絶砂の恋椿

ヤネコ

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近づきたい微熱

4―5

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「う……め、ぇ……!」
 スープを掬った匙を口に入れたまま、アルミロは驚嘆した。これまで、この世で一番美味いものは彼が恋い焦がれる食堂の女亭主、エンサタが作る料理だと信じていたアルミロであったが、このスープはそれに勝るとも劣らない――否、同格の美味さであった。
「鍋いっぱい拵えたから、たんと食いな」
 それを作ったのが、布で口許を隠したぎょろ眼の貧相な男であることに若干の悔しさを感じながらも、アルミロは匙でスープを掻き込む作業に没頭せずにはいられない。
「タルズさんに料理の心得があったとは……俺も、負けてはいられませんね」
 また、トゥルースを慕うズバイルも、タルズの料理の腕前に感服しながらも対抗心を熱く燃やしているようだ。一匙一匙を、研究するように味わっているズバイルとは対照的に、食卓を囲む面々には背を向けて腰掛けたタルズは、淡々とした様子でスープを器から啜っている。
(なんなんだ、この状況……)
 一方、バハルクーヴ島出身の小僧ミッケは、この状況に困惑のしきりであった。実家で暮らしていた頃以来の温かな朝の食卓を、本来であればミッケも歓迎したかった。だが、海都から来た新たな責任者トゥルースだけではなく、何故か居る砦の男達の存在が、小心者のミッケに居心地の悪さを覚えさせる。
「傷に沁みない?」
「平気。トゥルース……さま、は?」
「俺も平気さ。ああ、呼び捨てで構わないよ」
 前日の挨拶で早速カメリオの美貌に誑し込まれたとでもいうのだろうか。親愛以上の感情を匂わせるトゥルースの笑顔に、ミッケは妙にいたたまれない心地になり、誰に対してでもなく話題を振った。
「あの……ダーゲルさんは、まだ寝てるんですか?」
 これには、なにやら野菜の名前をぶつぶつと呟いていたはずのズバイルが反応した。
「手代殿は泥のように酔って帰ってきたからな。今日もお得意の自主休業だろう」
 まるでそれ以上は踏み込ませないような、断定的な物言いだ。本来であればトゥルースとの正式な顔合わせであることは、流石にあの無責任な手代のダーゲルも把握しているだろうに、一体何があったのだろうか。小僧達の表情にも、わずかに緊張が走る。
「あのおっさん、そんな名前だっけか?」
 だが、アルミロからすれば、食卓に漂う空気などどこ吹く風であるようだ。呼応するかのように、砦の青年達も後に続いて言いたいことを喚き出す。
「いやあもっと、長い名前だった気がするぜ?」
「俺ぁ知ってるぜ、そりゃギメイってやつだ」
「俺等に商会の奴だって知られたくなかったんだろうぜ」
 そのままミッケの発した言葉を奪った形で、彼等は彼等なりの推理を始める。小僧の誰かが発したらしい忍び笑いが、喧噪に混じった。
「ま、具合が悪ぃなら良くなるのを待つしかねえやな」
「待ってどうするつもりですか?」
 アルミロの言葉を受けて、ズバイルは怪訝な顔をする。その言葉に、アルミロは当然のように掌に拳を打ち付けて応えた。
「殴る! それで、まあチャラにしてやらあ」
「……そちらの慣習を、こちらに持ち込まないでくれますか」
 彼等とダーゲルの間にどのような因縁があるのかは知らないが、こんな筋肉の塊から殴られたら、あのうだつの上がらない中年は木っ端微塵に砕かれるだろうとは、ズバイルを含む小僧達の誰もが頭に思い浮かべた光景だ。
「砦とか商会とか関係ねぇよ。これは、俺とおっさんのサシの問題だ」
「てめえよ、また水くせえこと言ってんのか」
「そうだぜ、あのおっさんには俺も文句があるぜ」
「おい、彼は俺と喋ってるんだぞ」
 やいやいと騒ぎ立てる青年達に、ズバイルは外向きの言葉遣いも忘れて抗議する。普段は砦の男達相手には取り澄ましているズバイルの意外な一面を見た小僧達は、顔を見合わせて笑った。
「楽しいな……久しぶりに」
「ああ。何年ぶりだろうか……こんなに、賑やかな食卓は」
 ぽつりと漏らした小僧の言葉に、トゥルースは報告書では伺い知ることができなかった、小僧達の苦悩を垣間見た。
「普段は、あまり食卓では喋らないのか?」
「はい。どうにも仕事の打ち合わせ以外は、時間が勿体ないような気がして」
「我々は、食事を楽しむということを忘れていたようです」
 通いの家政婦が作った食事を胃に詰め込み、目の前の仕事以外の話は無駄と切り捨てていたのが、昨晩までの彼等が囲む食卓の有様だ。やや自嘲じみた表情を浮かべる小僧達に、トゥルースは微笑みかける。彼らもまた、トゥルースにとっては守るべき存在であった。
「これからは、大いに語ろう。お前達のことを、俺はもっと知りたい」
「はい……!」
 小僧達の返事に笑みを深くしたトゥルースは、タルズから腑抜けと揶揄された、昨夜の自分を思い出していた。海都に居た頃のトゥルースであれば、ダーゲルのような男は躊躇無く始末していたことだろう。苛烈な報復で自らの怒りを示すことも、かの土地では作法として必要なのだ。
 だが、バハルクーヴ島の爽やかな熱気に触れたトゥルースには、この島でかつての遣り方をそのまま通すことは、やはりしっくりこない。
(――君に不潔と言われたのも、一因かもしれないな)
 善良ぶるつもりもないが、死臭がこびりついた掌では、その無垢な愛らしさに触れることはできない。これから過ごす日々ではもっと近付けることを願いながら、トゥルースはカメリオの横顔を見つめた。
 見惚れていたのかもしれない。しばらく見つめていたところで、困ったような表情を浮かべたカメリオがトゥルースの方を向いた。
「そんなにじっと見られたら……食べづらいよ」
「あ、ああ……すまない」
 まるで少年時代に立ち戻ったかのような、甘酸っぱい感覚はトゥルースに活力を与える。これから押し寄せるであろう困難の数々も、乗り越えてみせることをトゥルースは胸の中に誓った。
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