絶砂の恋椿

ヤネコ

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知らない気持ち

11―2

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 カームビズ商会からの事実上の支援に、バハルクーヴ島の市場を取り仕切るヴァンダは深く頭を下げた。商会に対するヴァンダの個人的な感情は、複雑そのものだ。カームビズ商会が見舞いと称して行った大規模な金銭的補填は、苦役刑囚達が事実上踏み倒したツケによる焦げ付きを把握していながらも場当たり的な対処しかできなかった、ヴァンダの顔を潰すものでもあった。
 しかし、丸潰れとなったヴァンダ個人の面子やバハルクーヴ島の市場区域の独立性を損なうという点を差し引いても、此度の支援は市場区域で商いをする者達の助けとなったのだ。新任の責任者であるトゥルースへの個人的な嫌悪感や、農場の者達からの歓心を買ったタイミングでのの使用――事実、農婦達との世間話も相俟って、市場区域でのカームビズ商会の評判は見違える程に向上した――という海都臭さは頭の隅に追い遣り、ヴァンダは市場を代表して感謝の意を示した。
「顔を上げてくれ」
 応接室にてヴァンダと向かい合って掛けるトゥルースは、商会支部を訪った女丈夫に声を掛けた。イフラースからの報告によれば、苦役刑囚達は市場区域で飲み食いさせるのを商いとした店の殆どで、ツケを溜めていたらしい。
「便宜上見舞金とは呼んでいるが、これは苦役刑囚が自らの刑期を以てツケを払ったに過ぎない。しかし、我々の仲介が君達の助けになったのであればなによりだ」
 どこか含むものを感じるヴァンダの瞳を優しく見つめながら、トゥルースは言葉を紡ぐ。
 海都の市民層の居住区であれば、無銭飲食などしようものなら直ちに巡邏兵にしょっ引かれることだろうが、お人好しが多いバハルクーヴ島では、金が無い者には名前と顔を担保に、ツケで飲み食いをさせることが恒常化しているようだ。これも彼等の清き精神性が成せる業なのだろうが、人の善意を己の器量と取り違える小賢しい者達には、文字通り食い物にされるばかりだろう。
「今後、君達の親切心につけ込んだ困り事があれば――遠慮無く、商会に相談してくれ」
「……なにからなにまで、すみませんね」
 トゥルースの背後に侍るカメリオには、再び頭を深く下げるヴァンダの両掌が、強く握りしめられたのが見えた。ヴァンダは、自身を不甲斐なく感じているのだろうか。背後に庇う市場区域で働く者達のために、おそらくは彼女の性格からして好んではいないのであろうトゥルースに頭を下げる姿は、カメリオに胸が詰まる心地を覚えさせた。しかし、今のカメリオは自身にとって伯母のような存在であるヴァンダ側の立場ではなく、トゥルースに万が一の危害が及ばないようこの部屋で侍るに過ぎない。
 程なくしてヴァンダは応接室を退出したが、カメリオの方を一瞥することも無かった。
「彼女の面子を潰してしまったか――根回しを怠った俺が悪いな」
「……本当は、こうなるって気付いてたんじゃないですか?」
 どこか白々しいトゥルースの言葉に、カメリオは些か腹が立った。先に小僧達の意見を募った際、トゥルースはイフラースの提案が、市場区域を取り仕切るヴァンダの頭上を素通りしたものであることに気付いていたのではないか。ひょっとしたらヴァンダの謝意の裏側に潜んだ悔しさすら、トゥルースは見越していたのではないか。疑念に自然と、詰問じみた言葉が唇から零れていた。
「彼女には商会を盲信してもらいたくないんだ。続きは、今夜の議題としよう」
 肯定を匂わせるトゥルースの言葉に、カメリオは大人しく頷いた。これ以上の問答は、仕事中に行うものではないという分別はカメリオにもつく。
