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25.書面での横槍

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 書斎はすぐに見つかった。
 ベッドルームの向かい側にある扉に鍵を差し込むとかちりと噛み合う。
 開くとその先はカーテンがかかり薄暗い状態になっていた。
 目を細め部屋を眺めると、飛び込んできたのは圧倒的な蔵書の数だった。
 圧倒されたリディアは思わずぽつりと呟いた。
 蔵書が詰め込まれた本棚が壁面にところ狭しと並んでいた。
 その最奥に執務机がある。

(クライヴ様って意外と読書家なのかしら……)

 リディアはそれにギャップを覚えると同時に感慨を抱いた。
 過去を打ち明けられクライヴのことを知れたと思っていても、またこうやって知らない面が垣間見える。
 
(そういえばユニコーンの伝承も知っていたし)

 自分の角の説明をシスター・ヴィエラがする時例えに出した霊獣のこともすらすら答えていた。
 勉強家の一面があるのだろう。クライヴの未知の面にふれてリディアは嬉しかった。 
 生活を共にするのはそういうことなのだ。
 そういう感慨に襲われながらリディアは奥へと進む。
 やがてクライヴに言われた執務机にたどり着く。
 その上には様々な書類や、クライヴに当てた手紙が置かれている。
 遠征があったせいもあり書類がうず高く積まれていた。

「えっと、一番下の引き出しだよね」

 大事な区画なようなので触らないように気をつけながら、リディアは執務机の前に立った。
 退院手続きの書類を作るために身分証明章がそこにある。
 一番下の引き出しは実を大きくかがめないと取れない場所にあった。
 身をかがめ、引き出しを開けた瞬間にぱっと埃が舞った。

「きゃっ……埃すご……ケホッ……あーっ!? て、手紙がっ」

 反射的に勢いよく引き出しを閉めた衝撃で、机が揺れた。 
 便箋が端からずりおち――ぱっと地面に落ちた。
 遠征に出て溜まっていたこともあるのだろう。
 うず高く積まれた手紙の山が衝撃で崩れた。

「あーあ……やっちゃった!」

 リディアは焦って取ってから手を話し、落ちた手紙を拾うのを優先した。
 設備の支払いの通知、軍人年金の領収書など様々だ。
 地面に散らばった手紙を拾い集めている中。ふとある一通に目が止まった。

(今朝の消印だ)

 真新しい封筒に目を奪われる。
 さらにそこには見慣れた連なりの文字が書いてあった

「え? ミズリーの名前?」

 手紙にはミズリー・フェスティアというあまりに見過ごせない名前が書かれていた。
 消印を見るとつい今朝届いたことになっている。
 リディアは迷った。クライヴに届いた手紙を勝手に見るのはまずいだろうと。

(クライヴ様……勝手に手紙を見てごめんなさい。でも……)

 脳裏には妹の憎悪に満ちた顔が浮かんでいた。
 あのときのミズリーには何を仕出かすかわからないほど怖い気勢があった。
 その不安が衝動的にその手紙を開かせていた。

「嘘でしょ……」

 その手紙の内容を見たリディアは――衝撃のあまりに硬直してしまった。
 口に手を開け呆然とする。

「リディア? 居るのか?」

 そのタイミングでクライヴが入ってきた。
 そして執務机のしたに座り込んで呆然としているリディアを見つけることになった。

「おいどうした? カーテンも開けずに座り込んで何を」

 肩を震わせるリディアを心配して近寄ってきたクライヴは、その手に握られている手紙を見つけた。

「リディア? どうした、その手紙がどうかしたか?」 

 後ろから手紙を覗き込んだクライヴの顔色がみるみるうちに変わった。

「これは……なんだ? 借してくれ」

 クライヴはリディアの手から手紙を引き離し、その文面をまじまじと見た。

「この度の遠征の功績を祝し、俺とミズリー・フェスティアとの婚姻を纏めることとする……だと?」

 呆然とクライヴはその手紙に書いてあったことを読み上げた。

「馬鹿な……なんだこれは。政略結婚にしたって強引すぎる」

 クライヴは口を手で抑えて、眉間にシワを寄せた。

「安心しろリディア。どこの誰が仕組んだかは知らんが、こんなふざけた縁談断ってくる」

 苦悶の表情のままクライヴはそう返答する。
 その目は怒りに満ちていた。
 想いが伝わってきて、リディアは思わず涙ぐみそうになった。

「そう言っていただけで嬉しいです。でも、この手紙の最後のこれ」

 リディアは震える手で手紙の最後の行を示した。
 それを見たクライヴの顔色が変わった。

「この署名は……クロウリー・フェスティア伯爵……? これは、まさか。リディアお前の」

「はい。私とミズリーの……父です。父はミズリーと貴方の結婚を望んでいるみたいです」

「っ……」

 そうリディアの父ということは当然ながらミズリーの父でもある。
 貴族社会の婚姻について、両親の承諾というのは非常に大きな意味を持つ。
 誰が仲を取り持ったか、誰が保証したか――ということが、貴族の婚姻においては大切なのだ。
 仲人と呼ばれる自分たちの位より上の貴族から推薦される形で決まるのが一般的な貴族の婚姻だ。

「それだけじゃない。ベルナルド公爵家の秘書官が二人、後見人として署名を」

 クライヴは手紙の下面を見て、口を手で覆った。
 公爵家の秘書官がミズリーを推薦する署名をしていたのだ。
 意図を表明する書類に、当主の印がつくことは珍しいため、秘書官の署名は事実上、公爵家の意思である。

「ミズリーが自分からが伝手があると言っていたな」
 
 クライヴは呆然と呟く。
 王に次ぐ国の重役のものである。その推薦は重い。

「どちらにしろ娘が輿入れするなら、親としては結果は同じではないのか?」

 はっと気づいたようにクライヴが提案する。
 リディアが結婚しようとミズリーが結婚しようとフェスティア家にとっては同じことだ。
 だがリディアは父の顔を思い出し――暗澹たる声で返した。

「父は、わたしとミズリーが天秤にかけられる時、必ずミズリーを推すと想います……」

 角が生えた自分を見る父の目は、あまりにも冷たかった。
 角付きの霊力は通常の治療に使えないため、聖女として大成できない未来が見えている。
 オマケにその異形で縁談すらままならない。
 ――そんなお荷物に年々父は落胆し、その隙間を埋めるようにミズリーが家の中心になった。
 夜会の手紙は全てミズリーの手にわたり、優秀な家庭教師もドレスも全てミズリーに与えられた。
 父はミズリーを推すだろうという確信がリディアにあった。

「それに公爵家が後見人になるような話を、父の立場では拒否できませんから」

 さらに厄介なのはこの公爵家がミズリーを推すところだ。
 父は争いを好まない人格でこうした権威に対して非常におもねる人だ。
 突っぱねるなどできはしない。

「公爵家の推薦署名……こんなことがありえるのか? 偽物ではないのか?」

「これがミズリーが仕掛けたことなら、ここにある署名は、本物だと思います」

 リディアはそんなクライヴに向けて所見を述べた。
 姉妹をやっていたリディアには、ミズリーが自慢をする時嘘を言わないのは知っていた。
 妹は、誇張することはあれど決して嘘は言わない。

「あの娘は自慢する時に嘘は言わないんです。人脈に自信ありと言っていた以上、これは本物です……」

 成果を喧伝することで自分を追い詰め、勤勉さをコントロールする術を自然と習得しているのがあの妹だ。
 だからこそ飛び級で主席という成績を維持していた。

『許せない……! 私をここまで虚仮にしてっ! あなた達、絶対に許さないから!!!』

 庭園でクライヴに拒絶されたミズリーが吐き捨てた言葉を思い出す。

(ミズリーが本気で牙を向いてきた。私はずっと今まであの娘に勝ったことがない……)

 ミズリーの権力への執着は凄まじいものがあった。
 それほどまでに執着する権力の実際的な強制力を目の当たりにして、リディアは身震いするほど打ちひしがれていた。

(私はこの人を奪われずにいられるのだろうか)

 これは人脈もなく権威もない自分にはどうしようもない。
 公爵家の後見人を押しのけるほどの繋がりが自分にはない。
 自分が手を動かして何か自体が好転するならここまで歯痒い気持ちにはならないだろう。
 でも今回はそれが……全く思いつけない。

「安心しろリディア。こんなこと許されるはずがない」

 呆然とリディアは立ちすくんでいると、クライヴに肩を抱きしめられた。
 そして意を決したように告げた。

「明日の叙勲式で、お前との婚姻を周知させてくる。お前の親だって説得してやる」

「クライヴ様……」

「いざとなれば願いを言う権利は、お前との婚姻に使うよ。だから……絶対にミズリーの好きにさせない」

「はい……ええ……信じてます……」

 リディアはクライヴの胸に顔を埋め、つぶやいた。
 彼のことを疑う気持ちは微塵もない。
 だが――歯がゆい。
 クライヴのたくましい胸板に身を預けても尚、リディアの胸中から不安は消えなかった。
 自分に出来ることが何一つ無く、ただ待つしか無いからだ。

(暗殺者に、ミズリーの謀(はかりごと)……明日の叙勲式は……どうなってしまうのだろう)

 自分の無力さが恨めしかった。
 それでもクライヴの言葉を信じて待つ以外にはない。
 リディアはそう自分に言い聞かせてクライヴの体に身を預けるのだった。


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