次は、隣に立つ

まんじゅうたろウ

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一話

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王城は、すでに戦場だった。

 崩れた天井から降る石屑が、床に散らばっている。
 炎は壁を舐め、赤く揺れながら天へと伸びていた。
 空気は熱く、焦げた金属と血の匂いが混じり合って、喉の奥にまとわりつく。

 ヨハネス・フォン・ファルケンシュタインは、大広間の奥に立っていた。

 魔法陣も、杖もない。
 ただ、黒い外套を羽織り、両手を下ろしたまま。

 彼の視線の先には、一人の青年がいる。

 黒髪。
 赤い瞳。
 剣を握る手には、迷いがなかった。

 アラステア。

 甥であり、
 いつからか、名前を呼ばなくなった存在。

 青年の足元には、すでに倒れ伏した者たちがいた。
 王族の護衛、近衛兵、逃げ遅れた貴族。
 生きているかどうかを確かめる者はいない。

 アラステアは、ただ前を見ている。

 その先にいるのは、
 玉座の裏へと追い詰められた王族たちだった。

「待て!」

 誰かが叫ぶ。
 必死で、縋るような声。

 ヨハネスは、その声に反応しなかった。

 彼の視線は、終始、青年の背中だけを追っている。

 あの背中を、
 いつからこんな距離で見るようになったのか。

 思い出そうとして、やめた。

 思い出す資格がないことくらい、分かっている。

 アラステアが、ゆっくりと剣を持ち上げる。

 その動きは、あまりにも静かで、
 周囲の混乱とは切り離されているように見えた。

 ――このまま、終わる。

 そう思った瞬間、
 胸の奥に、言葉にならない違和感が走った。

 恐怖ではない。
 怒りでもない。

 ただ、ひどく、静かな衝動。

 ヨハネスは、一歩、前に出た。

 床に転がる瓦礫を踏み越え、
 炎の熱を受けながら。

 誰かが彼の名を呼んだ。
 止めようとする声も聞こえた。

 それでも、足は止まらない。

 アラステアの剣が、完全に振り上げられる直前。

 ヨハネスは、その前に立った。

 剣と、王族の間に。

 空気が、一瞬で凍りつく。

 アラステアの赤い瞳が、こちらを捉える。
 その視線は冷たく、鋭く、そして――どこか疲れていた。

「……どけ」

 低い声。

 命令に近い響き。

 ヨハネスは、首を横に振った。

「できない」

 それだけだった。

 理由も、説明も、ない。

「今さら、何の真似だ」

 アラステアの声には、嘲りが混じる。

 正しい反応だ。
 そう思った。

 ヨハネスは、何も言わない。

 ただ、その場を動かなかった。

 ほんの一瞬。
 剣を握る手が、わずかに強くなる。

 次の瞬間、
 剣が振り下ろされた。

 痛みは、なかった。

 胸を貫く衝撃と、
 足元が崩れる感覚だけ。

 床に倒れながら、
 ヨハネスの視界に、炎に照らされた天井が映る。

 音が、遠ざかっていく。

 赤い瞳が、わずかに揺れたように見えた。

 ――気のせいだろう。

 意識が薄れていく中、
 ヨハネスは、ひとつだけ思った。

 これ以上、進ませなかった。

 それだけで、いい。

 世界が、暗転する。






 本は、部屋のあちこちに積まれている。

 床にも、机の上にも、ベッドの脇にも。
 ジャンルは統一されていない。
 仕事の合間に買った専門書、エッセイ、小説。

 男はその中から、一冊を手に取った。

 今日読んでいたのは、現代小説だ。
 厚みのあるハードカバーで、途中まで栞が挟まっている。

 ページをめくりながら、男は無意識に息を整えていた。
 こうして本を読んでいる時間だけが、
 仕事と仕事の間に残された、数少ない余白だった。

 ふと、視線が本棚に向く。

 奥の方に、背表紙の色が少し違う本が並んでいる。

 剣と魔法。
 貴族と王族。

 昔、流行っていたファンタジー小説だ。

 全巻揃えたのは、何年前だったか。
 確か、話題になっていたから一気に読んだ。

 設定は細かくて、
 名前はやたら長くて、
 正直、全部は覚えていない。

 でも、最後まで読んだことだけは、覚えている。

 「……懐かしいな」

 独り言のように呟いて、
 男は視線を本に戻した。

 今は、これを読む気分じゃない。

 再びページをめくる。

 しばらくして、
 胸の奥に、違和感が走った。

 息が、うまく吸えない。

 「……?」

 最初は、疲れだと思った。
 最近、少し無理をしていた自覚はある。

 だが、痛みは引かない。

 胸を内側から掴まれるような感覚。
 視界が、わずかに揺れる。

 男は本を閉じ、立ち上がろうとした。

 足に力が入らない。

 「……っ」

 声にならない音が喉から漏れる。

 床に落ちた本が、鈍い音を立てた。
 それが、自分の手から落ちたものだと理解する前に、
 視界が急速に暗くなっていく。

 思考が、ばらばらになる。

 救急車を呼ばなきゃ、とか。
 仕事どうしよう、とか。

 そんな現実的な考えが、途中で途切れた。

 最後に見えたのは、
 視界の端に並んだ、本棚だった。

 剣と魔法の背表紙が、
 やけに遠くに見える。

 ――そういえば、あれ、結構重い話だったな。

 そんな、どうでもいいことを考えたところで、
 意識は完全に途切れた。

 次に目を開けたとき、
 天井が、知らないものだった。

 白くない。
 低くもない。

 彫刻の施された天蓋が、視界いっぱいに広がっている。

 「……?」

 喉から、間の抜けた声が漏れる。

 体を起こすと、
 柔らかすぎる寝台が、静かにきしんだ。

 部屋は広く、静かで、
 どこを見ても見覚えがない。

 石造りの壁。
 重厚なカーテン。
 装飾過多な家具。

 夢だ、と判断するには、
 触れた感触が現実的すぎた。

 部屋の隅に、姿見がある。

 嫌な予感を覚えながら、近づく。

 鏡の中に映っていたのは、
 ――あまりにも、整いすぎた容貌だった。

 淡い銀色の白髪は、寝起きのままわずかに乱れている。
 それでも重さを感じさせず、光を含んで静かに落ちている。伏せられた睫毛も同じ色をしていて、白い肌に影を落としていた。

 顔立ちは、非の打ちどころがない。
 鋭さも甘さもなく、人間らしい癖だけが最初から存在しない。
 美しいというより、現実にあることが不自然だった。

 視線が合う。

 瞳は、色素の薄い紫色。
 アメジストを水に沈めたような淡い色が、
 光の角度で、ほとんど無色に近づく。

 生きた感情を映すというより、
 ただ静かに世界を映し返すための瞳。

 「……俺、か」

 声が零れた。

 低すぎず、高すぎない、澄んだ音。
 雑音のない、それ自体が美しい声だった。

 その声が、この容貌から発せられることに、
 違和感はない。

 少なくとも――
 平凡な人生を送ってきた自分のものではなかった。
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