1 / 1
第1章:ポテト、正義を名乗る
しおりを挟む
◆ 注意されてムカつく
「正直言っていい?あのコンビニの店員、マジで俺にケンカ売ってたわ」
ポテトはポテスピに火をつけると、灰皿の代わりに使っているカップラーメンの空き容器に灰をトントンと落とした。煙が鼻の穴にまとわりつき、口臭と混ざって部屋の中に拡散していくが、換気なんてしない。窓はカーテンで塞がれ、昼か夜かもわからないその部屋の主、つまりポテトは、今日もパンツ一枚で椅子にふんぞり返っていた。
ことの発端は昨夜。深夜2時すぎ、酒とタバコとカップ麺を買いに行ったいつものコンビニでのことだった。
「店の中でタバコ吸うのやめてください」
たったそれだけの一言だった。だがポテトにとって、それは「挑発」だった。
「しらねーよ、別に吸ってねぇし」と返したポテトに、若いバイトの男は困った顔をした。だが、その顔こそがムカついた。何様のつもりだ。こっちは“客”だぞ。しかも常連。毎日のように来てるんだから顔も名前も覚えてるだろうに、それでもこんな冷たい態度?
「あーね、わかった。じゃあ、覚えとけよ」
そう捨て台詞を吐いて、ポテトはレジ袋を奪うように持ち帰ってきた。そのあと5時間、ポテスピを吸いながら「マジで腹立つ」を100回くらい口にして、ネットで「コンビニ 店員 訴える」で検索した。
「名誉毀損、威圧行為、精神的苦痛……お、慰謝料請求って書いてあるやん。ガチレスすると、これ勝てるだろ」
なぜ勝てるのか、自分でも理屈はわかっていない。ただ“俺は悪くない”という前提から思考を始めるので、いつだって結論は“相手が悪い”になる。理屈なんて、都合よく切り貼りすればどうにでもなるのだ。
「つーか、こういうのって弁護士通さなきゃダメなん? 金ねーし。……いや待て、これ国がサポートしてるっぽいやつあったな。なんだっけ……ポテテラス? あーね、あれか。無料って書いてあったし、マジで訴えたろ」
すぐにスマホを取り出し、ぼやけた目で検索画面を眺める。「訴える方法」「簡単訴訟」「勝率」……そのすべてに、ポテトの自己正当化が反射している。
「ま、俺は被害者なんで。正直、こういうとこでちゃんとしとくのが大人だと思うわ。お前にはわかんねーか」
鏡に向かって呟いたその言葉に、何の意味があるのかはわからない。ただ、その瞬間だけは、ポテト自身が誰よりも「正義の代弁者」になった気がしたのだった。
そして――その「正義」を握りしめたポテトは、翌日、コンビニのレシートとメモ帳を握りしめて、市役所の前に立っていた。
---------------------------------------------------------
「しらね、聞いてねーし。金かかんの?」
市役所の窓口でそう言い放ったポテトの声は、わずかに震えていた。ポテスピの吸いすぎで喉が枯れているだけ、と思っていたが、実際は少しだけビビっていた。訴訟、という言葉の響きに酔いながらも、現実の制度が想像以上に“面倒くさい”ということを突きつけられていたからだ。
窓口の女性職員は、明らかに困惑していた。目の前の男はTシャツにシミ、脂ぎった髪、口からはタバコの臭いを撒き散らしている。しかも言っている内容が支離滅裂だ。
「コンビニでタバコ注意されただけで訴えるって……それは、民事というより、ご相談になると思いますが……」
「いや、相談とかじゃなくて、俺、精神的苦痛ってやつ? それな。ガチで来てるから。訴状とか出せばいいんでしょ?」
「……でしたら、まず裁判所の方にご連絡を……それと、訴状の提出には収入印紙や手数料が必要ですので……」
「は?金かかんの?なんで?俺、被害者なんだけど?」
急に声を荒らげたポテトに、職員はたじろいだ。だが彼の目にはその反応こそ「正当な怒りへの恐れ」として映る。
「なんだよ、結局金かかんのかよ。あのさ、ポテテラスってあるじゃん。あれ使えばタダなんだろ?」
「ポテテラスをご利用になるには、収入や資産に応じて条件が……」
「いやいや、俺無職だし、金ないから。全然OKでしょ。つーか、お前、知らねーなら黙ってろっての」
もはや“説明”の場は、“支配”の場に変わっていた。相手を言い負かせば勝ち、自分が大きな声を出せば正義。それがポテトのルールだ。
帰り道、結局何も書類も得られず、市役所から追い出される形となったが、本人の表情には怒りではなく、どこか満足げな自信が宿っていた。
「やっぱビビってんじゃん、俺の正義にさ」
彼の中で現実は都合よく変換されていく。職員の丁寧な説明も、拒否ではなく“恐れ”として処理される。そうすることで、自らの行動を「正しい」と信じ続けられるのだ。
「てか、これさ、そもそも俺が声あげなかったら、また誰かが被害受けてたわけじゃん?俺、正義の代弁者ってこと?」
その言葉に、自分でもゾクッとした。
家に戻ると、冷蔵庫の中は空だった。レトルトカレーの袋を握りつぶし、ポテスピをもう一本吸う。
「まぁ、まずは訴状? あーね、書き方とか調べるか。てか、テンプレとかあるっしょ?」
スマホを充電しながら検索を始める。が、途中で興味は逸れ、気づけば「訴訟 YouTuber」とか「炎上 裁判」といった見出しに夢中になっている。
「バズって金稼げねーかな」
本来の目的を忘れて、また1日が過ぎていく。けれど、彼の中では「訴える」という行動が、まるで何かに対する“証明”のように輝き続けていた。
そして彼は、次に“訴える相手”を思い浮かべる。
「……かもめ、あいつ最近俺のことバカにしてね?」
------------------------------------------------------------------------------
「印紙ってなんだよ……切手かよ……意味わかんねーし」
ポテトは、開封済みのポテスピの箱を指先でトントン叩きながら、ソファに沈んでいた。タバコの焦げ跡だらけのちゃぶ台には、プリントアウトされた訴状テンプレートが何枚も散らばっている。その上に、コンビニのレシートと100均のボールペンが無造作に乗っていた。
「3,000円分の印紙?ガチで意味わかんね……これ被害者が払うの?いやいや、加害者が払えよ普通。マジでおかしいだろ、この国」
そう文句を言いながらも、ポテトは印紙代をどうにかしようと財布を確認する。中には薄汚れた千円札が2枚と、10円玉が3枚。どう見ても足りない。
「……ポテスピ買わなきゃいけたか……あーね、選択ミスったわ」
だがその直後、彼は自分の言葉を否定する。
「いや、ポテスピがなきゃ落ち着いて訴状も書けねーから。必要経費っしょ。こういうの“精神安定剤”っていうんだよ。お前は知らねーかもしんねーけど」
ぶつぶつと独り言を繰り返しながら、ポテトはまたスマホに手を伸ばす。りゅうのLINEを開く。最終メッセージは「今週中に返せよ」だった。
「……りゅう、まだ俺のこと友達って思ってんだろ?なら貸せよ。いや、立て替え。印紙代な。ガチで大事なやつだから」
「正直言っていい?裁判関係だから。返す返す、今度。絶対勝てるから」
送信したあと、いつものように即ブロックされないかと確認する。りゅうは優しいから既読すらつけず、きっと何時間も悩んでから返信してくるのだろう。だからこそ、金は取りやすい。
「かもめにも借りれるか……あいつギャンブル勝ったとか言ってたしな」
そう言って電話をかけようとした瞬間、LINEの通知が鳴った。
『今度こそ最後だからな。もう貸さない』
りゅうだった。思ったより早かった。
「神かよ、りゅう。お前だけはわかってる」
そう呟きながら、ポテトは金を引き出しに出かけた。歩き方はいつものように、足を引きずるようなダルさに、どこか“選ばれし者”のような偉そうな重みが加わる。コンビニの前でタバコを吸い、印紙を買うついでにまた一箱ポテスピを買う。これで残りは千円を切った。
「けどこれで、戦える。俺は、黙ってねーからな」
財布の中の残金と訴状を交互に見つめながら、彼の顔は薄く笑っていた。社会を相手にする被害者の顔。その自負が、確信に変わる。
ポテスピの煙とともに、彼の正義は、ますます煙たく、強くなっていく。
------------------------------------------------------------------
「お前、今の聞いた?あいつ完全に俺のこと無視してたよな?」
かもめと久しぶりにパチンコに行った帰り、ポテトはそう言いながら、ポテスピに火をつけた。煙を吐き出すと同時に、振り返って自動ドアの向こうを睨む。ホールのスタッフが客に声をかけていただけなのに、ポテトの脳内では“無視されたこと”が既に事件にすり替わっていた。
「ガチであいつ、訴えんのも時間の問題」
かもめは笑って聞き流していたが、ポテトの目は真剣だった。
「てか最近さ、これ使えるわ。“訴えるから”って言ったら、マジで人の態度変わんの。この前もさ、バスでジジイと揉めて、“じゃあお前訴えるから”って言ったら黙ったし。勝ち、あれ」
その顔は満足げで、自分の“威圧の言葉”が効力を持ったと信じ込んでいるようだった。実際はただの奇行なのだが、ポテトの頭の中では、世の中のすべての人間が自分を恐れている構図が成立していた。
「てか、逆に使わないやつ損してんだよ。“訴える”ってワード、マジで魔法だから」
駅前のロータリーを歩きながら、ポテトはすれ違う人たちを見ては「こいつも訴えたい」「態度悪ぃな」と脳内裁判を繰り広げていた。
「正直言っていい?俺が訴えなきゃ誰もやんないだろ?こういうこと、社会のためなんだよ」
社会のため、という言葉はポテトの辞書に最近追加された“便利な大義名分”だった。元々は自分の怒りを正当化するためだけに使っていたが、それに“公共性”というフィルターをかけることで、より堂々と人を責められると気づいたのだ。
りゅうからの金で買った印紙はまだ封も切られていない。訴状も途中までしか書いていない。だが、ポテトにとって“訴える”という行為は、実行よりも言葉として使うことに意味があった。
「お前もさ、誰かムカついたら“訴える”って言ってみ。マジで効くから」
かもめは曖昧に笑って「うん」と言ったが、目線はすでにスマホに落ちていた。ポテトの“自分語り”は止まらない。誰も求めていないのに、勝手に語り、勝手に結論づけ、勝手に正義の立場を得る。
「つーか、かもめ、お前さ……あの件、パクったろ?俺が言ってたやつ、昨日の飲み会でお前の話として出てたらしいけど」
かもめの目がわずかに動いた。それを見逃さなかったポテトの口元がニヤつく。
「……お前の知らないやつから聞いたんだけどさ、マジで気ぃつけたほうがいいよ?……俺、訴えるかもな?」
その瞬間、かもめの顔から笑みが消えた。
ポテトの“正義”は、ついに仲間にまで牙を剥き始めた。
---------------------------------------------------------------------
「“公然と人を侮辱することは、名誉毀損または侮辱罪に該当する可能性があります”……だってさ。やっぱ俺、合ってんじゃん」
パソコンの画面を覗き込んだポテトは、鼻で笑いながらポテスピに火をつけた。Wikipedia、まとめサイト、法律系YouTuberの動画、それらを渡り歩いたポテトの検索履歴はもはや“裁判マニア”と化していた。
だがその中身は、ほとんどが都合の良い言葉を抜き取った“お手軽正義”。
「俺が注意されて怒ったのも、それで精神的苦痛受けたのも、ちゃんと法的根拠あるってことね。ガチで勝てるっしょ」
実際には全く勝てない。しかも“被害”の内容すら法律的に該当しないものばかりだったが、ポテトの目には“引用元:法律事務所”の文字さえあれば真理に見えた。
「ネットってマジ便利だわ。弁護士いらなくね?俺が自分で全部できるわこれ。訴える側が一番強いって、やっぱ正解だった」
その口元は得意げだった。だが、机の上にはまだ完成していない訴状と、借金の返済日が書かれたメモが並んでいた。
「ガチで意味ないだろこんな借用書。俺は今、もっとデカい戦いしてんの。お前らに構ってるヒマねーのよ」
そう言ってポテトはまたスマホを手に取り、Twitter(現X)を開いた。
「“深夜コンビニで注意された。俺が悪いの?”」
ツイートした途端、数件の「それくらい我慢しろ」「自業自得」というリプライがついたが、ポテトは無視した。
「お前らバカだからわかってないだけ。俺が正しいから」
そのツイートの下に、自分の訴状をチラつかせる画像を貼る。「現在準備中」と書かれた紙を背景に、印紙を堂々と見せつけた。
「これはバズる」
フォロワー数14人のアカウントにしては、ポテトの自信は過剰だった。反応がないのを見て、すぐにリプライ欄で自演を始める。
「大変でしたね」「応援してます」「日本の司法も腐ってる」
自作自演で“支持者”を演出し、少しだけ心が安らぐ。だが、すぐに本物のユーザーから冷静な指摘が入った。
「いや、それあなたが悪いです」
その一言に、ポテトの顔がピクリと動く。すぐに返信。
「しらね。お前は黙ってろ。法のこと何もわかってねーだろ?」
ブロック。その動作は素早く、何のためらいもなかった。
「俺を否定するやつ=敵」
その構図がポテトの中で完璧に構築されていた。
ポテスピをふかしながら、画面の中の文字を睨む。まるでそこに、何か正義のヒントでもあるかのように。
けれど本当は、ポテトが見たいのは“自分が正しいと証明される何か”でしかなかった。
そしてその夜、ポテトは新たな検索ワードを打ち込む。
「友達 訴える やり方」
「正直言っていい?あのコンビニの店員、マジで俺にケンカ売ってたわ」
ポテトはポテスピに火をつけると、灰皿の代わりに使っているカップラーメンの空き容器に灰をトントンと落とした。煙が鼻の穴にまとわりつき、口臭と混ざって部屋の中に拡散していくが、換気なんてしない。窓はカーテンで塞がれ、昼か夜かもわからないその部屋の主、つまりポテトは、今日もパンツ一枚で椅子にふんぞり返っていた。
ことの発端は昨夜。深夜2時すぎ、酒とタバコとカップ麺を買いに行ったいつものコンビニでのことだった。
「店の中でタバコ吸うのやめてください」
たったそれだけの一言だった。だがポテトにとって、それは「挑発」だった。
「しらねーよ、別に吸ってねぇし」と返したポテトに、若いバイトの男は困った顔をした。だが、その顔こそがムカついた。何様のつもりだ。こっちは“客”だぞ。しかも常連。毎日のように来てるんだから顔も名前も覚えてるだろうに、それでもこんな冷たい態度?
「あーね、わかった。じゃあ、覚えとけよ」
そう捨て台詞を吐いて、ポテトはレジ袋を奪うように持ち帰ってきた。そのあと5時間、ポテスピを吸いながら「マジで腹立つ」を100回くらい口にして、ネットで「コンビニ 店員 訴える」で検索した。
「名誉毀損、威圧行為、精神的苦痛……お、慰謝料請求って書いてあるやん。ガチレスすると、これ勝てるだろ」
なぜ勝てるのか、自分でも理屈はわかっていない。ただ“俺は悪くない”という前提から思考を始めるので、いつだって結論は“相手が悪い”になる。理屈なんて、都合よく切り貼りすればどうにでもなるのだ。
「つーか、こういうのって弁護士通さなきゃダメなん? 金ねーし。……いや待て、これ国がサポートしてるっぽいやつあったな。なんだっけ……ポテテラス? あーね、あれか。無料って書いてあったし、マジで訴えたろ」
すぐにスマホを取り出し、ぼやけた目で検索画面を眺める。「訴える方法」「簡単訴訟」「勝率」……そのすべてに、ポテトの自己正当化が反射している。
「ま、俺は被害者なんで。正直、こういうとこでちゃんとしとくのが大人だと思うわ。お前にはわかんねーか」
鏡に向かって呟いたその言葉に、何の意味があるのかはわからない。ただ、その瞬間だけは、ポテト自身が誰よりも「正義の代弁者」になった気がしたのだった。
そして――その「正義」を握りしめたポテトは、翌日、コンビニのレシートとメモ帳を握りしめて、市役所の前に立っていた。
---------------------------------------------------------
「しらね、聞いてねーし。金かかんの?」
市役所の窓口でそう言い放ったポテトの声は、わずかに震えていた。ポテスピの吸いすぎで喉が枯れているだけ、と思っていたが、実際は少しだけビビっていた。訴訟、という言葉の響きに酔いながらも、現実の制度が想像以上に“面倒くさい”ということを突きつけられていたからだ。
窓口の女性職員は、明らかに困惑していた。目の前の男はTシャツにシミ、脂ぎった髪、口からはタバコの臭いを撒き散らしている。しかも言っている内容が支離滅裂だ。
「コンビニでタバコ注意されただけで訴えるって……それは、民事というより、ご相談になると思いますが……」
「いや、相談とかじゃなくて、俺、精神的苦痛ってやつ? それな。ガチで来てるから。訴状とか出せばいいんでしょ?」
「……でしたら、まず裁判所の方にご連絡を……それと、訴状の提出には収入印紙や手数料が必要ですので……」
「は?金かかんの?なんで?俺、被害者なんだけど?」
急に声を荒らげたポテトに、職員はたじろいだ。だが彼の目にはその反応こそ「正当な怒りへの恐れ」として映る。
「なんだよ、結局金かかんのかよ。あのさ、ポテテラスってあるじゃん。あれ使えばタダなんだろ?」
「ポテテラスをご利用になるには、収入や資産に応じて条件が……」
「いやいや、俺無職だし、金ないから。全然OKでしょ。つーか、お前、知らねーなら黙ってろっての」
もはや“説明”の場は、“支配”の場に変わっていた。相手を言い負かせば勝ち、自分が大きな声を出せば正義。それがポテトのルールだ。
帰り道、結局何も書類も得られず、市役所から追い出される形となったが、本人の表情には怒りではなく、どこか満足げな自信が宿っていた。
「やっぱビビってんじゃん、俺の正義にさ」
彼の中で現実は都合よく変換されていく。職員の丁寧な説明も、拒否ではなく“恐れ”として処理される。そうすることで、自らの行動を「正しい」と信じ続けられるのだ。
「てか、これさ、そもそも俺が声あげなかったら、また誰かが被害受けてたわけじゃん?俺、正義の代弁者ってこと?」
その言葉に、自分でもゾクッとした。
家に戻ると、冷蔵庫の中は空だった。レトルトカレーの袋を握りつぶし、ポテスピをもう一本吸う。
「まぁ、まずは訴状? あーね、書き方とか調べるか。てか、テンプレとかあるっしょ?」
スマホを充電しながら検索を始める。が、途中で興味は逸れ、気づけば「訴訟 YouTuber」とか「炎上 裁判」といった見出しに夢中になっている。
「バズって金稼げねーかな」
本来の目的を忘れて、また1日が過ぎていく。けれど、彼の中では「訴える」という行動が、まるで何かに対する“証明”のように輝き続けていた。
そして彼は、次に“訴える相手”を思い浮かべる。
「……かもめ、あいつ最近俺のことバカにしてね?」
------------------------------------------------------------------------------
「印紙ってなんだよ……切手かよ……意味わかんねーし」
ポテトは、開封済みのポテスピの箱を指先でトントン叩きながら、ソファに沈んでいた。タバコの焦げ跡だらけのちゃぶ台には、プリントアウトされた訴状テンプレートが何枚も散らばっている。その上に、コンビニのレシートと100均のボールペンが無造作に乗っていた。
「3,000円分の印紙?ガチで意味わかんね……これ被害者が払うの?いやいや、加害者が払えよ普通。マジでおかしいだろ、この国」
そう文句を言いながらも、ポテトは印紙代をどうにかしようと財布を確認する。中には薄汚れた千円札が2枚と、10円玉が3枚。どう見ても足りない。
「……ポテスピ買わなきゃいけたか……あーね、選択ミスったわ」
だがその直後、彼は自分の言葉を否定する。
「いや、ポテスピがなきゃ落ち着いて訴状も書けねーから。必要経費っしょ。こういうの“精神安定剤”っていうんだよ。お前は知らねーかもしんねーけど」
ぶつぶつと独り言を繰り返しながら、ポテトはまたスマホに手を伸ばす。りゅうのLINEを開く。最終メッセージは「今週中に返せよ」だった。
「……りゅう、まだ俺のこと友達って思ってんだろ?なら貸せよ。いや、立て替え。印紙代な。ガチで大事なやつだから」
「正直言っていい?裁判関係だから。返す返す、今度。絶対勝てるから」
送信したあと、いつものように即ブロックされないかと確認する。りゅうは優しいから既読すらつけず、きっと何時間も悩んでから返信してくるのだろう。だからこそ、金は取りやすい。
「かもめにも借りれるか……あいつギャンブル勝ったとか言ってたしな」
そう言って電話をかけようとした瞬間、LINEの通知が鳴った。
『今度こそ最後だからな。もう貸さない』
りゅうだった。思ったより早かった。
「神かよ、りゅう。お前だけはわかってる」
そう呟きながら、ポテトは金を引き出しに出かけた。歩き方はいつものように、足を引きずるようなダルさに、どこか“選ばれし者”のような偉そうな重みが加わる。コンビニの前でタバコを吸い、印紙を買うついでにまた一箱ポテスピを買う。これで残りは千円を切った。
「けどこれで、戦える。俺は、黙ってねーからな」
財布の中の残金と訴状を交互に見つめながら、彼の顔は薄く笑っていた。社会を相手にする被害者の顔。その自負が、確信に変わる。
ポテスピの煙とともに、彼の正義は、ますます煙たく、強くなっていく。
------------------------------------------------------------------
「お前、今の聞いた?あいつ完全に俺のこと無視してたよな?」
かもめと久しぶりにパチンコに行った帰り、ポテトはそう言いながら、ポテスピに火をつけた。煙を吐き出すと同時に、振り返って自動ドアの向こうを睨む。ホールのスタッフが客に声をかけていただけなのに、ポテトの脳内では“無視されたこと”が既に事件にすり替わっていた。
「ガチであいつ、訴えんのも時間の問題」
かもめは笑って聞き流していたが、ポテトの目は真剣だった。
「てか最近さ、これ使えるわ。“訴えるから”って言ったら、マジで人の態度変わんの。この前もさ、バスでジジイと揉めて、“じゃあお前訴えるから”って言ったら黙ったし。勝ち、あれ」
その顔は満足げで、自分の“威圧の言葉”が効力を持ったと信じ込んでいるようだった。実際はただの奇行なのだが、ポテトの頭の中では、世の中のすべての人間が自分を恐れている構図が成立していた。
「てか、逆に使わないやつ損してんだよ。“訴える”ってワード、マジで魔法だから」
駅前のロータリーを歩きながら、ポテトはすれ違う人たちを見ては「こいつも訴えたい」「態度悪ぃな」と脳内裁判を繰り広げていた。
「正直言っていい?俺が訴えなきゃ誰もやんないだろ?こういうこと、社会のためなんだよ」
社会のため、という言葉はポテトの辞書に最近追加された“便利な大義名分”だった。元々は自分の怒りを正当化するためだけに使っていたが、それに“公共性”というフィルターをかけることで、より堂々と人を責められると気づいたのだ。
りゅうからの金で買った印紙はまだ封も切られていない。訴状も途中までしか書いていない。だが、ポテトにとって“訴える”という行為は、実行よりも言葉として使うことに意味があった。
「お前もさ、誰かムカついたら“訴える”って言ってみ。マジで効くから」
かもめは曖昧に笑って「うん」と言ったが、目線はすでにスマホに落ちていた。ポテトの“自分語り”は止まらない。誰も求めていないのに、勝手に語り、勝手に結論づけ、勝手に正義の立場を得る。
「つーか、かもめ、お前さ……あの件、パクったろ?俺が言ってたやつ、昨日の飲み会でお前の話として出てたらしいけど」
かもめの目がわずかに動いた。それを見逃さなかったポテトの口元がニヤつく。
「……お前の知らないやつから聞いたんだけどさ、マジで気ぃつけたほうがいいよ?……俺、訴えるかもな?」
その瞬間、かもめの顔から笑みが消えた。
ポテトの“正義”は、ついに仲間にまで牙を剥き始めた。
---------------------------------------------------------------------
「“公然と人を侮辱することは、名誉毀損または侮辱罪に該当する可能性があります”……だってさ。やっぱ俺、合ってんじゃん」
パソコンの画面を覗き込んだポテトは、鼻で笑いながらポテスピに火をつけた。Wikipedia、まとめサイト、法律系YouTuberの動画、それらを渡り歩いたポテトの検索履歴はもはや“裁判マニア”と化していた。
だがその中身は、ほとんどが都合の良い言葉を抜き取った“お手軽正義”。
「俺が注意されて怒ったのも、それで精神的苦痛受けたのも、ちゃんと法的根拠あるってことね。ガチで勝てるっしょ」
実際には全く勝てない。しかも“被害”の内容すら法律的に該当しないものばかりだったが、ポテトの目には“引用元:法律事務所”の文字さえあれば真理に見えた。
「ネットってマジ便利だわ。弁護士いらなくね?俺が自分で全部できるわこれ。訴える側が一番強いって、やっぱ正解だった」
その口元は得意げだった。だが、机の上にはまだ完成していない訴状と、借金の返済日が書かれたメモが並んでいた。
「ガチで意味ないだろこんな借用書。俺は今、もっとデカい戦いしてんの。お前らに構ってるヒマねーのよ」
そう言ってポテトはまたスマホを手に取り、Twitter(現X)を開いた。
「“深夜コンビニで注意された。俺が悪いの?”」
ツイートした途端、数件の「それくらい我慢しろ」「自業自得」というリプライがついたが、ポテトは無視した。
「お前らバカだからわかってないだけ。俺が正しいから」
そのツイートの下に、自分の訴状をチラつかせる画像を貼る。「現在準備中」と書かれた紙を背景に、印紙を堂々と見せつけた。
「これはバズる」
フォロワー数14人のアカウントにしては、ポテトの自信は過剰だった。反応がないのを見て、すぐにリプライ欄で自演を始める。
「大変でしたね」「応援してます」「日本の司法も腐ってる」
自作自演で“支持者”を演出し、少しだけ心が安らぐ。だが、すぐに本物のユーザーから冷静な指摘が入った。
「いや、それあなたが悪いです」
その一言に、ポテトの顔がピクリと動く。すぐに返信。
「しらね。お前は黙ってろ。法のこと何もわかってねーだろ?」
ブロック。その動作は素早く、何のためらいもなかった。
「俺を否定するやつ=敵」
その構図がポテトの中で完璧に構築されていた。
ポテスピをふかしながら、画面の中の文字を睨む。まるでそこに、何か正義のヒントでもあるかのように。
けれど本当は、ポテトが見たいのは“自分が正しいと証明される何か”でしかなかった。
そしてその夜、ポテトは新たな検索ワードを打ち込む。
「友達 訴える やり方」
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる