絶砂の恋椿

ヤネコ

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近づきたい微熱

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「クーロシュ一家とは、貴方様も浅からぬ御縁がおありでしょう。島の青年達に対しても私は所詮伝言役、件の筒もあの男から預かったものに過ぎません……だのに何故、斯様な酷いことをなさる」
 而して地下では失血により顔色を青白くしたダーゲルが、恨み言じみた自白をトゥルースに漏らしている。商会外の人間から唆されてトゥルース暗殺未遂をしでかしたというのに、最早彼の中では、自身の被害者的立場は揺るぎないようだ。
「その預かった筒でくだらん細工をして、青年達にその罪を擦り付けるつもりだったのか? ダーゲル」
「ハッ……擦り付けるだのと人聞きの悪い。私は災禍を受け流そうとしたに過ぎません」
 許容量を超える非現実的現実に心が凪いだのか、ダーゲルは悪態混じりにトゥルースに言葉を返す。トゥルースは点と点であった事象が明確に悍ましい線として繋がったことに眉間に皺を寄せながらも、ダーゲルに尋問を続ける。
「お前のような立場の者は、他に何人いる? 庇い立てするなら、お前の右耳は火の女神の抱擁を受けることになるぞ」
「この島に、庇う価値がある者などいるものですか……食い詰めている傭兵連中を洗ってごらんなさい」
 ダーゲルからすれば、酒場で亭主にツケを強請る連中よりも自らの右耳の方が価値があるのは、当然のことであった。旧文明時代の信仰が未だ残る海都では、火の女神の抱擁を受けた肉体は土の女神に嫌われるため、冥府への門を潜ることができないと信じられている。自らを被害者だと信じてやまないダーゲルが、あっさりとトゥルースに自白したのは、来世での我が身可愛さのためでもあった。
「まあ、あの疣の小男めを見付け出して仕留めない限りは、私のような者は幾らでも増えましょうがね」
「……余程、報酬が魅力的なようだな」
「これは、これは……私は、あの男からは命を脅されたのですぞ」
 トゥルースは深い溜め息を吐くと、ダーゲルを脅した男の主クーロシュの姿を思い浮かべた。件の男を捕らえて訴え出たとて、彼を差し向けた張本人は事もなげにそのような者は知らぬと躱すことだろう。しかし、これ以上島民を巻き込む訳にはいかない。
「お前には、商会本部で査問を受けてもらうぞ。受けた脅しへの文句は、そこで好きなだけ吐くがいい」
 とりあえずは、自身の耳や指との来世での泣き別れは無いと悟ったダーゲルは、乾いた血にかさつく頬を笑みに歪めた。
「ええ、ええ、そうしますとも。カームビズ商会長の御曹司様である貴方様を狙った若造を、私をこのような目に遭わせたあの男を、きっとこの私の証言で裁かせてみせましょう……!」
 ダーゲルは、どこまでも自己憐憫に満ちた男であった。必要な情報は引き出せたが、酷く消耗しているのをトゥルースは自覚した。
 振り返れば、タルズが小刀を返せと言わんばかりに右手を差し出している。借りた小刀にこびりついたダーゲルの血糊が、ひどく汚らしいものに感じられて、トゥルースは溜め息を吐いた。
「……研いで返す」
「素人の研ぎじゃ、なまくらになるばっかりでやすから」
 刃物の研ぎには一家言あるらしいタルズに、トゥルースは大人しく小刀を返却した。すっかりくたびれた様子のトゥルースに、タルズはにやりと笑う。
「旦さんも腑抜けやしたな」
「優しくなったと言ってくれ」
 それでなくても、今日は色々あり過ぎたのだ。背中は痛むし頬も疼く。頭は休息を欲しているが、両手は清めることを望んでいる。
「さ、ちゃっちゃと傷の手当てをして寝てくだせえ。わしは、忙しいんで」
 欠伸混じりに言い付けてくるタルズにつられて、トゥルースは欠伸をした。注文の多い五体に応えることが、トゥルースのこの日最後の仕事だ。ここは海都の屋敷ではないので、これまでは従僕任せにしていた仕事も自らが行う必要があるのだ。
 地上に戻り、汲み置いた水で手足を洗い清めたトゥルースは、寝静まった気配を耳に感じながら軋む廊下を渡る。
「俺だって、傷の手当てくらいはできないわけじゃないさ」
 少し砂埃の臭いが残る宿舎の自室で独り言ちたトゥルースは、傷薬の沁みる感覚に顔を顰めながら、とりあえずの手当てを終えた。
 衣服を脱ぎ散らかしたまま飛び込んだ寝台は見た目通りに古ぼけた感触をトゥルースの全身に与えたが、全身を睡眠欲に包まれた彼からすれば、極上の寝心地であった。
『坊や。私のたった一つの真実――今夜はどんなお話をしてあげましょうか』
 何時しかとっぷりと呑み込まれた眠りの中で、トゥルースは懐かしい声を聴いた。柔らかな膝の上に抱かれ、おっとりとした声でそう訊ねられれば、トゥルースの答えは一つだ。
『――母ちゃん、赤い星の神さまの話をしとくれよ』
『そう……坊やは本当に、あのお話が好きね』
 懐かしい記憶そのままに、おっとりと、どこか嬉しそうな声で応える母の声で語られるのは、遠い国の御伽話だ。柔らかな口調で紡がれる勇敢で美しい戦神の冒険譚に、幼いトゥルースは心を躍らせた。海都から遠く離れたこの島で、柄にも無く望郷の想いがこのような夢を見せたのだろうか。
(母さん、俺は見つけたかもしれない――俺の、赤い星の神さまを)
 もう会うことはできない、懐かしい笑顔にトゥルースは心の中で語りかける。大好きな御伽話を夢に聴きながらトゥルースが思い浮かべるのは、月明かりの下に見た、白椿のような美貌であった。
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