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第6章 フォース・オブ・ザ・デッド パートⅢ

その8

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 だが、二人は数歩も歩かぬうちに、足を止めることになった。


「きゃああああああああああーーーーっ!」


 この日幾度となく聞いた女子生徒のあげるけたたましい悲鳴が、廊下に響き渡ったのである。しかも、その悲鳴の出所は──。

「この部屋から悲鳴が聞こえてきたよ!」

 キザムは三組の教室の扉に鋭い視線を飛ばした。そこはカケルが入れられるはずだった教室である。

「おい、今の悲鳴はなんだ? 何か起きたのか?」

 防火シャッターの方に歩いていた村咲も悲鳴を聞いたのか、すぐに走ってこちらに戻ってきた。

 三組の教室は怪我人を運び入れているということで、窓のカーテンは全部締め切られており、廊下から中の様子を伺うことが一切出来なかった。悲鳴の原因を探るには、ドアを開けて教室内を確認するしかない。

「おれが中の様子を見てきます」

 カケルをここまで運んできた三年の生徒が、三組の教室のドアに近付こうとする。

「いや、迂闊に近づくのは危険過ぎるぞ」

 カケルが注意するように呼び掛けたが、自分の体格によほど自信があるのか、それとも弱っているカケルの言葉などはじめから聞く耳を持たぬのか、男子生徒は教室のドアに手を掛けて、躊躇うことなく開け放った。


 次の瞬間──。


 教室の中から不気味な蒼白い手が1本にょきりと顔を見せたかと思うと、男子生徒の右手をがっちりと掴んだ。そのまま力尽くで教室の中に引きずり込もうとする。

「うおわっ!」

 男子生徒は悲鳴をあげながらも、左手で壁を掴んで、必死に抵抗する。

「な、な、なんだ? こ、こ、こいつ……様子がおかしいぞ? ダ、ダ、ダメだ! 力が強すぎて、このままじゃ手が取れちまうよ! 誰か助けてくれっ!」 

「カケル、ここで待っていてくれ」

 キザムはすぐさま男子生徒の助けに向かった。だがキザムの動きよりも早く、教室の中からさらに数本の蒼白い手が伸びてきた。

「うがわああああああーーーーっ!」

 まるで手品でも見せられたかのように、男子生徒の姿が一瞬で目の前から掻き消えて、教室の中に引っ張り込まれてしまった。

 それでもキザムは諦めることなくドアの前で行き、男子生徒を助けるべく教室の中に入ろうとしたが、そこで足が竦んでしまった。

「────!」

 カーテンの締め切られた教室内は、すでに地獄絵図と化していたのだ。

 床一面に広がった血溜まり。そこかしこに無造作に転がっている人体の一部と思われる肉片の数々。先ほどの悲鳴の主と思われる女子生徒と、たった今引っ張り込まれた男子生徒に群がる、ゾンビ化した生徒たち。

 ある者は女子生徒の胸に喰らい付いている。またある者は男子生徒の顔面の肉をこそぎ落とそうと躍起になっている。

 二人とも全身を痙攣させたかのようにぴくぴく動かしていたが、その動きもすぐに止まるであろうことは、瞬時に察知出来た。もう手を付けられないほど二人の身体は、ゾンビ化した生徒たちに喰われていたのである。

 おそらく怪我人の中にゾンビに噛まれた生徒が何人か含まれていたのだろう。やがて教室内でゾンビ化し、怪我をして身体を休めていた他の生徒たちを次から次に襲ったに違いない。

 ゾンビ化した生徒は六体いた。この場で六体のゾンビをすべて倒すことはとてもじゃないが出来そうにない。

 キザムが次の行動に躊躇していると、村咲が隣にやってきた。当たり前のように教室の中を覗こうとする。

「村咲さん、中を見てはダメです」

「どうしたんだ? 早く中に入って確認しないと──」

 村咲はそこまで言ったところで言葉を失った。キザムの制止する言葉を無視して、教室の中の様子をその目で見てしまったのだ。

「お、お、おい……あ、あ、あれは……なんなんだ……? ま、ま、まさか……あれがこの事態を引き起こした……連中なのか……?」

 生徒会長らしからぬ覚束なげな声を漏らす。目の前の光景が信じられないのか、それとも自分の見ているものを必死に否定しようとしているのか、首を左右に何度も細かく振っている。

