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第三部 石橋山の戦い
33 その半島の名
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話は前後する。
大庭景親が梶原景時らを伴って頼朝探索に向かった時。
景親の弟・俣野景久は、渋谷重国らと共に、石橋山の掃討と、やはり頼朝を探索している時のこと。
「甲斐の武田がだと?」
俣野景久の陣に、甲斐源氏・武田信義が挙兵した、との報が入った。
*
甲斐源氏・武田信義は、かねてから北条時政と源六郎範頼を頼朝から預けられており、それによって、頼朝に対して、ある約定を結んだ。
「頼朝どのが立てば、甲斐源氏も立とう」
ただし、同時ではなく、その頼朝挙兵の方を聞いてから――と、勝手に条件を加え、しかもそれを言うことはなかった。
時政は素直に喜んだが、範頼は無表情だった。
「兄上の言ったとおりだ」
範頼は、心胆寒からしめるとはこのことだ、と怖気を震った。
頼朝は、最初から武田に同時挙兵を期待していない。
むしろ、頼朝の挙兵を機として、その我欲によって駿河へと触手を伸ばすことを予期していた。
「となると、駿河の目代・橘遠茂はどう出るか」
かつて、承平・天慶の乱において、平将門相手に防戦し、かつ、藤原純友を討った、橘遠保の末裔といわれる。
「遠祖の遠保は優れた武士だったようだが、さて、遠茂はどうか」
頼朝はそのように言っていたが、どうなるかはわかっているような物言いだった。
それもそのはず、橘遠茂は累代、駿河の富士郡を本拠とする家柄であり、近国の伊豆でずっと流人をしていた頼朝は、すでに遠茂がいかなる人物かの情報を得ていた。
「それに範頼、遠江・池田宿と蒲御厨に縁を持つ、そなたがいる」
範頼の母は池田宿の長者の娘、範頼の生まれ育った地は蒲御厨である。
加えて、京と伊豆を往還する日々を過ごしていたため、街道筋の話に聡い。
「……はあ、わかりましたよ。だから甲斐から武田が駿河を攻める時、帯同すればいいんでしょう」
「そうだ」
北条時政は、人質として甲斐に残り、源範頼は武田のいくさを助けるために従軍する。
実に上手くできた配置である。
「頼むぞ範頼、おそらく駿河目代・橘遠茂は、十中八九、相模の大庭に助力を仰ぐ」
甲斐武田の事前準備した攻撃に即応できる――と思うような勘違いを、橘遠茂はしない。
ちょうど近くの相模に戦闘準備を終え、実際に戦闘したばかりの大庭の兵がいる、と遠茂は考えるだろう。
駿河の目代の要請とあっては、大庭景親も断れない。
「それは治安のためという、公の理由。しかも、目代という立場の者がそれを頼んでいる以上、断る術はない」
こうして駿河目代・橘遠茂は相模に向けて早馬を飛ばす。
石橋山にいた俣野景久は即座に兄・大庭景親にそれを伝えたが、景親はある事情により自身はその要請に応じず、俣野景久の率いる部隊を駿河に向かわせた。
*
大庭景親は武田の出兵を聞いた時、頭をかかえた。
今から三浦を目指し、頼朝を捕捉しようとする、その時に。
「なんてことをしてくれる」
だが、すでに敗北した頼朝を追うより、現実に兵を起こして襲って来る武田の方が脅威、と言われればそれまでである。
駿河の目代の公的な要請、という時点で断れない。
「しかたない……こうなれば三浦に向かっている畠山重忠を呼び戻そう」
畠山重忠は、三浦と血がつながっている。
そのため、いくさではなく、説諭により武装解除させるよう期待していた。
そもそも、三浦は石橋山の戦いに間に合っていない。
戦っていないから、不問に付すことは可能だ。
「しかし事態が変わった。この大庭景親が、三浦に文でも使いでも出して、もう戦うなと言うか」
三浦が戦うのをやめさせ、頼朝の所在を問う。
いないと言われればそれまでだが、その間にも景親は、大庭の本隊と畠山と、手元にいる海老名季貞の部隊で海を「張って」、頼朝を捕捉することができる。
三浦に頼朝がいたとしても、結局は海を目指すのはわかっている。
だからこれが、現状で採れる、最善の選択肢だった。
「……そうだ。どうせなら平三(梶原景時のこと)に、わしの文を持たせるか」
あの者なら、そういう説諭に向いている。
そこまで考えたところで、畠山重忠から急ぎの早馬が入った。
「何? 畠山が三浦と合戦? どういうことだ!」
*
ことの起こりはこうだ。
畠山重忠は、石橋山の戦いのあと、大庭景親から「三浦へ向かえ」と命じられた。
それは言外に、三浦との縁のある重忠(重忠の継母が三浦義澄の娘)に、三浦を説得して、頼朝に味方させるのをやめさせろという意味があった。
「しかも今、畠山の当主たる父・重能が大番役(京の警護)で京にいて不在。であれば、十七歳の重忠に、合戦は荷が重い」
大庭景親は彼なりに、若い重忠に気を遣って、三浦を追わせ、説諭を任せた。もし失敗したら、景親自身が出張って、戦うなり説得するなりするつもりでいた。
ところが──。
*
石橋山の戦いのあと、畠山重忠はすぐに五百騎を引き連れて、金江川というところに至り、そこに陣を構えた。
「ここにいれば、三浦が酒匂川から引き返してくれば、出会えるはず」
重忠は若いながらも、のちに優れた武将として名をなすだけあって、良い戦略眼を持っていた。
案の定、三浦義澄率いる三百騎が畠山の陣の近くに至る。
義澄の老父・義明が守る衣笠城に辿り着くには、ここを通らねばならない。
義澄の末子・佐原義連は、「あのような者ども、蹴散らして行け」と主張したが、義澄は首を振った。
「よせ。今ぶつかっても、数が少ないこちらが負けるぞ」
義澄はみずから物見に出て、畠山の陣と、由比ヶ浜を見て、波打ち際を行くことを命じた。
「轡を鳴らすな。蹄の音は、波に合わせろ。とにかく、畠山に勘づかせるな。勘づいても、素知らぬ振りだ。とにかく、帰るぞ」
義澄は冷静に、畠山がただ戦いに来たわけではないことを見抜いていた。
それに、頼朝が負けて行方をくらませた今、闇雲に戦うつもりはない。
頼朝はまだ、首を取られていない。
ということは、先に北条政子を通じて言ってきたとおり、「三浦の宿願」をかなえるために動いている。
「ならばこの三浦の役割は、あれなる畠山や大庭を、引きつけるだけ、引きつけること」
政子は、政子自身もそれほど知らされていないのか、どのようにして三浦の宿願、つまり房総への進出をかなえるのかまでは語らなかった。
おそらく、盗み聞きや裏切りを警戒してのことだろうが、それが頼朝のやり方なのだ。
答えを知りたくば、おのれで考えろ──という。
「そしておぼろげながら、この義澄にも今、それが見えてきた」
海へ至るには、三浦半島でなくても良い。
今、頼朝のそばには、土肥実平がいる。
真鶴という半島を領する、土肥実平が。
たしか、あの半島の名の由来は、何だっただろうか。
大庭景親が梶原景時らを伴って頼朝探索に向かった時。
景親の弟・俣野景久は、渋谷重国らと共に、石橋山の掃討と、やはり頼朝を探索している時のこと。
「甲斐の武田がだと?」
俣野景久の陣に、甲斐源氏・武田信義が挙兵した、との報が入った。
*
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ただし、同時ではなく、その頼朝挙兵の方を聞いてから――と、勝手に条件を加え、しかもそれを言うことはなかった。
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「兄上の言ったとおりだ」
範頼は、心胆寒からしめるとはこのことだ、と怖気を震った。
頼朝は、最初から武田に同時挙兵を期待していない。
むしろ、頼朝の挙兵を機として、その我欲によって駿河へと触手を伸ばすことを予期していた。
「となると、駿河の目代・橘遠茂はどう出るか」
かつて、承平・天慶の乱において、平将門相手に防戦し、かつ、藤原純友を討った、橘遠保の末裔といわれる。
「遠祖の遠保は優れた武士だったようだが、さて、遠茂はどうか」
頼朝はそのように言っていたが、どうなるかはわかっているような物言いだった。
それもそのはず、橘遠茂は累代、駿河の富士郡を本拠とする家柄であり、近国の伊豆でずっと流人をしていた頼朝は、すでに遠茂がいかなる人物かの情報を得ていた。
「それに範頼、遠江・池田宿と蒲御厨に縁を持つ、そなたがいる」
範頼の母は池田宿の長者の娘、範頼の生まれ育った地は蒲御厨である。
加えて、京と伊豆を往還する日々を過ごしていたため、街道筋の話に聡い。
「……はあ、わかりましたよ。だから甲斐から武田が駿河を攻める時、帯同すればいいんでしょう」
「そうだ」
北条時政は、人質として甲斐に残り、源範頼は武田のいくさを助けるために従軍する。
実に上手くできた配置である。
「頼むぞ範頼、おそらく駿河目代・橘遠茂は、十中八九、相模の大庭に助力を仰ぐ」
甲斐武田の事前準備した攻撃に即応できる――と思うような勘違いを、橘遠茂はしない。
ちょうど近くの相模に戦闘準備を終え、実際に戦闘したばかりの大庭の兵がいる、と遠茂は考えるだろう。
駿河の目代の要請とあっては、大庭景親も断れない。
「それは治安のためという、公の理由。しかも、目代という立場の者がそれを頼んでいる以上、断る術はない」
こうして駿河目代・橘遠茂は相模に向けて早馬を飛ばす。
石橋山にいた俣野景久は即座に兄・大庭景親にそれを伝えたが、景親はある事情により自身はその要請に応じず、俣野景久の率いる部隊を駿河に向かわせた。
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大庭景親は武田の出兵を聞いた時、頭をかかえた。
今から三浦を目指し、頼朝を捕捉しようとする、その時に。
「なんてことをしてくれる」
だが、すでに敗北した頼朝を追うより、現実に兵を起こして襲って来る武田の方が脅威、と言われればそれまでである。
駿河の目代の公的な要請、という時点で断れない。
「しかたない……こうなれば三浦に向かっている畠山重忠を呼び戻そう」
畠山重忠は、三浦と血がつながっている。
そのため、いくさではなく、説諭により武装解除させるよう期待していた。
そもそも、三浦は石橋山の戦いに間に合っていない。
戦っていないから、不問に付すことは可能だ。
「しかし事態が変わった。この大庭景親が、三浦に文でも使いでも出して、もう戦うなと言うか」
三浦が戦うのをやめさせ、頼朝の所在を問う。
いないと言われればそれまでだが、その間にも景親は、大庭の本隊と畠山と、手元にいる海老名季貞の部隊で海を「張って」、頼朝を捕捉することができる。
三浦に頼朝がいたとしても、結局は海を目指すのはわかっている。
だからこれが、現状で採れる、最善の選択肢だった。
「……そうだ。どうせなら平三(梶原景時のこと)に、わしの文を持たせるか」
あの者なら、そういう説諭に向いている。
そこまで考えたところで、畠山重忠から急ぎの早馬が入った。
「何? 畠山が三浦と合戦? どういうことだ!」
*
ことの起こりはこうだ。
畠山重忠は、石橋山の戦いのあと、大庭景親から「三浦へ向かえ」と命じられた。
それは言外に、三浦との縁のある重忠(重忠の継母が三浦義澄の娘)に、三浦を説得して、頼朝に味方させるのをやめさせろという意味があった。
「しかも今、畠山の当主たる父・重能が大番役(京の警護)で京にいて不在。であれば、十七歳の重忠に、合戦は荷が重い」
大庭景親は彼なりに、若い重忠に気を遣って、三浦を追わせ、説諭を任せた。もし失敗したら、景親自身が出張って、戦うなり説得するなりするつもりでいた。
ところが──。
*
石橋山の戦いのあと、畠山重忠はすぐに五百騎を引き連れて、金江川というところに至り、そこに陣を構えた。
「ここにいれば、三浦が酒匂川から引き返してくれば、出会えるはず」
重忠は若いながらも、のちに優れた武将として名をなすだけあって、良い戦略眼を持っていた。
案の定、三浦義澄率いる三百騎が畠山の陣の近くに至る。
義澄の老父・義明が守る衣笠城に辿り着くには、ここを通らねばならない。
義澄の末子・佐原義連は、「あのような者ども、蹴散らして行け」と主張したが、義澄は首を振った。
「よせ。今ぶつかっても、数が少ないこちらが負けるぞ」
義澄はみずから物見に出て、畠山の陣と、由比ヶ浜を見て、波打ち際を行くことを命じた。
「轡を鳴らすな。蹄の音は、波に合わせろ。とにかく、畠山に勘づかせるな。勘づいても、素知らぬ振りだ。とにかく、帰るぞ」
義澄は冷静に、畠山がただ戦いに来たわけではないことを見抜いていた。
それに、頼朝が負けて行方をくらませた今、闇雲に戦うつもりはない。
頼朝はまだ、首を取られていない。
ということは、先に北条政子を通じて言ってきたとおり、「三浦の宿願」をかなえるために動いている。
「ならばこの三浦の役割は、あれなる畠山や大庭を、引きつけるだけ、引きつけること」
政子は、政子自身もそれほど知らされていないのか、どのようにして三浦の宿願、つまり房総への進出をかなえるのかまでは語らなかった。
おそらく、盗み聞きや裏切りを警戒してのことだろうが、それが頼朝のやり方なのだ。
答えを知りたくば、おのれで考えろ──という。
「そしておぼろげながら、この義澄にも今、それが見えてきた」
海へ至るには、三浦半島でなくても良い。
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