 日中の仕事をこなし、トゥルースから海都の比喩的な表現について幾つか教えられたところで、カメリオは改めてトゥルースに訊ねた。
「どうして、ヴァンダさんの面子を潰すような方法を採ったんですか?」
「この一件は、ヴァンダの面子よりこの島で商いを行う者達の実利を優先させてもらった。この島の市場を取り仕切る彼女は、商会からのを嫌がる可能性があるからな」
 確かにヴァンダなら商会からの支援に難色を示していたかもしれない、と彼女の性格をよく知るカメリオは思い至る。トゥルースが着任するまでのこれまでを思えば、市場で商いをする者達を可愛がっているヴァンダが商会に懐疑的なのは当然と言えた。
「そうかもしれませんけど、筋を通した方が、ヴァンダさんに悔しい思いをさせなかったと思います」
 しかし、トゥルースならヴァンダの顔を立ててやるくらいの気遣いはできただろうに、と考えるカメリオは食い下がる。
 そんなカメリオの考えを見透かしたように、トゥルースは言葉を継いだ。
「尤も、彼女がどう決断しようが今回の件を事前に打診していれば、彼女の立場は不味いものになったかもしれないな」
 トゥルースが継いだ言葉に、カメリオははてなと首を傾げた。
「それは……ヴァンダさんが断ったから、市場の困ってる人が見舞金が貰えなくなったって話なら――立場が悪くなるかも、しれないですけど……」
「話を呑んだとして、君は商会の言うがままを通す者になった彼女を、市場の者達がこれまで通りに慕うと思うかな?」
「……がっかりする人も、いるでしょうね」
 商会がヴァンダに筋を通して見舞金の件を彼女に伝え、それを呑んだヴァンダが市場の者達に伝えるのであれば、それは商会の使い走りと変わらない。ヴァンダと同じく商会に懐疑的な者達は、懐柔を疑い失望するかもしれない。トゥルースの言葉を理解したカメリオは、唇を噛んだ。
「彼女は最善を尽くしたが及ばず、商会は義理を欠いたが最良を及ぼした。それぞれが別の意思で、しかしどちらもが市場の為に動いた――そういう筋書きが、好ましい場合もあるということさ」
 カメリオはトゥルースの方便をずるいとも思ったが、それが今後のヴァンダの立場を守るには、最も収まりが良い遣り方なのかもしれないとも考えた。そこまで考えて、ふとカメリオは昼間のトゥルースが告げた意味深な言葉を思い出した。
「……ヴァンダさんに盲信してほしくないっていうのは、これからも商会とは別の意思で動いて欲しいってことですか?」
「その通りだ。君は、俺の考えをよく理解してくれているな」
 嬉しそうに微笑むトゥルースの言葉を、嬉しいと思ってしまう自分の心が、カメリオには居心地が悪く感じられた。むず痒いような、困るような心地がざわりと胸の奥を撫でる。
「さて。名残惜しいが、今日の授業はこれで終わりだ。部屋に戻って休んでくれ」
「わかりました」
 トゥルースから学んだことで知らない言葉に名前があることを知ったように、この居心地の悪さにもきっと名前があるのだろうと、カメリオは思っている。だが同時に、カメリオはその名前を知ることを怖れていた。
「おやすみ、マリウス。良い夢を」
「おやすみなさい……番頭さん」
 閉まる扉の音を名残惜しみながら、トゥルースは翌日の授業のための準備に取り掛かった。教養すればするほどに吸収し、自らの思考の糧とするカメリオに教えを施す時間は、最早トゥルースにとってはかけがえのない時間だ。打てば響く者を育てる楽しさが、可愛く思っている者を愛でる楽しさが、そこにはあった。
「この上君の心まで希うのは、強慾が過ぎるだろうか」
 自身の独り言が存外上せていたのに、トゥルースは苦笑する。カメリオがこのところはよく見せてくれるようになった照れたような表情は、思い浮かべるトゥルースに自身が恋の虜であることを、まざまざと自覚させた。
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