笹竜胆(ささりんどう)咲く ~源頼朝、挙兵~

四谷軒

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第三部 石橋山の戦い

33 その半島の名

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 話は前後する。
 大庭景親が梶原景時らを伴って頼朝探索に向かった時。
 景親の弟・俣野景久は、渋谷重国らと共に、石橋山の掃討と、やはり頼朝を探索している時のこと。

「甲斐の武田がだと?」

 俣野景久の陣に、甲斐源氏・武田信義が挙兵した、との報が入った。



 甲斐源氏・武田信義は、かねてから北条時政と源六郎範頼を頼朝から預けられており、それによって、頼朝に対して、ある約定やくじょうを結んだ。

「頼朝どのが立てば、甲斐源氏も立とう」

 ただし、同時ではなく、その頼朝挙兵の方を聞いてから――と、勝手に条件を加え、しかもそれを言うことはなかった。
 時政は素直に喜んだが、範頼は無表情だった。

「兄上の言ったとおりだ」

 範頼は、心胆寒からしめるとはこのことだ、と怖気おぞけを震った。
 頼朝は、最初から武田に同時挙兵を期待していない。
 むしろ、頼朝の挙兵を機として、その我欲によって駿河へと触手を伸ばすことを予期していた。

「となると、駿河の目代・橘遠茂たちばなのとおもちはどう出るか」

 かつて、承平じょうへい天慶てんぎょうの乱において、平将門相手に防戦し、かつ、藤原純友ふじわらのすみともを討った、橘遠保たちばなのとおやすの末裔といわれる。

「遠祖の遠保は優れた武士だったようだが、さて、遠茂はどうか」

 頼朝はそのように言っていたが、どうなるかはわかっているような物言いだった。
 それもそのはず、橘遠茂は累代、駿河の富士郡を本拠とする家柄であり、近国の伊豆でずっと流人をしていた頼朝は、すでに遠茂がいかなる人物かの情報を得ていた。

「それに範頼、遠江・池田宿と蒲御厨かばのみくりやに縁を持つ、そなたがいる」

 範頼の母は池田宿の長者の娘、範頼の生まれ育った地は蒲御厨である。
 加えて、京と伊豆を往還する日々を過ごしていたため、街道筋の話に聡い。

「……はあ、わかりましたよ。だから甲斐から武田が駿河を攻める時、帯同すればいいんでしょう」

「そうだ」

 北条時政は、人質として甲斐に残り、源範頼は武田のいくさをけるために従軍する。
 実に上手くできた配置である。

「頼むぞ範頼、おそらく駿河目代・橘遠茂は、十中八九、相模の大庭に助力を仰ぐ」

 甲斐武田の事前準備した攻撃に即応できる――と思うような勘違いを、橘遠茂はしない。
 ちょうど近くの相模に戦闘準備を終え、実際に戦闘したばかりの大庭の兵がいる、と遠茂は考えるだろう。
 駿河の目代の要請とあっては、大庭景親も断れない。

「それは治安のためという、おおやけの理由。しかも、目代という立場の者がそれを頼んでいる以上、断るすべはない」

 こうして駿河目代・橘遠茂は相模に向けて早馬を飛ばす。
 石橋山にいた俣野景久は即座に兄・大庭景親にそれを伝えたが、景親はある事情により自身はその要請に応じず、俣野景久の率いる部隊を駿河に向かわせた。



 大庭景親は武田の出兵を聞いた時、頭をかかえた。
 今から三浦を目指し、頼朝を捕捉しようとする、その時に。

「なんてことをしてくれる」

 だが、すでに敗北した頼朝を追うより、現実に兵を起こして襲って来る武田の方が脅威、と言われればそれまでである。
 駿河の目代の公的な要請、という時点で断れない。

「しかたない……こうなれば三浦に向かっている畠山重忠を呼び戻そう」

 畠山重忠は、三浦と血がつながっている。
 そのため、いくさではなく、説諭せつゆにより武装解除させるよう期待していた。
 そもそも、三浦は石橋山の戦いに間に合っていない。
 戦っていないから、不問に付すことは可能だ。

「しかし事態が変わった。この大庭景親が、三浦にふみでも使いでも出して、もう戦うなと言うか」

 三浦が戦うのをやめさせ、頼朝の所在を問う。
 いないと言われればそれまでだが、その間にも景親は、大庭の本隊と畠山と、手元にいる海老名季貞の部隊で海を「張って」、頼朝を捕捉することができる。
 三浦に頼朝がいたとしても、結局は海を目指すのはわかっている。
 だからこれが、現状で採れる、最善の選択肢だった。

「……そうだ。どうせなら平三へいざ(梶原景時のこと)に、わしの文を持たせるか」

 あの者なら、そういう説諭に向いている。
 そこまで考えたところで、畠山重忠から急ぎの早馬が入った。

「何? 畠山が三浦と合戦? どういうことだ!」



 ことの起こりはこうだ。
 畠山重忠は、石橋山の戦いのあと、大庭景親から「三浦へ向かえ」と命じられた。
 それは言外に、三浦との縁のある重忠(重忠の継母が三浦義澄の娘)に、三浦を説得して、頼朝に味方させるのをやめさせろという意味があった。

「しかも今、畠山の当主たる父・重能しげよしが大番役(京の警護)で京にいて不在。であれば、十七歳の重忠に、合戦は荷が重い」

 大庭景親は彼なりに、若い重忠に気を遣って、三浦を追わせ、説諭を任せた。もし失敗したら、景親自身が出張って、戦うなり説得するなりするつもりでいた。
 ところが──。



 石橋山の戦いのあと、畠山重忠はすぐに五百騎を引き連れて、金江川というところに至り、そこに陣を構えた。

「ここにいれば、三浦が酒匂川から引き返してくれば、出会えるはず」

 重忠は若いながらも、のちに優れた武将として名をなすだけあって、良い戦略眼を持っていた。
 案の定、三浦義澄率いる三百騎が畠山の陣の近くに至る。
 義澄の老父・義明が守る衣笠城に辿り着くには、ここを通らねばならない。
 義澄の末子・佐原義連さわらよしつらは、「あのような者ども、蹴散らして行け」と主張したが、義澄は首を振った。

「よせ。今ぶつかっても、数が少ないこちらが負けるぞ」

 義澄はみずから物見に出て、畠山の陣と、由比ヶ浜を見て、波打ち際を行くことを命じた。

くつわを鳴らすな。ひづめの音は、波に合わせろ。とにかく、畠山に勘づかせるな。勘づいても、素知らぬ振りだ。とにかく、帰るぞ」

 義澄は冷静に、畠山がただ戦いに来たわけではないことを見抜いていた。
 それに、頼朝が負けて行方をくらませた今、闇雲に戦うつもりはない。
 頼朝はまだ、首を取られていない。
 ということは、先に北条政子を通じて言ってきたとおり、「三浦の宿願」をかなえるために動いている。

「ならばこの三浦の役割は、あれなる畠山や大庭を、引きつけるだけ、引きつけること」

 政子は、政子自身もそれほど知らされていないのか、どのようにして三浦の宿願、つまり房総への進出をかなえるのかまでは語らなかった。
 おそらく、盗み聞きや裏切りを警戒してのことだろうが、それが頼朝のやり方なのだ。
 答えを知りたくば、おのれで考えろ──という。

「そしておぼろげながら、この義澄にも今、が見えてきた」

 海へ至るには、三浦半島でなくても良い。
 今、頼朝のそばには、土肥実平どひさねひらがいる。
 真鶴まなづるという半島を領する、土肥実平が。
 たしか、あの半島の名の由来は、何だっただろうか。
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