水の流れるところ

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今日は映らないのか

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 それからは、そのくだらない体裁を守るために千晃は医者を目指し、小児科医となった。家族からできるだけ離れるために、父親の病院には勤めず、東京で生活することを選んだ。

 あの時。東京に行くことで、ようやく自由を手に入れたと思っていた。しかし。

 携帯をソファに投げ置いた。千晃が真面目な生活に戻った途端、何もなかったかのように接してくる父親に、今でも縛られ続けている。あれほど無関心だったくせに。「医者」というステータスが付いた息子を、さも自分が育て上げたかのように振る舞う勝手さに反吐が出る。

 突然、ふわっと、香水の匂いが漂った。さっきの女のモノだった。その事実に嫌悪感を覚える。体にもまだ染みついているような気がする、あの女の匂い。継母が付けていたキツくて甘ったるい香水を連想させた。

 女を抱いた後にシャワーを浴びたのに。もう一度体を洗いたい衝動に駆られて立ち上がる。浴室へと向かった。

 浴室に入ると、鏡をまず確認する。もう癖のようなものだった。

 今日は映らないのか。

 そう思いながら、服を脱ぎ始める。

 数ヶ月前。千晃は不思議な体験をした。あれは病院のトイレの中だった。あの時、千晃はかなり落ちていた。担当だった入院中の女の子が急死したのだ。難病であり、治る見込みはほぼなかった。しかし、こんなに早く別れることになるとは予想していなかった。

 職業上、こういう状況は慣れていると思われがちだが、千晃に関してはこの無力感に一向に慣れることはなかった。そんな中で急患が立て続けに入り、疲労もかなり:まっていた。

 そういう時。千晃の中にはある発作にも近い感情が生まれる。千晃が決して手に入れることのできないものを求める感情。求めてもどうしようもないことに対する苛立ち。それが一度起きると、冷静を保てなくなった。人を容赦なく傷つけてしまうような気がして、いつも人気のいないところへ閉じこもる。

 こういったストレスを負った場合、ある行為を行うことで副交感神経が高まり、ストレスを軽減できるという説がある。例えば、熱いシャワーを浴びる、ゆっくりと自分の呼吸を数えるなど。人によって行為は異なるらしいが、千晃の場合は、流れる水で手を洗うと、その感情が落ち着くことが多かった。そんなわけで、千晃が閉じこもるのは、総じて水がある場所だった。
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