「村咲さん、隠れてください!」

 キザムはドアの真ん中で立ちすくんでいる村咲の身体を壁際まで引っ張った。それから音を立てぬように静かにドアを閉じていく。

 幸い、教室内のゾンビは新しい餌に夢中になっているのか、キザムたちの様子に気が付くことはなかった。

「怪我人の中にやつらに噛まれていた人間が含まれていたってことだな」

 淡々と告げるカケルの声は、しかし村咲には届かなかったみたいだ。村咲は全身の力が抜け落ちたように、壁に背を預けて蹲ってしまっている。

「キザム、教室の中はどんな感じだったんだ?」

「地獄だよ……。あの悲鳴の主と思われる女子生徒と、さっきの男子生徒の身体に、数人のゾンビが群がっていた……。あれじゃもう助けようがないよ……」

「教室内にいた生徒は全員ダメそうか?」

「ああ、ゾンビ化しているか、喰われたかのどっちかだったよ……。怪我人は全滅だよ……」

「くそっ……。くそっ……。僕のせいだ……。僕のせいだ……。僕がもっとしっかり怪我人の程度を見極めていれば、こんなことにならずにすんだはずなのに……」

 村咲は自責の念にかられて、自分自身を責めていた。

「あんたはオレたちから感染の話を聞くまで、事情を知らなかったんだから仕方がないさ」

 カケルが村咲を慰める。

「そんなの言い訳にしかならない……。僕はある程度の危険は予測していたんだからな……。その予測が甘かったんだ。だとしたら、すべての責任は僕にある……」

「村咲さん、そんなに自分を責めないで下さい。村咲さんはやれることはやったんですから」

「その結果がこれだぞ……。この教室には十人近い怪我人を休ませていたんだ……。それが全員……全員……全員……」

 村咲の言葉は最後には嗚咽になっていた。実際、村咲は目から涙を流していた。生徒会長としての責任を痛感しているのかもしれない。

「でも、あんたのその判断のお陰で、他の生徒に感染することはなかったんだ。あんたは正しい判断をしたんだよ」

「教室内に怪我人の様子を見させる生徒を配置しておくべきだったんだ……。そうすれば被害は最小限に留めることが出来たかもしれないのに……」

「いや、そんなことをしていたら、逆に今ごろその様子を見ていた生徒も襲われて、犠牲者はもっと増えることになっていたはずさ」

「じゃあ、僕はどうしたら良かったというんだ?」

「なあ、あんたはこの学校の生徒会長なんだろう? だったら過ぎたことで悔やんでいないで、今すべきことを考えて、行動に移らなきゃいけないんじゃないのか? そうしていつまでも悔やんでいても、死んだ生徒は戻ってこないんだぞ」

 カケルの言葉は一見するとぶっきら棒に聞こえたが、その言葉の裏には村咲を労る気持ちが隠れていると、キザムには分かった。カケルはこういう男なのだ。

「でも相手は化け物なんだろう? 僕は一介の生徒会長に過ぎないんだ。正義の味方じゃないんだよ!」

「正義の味方にはなれなくとも、生徒の為に何か出来ることはあるはずだぜ」

「生徒の為に出来ること……? 僕は生徒の為に何が出来るんだ? 何が出来るんだ?」

 カケルの言葉が響いたのか、村咲が何やら考え始めた。

「これで少しは元気を取り戻したみたいだな」

 カケルが優しい眼差しで考えに没頭する村咲を見やる。

「──よし、決めたぞ」

 一分もしないうちに村咲ががばっと顔を上げた。

「ここにいるのは危険過ぎる。一階に降りるのは危険だと思って三階に待機していたが、君らがさっきここまでゾンビを連れてきてくれたということは、一階に降りてももう危険はなくなったと考えていいんだろう?」

「ああ、一階のゾンビは全部オレたちを追ってきたはずだから、今一階は人っ子ひとりいないはずだ」

「そういうことなら、君らが逃げてきた廊下とは反対側の階段を使って、これから全員で一階まで降りて、そこから校庭に逃げることにする」

「ようやく生徒会長らしい顔付きに戻ったな」

「おまえの減らず口に付き合っている暇はない。ここからは君らにも手伝ってもらうからな」

 村咲らしい口調でカケルに言い返す。どうやら本調子に戻ってらしい。

「ああ、始めからそのつもりだよ」

「うん、ぼくらに出来ることは何でもするよ」

 カケルの言葉に、キザムも頷いて賛同を示した。

「それじゃ、今からやることを伝える。──まず君らは四組と五組の生徒に避難するように順番に声をかけてくれ。反対側の防火シャッターの開閉も頼む。一応、完全に開けきってしまう前に、外にゾンビがいないかちゃんと確認してくれ。僕は一組と二組の教室にいる生徒たちに順番に声を掛けて、校庭に避難する旨を伝えていく。体育会系の部員がいたら、三組の教室の前にイスと机を使って、頑丈なバリケードを築いてもらうように言ってくれ。やつらを外に出さないためには、それが一番の方法だからな。これ以上犠牲者を出さないように、万全の体制で行動する」

「でも、いきなりバリケードを作ると言っても、他の生徒たちは納得してくれるかな?」

 キザムは疑問に思ったことをそのままに口に出して訊いた。

「そこはウソをついてでも説得するしかない。だいたい、本当のことを言ったところで誰も信用しないだろうからな」

 村咲は強行策でいく腹積もりらしい。

「分かりました。説得するだけしてみます」

「それから廊下を歩くときは、足音に気をつけるように忘れずに言ってくれ」

「はい、分かりました」

「それじゃ、今から避難行動に移るぞ」

 三人は互いに顔を見合わせて、何も言わずに一回大きく頷いた。

「よし、僕は行くから」

 村咲が足音を立てぬように一組の教室に向かう。

「よし、オレたちも動くぞ」

「カケル、体調は大丈夫なのか?」

 その点が不安材料としてあった。

「心配するな。さっきと比べたら、だいぶ落ち着いてきたからな。それにオレはまだゾンビになるつもりはないから。もしもオレがゾンビになりそうになったら──」

 カケルが服の下からちらっと拳銃の銃口の先を見せた。

「こいつで迷うことなく自分の頭を撃ち抜くつもりだ。周りには迷惑をかけるつもりはない」

 どこまで本気なのか分からないが、カケルの意気込みは感じられた。

「そこまで言うのならば大丈夫だね」

 キザムはカケルの右手を取って自分の肩に掛けると、まずは隣の四組に向かって歩き始めた。
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