上 下
32 / 33

32.あなたのために

しおりを挟む

「く、クライヴ様っ! ご無事ですか!」

 リディアは三階の踊り場の扉を勢いよく開け放った。
 その瞬間脇目もふらずに叫ぶ。

「何者だッ!?」

「どうやってここに!?」

 列席者全員の視線がリディアを向いた。
 リディアの目に飛び込んできたのは異様な光景だ。
 列席者全員が立ち上がり、何かを囲むように人垣を作っている。
 クライヴの返答がないことにリディアは嫌な気配を感じ動いていた。

「ど、どいてっ! どきなさい!」

 嫌な予感に胸を打たれたリディアはその人垣に猛然と突進した。

「な、なんだこの女は!」

「どうやって入った!? 捕まえろ!」

 何人かがリディアに気づき、取り押さえようとする。
 周囲の手が伸びるが、リディアはそれを睨みつけ思い切り霊力を発動させた。

「離して!?」

「うわあああああああ!? 熱いッ!? なんだ!?」

 手を焼かれた貴族たちが身を引き、殺到する人間が押し戻された。

「ち、近寄るな。あの女に近づくと身体を焼かれるぞ!」

「あれで警備兵を退かしたのか!?」

 貴族たち全員、飛びかかる気力をなくし遠巻きにリディアを見るだけになる。
 そのすきを縫ってリディアは人垣の中心にたどりつき――そこで信じられないものを見た。

「クライヴ……様?」

 そこにいたのは、血まみれで地面に倒れ伏す、愛しい人と。
 それを見下ろし哄笑を浮かべている義理の妹だった。

「あらあら……本物が来たわ。遅いお付きねえお姉さま」

 笑うミズリーを一顧だにする余裕なく、リディアは狼狽して脇目もふらずにクライヴに駆け寄る。
 
「なんで……クライヴ様……血が……いやっ、今治しますから……」

 そして衣服が汚れることも構わず、鮮血に濡れた胸に思い切りすがりついた。
 その体は……冷たくなりつつあった。
 リディアはクライヴに向けて聖女の力を発動させる。

「嘘よ……嘘っ。治ってよ……! 目を開けてください。クライヴ様ぁっ……!」

 だがその光はクライヴの身体を通り過ぎても何も反応しない。
 そんなリディアの姿を、ミズリーは心底軽蔑するように見下ろした。

「無駄よ。死体に聖女の力は通じない。クライヴは死んだ。もう目を開くことはないわ」

 冷たいその言葉を拒むようにリディアは首を横に振る。

「嘘だ……嘘だぁっ!」

 リディアは聖女の力を使い続ける。だがその光はクライヴを通り過ぎ、消えていくだけだ。

「ほんとに物わかりが悪い! クライヴは私に負けたの! だから殺されて奪われるのよ!」

 ミズリーの吐き捨てるような言葉が深々とリディアの胸に突き刺さった。
 抱きしめたクライヴの身体はもう熱が失われつつあり、触れた箇所どこにも生命の脈動がない。
 信じたくない現実が押し寄せてくる。
 リディアは震える声で呆然と問いを発した。

「ねえミズリー。どうして、どうしてこんなことするの?」

 冷たくなったクライヴの体の熱を補うように強く抱きしめながら、リディアは震えながらミズリーに問うた。

「貴女は地位を、幸せを……なんで……人から奪うことで得ようとするの?」

 姉妹の瞳が交錯する。
 そしてリディアは、こうして問いを躱し合うことさえ自分たちは行ったことがないことを思い起こしていた。
 もう少し早くこうしているべきだったとリディアは悔やんだ。
 この瞬間、周囲に広がる全てがあまりに何もかも――遅すぎた。

「は? いまさら何いってんのあんた?」

「ミズリー! クライヴ様はね!」

 ミズリーは吐き捨てるように口の端を歪めて笑みを作った。
 リディアが何を言ってるのか本気で理解できない表情だった。

「ずっと一人ぼっちで戦って、傷ついて、それが今日ようやく報われるはずだった」

 リディアは動かないクライヴをぎゅっと抱きしめながら言葉を続ける。

「ずっと会いたかったお父様とようやく会えるはずだったのよ! それを貴女は! う、ううう……」

 そこまで告げて、ついにこらえきれなくなったリディアの瞳から涙が溢れた。
 ただ悲しかった。
 もう少しでクライヴは父とわかり会えるはずだったのだ。
 でも、それはもう……永遠に訪れない。

「家族と会う? それがクライヴの戦場に行く理由ってわけ? ……くっだらない」

 リディアの言葉はまるでミズリーに届かない。

「くだらなくなんてない! それを否定するのだけは絶対に許せない!」

 それどころか、ミズリーはクライヴの生き方を否定する。それにリディアは目をむいて怒りをあらわにした。
 リディアにとってそれは人生で初めて経験する心頭極まった怒りだった。

「吐き気がするほどお花畑ねリディア! 家族の情愛? そんなものじゃ誰も救われない!」

 だがそんな怒気を真っ向から受け止め、ミズリーは声を負けないように張り上げる。

「なんでそこまで他人を敵のように……!」

「当たり前でしょう! 黴びたパンを食べていた私の生活は、貴女のパパに拾われて劇的に変わった!」

 その言葉にリディアは伝え聞いたミズリーの出自を思い出していた。
 ミズリーの母はかなり身分の低い零細貴族の出身だと聞いたことがある。
 その暮らしはリディアには想像を絶するものだろう。

「ママが再婚してから私の世界変わったの。きれいなドレス。美味しい食事、聖女の留学! こんな世界! 想像だにしなかったわ!」

 ミズリーは恍惚に天を仰ぎ、酔ったように叫んだ。

「地位が! 富かさだけが私を救ったの! それ以外のことは全部綺麗事よ!」

 リディアも負けずにそれに対して言葉を連ねる。

「貴女に与えられたそれは、お父様の持ち物よ! それを得られたのは、お父様が貴女に愛情を注いだから!」

「愛情!? ふざけないで! 結局のところ、愛だの言えるのは豊かな人間の余裕よ!」

 だがそれでも、父がミズリーを気に入り本当の娘のように育てたのは損得だけに寄るものではないとリディアは思う。
 だがそんなリディアの返答に心底失望したような舌打ちをしたミズリーはリディアの真正面に来て、怒声を上げた。

「まだわからないのリディア! あんたのママが生きてたらね、私は永遠に貧乏のままだったのよ!」

「なっ……!?」

「あんたのママがパパの隣にいたら、私の居場所はなかったの! その地位を奪ったから、私たち親子は豊かになれた!」

「っ……そんな風に物事を捉えて……」

 あまりに隔絶した認識にリディアは言葉に詰まった。
 そこにあるのは立場を利で考える冷徹な論理だけだ。

「いい!? この世界にある幸せは有限なの! 誰かを蹴落とさないと、幸せは永遠にこちらに来ないのよ!」

 ミズリーの目から見た世界は、あまりにも残酷な世界だった。
 その荒廃した世界にリディアはただ虚しさを感じた。

「違う! 違うよミズリー……!」

 その言葉の冷徹さに飲まれそうな自分を、腕に抱きしめた重みが否定する。

「クライヴ様は……どんなひどい目にあっても誰も恨まずに、自分だけを犠牲にして大切なものを取り戻そうとした! それはもうすぐ叶ってた……!」

 ミズリーの示す世界の有り様とクライヴが成し遂げたことは違う。
 母を生贄にされ殺され。
 貴族たちに蔑まれ王都から終われ。
 その先でも失望した彼は。
 ――それでも、自分の境遇を誰かのせいにするようなことはしなかった。

「そんなこの人が……この人の想いが……世界で一番好きだったのに……」

 リディアはぼろぼろと涙をこぼしながら冷たくなったクライヴを抱きしめた。
 そんな彼を自分は好きになったのだ。
 きっとそんな彼でなければ、こんなにも好きにはならなかった。

「ああそう。言ってなさいよ!」

 ミズリー泣き伏すリディアに向けて心底侮蔑するように舌打ちした。

「この状況を見られたあんたを生かしておく理由がないことくらいわかるわよね?」

 そして右手の匕首をリディアの鼻先に突きつける。
 リディアの眼前にきた切っ先から地面に血が落ちた。
 固唾を呑んで氷のように止まっていた場の時が、それによって溶けるように動き出した。
 血を忌避した貴族がその飛沫を避けるように身体をのけぞらせ、周囲が勢いよくざわつき始めた。

「な、なあミズリー……本当におまえ、姉まで殺すのか?」

 シェルザスの困惑した声が後ろから聞こえた。
 それに鬼気迫る勢いで振り向いたミズリーは叫ぶ。

「当たり前でしょシェルザス! あんたたちが手を汚すのが嫌っていうから私がやるの!」

 ミズリーのその言葉が途中で困惑とともに消えていく。
 周囲を取り囲む貴族たちのミズリーを見る視線が明らかに変わっていた。
 貴族たちの視線が一斉にミズリーに降り注いだ。
 
「あの女……く、狂ってる……」
 
 ミズリーを見る周囲の目がおぞましいものを見るような目になっていた。
 だがミズリーはそれに気づかない。
 彼女が夢見た権力者たちの全員に今や彼女は怪物のように見られている。
 そんなミズリーは、目を血走らせてリディアへと切っ先を向けて歩き出す。

「リディアッ! そうやって夢みたいなことを言ってるあんたは、奪われて死ぬのよ!」

 近づくミズリーに、リディアは目を伏せた。
 そしてうつむきながら――ポツリと呟いた。

「いいよミズリー……死んであげる」

 そして真っ向からミズリーを睨み返した。
 さしものミズリーも予想外の返しにぽかんとしたが、すぐに勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

「諦めだけは本当に良いわね! そこだけは本当に好きよ!」

 ミズリーの気色ばんだ笑みをそれでも強く睨み返し、リディアは涙で濡れた顔を天に掲げた。

「でもねミズリー……貴女には殺されない。私は――クライヴ様のために死ぬ」

 その瞬間だった。

「うっ!?」

「なんだ!? 光が!?」

 異変に、周囲の貴族が叫んだ。
 明らかな異変がリディアとクライヴの周囲に起こっていた。
 光だ。
 霊力の発生させる太陽光のような光が二人を覆っている。
 その中心はリディアだ。
 リディアの全身から光が漏れて出ている。

「クライヴ様……目を覚まして……」

「霊力の光……!? リディア! あなたっ! 何をする気――!」

 ミズリーが叫んだ瞬間だった。
 先ほどとは比べ物にならないほどの凄まじい光がフロア中を駆けた。
 
「う、うわあっ!? 光に……押されっ!? ぐあっ!?」

 シェルザスもその光に薙ぎ払われ、吹き飛ばされ壁に激突して昏倒した。
 同じように壁に激突した貴族はその衝撃でかなりの数が昏倒していく。

「こ、これがリディアの本当の力!? きゃああああああっ!?」

 目が開けていられないほどの強烈な閃光だった。
 その光はあまりに強烈な密度であり、物理的な衝撃を兼ね備えていた。
 それは周囲の貴族をを弾き飛ばす。
 
「ガハッ!?」

 貴族たちは壁に激突し、押し付けられその力で意識を失った。
 ミズリーもそれに巻き込まれ、弾き飛ばされた。
 衝撃で持っていられなくなったその手からナイフが吹き飛ばさる。
 すんでの所でミズリーは柱に捕まり、壁への激突を防ぐ。

「こ、こんなふざけた力……術者がただですむわけない!」

 嵐に拭き散らかされるように身を苛まれるミズリーは、ヒステリックに叫んだ。
 こんな無茶苦茶な力、リディアがいかに凄まじい才能を持っていても出せるはずがない。
 限界を超えた力が現出しているのは、命をかけて力を発しているからに他ならない。
 リディアはいま限界を超えた力を発揮していた。
 ……それに代償がないはずがない。

「ねえあんた馬鹿なの! どれだけ凄い霊力でも、死体に浴びせて生き返るわけない! 無駄なの!」

 ミズリーは壁への激突を防ぐべく、なんとかリディアに光を止めさせようと叫ぶ。

「霊力の使いすぎで精神力が枯渇してしまえば肉体も死ぬのよ! そうやって死ぬ気なのリディアーっ!」

 だがそんな脅しはもうリディアの耳ははいっていなかった。
 荒れ狂う霊力の渦のその中央で、リディアはただクライヴの顔を見つめていた。
 このダンスホールを覆っていた悪意や妹との柵も今はもうリディアの脳裏にない。

(クライヴ様……生きて……生きてください……)

 祈りを捧げるように。
 眼の前のただ愛しい人の無事をリディアは願った。

(私はそれだけで良い――)

 リディアの顔に異変が起こった。
 その額の角が、まるで光熱にかけられたように赤色化した。
 リディアの脳に凄まじい苦痛が襲った。
 角が熱を持ちそれが根本に伝わる。それは焼けた杭が体の内部で暴れまわっているような、おぞましい感覚を伴った。

「ああああああああああああああああっ!」

 リディアはその苦痛に叫んだ。
 だがそれでもその力は収まらない。光はますます強くなっていく。
 
「まだ強く――」

 もはや無駄と悟ったミズリーはただ呆然とその光を見つめてた。
 そして周囲の目がなくなった世界でミズリーは純粋にその光を見て――ぽつりとつぶやいた。

「――――このひかり、きれい」

 その瞬間だった。
 広間全体を薙ぎ払うようだった光は、吸い込まれるようにリディアと彼女が抱きしめるクライヴの元へと収束していく。
 光はまるで繭のように二人を包み――そして――。

「きゃああああああっ!?」

 収束した光は一瞬の静寂の後爆発した。
 凄まじい空気を破裂させるような音が響きフロア全体を光が薙いだ。
 あまりの激しい光にミズリーは目を伏せる。
 その光は天を貫くような柱になった。

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

生徒会長の弟の恋愛感情

BL / 連載中 24h.ポイント:284pt お気に入り:49

あなたに愛や恋は求めません

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:104,151pt お気に入り:8,900

用済みの神子は、お人形として愛されています

BL / 完結 24h.ポイント:589pt お気に入り:9

痴漢されちゃう系男子

BL / 連載中 24h.ポイント:404pt お気に入り:137

脇役転生者は主人公にさっさと旅立って欲しい

BL / 連載中 24h.ポイント:16,894pt お気に入り:316

処理中です...