6 / 8
6話
しおりを挟む翌朝、目を覚ましたマリアのコンディションは最悪であった。腰の痛みに全身の倦怠感。脚の間にまだ何か挟まっているような違和感がある。手を動かすことすら億劫な状態だ。
(あれ…身体がベタベタしない…シーツも何か綺麗…)
あんなにも汗やら体液で汚れていたマリアの身体がさっぱりとしている。同じようにグチャグチャになっていたシーツも清潔なものに変えられているようだ。宿の従業員がやったとは考えられないので、やったのは…隣で寝ているイザークだろう。気持ち良さそうに寝息を立てている。マリアもイザークも見慣れない服を着ていた。おそらく宿の部屋着だ。
(…)
マリアは無言でイザークの頭を軽く叩く。その瞬間イザークは飛び起き、キョロキョロと辺りを見渡しマリアの方を向くと勢い良く頭を深く下げた。
「…本当に申し訳なかった。昨夜ランドール嬢にあんな無体を働いてしまい…謝って済まされることではないが…」
「…いえ…私の方から誘った、いや襲ったと言いますか…どちらかというと私に責任があるので。まあここまでされるとは思ってませんでしたけど」
掠れた声で棘のある言葉を言うとビクリとイザークの肩が跳ねる。マリアは起き上がれないのでベッドに横になったままだ。イザークは頭を上げることなく話を続ける。
「ランドール嬢が気に病む必要はない。あなたを押し除けようとすれば出来たのにしなかったのは、酔った勢いではない。俺の意思だ」
ここでやっと頭を上げたイザークはベッドの側に置かれたテーブルから何かを取り、マリアに見せてくる。一つは小袋に入った白い錠剤、そしてもう一つは赤や紫など禍々しい色の粉薬である。イザークはこの謎の薬とマリアが意識を飛ばした後のことを教えてくれた。
「あなたが気絶してから、身体を清めシーツを変えた。その後…避妊についてすっかり頭から抜けていたことに気づいたので宿の従業員に深夜でもやっている薬屋はないかと聞いた。焦るあまり正常な判断力を欠いていたのだろうな。深夜にやっている薬屋はない」
当たり前である。深夜に開いているのは宿かバールくらいだろう。何をそれほど焦って薬屋に行こうとしたのか…もしやすぐに避妊薬を飲まないと妊娠すると思い込んでいたのか。
「…大体の避妊薬は行為後12時間以内に飲めば良いんですよ…」
「同じことを宿の従業員にも言われた。それで一度部屋に戻り寝て、朝イチで薬屋に行きとにかく身体に負担が少なく、効果の高いものをと聞いたらこの2つを渡された。錠剤の方は避妊率90%で稀に副作用で吐き気が出る、粉薬の方は避妊率99%だが吐くほど苦い、しかし副作用はない。どちらが良い?」
「錠剤の方で」
即答だった。明らかに不味そうな粉薬、見た目の通り苦いとくれば飲む選択はない。避妊率90%でも最近の薬の性能は高いと聞くし、朝に飲めばまず安心だろう。テーブルに置かれた水差しからコップに水を注ぎ錠剤を飲んだ。しかしイザークは不安げである。
「…良いのか。99%の方が」
「大丈夫です、こういうのは早く飲めばほぼ問題ないらしいので」
知った顔をするマリアだが、男性遍歴が派手な同僚から飲むタイプの避妊薬や男性器に付けるタイプの避妊具等について聞いていたからに過ぎない。イザークはマリアの説明に納得したように頷く。
「あなたが言うのなら問題ないだろう。俺はそういったことに疎いから…仮に子供が出来ても責任は取る…いや」
徐にぼんやりと半開きなマリアの目を真っ直ぐ見つめるイザーク。マリアは何となく、彼が言わんとしてることが分かってしまった。
「子供の有無は関係なく…純潔を奪ってしまった責任を取りたい。マリア・ランドール嬢、俺と結婚してくれないだろうか」
マリアは突然の求婚に驚かなかった。イザークは真面目な性格なので、責任を取りたいと言い出す可能性は予想していた。同僚も遊びのつもりで関係を持った相手が責任を感じてしまい、結婚を迫られて困ったと愚痴を溢していた気がする。昨夜のマリアは己を見下し、自分の信じる幸せを押し付けてくる従妹への鬱憤が溜まっておりいっそ処女を捨てて彼女を見返したいと思っていた。酒の勢いも後押しして、偶々居合わせたイザークを巻き込んでしまった。イザークがマリアの誘いを拒まなかったことは自分の意思だと言った理由は分からないが、巻き込まれた立場の彼に責任を取ってもらう必要はない。
「…責任を感じてもらわなくても大丈夫です。昨夜のことは私が襲ったようなものですし、薬を飲んだので妊娠の心配もありません。お互い無かったことにした方が」
「…それは…俺のことは生理的に受け付けないということか」
イザークの表情筋は動かないものの、全身から悲壮感が漂い出す。心なしか唇がワナワナと震えている。言うなればショックを受けているように見えてマリアは仰天した。何故そんな反応をするのか、責任を取らなくて済むのだから彼にとっても良い話のはずだ。しかし、みるみるうちに萎れていくイザークを放って置くことは出来ずマリアは慌てて口を開く。
「生理的に受け付けない訳ではありません!…そうだったら酒が入っていたとはいえ…あんな真似しません」
彼の指摘は見当違いも良いところだ。人として好感を持ち安全だと思ったから誘ったのだ。万が一にでも誰でも声をかける淫乱女と思われては堪らない。
「私では結婚する相手として力不足です。子供の頃から淑女教育より本を読むことの方が好きで、両親が自主性を重んじてくれたのでそのまま来てしまいました。社交界での立ち回りや他家の夫人との付き合い方は不得意です。とてもではありませんが、伯爵夫人は務まらないです。団長さんは肩書きも見た目も性格もいいですから、今は縁が無くてもいずれ良い方と出会えます。結婚相手を妥協してはいけません」
「妥協ではない…以前からあなたに対して好意を抱いていたから求婚したんだ。順番が逆になってしまったのは申し訳ないが」
懇々とイザークに早まってはいけないと説得するマリアに彼は真顔で言い放った。衝撃でマリアは起き上がるが、腰に鈍痛が走る。
「いっ…!」
「大丈夫か、寝ていた方が良い…回復薬も買っておくべきだったな、気が利かなくて済まない」
しゅんと肩を落として謝るイザークにそれどころではないマリアは声を上げる。
「いやそこでは無く…聞き間違いでなければ私に好意を抱いていたと聞こえたんですが」
「聞き間違いではないし本気だ」
流石にマリアは目を瞬き、驚きを隠すことは出来なかった。自分達は仕事で話す機会が多少あるだけで友人ですらない。そもそもマリアはイザークに好かれる真似をした覚えもないのだ。青天の霹靂とはまさにこのこと。
「…理由を聞いても?私達昨夜まで仕事以外で話したことありませんでしたよね」
「…あなたは、俺の目を見て話していたから」
106
あなたにおすすめの小説
下賜されまして ~戦場の餓鬼と呼ばれた軍人との甘い日々~
イシュタル
恋愛
王宮から突然嫁がされた18歳の少女・ソフィアは、冷たい風の吹く屋敷へと降り立つ。迎えたのは、無愛想で人嫌いな騎士爵グラッド・エルグレイム。金貨の袋を渡され「好きにしろ」と言われた彼女は、侍女も使用人もいない屋敷で孤独な生活を始める。
王宮での優雅な日々とは一転、自分の髪を切り、服を整え、料理を学びながら、ソフィアは少しずつ「夫人」としての自立を模索していく。だが、辻馬車での盗難事件や料理の失敗、そして過労による倒れ込みなど、試練は次々と彼女を襲う。
そんな中、無口なグラッドの態度にも少しずつ変化が現れ始める。謝罪とも言えない金貨の袋、静かな気遣い、そして彼女の倒れた姿に見せた焦り。距離のあった二人の間に、わずかな波紋が広がっていく。
これは、王宮の寵姫から孤独な夫人へと変わる少女が、自らの手で居場所を築いていく物語。冷たい屋敷に灯る、静かな希望の光。
⚠️本作はAIとの共同製作です。
黒騎士団の娼婦
イシュタル
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。
異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。
頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。
煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。
誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。
「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」
※本作はAIとの共同制作作品です。
※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。
顔も知らない旦那様に間違えて手紙を送ったら、溺愛が返ってきました
ラム猫
恋愛
セシリアは、政略結婚でアシュレイ・ハンベルク侯爵に嫁いで三年になる。しかし夫であるアシュレイは稀代の軍略家として戦争で前線に立ち続けており、二人は一度も顔を合わせたことがなかった。セシリアは孤独な日々を送り、周囲からは「忘れられた花嫁」として扱われていた。
ある日、セシリアは親友宛てに夫への不満と愚痴を書き連ねた手紙を、誤ってアシュレイ侯爵本人宛てで送ってしまう。とんでもない過ちを犯したと震えるセシリアの元へ、数週間後、夫から返信が届いた。
※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。
※全部で四話になります。
うっかり結婚を承諾したら……。
翠月るるな
恋愛
「結婚しようよ」
なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。
相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。
白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。
実際は思った感じではなくて──?
十年越しの幼馴染は今や冷徹な国王でした
柴田はつみ
恋愛
侯爵令嬢エラナは、父親の命令で突然、10歳年上の国王アレンと結婚することに。
幼馴染みだったものの、年の差と疎遠だった期間のせいですっかり他人行儀な二人の新婚生活は、どこかギクシャクしていました。エラナは国王の冷たい態度に心を閉ざし、離婚を決意します。
そんなある日、国王と聖女マリアが親密に話している姿を頻繁に目撃したエラナは、二人の関係を不審に思い始めます。
護衛騎士レオナルドの協力を得て真相を突き止めることにしますが、逆に国王からはレオナルドとの仲を疑われてしまい、事態は思わぬ方向に進んでいきます。
婚約解消されたら隣にいた男に攫われて、強請るまで抱かれたんですけど?〜暴君の暴君が暴君過ぎた話〜
紬あおい
恋愛
婚約解消された瞬間「俺が貰う」と連れ去られ、もっとしてと強請るまで抱き潰されたお話。
連れ去った強引な男は、実は一途で高貴な人だった。
初恋に見切りをつけたら「氷の騎士」が手ぐすね引いて待っていた~それは非常に重い愛でした~
ひとみん
恋愛
メイリフローラは初恋の相手ユアンが大好きだ。振り向いてほしくて会う度求婚するも、困った様にほほ笑まれ受け入れてもらえない。
それが十年続いた。
だから成人した事を機に勝負に出たが惨敗。そして彼女は初恋を捨てた。今までたった 一人しか見ていなかった視野を広げようと。
そう思っていたのに、巷で「氷の騎士」と言われているレイモンドと出会う。
好きな人を追いかけるだけだった令嬢が、両手いっぱいに重い愛を抱えた令息にあっという間に捕まってしまう、そんなお話です。
ツッコミどころ満載の5話完結です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる