塔の妃は死を選ぶ

daru

文字の大きさ
19 / 64

19

しおりを挟む
 もう3日になる。ニコは日に日に不安が増し、夜毎悪夢にうなされた。

 カルダとペリュグリスの話には、信憑性があった。作り話にしては出来すぎている。ハープナーが人の心を掴むのが上手かったのも事実だ。
 もし2人が話すことが全て真実であったなら、ハープナーを庇ったフェリディル王家である自分は民にとっての悪なのではないだろうか。王妃などという立場にいてはいけない存在なのではないか。そんな考えが、ニコの中でどんどん膨らんでいった。

 目の下には隈ができ、食欲なんてものもなかったが、いつも通りの時間に鳴る、朝食を運んできたことを知らせるノック音に、ニコの顔が曇る。

 だが、部屋に入ってきた人物を見て、目を瞬き、この数日で溜め込んだもやもやとした感情が、ニコの意志とは無関係にじわりじわりと流れ出た。

「よっ、戻りましたよぉっと。」

 以前と変わらず軽々しい態度のスヴェリオに、ニコはすがるように瞳を湿らせた。

「スヴェリオ…。」

 その瞳を向けられたスヴェリオは、さすが、ニコの異変にすぐに気が付く。
 始めは自分がいなくて寂しかったのか?などと思ったが、ふいに、フェリディルの西部の村で、王がペリュグリスを呼んでいると慌ただしく早馬が来たことを思い出す。

「…王妃様、何かあった?」

「スヴェリオ…実は…。」

「ニー。」

「…ニー?」

 謎の声に、ニコはぽかんとスヴェリオを見つめた。

「今のは、スヴェリオが?」

「そんなわけないだろ。天然で言ってんのか、それ?」

 こいつだこいつ、とスヴェリオはポケットから手の平に収まるほどの小さな子猫を取り出した。青みがかったグレーの毛はまだふわふわと整っておらず、生後間もない子猫だと分かる。

 起きたかぁなどと呑気に言っているスヴェリオに、ニコの目はますます丸くなった。

「えっと、スヴェリオ、その子は?」

「友人の家の裏で産まれたらしいんだけど、親猫がどこかで死んだのか帰って来なくなったんだと。兄弟たちも次々弱って死んじまって、こいつだけが生き残ったんだ。」

「そう、強い子なのね。…あの、触ってもいい?それともあんまり構わない方がいいかしら。」

「え?王妃様に面倒見てもらおうと連れて来たのに、構われないと困るんだけど。ほら。」

 スヴェリオがさも当然のようにニコの膝の上に子猫を降ろすと、ニコはそのセリフに困惑しながらも、子猫の暖かさに頬が綻ぶ。

 ニコはニー、ニー、と一所懸命に鳴く子猫の頭をそっと撫でた。
 そんなニコに、スヴェリオは小瓶を差し出す。

「たぶん腹減ってるんだろ。はい、これ。」

「それは?」

「山羊の乳だ。」

「えっと…どうやって飲ませれば…。」

「指、出して。吸うから。」

 言われた通りニコが子猫の顔の近くへ指を近づけると、子猫は人差し指の腹にちゅーちゅーと吸い付き始めた。
 スヴェリオがそこにミルクを流そうとして、止まる。

「あ、服汚れるの嫌?」

「ふふ、問題ないわ。」
 
 ふわりと微笑むニコに、スヴェリオも笑顔を返す。
 ほんの少しずつ指にミルクを流していくと、子猫はより懸命に吸い付いた。黙っていてもミルクは飲めるのに、じたばたと落ち着きのない手が愛らしい。

「目がさ、王妃様と同じ綺麗なアッシュグレーなんだよ。」

 また思わせぶりな事を軽々と、とニコは身を固めた。言った本人は飄々としている。

 暫し、ちゅっちゅっちゅっと音を立てて必死にミルクを飲む姿を2人で眺めた。

「なんか厭らしい気分になるね?」

「なりません。」

 お腹いっぱいになったのか、子猫がニコの指から口を離すと、スヴェリオがおっと、と声を出して小瓶を縦にした。そして次は綿の布きれを差し出した。

「これで刺激しながら小便を拭いてやるんだ。」

 ニコは言われた通りに処理をする。すると子猫は落ち着いてきたのか、ニコの膝の上で大人しくなった。

「じゃあ、はい、王妃様もご飯食べて?」

「あ、そ、そうね。」

 膝の上に乗ったままの子猫が気になるが、なんだか落ち着いているところを動かすのもかわいそうな気がして、ニコはそのまま食べる事にした。
 スヴェリオも相変わらずフルーツをつまみ食いしている。ブドウを皮ごと口に放り込んで、ごくりと飲みこんでから、さっきの話さ、と話を戻した。

「食器片付けてからでもいい?俺からも報告あるし。」

「そうね。…私もなんだか、この子を見て嘘のように頭が冷えたわ。」

 そう言ってニコは子猫を撫でた。

「スヴェリオ、無事に帰って来てくれてありがとう。」

「約束しただろ。」

 スヴェリオは得意げに笑った後、はて、と首を傾げた。果たしてここは俺の帰ってくる場所なのか?スヴェリオは違和感を覚えつつ、まぁいいかと気にしないことにした。



 スヴェリオが朝食の食器を片づけて戻ってくると、寝始めた子猫をベッドに移し、さっそく本題に入った。

 まずはニコから、ペリュグリス、そしてカルダに聞いた話の一部始終をスヴェリオに話す。その話を聞いていくうち、スヴェリオの表情はだんだん険しくなった。ニコが信じたくないと言った話を肯定しなければならなかったからだ。

「では、2人が言っていたことは…全て真実だったのね…。」

「…そうみたいだな。」

 予感はあった。そんな気はしていた。ただ、どうしていいか分からず、ニコは両手で顔を覆った。

「なんてこと…。」

「襲撃にあった村の生き残りの少年に話を聞いたが、兄貴と一緒に近くの村に逃げた後、兄貴が直接フェリディル王に訴えようとノウラへ向かったらしい。でもその兄貴は戻って来なかったんだと。もしかしたらそれが、ペリュグリスと出会った少年だったのかもな。」

 ニコは顔を隠して項垂れたまま、動かない。

 ニコは今までカルダのことを恐れていた。両親を殺した相手だと、故国を滅ぼした方だとそう思っていたが、フェリディルの国民を救ったのは紛れもなくアイローイ王のカルダだった。ニコも人質として婚姻させられたのではなく、そうすることで真の悪であるハープナーから守られていたのだ。
 ニコは王族としての恥辱を感じると共に、自分への怒りが湧き上がる。今まで何を見てきたのだろう。思い違いも甚だしい。

 ぴくりとも動かないニコに、スヴェリオは頭を悩ませる。責任感の強いニコだ。自分を責めているであろうことは、スヴェリオにも分かった。

 大丈夫か、とスヴェリオが声を掛けようとした時、ニコが顔を覆っていた手を外し、いつも以上に白い顔を覗かせた。
 そのまま静かに立ち上がり、タンスに隠していた例のネックレスを取り出すと、それをスヴェリオへ差し出した。

「あなたが置いていった物だけど、これを報酬代わりに持って行って。」

 だがスヴェリオは首を横に振る。

「それは王妃様にあげたんだよ。」

「元はといえば、王様の物でしょう。」

「俺が盗んだ時点で所有権は1回俺になってるから。」

 ニコは働かない頭で一度納得しかけて、いや、その理論はおかしいなと思い直した。どちらにせよ、このネックレスは持って行ってもらわないと困る。

「これがここにあるのが見つかるといけないし、これ以外に渡せるような報酬が用意できないの。」

「えぇーでも俺、それ持って行かないって決めたしなぁ。」

 ニコが困ったようにネックレスを見つめると、スヴェリオはにやりと笑って、ネックレスに手を被せた。もう片方の手でニコの顎を上げて視線を自分に向かせる。

「じゃーさ、王妃様を名前で呼ぶ権利、ちょうだい?」

「…え?」

 ニコが困惑したのは、そんな物が報酬になるとは思えなかったからだ。大体、敬語も使おうとしないスヴェリオなら、許可しようがしまいが勝手に呼びそうなものだが。

「報酬、だめ?」

「い、いけれど…そんなことが報酬になるの?」

「他に誰かいる?王妃様のこと名前で呼ぶ人。」

 ニコはふと、叔父のハープナーを思い浮かべたが、すぐにかき消した。

「いいえ。」

「それなら充分な名誉さ、ニコ様。」

 夕日色の瞳に真っ直ぐ見つめられたニコは、なんだか胸がくすぐったくなった。

「名前なんて、久しぶりに呼ばれたわ。」

「恐悦至極に存じます。」

 わざとらしく頭を下げるスヴェリオに、ニコもにこりと微笑み返した。
 
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

白い結婚の行方

宵森みなと
恋愛
「この結婚は、形式だけ。三年経ったら、離縁して養子縁組みをして欲しい。」 そう告げられたのは、まだ十二歳だった。 名門マイラス侯爵家の跡取りと、書面上だけの「夫婦」になるという取り決め。 愛もなく、未来も誓わず、ただ家と家の都合で交わされた契約だが、彼女にも目的はあった。 この白い結婚の意味を誰より彼女は、知っていた。自らの運命をどう選択するのか、彼女自身に委ねられていた。 冷静で、理知的で、どこか人を寄せつけない彼女。 誰もが「大人びている」と評した少女の胸の奥には、小さな祈りが宿っていた。 結婚に興味などなかったはずの青年も、少女との出会いと別れ、後悔を経て、再び運命を掴もうと足掻く。 これは、名ばかりの「夫婦」から始まった二人の物語。 偽りの契りが、やがて確かな絆へと変わるまで。 交差する記憶、巻き戻る時間、二度目の選択――。 真実の愛とは何かを、問いかける静かなる運命の物語。 ──三年後、彼女の選択は、彼らは本当に“夫婦”になれるのだろうか?  

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

王太子妃専属侍女の結婚事情

蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。 未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。 相手は王太子の側近セドリック。 ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。 そんな二人の行く末は......。 ☆恋愛色は薄めです。 ☆完結、予約投稿済み。 新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。 ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。 そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。 よろしくお願いいたします。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

処理中です...