゼルドの鋭い眼光に見下ろされ、青かった顔を今度は真っ白にしている。
話すこともできないような二人の様子を心配に思いながらも、これではゼルドに失礼だと考えたロゼは、何とか会話を続けようと試みる。
「ロードさんは見た目だけではなくて、本当に強い方なんですよ。とうさまも会いたがっていましたよね」
「……――っ、そ、そうだな。娘が普段お世話になっている方だし、な…………ご紹介に預かりました。父のアドルフ=シュワルツェと申します」
ゼルドを優美な男だと予想していたらしいアドルフは、その予想が外れたことに余程の衝撃を受けているのか、手をかたかた震わせながらゼルドに差し出した。……いや、これはただ単に怖いだけだろうとロゼは思い直す。
ゼルドが差し出された手を握った後からは、アドルフもつっかえることなく話すようになった。表情も幾分か明るくなり、見下ろされるかたちでゼルドと話していても圧倒されているような様子は見受けられない。流石、商社を一代で急成長させただけのことはある。
母のセーナも、ぎこちなく笑ってはいるものの、顔色は元通りになっていた。
「母のセーナと申します。ロゼが大変お世話になっています」
「ご丁寧に、どうも。神殿本部、第一聖師団第一隊隊員のゼルド=ロードと申します」
「ロード様のことは、勝手ながらよく知っておりますわ。娘がよこす手紙には、いつもあなたのことが沢山書かれていますから。……とても、良くしていただいているようで」
「っちょっと、かあさま!」
「あら、いいじゃない。とてもいじらしくて、可愛くて」
ねぇ、と同意を求めるセーナに、珍しく驚いた表情を浮かべていたゼルドは一つ瞬きをした。そして横にいる、ロゼの顔を確認するように覗き込んでくる。
「……そうなのか?」
「――――っ、そう、ですけど」
何の拷問だ、とロゼは俯きながら思った。恥ずかしいのと、そして先程から尾を引いている拗ねたような気分とで、すこしぶっきらぼうな返事になってしまったのが自分でもわかった。口と指先をもにょもにょと軟体動物のように動かしながら、自分の顔に熱が集まっていることに気づく。視界いっぱいに広がる大理石の床がシャンデリアの光を反射していて、とても眩しい。
しかしそんな可愛げのないロゼの言葉に、ふ、と上から抜けるような息遣いが聞こえた。
「そうか」
顔を上げて見ると、ゼルドが、あのゼルドが口元を緩ませ笑っているではないか。
口端を上げるだけのものではない。榛の瞳を細め、厳つい眉を僅かに緩めたその微笑は、心を普段他人に見せない彼が表に出した感情の一部。業火のような熱情とも、狂おしいほどの執着とも違う、柔らかな心の部分だった。
それを見た瞬間、何か見えないものに引っ張られるようにしてロゼの心臓が跳ね、口から出んばかりに暴れはじめた。喧しいほどに鳴り響く心拍の所為か、肌が汗ばみ、急に呼吸を意識し始めてしまう。
急に眼を見開いてすべての挙動を停止したロゼは、なんとも不自然だっただろう。しかしそんなロゼの心内を知ってか知らずか、ゼルドの大きな褐色の手が、小さな亜麻色の頭を柔らかく撫で始めた。ロゼの綺麗にまとめられている髪に配慮してだろう、その手つきは普段のものよりも幾分か優しく、包み込むようなものだった。ぬくもりと安らぎをロゼに与える大きな手が、ゆっくりとかたちを辿るように撫ぜていく。節くれだった指が顎を擽った時、ロゼは猫のように気持ちよさげに喉を鳴らした。
親が子供にするような、愛情と慈しみの込められた行為。しかしそのなかに色づいた意味があることは、両者の瞳に求めるような光が宿っていることは、誰の目から見ても明らかだった。
「……あらぁ、まぁ」
「………………………………」
完全なる二人の世界に、ロゼの両親である二人はというと。セーナは驚いたように口を開け、アドルフは眉間に皺を寄せながら黙り込んでしまっていた。結婚云々はまだ早い、と考えているのが分かりきったようなその顔に、隣にいるセーナは苦笑いを零した。娘が家を出てから少し年を取った、しかし初老にはまだ至らぬ背が、今はとても小さく見える。子供の旅立ちを見送る親とはこのように頼りなさげで哀愁を漂わせるもなのかと、セーナはどこか他人事のように思った。その片割れは自分であるというのに、だ。
「それで、ロードさん。守備の方なのですが」
両親に恥ずかしいところを見られたと今更ながらに理解したロゼは、少しでも気を紛らわせようと大仰に一つ多きな咳ばらいをし、本題を切り出した。
「ああ。先程、無事邸宅内に侵入できたと報告があった。今後は予定通り、俺がロゼとご両親を警護する。副師団長様も、客として会場に潜入している。そろそろつく頃だろう」
思わぬ人の名に、ロゼは目を瞬かせる。あのご麗人の名がリストに載っていた記憶はない。今回の作戦のすべての統括を任されているレライも、確か副官は神殿に居残りだと、リストを手渡された会議の場で話していた。
「フランチェスカ様、ですか?しかし、神殿の者は私とロードさん以外は正式な参加者としては参加できないはず……なにか、身許偽造のようなことを行われたのでしょうか」
犯人側が神殿の者、特に御使いを警戒しているのは分かり切ったことだ。先程確認した屋敷の警備も、普通の夜会とは思えないほどに厳重で、庭には雇われの傭兵と思われる顔つきの厳つい男たちが数多くいた。今夜の舞踏会の主催者であるドーキンス氏は商才もあり、切れ者であるとアドルフからは聞いている。そんな者が神殿所属の者、それも御使いをやすやすと参加者として招き入れるとは思えなかった。恐らく客として潜入するという可能性も含めて、事前に招待者の身許は調べているはずだ。
「いや、彼女は身許を一切詐称していない。出自そのままに、招待客としての参加をドーキンス家に直接希望したようだ。ロゼに知らされなかったのは、直前に参加希望の手紙を送ったために承諾されるかの保障がなかったからだろう」
「出自を、そのままに……?待ってください。今日の舞踏会は身分の高い、もしくは懇意にしている商社の者しか参加していないはず。フランチェスカ様は――」
ロゼがそう言いかけたところで、会場が不自然に熱気立ち、騒然となった。近くで喋っているロゼの声を遮るほどの周りの声に、ゼルドも怪訝に眉を寄せる。周りの声から想像するに、どうやら有名な者が参加者として会場に現れたようだ。
ゼルドがあたりを見渡す。背の高い彼の視界を遮るものなどなく、人々の目線が集中している会場二階の一点に視線が辿り着く。そして、ああ、と納得したように声を上げ、ロゼに振り向いた。
「どうやら、無事に着いたようだな」
「……っえ、」
その言葉の対象が、今話に挙がっていたフランチェスカの事だと分かるが、ではなぜこんなにも周りは騒き、色めき立ち、高揚しているのだろうか。まるで今来た参加者が、普通ならば絶対にお目見えすることのできないような、遠く離れた尊い存在であるように。
―――二階層は、確か……――貴賓のための席。
そんなことを思い出しながら背伸びをし、人垣から様子を窺おうとするロゼを、傍らにいたゼルドが片手で抱き上げた。
両親の前で平然と抱き上げられたことにロゼは驚き、抵抗しようと腕をつっぱね――――二階席の方を見て、固まった。
「――フラン、チェスカ…様……?」
ロゼの目線の先には、貴賓席に辿り着く前に人々に囲まれ、困ったように微笑を浮かべている、一人の女性が、いた。身体の曲線美をこれでもかと美しく見せる、ドレープのドレス。そのドレスは彼女の空色の瞳と揃いの色だ。はちみつを溶かしたような、光加減によっては白金に輝く髪は緩く後ろに撫でつけるようにしている。嫋やかそうでいて、しかし凛とした、人々を魅了するようなその雰囲気は……ロゼの良く知る、あの麗人のものだ。しかし今の彼女は普段隊服をかっちりと着ている時とは異なり、スカートのドレープを広げながら二階の最も中央にある席にゆっくりと歩み寄り、周囲の熱を気にした風でもなく堂々とした佇まいで用意された一席に腰を下ろした。その堂々たる、どこか威厳を備えたさまは、まるで……
「フィードライド王国の、第二王女殿下だ。何とも、お美しい」
「本当に。初めてお目見えしたけれど、あの美しさなら噂にも納得だわ。ほら、どこかの国の王だか宗主様だったかが、彼女に求婚してこっぴどく振られたって話」
隣にいる夫婦らしき男女の話が、ロゼの耳に入り、頭をすり抜けていく。
そして、唐突に思いだした。ロゼの知る、彼女の、フランチェスカの名を。
フランチェスカ=フィード
フィードという名字は、土を司る神の子孫の国、フィードライド王国によくあるものだ。初代の神の名を持つかの国には、その名にあやかろうと、よく似た響の家名を持つ者が数多くおり、フランチェスカがその一つであるフィードの名を持つとことに懐疑する理由などなかった。
「……フランチェスカ=フィードライド」
吐息に載せて零した名前に、やっと理解する。
それが彼女の、本当の名なのだろう。このローザリンドから離れた場所にある、フィードライド王国の第二王女殿下。それはロゼの知らない彼女だったが、あの一目で心を奪われるような美しさと、真っすぐな心をそのまま表すような佇まいに、ああ成程、とどこか納得もできた。
―――遠い、人だったんだなぁ
寂しい、と感じてしまうのは自分勝手な事なのだろう。神殿での立場から考えても、親しみの感情を向けて良い相手ではない。しかし、ロゼが誘拐された時も、される前にも、何かと気にかけてくれたあの優しい麗人を思い出すと、胸がちくりと傷んだ。
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