【短編】輿上(よじょう)の敵 ~ 私本 桶狭間 ~

四谷軒

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十 輿上(よじょう)の敵

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 おめき声が聞こえた。
 今川義元は不審に思い、近侍に物見を命じた。
かしこまってそうろう
 しかしその近侍が戻って来ない。
 さすがに異常を感じた義元が、それに気づいた時は、もう遅かった。
今川いまがわ治部じぶ大輔だゆう!」
 炯炯けいけいとした眼光。
 あれは。
「貴様、あの時の」
 斯波義銀から輿を取り上げた時。あの場に居合わせた。
「間者であったか」
「応。織田家中、簗田政綱!」
 政綱の隣には、木綿藤吉がおり、「早く」と服部小平太に手振りで合図していた。
「敵ながら天晴れな奴」
 義元は輿を打ち捨て、足を引きずりながらも、愛刀・左文字を抜いた。
「参れ」
 小平太が槍を構える。
「参る!」
 奇襲である。
 まともにぶつかっては勝ち目はない。
 それゆえ、きりのように突き刺さって、ここまで来た。
 後方では、織田信長自ら囮となって、今川兵とやり合っている。
 猶予は無い。
 小平太は無我夢中で槍を突いた。
 突いた槍は、義元の胴に突き刺さった。
「馬鹿め」
 義元はそれを見抜いていた。
 間者が足を引きずる自分を見ていたのは知っている。
 狙いが判れば。
 左文字が舞う。
「がっ」
 小平太の、膝が割れた。
「おあいこじゃ。これで……」
 小平太がくずおれる瞬間。
 その背後うしろで、怪鳥けちょうを見たような気がした。
「織田家中、毛利新介!」
 小平太を飛び越えて組み付いてきた新介は、義元にまとわりついた。
「うぬっ」
 こうなると足を痛めた義元は弱い。新介の腕が、義元の首に回る。
「そう易々とッ」
 義元のあぎとが開き、新介の指を噛んだ。
 だが、この機を逃がす新介ではない。新介は、やおら刀を抜いた。
「お覚悟」
 剣光一閃。
 義元の首が、飛んだ。

 永禄三年五月十九日。
 今川義元、たおれる。
 その天下を揺るがしたいくさにおいて、信長が何を狙っていたか、今となっては誰も知るよしはない。

 それはたぶん――あの時、桶狭間に打ち捨てられた輿だけが知っている。



【了】




(歌川豊宣, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で)
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