32 / 85
第二章【氷】
氷の魔女
しおりを挟む扉が開き、向こう側から現れた一人の女。銀色の長い髪と、深い蒼の瞳。女神と見まごう程の美貌と、艶めかしい体を薄い布地のドレスで身を包んだ女。
「あらま、雛様じゃありませんの。何か御用かしら?」
「エリカ、ごはんたべた?」
「それがまだなんですの。いつもは用意をしてくれる弟子がいるんですけど、今ちょっと出戻り中で」
「じゃあシチューあるよ?」
「まあ、お呼ばれしてもよろしいの?」
「うん、エリカにおねがいあるから」
「あらま、そういうわけなら仕方ありませんわね」
にっこり、と艶めく微笑み。アレを世の男どもに振舞ったとしたら、いったいどれだけの男の運命を狂わせるだろうか。
雛と連れ立ってダイニングテーブルへと来た女は、俺を見て少し目を眇める。
「こちら、どなたですの?」
「えっとね、シグっていうの。おうとのギルドのぼうけんしゃさん。ひなのハーブティーのちゅうどくしゃ」
「おい待て誰がだ」
「シグひなのハーブティーすきでしょ」
「そう言われると嫌いじゃないが、中毒者って程じゃねえ」
「またまた~」
そのやり取りで察したのか、『氷の魔女』はクスリと笑って席についた。キッチンへと向かう雛の背中を見ながらもこちらに話しかけてくる。
「貴方も大変ですのね、雛様に気に入られて。まあ普通に生きてたのではできない経験ができますから諦めなさいな」
「察してもらったのは有難いが、何か間違ってるぞ」
ふふ、と笑うと『氷の魔女』はテーブルに両肘を付き、手のひらに自分の顎を載せてこちらをじっと見つめてきた。眩いばかりの美貌の主に見つめられて、少々居心地が悪い。少々どころではない、心臓に悪い。
女として魅惑的な、出るところはバッチリ出て、引き締まる所はキュッとした体つき。少なからず動揺している俺を面白そうに眺め、こう言った。
「・・・なるほど?メルキオールが変な事を聞いてくるかと思ったら。こういう事ですのね」
「っ、何を?」
「貴方から『羽根』の残滓を感じますわ。あの偏屈なメルキオールが目を掛けるのですから、どれほどかと思っていましたの。ああ、貴方のことを喋ってはいませんでしたわよ?」
そこに珠翠がシチューを運んでくる。雛はまたプリンを持ってきていた。おい、まだ食うのかよ。
いただきます、とまるで高貴な王族の姫君のようなマナー作法。食べる仕草も美しく、本当に爺さんが言う『女神』の名に相応しい。
「エリカ、じこしょうかいした?」
「あら、ワタクシとした事が。食事中でごめんあそばせ」
スプーンを置き、俺に向き直り座ったままでも優雅に頭を下げる。その仕草も完璧なもの。
「『黒』の魔女の高弟が一人、『氷の魔女』エリカ・ノーマンですわ、以後お見知り置きなさいませ」
「・・・シグムント・スカルディオ。王都ギルドで専属契約をしている冒険者だ。高位魔女の名乗りを受けられて光栄に思う」
「ではシグ、でよろしいですわね?ワタクシの事も『エリカ』と呼んでもよくってよ?」
「いや、それはちょっと」
あらまあ弁えてますのね、と言って食事を再開する『氷の魔女』。いや爺さんですら名前を口にしないのに、俺がやったらどうなるんだよ…
□ ■ □
『氷の魔女』が食事を終え、ワインを傾ける。その隣でプリンを食べる『黒』の魔女…何だよこの図。
「さて、雛様のお願いとは何ですの?」
「あのね、くすりのことなんだけど」
「なるほど、その事ですのね?」
チラリ、と俺を見る。その瞳には『師匠を煩わせるだなんて』と批難の色が見えた。確かにこれは俺が雛の好意を厚かましくも利用しているだけになる。しかし、雛はパタパタと手を振った。
「あ、ちゃんとたいかもらってるから。シグはきょういちにち、にゃもさんとあそんでくれたの」
「あらそうなんですの。見た目よりは出来る様ですわね」
「だからね、エリカにおくすりのこときこうとおもって。どんなかんじ?ひなわかんないから、きっとエリカのオリジナルだとおもうんだけど」
「ええ、あれはワタクシが『白の系譜』の子にレシピをもらって改良したオリジナルなんですの。ですからワタクシの弟子にも教えていませんのよ」
「つくれる?」
「そうですわね、構いませんわよ?」
「っ、ほ、本当か?」
「愚かな人間と違ってワタクシ達は嘘は付きませんのよ」
ただし、と『氷の魔女』は俺に向かって指を一本立てる。あれか、『対価』ってやつか?
しかしここで引く訳にはいかない。せっかく雛がお膳立てしてくれたのだ、ここで俺が頷かなければ意味がなくなってしまう。
「対価は俺が払う。『氷の魔女』、望みは何だ」
きゅっと釣り上がる、真紅の唇。形の良い唇が笑みを刻むのを見ながら、俺は机の下で拳を握りしめた。
10
あなたにおすすめの小説
いつか優しく終わらせてあげるために。
イチイ アキラ
恋愛
初夜の最中。王子は死んだ。
犯人は誰なのか。
妃となった妹を虐げていた姉か。それとも……。
12話くらいからが本編です。そこに至るまでもじっくりお楽しみください。
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
強い祝福が原因だった
棗
恋愛
大魔法使いと呼ばれる父と前公爵夫人である母の不貞により生まれた令嬢エイレーネー。
父を憎む義父や義父に同調する使用人達から冷遇されながらも、エイレーネーにしか姿が見えないうさぎのイヴのお陰で孤独にはならずに済んでいた。
大魔法使いを王国に留めておきたい王家の思惑により、王弟を父に持つソレイユ公爵家の公子ラウルと婚約関係にある。しかし、彼が愛情に満ち、優しく笑い合うのは義父の娘ガブリエルで。
愛される未来がないのなら、全てを捨てて実父の許へ行くと決意した。
※「殿下が好きなのは私だった」と同じ世界観となりますが此方の話を読まなくても大丈夫です。
※なろうさんにも公開しています。
婚約破棄したら食べられました(物理)
かぜかおる
恋愛
人族のリサは竜種のアレンに出会った時からいい匂いがするから食べたいと言われ続けている。
婚約者もいるから無理と言い続けるも、アレンもしつこく食べたいと言ってくる。
そんな日々が日常と化していたある日
リサは婚約者から婚約破棄を突きつけられる
グロは無し
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~
二階堂吉乃
恋愛
同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。
1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。
一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。
【完結】瑠璃色の薬草師
シマセイ
恋愛
瑠璃色の瞳を持つ公爵夫人アリアドネは、信じていた夫と親友の裏切りによって全てを奪われ、雨の夜に屋敷を追放される。
絶望の淵で彼女が見出したのは、忘れかけていた薬草への深い知識と、薬師としての秘めたる才能だった。
持ち前の気丈さと聡明さで困難を乗り越え、新たな街で薬草師として人々の信頼を得ていくアリアドネ。
しかし、胸に刻まれた裏切りの傷と復讐の誓いは消えない。
これは、偽りの愛に裁きを下し、真実の幸福と自らの手で築き上げる未来を掴むため、一人の女性が力強く再生していく物語。
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる