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第10話  網目模様のショール

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 日曜日、僕は須藤とシネコンの帰り道にいた。
 寡作で知られる漫画家◆▲◎の作品『〇※▽』をアニメ化したものを観た後だった。アニメの出来は酷く、『劣化〇※▽』という評判通りだった。
 
「男二人って、どうなのかと思ったけど気にする必要もなかったな」

 あまり宣伝をされなかったせいか、客は僕たちと同じ年ぐらいの男ばかりで気楽だけど、なんとも味気ない。
 
「うん。出来は悪くないけどね。どのシーンもぱっとしないよね」

 劇場で感じた味気なさは、作品のそれそのものだった。

「食事でもして帰ろう」

 近くのカフェに立ち寄った。
 
「春だな」

「うん。春だ」

 僕らは、冬眠を終えたばかりの熊のように呆然と店内を見回す。
 カフェでは、映画館とは打って変わった光景が広がっていた。

「こっちは男女の二人連れが多いな」

 “いらっしゃいませ”

 スタッフがオーダーを取りに来る。
 
「僕、『オーガニックコーヒー』それと『五種の雑穀米と春野菜のプレート』」

「僕も」

 心地よい会話、楽しげな笑顔。春の花がいっぺんに咲いたみたいだ。
 
 “くしゅん”
 
 小さなくしゃみ。
 テラス席の女の子だ。パステルカラーの服を着ている。
 春とはいえ風は冷たい。薄着では寒いんだろうな。
 
 僕の心配は無用だった。
 同席の男が、自分の上着を彼女の肩にかけ、女の子が頬を染めてほほ笑む。
 二人の間にはピンクのハートが飛び交っているに違いない。
 
「居心地悪そうだね。でもね。こういう経験もしないと。『劣化〇※▽』の世界に浸り過ぎるのは良くない。僕らには刺激も必要だ」

「そうかな?」

 僕は懐疑的だ。『劣化〇※▽』で気が休まるならば、それはそれでいいはずだ。

「お待たせいたしました」

 スタッフが食事と伝票を置いて立ち去って行き、僕らは春野菜と雑穀米が“ちょこん”と乗ったプレートをまじまじと見た。

「これがカフェ飯? 確かに見た目はきれいだけど」

「足りるかな?」
 
「代金と見合うの? この量で?」

「場所代ってことじゃない?」

 そう考える以外にはなさそうだ。

 でも……気持ちのいい場所だ。
 フローリングの床に、白い壁紙、木目調の椅子とテーブル。プレートに彩りよく並べられた食事。感じのいい接客。

 空気さえ違う気がする。ここは、『何かが見つかるかもしれない』そんな期待を抱かせる。

「僕には縁がないことだけどね」

 自分が彼らの仲間入りをするなんて考えることさえできない。

「えっ? なんのこと」
 
 須藤がいつもの笑顔を向けた。

「いや。何でもないよ。さあ、食べよう」

 もしかしたら……このあと起こったことは、カフェ飯のご利益りやくだったのかもしれない。時折、神様は有無を言わさず、頼んでもいないご利益を押し付けてくる。


 ――ざわっ……。
 
 初夏の風が庭の木々を揺らした。
 
 風が吹く。
 穏やかで静かな、そして凡庸な日々に新しい空気を吹き込み、時を動かす緑の風が。

「少しだけだよ。少しだけ。体を後ろに向けて見て。さりげなくだよ」

 須藤が声を潜めて言う。

「何? もったいぶるなよ」

 僕はゆっくりと体を後ろに向け……。

「!」

 すぐさま元の向きに戻した。

「何あれ?」

 僕も声を潜める。
 少し離れたところに座っている男女の二人連れ。

 そして、気づかれないように、ちらりと目をやる。

 長いストレートの髪。アーモンドのような切れ長の瞳。
 神宮司部長だ!
 部長は、こちらを向いて座っているけれど、僕らには気づいていない。
 
「相手の女性はわかるよね? 君のよく知っている人だ。男の方は木村だ」

「木村ってあの?」

「そう。学年トップの木村だ。ちなみに、入学試験でもトップだった」

 木村は、いかにも優等生という感じの生真面目な奴で、分厚い黒縁眼鏡をかけている。見た目はなんかこう……。あまり女性にもてるタイプじゃないな。

「神宮司先輩はアイスティーを注文したよ。白いブラウスに花柄のスカートを履いている」

「実況中継しなくてもいいよ」

「まぁまぁ」

 須藤が笑う。

 それでも、僕はちらりと振り返り部長を見た。
 初めて見る部長の私服。いつもよりも、女らしく可愛く見える。
 
 ―― どきん
 
 どうしたんだ? 僕!
 心臓よ静まれ! 部長が可愛く見えるのは、魔女の妖術だ! 
 幻惑まどわされちゃいけない!

「神宮司先輩は、中学までは幼稚園から大学院まである女子校の生徒だったんだ」

「そうなんだ」

「それが僕らと同じ高校に進学した」

「進路のことを考えてじゃないか?」

 部長は理工に進みたいと言っていた。前の学校がどこかしらないけど、希望に沿わなければ、そこに残る必要はないだろう。

「……でもね。未来の夫探しのために共学の学校にした……って言っている人もいるんだ」

「気が早くないか?」

「そうそう。あくまでも噂だよ。でも、何人かの男子が部長に誘われているのは本当らしいよ」

「そうなの?」

「僕は、君が候補の一人だと考えたこともあるんだ。手芸部に誘っただろ?」

「ないない」

 何度だって否定するさ。
 
「ないない!」

「信憑性が出てきたな。【未来の夫探し】。学年一の木村が相手となれば、条件は悪くない」

「成績だけか? 木村の長所は?」

 僕は、ぼーっと立った大木のような木村のことを思い浮かべる。
 僕らはひどい話しをしている。木村の何を知っているというんだ?

「ところで、どうだい? 神宮司先輩は、神宮司グループ会長のご令嬢だよ。年の離れたお兄さんが二人いるから面倒な責任は回ってこない」
 
「まず、そういう話が来てから考えた方がいいね。でも、仮にあったとしても、家のこととかが大変そうだ」
  
「そっか……君んとこも会社を経営してたっけ」

「うん。でも、部長の家とは比べようもない弱小企業だよ。しかも僕が跡を継ぐことはない」

 そう。従兄がいる。
 彼さえいれば、僕なんかお呼びじゃないんだ。

「その分好きなことができるんだ。せっかくの気楽な立場を無駄にする気はないね」

 この言葉を何度言ってきただろう。
 お定まりの台詞。テンプレの公式コメント。
 僕のすべては、こんな短い言葉で語りつくされてしまう。

 再び二人をチラ見する。
 木村は今や部長の虜だ。生真面目な顔はだらしなく緩み、必死で会話を繋ごうとしている。

   ―― イラッ

 あれ? なんだ? この面白くない気持ち。
 木村の態度は無理もない。だって、部長は美人だもの。

 再びチラ見する。

 ―― ムカッ

 なんだ? この不快感?
 部長が誰とデートしようと僕には関係ないよ!

 【未来の夫探し】
 
 その噂が本当だとしたら、きっと何か魂胆があるに違いない。
   
 二人の姿は、呪いのように僕の脳裏に焼き付いていてしまった。
 部長は自分からあまり話さず、相槌を打ちながら相手の話を聞いていた。
 唇に微笑みを浮かべ、秘密情報部員シークレットエージェントの眼差しで彼を見つめる。
 巧みに仕掛けられた机上のテーブル・諜報戦エスピオナージ

 僕の中で警報が鳴る。
 
 ――『ココヨリ立入危険地域』――


「大丈夫?」

 須藤がいつもの笑顔で言う。

「えっ?」

「うん。顔色。赤くなったり、青くなったりしてるよ?」

「か……、風邪をひいたかな?」

 僕は必死でごまかす。勝手に一人で苛立つなんて、僕でさえ自分がわからない。
 
「春といってもまだ寒い日があるから、気を付けないとね。そろそろ出ようか」

 須藤が伝票を手にした。

「そうだね」

 戸口でもう一度振り返ると、部長の白い横顔が見えた。
 離れたところで見て、初めて気が付いたことがある。
 彼女も僕と同じ高校生だってことに。僕と年が一つしか離れていない少女だったんだ。

 「坂下?」
 
 先を歩く須藤が振り返って僕を呼ぶ。

「今行くよ」

 “ありがとうございました。”
 店員に見送られ、僕らは店を後にした。

 

 数日後、いつも通りに僕は部室で図案を書き、部長はレースを編んでいた。

 部長は紺色の三角ショールを編んでいる。

「鎖網とピコット編みでネット状に編んで、縁をモチーフで飾るの」

 ピコット編みというのは、輪上の縁飾りのことで、部長はネット模様一つ一つの隅に入れ、アクセントにしている。

 縁飾りは蘭。
 華やかな花の模様はこの人に合う。

 人差し指に糸をかけ、それを針先で拾い、針で作った輪に通して鎖状に編んでいく。その繰り返しなのだが、編み目を揃えることが難しいんだ。その上、きつ過ぎたり、緩すぎたりしない、適度な編み上がりを作らなくてはならない。

 部長の手元から、次々と均整のとれた鎖編みが紡ぎ出されていく。
 それは心地よいリズムを持ち、見るものを惹きつける。
 僕は時を忘れてその姿に見とれた。

「どうかした?」

 部長がレースから目を離し、僕の方を見た。 
 冷たく光るアーモンドの瞳。

「あ……あの……。かなり手が込んでいますね」

 突然声をかけられ、慌てる僕。

「頼まれたの。夏は白や薄い色の服を着ることが多いでしょ? その上に羽織るのに丁度いいのよ」

 紺色のショールから夏服が透けて見えるデザインだ。清涼感がある。さすが部長。

 ―― でも、僕にはそれが漁に使う網のように見えた。いや、猟かな?

 僕は部長がショールを手にした姿を思い浮かべた。 

 網で何かを捕まえるのだろうか?
 何を?

 【未来の夫】

 言葉が幻聴のように耳に響き、間抜けな男が網にかかった姿が脳裏をよぎった。

 う、うわぁぁぁ……。鳥肌が……。


「あら。どうかした?」

 部長が心配そうに僕を覗き込んだ。
 陶器のように白い肌、艶めいた唇が僕に近づく。

「な、なんか、寒気がします」

「そう? 春といってもまだ寒い日があるから気を付けないと」
 
 “自分と同じ高校生”
 なぜそんな風に考えてしまったんだろう。
 この人はそんなんじゃない。危険な人だ。


 豪奢ごうしゃで繊細なレースのショール。
 部長はそれを手にしたまま、薄い唇に笑みを浮かべた。

 
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