絶砂の恋椿

ヤネコ

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選別と和合

10―4

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「風呂の時くらいは人を抓るのをよさないか? マリウス」
「番頭さんがくすぐってくるからです」
 トゥルースは自らの手の甲を撫でながら、ふくれっ面で言い返してくるカメリオを宥める。カメリオの商会への移籍以降、二人は島民の多くが利用する公衆浴場ではなく、商会支部の近所にある主に観光客が利用する公衆浴場で入浴しているのだが、トゥルースは今日もカメリオから手の甲を抓られていた。
「悪かった。俺はくすぐっているつもりは無いが、君はくすぐったがりだからな」
「…………脇腹は、誰だってくすぐったいです」
 二人の他には利用客は居らず、利用客の背中を流すことを稼業とする者も安全上の理由で遠ざけている。布一枚を巻いた姿で二人きり、という状況がカメリオの警戒心を高めているのか、トゥルースはカメリオの脇腹を洗ってやろうとした途端に、手の甲を思い切り抓られた。
(先に洗ってやろうと言った時は、今日は素直に応じてくれたが……機嫌を損ねてしまったな)
 トゥルースとしてはカメリオが望まないような無体を働くつもりはないし、自身の立場を盾に関係を迫るつもりもない。だが、可愛く思っているカメリオを労いたい気持ちはあるし、滑らかな肌の下に靭やかな筋肉を纏った肉体に触れたいという下心も、無い訳ではない。
「それに、ここは自分で手が届きます」
「背中を洗うついでなんだがな……そう、ふくれっ面をしないでくれ」
 蒸し風呂の熱気だけではなく頬を赤くしたカメリオを、トゥルースはあやすように宥める。しかし、背中を洗ってやるだけでもくすぐったそうに身体を捩らせて、鼻に抜ける甘ったるい溜め息を吐くカメリオの様子は、無垢な色香を帯びていた。カメリオの脇腹に伸ばした手が、邪な情熱を帯びていなかったとはトゥルースも断言できない。
「ちょっと見直したと思ったら……不潔です」
「すまない。もうしないから、機嫌を直してくれないか?」
 拗ねてしまったカメリオを愛らしく思いながらも、ここで肩を撫でるなどしては逆効果だとトゥルースも心得ている。手桶の水を背中に掛けてやり、カメリオの機嫌が直るのをトゥルースは大人しく待った。請うような眼差しで、じっとカメリオの顰めた眉間を見つめれば、やがてカメリオの表情は幾らか柔らかいものになった。
「……今度は俺が番頭さんの背中を流しますから、後を向いてください」
「ああ、頼んだ」
 幾らか機嫌を直したらしいカメリオに安堵しつつ、トゥルースは背中を向けた。程無くして背中に練り石鹸をわしわしと擦り付けてくるカメリオに、トゥルースは微笑ましいものを覚える。心地良い刺激を背に受けながら、トゥルースは改めて本来の苦役刑を選ぶ苦役刑囚の使い道について思考を整理していた。
(他の島に比べて島民の流出は少ないが、如何せん砂蟲に労働力を削られ過ぎているのがこの島の現状だ。移住者を期待するにも、迎え入れる体制も整っていない)
 砦の男達は砂蟲の活動時期である乾季には砦にほぼ掛かり切りになり、この時期の砂蟲狩り以外の肉体労働は、市場の警邏や苦役刑囚の見張り等に限られている。農作物を狙う害獣の駆除は、傭兵に委託しているのが現状だ。砂蟲により一家ごと命を落とした者達が住んでいた家屋は、砂に荒れ果て廃屋と化している物も多い。力が足りず、手が回らず、やがて捨て置かれた様々な事象を、バハルクーヴ島民は仕方が無いものとして受け入れているが、これらがじりじりと島民の気力を蝕んでいるのも事実だ。
(砂蟲のを受けた場所の大規模な修繕については雨季に海都から指南役の技士を呼ぶとして、廃屋の整備を任せる者達は島の大工の下につけるか……これも調整が必要だな)
 トゥルースは商人だ。しかし、この島の事実上の総督でもある。自身の商いが、采配が、この島に住まう者達の命運を握っているのだ。だが、責任は全て自らが負うにせよ、独りよがりでは物事は進まないこともトゥルースは理解している。
(苦役刑囚達の振り分けについては、明日の朝にでも小僧達に共有するか。彼等も、この島に住まう中で気になる点は多いだろう)
 この島の問題に肉眼で触れてきたという点では、商会支部で働く小僧達の方がトゥルースより経験豊富だ。ここまでの交流や面談で、彼等がこの島の状況を少しでも改善したいと考えていることはトゥルースも理解している。
 トゥルースが掲げる目標であるバハルクーヴ島から海都への安全な航路が、いたずらにバハルクーヴ島の人口を流出させる原因や海都からの皮肉な見物客を呼び込むだけに留まらないためにも、島内の環境改善は疎かにできない課題だ。手探りではあるが、成し遂げねばならない。
「番頭さん……大丈夫ですか?」
 思考に没頭していたトゥルースの肩を、カメリオは心配そうに揺する。どうやら口の中でぶつぶつと独り言を呟いていたらしいトゥルースに、カメリオは蒸し風呂の蒸気でのぼせたと心配したようだ。
「ああ……少し、考え事をしていてな」
 振り返れば、カメリオは心配そうな顔をしてトゥルースを見つめている。トゥルースは安心させるように微笑み、カメリオの頬を撫でた。
「おかげでのぼせずに済んだようだ。ありがとう」
「それなら……いいですけど」
 面映ゆそうにしながらも抓ってはこないカメリオに、トゥルースはおや、と思いながらもそれについて指摘はしなかった。触り心地が良い頬から名残惜しく手を離せば、カメリオははっとしたような顔でトゥルースに告げてきた。
「えっと……水を掛けるから、後を向いてください」
「了解した」
 どうやらトゥルースが考え事をしている間も健気に付き合ってくれたカメリオも、のぼせてしまっていたのかもしれない。頭上から容赦なく降り注ぐ手桶の水の生ぬるさも、トゥルースには妙に心地よく感じられた。
 トゥルースがカメリオと公衆浴場でじゃれ合っている頃、農場の顔役であるグラートは自宅にて妻のネメシアと共に夜なべに勤しんでいた。先の収穫で出た麦わらで、農作業用の帽子を拵えているようだ。
「皆さんが受け入れてくれてよかったですねぇ、あなた」
「そうだねぇ……皆には少しずるい伝え方になってしまったけど、了解してくれてほっとしているよ」
 グラートがトゥルースに嘆願した、苦役刑囚の農場への配置は、グラートの独断で決めたものであった。グラートも、農場の者達が抱く傭兵への不信は重々理解している。だが、個々人の感情を抜きにしてもこのままでは労働力不足により農場が立ち行かなくなることを、グラートは日々の仕事の中に痛感していた。先のトゥルース暗殺未遂の実行犯達が苦役刑囚として、多数収容されていると噂に聞きつけたグラートは、賭けに出たのだ。
「ネメシアさん。君にも苦労を掛けるけれども――我々の努力はきっと、後々の子供達を助ける糧となるはずだよ」
「あたしとあなた。それから農場の皆さんと新しい仲間の皆さん……皆で手を取り合って、がんばりましょうね」
 かねてよりグラートの薫陶を受けてきたネメシアは、グラートの第一の理解者であった。学びを共有し、共に苦難を分かち合うことで元は蒙昧な傭兵であった苦役刑囚達も、立派な農夫に成り仰せるとネメシアは信じている。グラートから事後報告を受けた農場の者達も、ネメシアに引き摺られる形でグラートの企てに賛同したのだ。
「さあ、一休みしたところでもう少し頑張ろうか」
 出来上がった帽子を被る者達が、きっと志を同じにしてくれることをグラートは願っていた。それは日々の暮らしを堅実と慎重の中に生きてきたグラートをして、初めての冒険であった。
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