笹竜胆(ささりんどう)咲く ~源頼朝、挙兵~

四谷軒

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第一部 以仁王の挙兵

06 以仁王(もちひとおう)の令旨(りょうじ)

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「大したことはござんせん、このあっし……新宮十郎しんぐうじゅうろうこと源行家みなもとゆきいえにも、宮さまのたくらみに、一枚噛ませてもらおうってね」

 行家は熊野という独特の世界での権力闘争の間近にいて、その独特の嗅覚を養っていた。
 その――争いのを感じるという嗅覚を。

「宮さまは帝になりたい。あっしは源氏を盛り返して、そのになりたい。お互い、やりたいことが似てますでしょ?」

 行家の語りには、惹きつけられるものがあった。
 何より、自分のやりたいことをまず一番に当ててくるところが、心憎い。

「よかろう」

 以仁王もちひとおうは、寝所に行家を招いた。
 行家は音もなく上がって来る。
 このあたり、熊野で身につけた、何がしかの隠形おんぎょうの術かもしれない。

「まずは摂津源氏。この棟梁の源三位頼政げんざんみよりまさを説く」

 以仁王にはある考えがあった。
 摂津に本拠を置く頼政が、なぜ清盛の平氏政権の中、生きながらえているのか。
 従三位じゅさんみという、高位に昇らせたのか。
 それについて考えがあり、頼政を動かすのは、まさにその考えであると確信があった。

「……そいつぁ、どんな考えで?」

「今はまだ言えぬ」

 気づかれたら、それこそ素早く清盛は対策して来る。
 今こうして、睦言むつごとわすように話している行家とのことも、どこぞで禿かむろ(清盛の間諜。肩まで切った髪(禿)の少年を用いたことから、こう言われた)が、聞き耳を立てているやもしれぬ。

「……ま、いいでさぁ」

 行家にとっては、どちらかといえばあまり縁のない摂津源氏に対して、どうこういう思いはない。
 思いは、河内源氏の係累にある。
 行家の感じた、以仁王から漂うこのが、河内源氏につながるような気がしてならないのだ。

「時に、行家」

「何でさぁ」

「そなた、本当に――各地の源氏を把握しておるのか」

「言われるまでも、ありやせん」

 実は河内源氏だけでなく、甲斐源氏や近江源氏、美濃源氏にまで、行家は触手を伸ばしていた。
 要は、摂津源氏のような内裏に出入りする源氏以外は、すべて手をつけていた。

奴らほど、争いのがする。つまりはそれだけ、暴れてくれますぜ、宮さま」

「そうか」

 では使えるのうと以仁王はつぶやき、筆をった。

「……これより、令旨りょうじを出す」

「令旨?」

「そう、令旨だ」

 しかし令旨とは皇太子、あるいは親王の出すものである。
 まだ王に過ぎない以仁王には、出せないものだ。
 その程度の常識は、さすがの行家も持っていた。

「だからじゃ、行家」

 以仁王はしたり顔をした。
 彼は、令旨の発信者として「最勝親王」と記した。
 勝手に、今作った称号の親王である。

「令旨の方が、格好がつく。皇太子の出したものなら――まあこれは親王だが――各地の源氏も、従おうというもの」

「はあ……」

「わからぬか」

 以仁王は行家ににじり寄って、その手を握った。
 これではまるで、口説かれているようだと行家は思った。

「各地の源氏も、いざという時に親王の出したものだから、と言い訳ができる。仮に平家に追い詰められたりした時に、の」

「あ」

 親王という、次期帝位継承者候補者の命令なら、と従う口実にできる、と以仁王は言いたいのだ。
 各地の源氏は平家に不満を持つ。
 だから決起したいところだが、負けたあとが怖い。
 そこへ令旨を与えてやれば、「自分は悪くない。親王の命令に従っただけ」と言い訳ができる。
 行家は震えた。
 この宮さまは、何ということを思いつくのだ。

「乗った。いや、乗らせてください、宮さま」

「やってくれるか」

「へい、持っていきましょう。説きましょう。その令旨の表の意味も……裏の意味も含めて」

 源行家。
 彼もまた、河内源氏の一族である。
 後世から、扇動者アジテーターとしては最高の手腕を持つとされる男。
 その男が、英邁なる王の命の下、全国へ令旨をもたらす。
 そこから始まる大乱が、やがて時代を――歴史を変えるとは、つゆ知らずに。



 新宮十郎こと源行家は、意気揚々と伊豆に現れた。
 四月二十七日のことである。
 行家は、むろん頼朝だけでなく、全国各地の源氏、あるいは反平家勢力の有力豪族などを訪れており──自らが隠れ住んでいたた熊野は真っ先に訪れたが──やはり河内源氏の嫡子である頼朝を押さえたいらしく、四月九日に京を発ったにしては、早い到着であった。

「頼朝どのはおられるか。あっしは……いや、それがしは、源十郎行家である。同じ河内源氏じゃ、頼朝どのの叔父である」

 流人として生活している頼朝だが、当然ひとりで住んでいるわけではなく、身の回りを世話する者もいる。
 その中で、安達盛長あだちもりなががまず行家の来意を受けた。

茅屋ぼうおくでござるゆえ、失礼を承知で、外でお待ちいただけますか」

 のちに鎌倉幕府の十三人の合議制の一員となるだけあって、盛長は勘がいた。

「この方を、すぐに頼朝どのに会わせるのはまずい」

 平治の乱により、河内源氏は滅んだと言っていい。さなくば、頼朝のように世の片隅に流人、罪人として生きる身だ。
 そんな頼朝に、敢えて「河内源氏」だの「叔父」だの言って、会わせろと言う。

「これは何かある。絶対に何かある」

 怪しい、とまでは言わなかったが、盛長は娘の亀を呼んで、自分は行家の相手をしているから、その間に頼朝に会って、行家にどう対応するか判断を仰げと言った。
 亀は、その切れ長の目で山伏姿の行家をちらりと見た。

「……どうせなら、父上。そこのの持ち物を改めた方が、良くはないですか? とりあえず預かるとか言って」

「おい、お前」

 盛長は娘の口を押さえた。
 娘はその大きな手をはがして、さらに言いつのる。

「だって、頼朝さまの判断を仰ぎたいんでしょう? だったら、何を言いに来たか、あるいは持って来たか、確かめる方が良くないですか?」

「わかった、わかった」

 盛長は動揺しながらも、娘の言うことに一理あると認めた。
 ついこの間も、頼朝の父・義朝の髑髏どくろを持参したという怪僧が現れたことだし、用心にくはなし。

「じゃ、ちょっと待ってろ」

 亀が十数える頃には、盛長は行家の行李こうりを手に入れていた。
 行家は、せっかくの伊豆で、まず湯を浴びて欲しいと言われると、一もにもなく同意を示し、盛長の指差す方へと向かっていった。

「……何ぞ、歓待でもあるのかと誤解しているようではあるが」

「勝手に誤解させておけばいいでしょう。やっぱり京畿の人間は軽薄ですね」

 亀は遠慮なく行李の中身を地面にぶちまけた。
 雑多な中でもひと目でわかる令旨の巻物を手にし、一気に広げる。

「こ、れは……」

「覚えました。頼朝どののところへ行ってきます」

 おそらく頼朝は、また政子と会うために、伊豆山権現。
 亀は、本当に京畿の人間は軽薄と毒づきながら、伊豆山へ向かった。
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