6 / 7
06 ピエトロ・ドーリアの最期
しおりを挟む
「突撃だ! おれたちの女を、あのアドリア海の女王・ヴェネツィアを、下着一枚残して脱がすなんざ、許しちゃあおけないぜ!」
カルロ・ゼンの放言は、乗組員らの失笑を誘ったが、拒まれたわけではなかった。
「……いいか、手前ら、先に受け取ったヴェットール・ピサーニからの書状のとおりにしろよ!」
ヴェットールはカルロ・ゼン艦隊接近の報を受け、すぐさま書状を送った。
これから行うある作戦を実行するために、友軍の「効果的」な戦いについて、指示を送ったのだ。
「まさかこんな策を採るとは」
カルロの背後で、副官が天を仰いでいた。
カルロは振り向いた。
「だからヴェットール・ピサーニはヴェネツィア海軍の『司令官』なのさ」
ヴェネツィアの貴族の生まれだからこそ、ヴェネツィアの掟を、決まりを守る。
それこそが、カルロをしてヴェットールを堅物と評した所以である。
だが一方で。
「あの男には何かがある。その何かがあるからこそ、こういう作戦を取れる。元首コンタリーニをして、全権を委ねられる」
それから、この放埓無頼の男・カルロをして、その命に従わせられる……同じ何かをもっているからこそ。
だがそれは、さすがのカルロも照れがあって言えなかった。
思えば、そもそも二正面作戦を提案してきたのも、ヴェットールだった。
ヴェットールが提案しなければ自分が提案、あるいはそれが却下されたら、ヴェネツィアではなくどこかへ去ろうとしていたカルロである。
そんなヴェットールと艦列を並べて戦える。
その僥倖に、カルロは震えた。
「……よしよし、おれたちの女を襲う、くそ野郎どもに、目に物見せてやろうぜ!」
カルロが吼える。
「取り舵! そしてこのまま、ブロンドロ島へ突っ込む!」
「野郎ども! 取り舵だ!」
副官も調子が出てきたのか、カルロと口調を合わせる。
ヴェネツィア共和国第二艦隊が走る。
ヴェットールは、カルロ率いるヴェネツィア第二艦隊が、ジェノヴァ陸軍の守るブロンドロ島へ突進していく姿を確認して、アンドレア・コンタリーニに目配せした。
アンドレアは鷹揚に頷く。
「諸君。時が来ました」
アンドレアはそこまで言って、ヴェットールに譲る。
お飾りの司令官である以上、差し出口は慎むという腹づもりである。
ヴェットールはアンドレアに一礼してから言った。
「錨揚げ、舫解け!」
復活したヴェネツィア共和国第一艦隊が動き出す。
目標はキオッジャ。
だがキオッジャ奪還が狙いではない。
「天気、晴朗! キオッジャ、至近!」
旗艦の艦長が周囲を視認して、洋上の天気と目的の点――キオッジャの至近距離に達することを告げた。
晴朗きわまるキオッジャを横目に、第一艦隊は、ブロンドロ島に気を取られているジェノヴァの司令塔、ピエトロ・ドーリアの籠る港湾施設の前を進んでいく。
「射石砲用意!」
ヴェットールの朗々たる声が第一艦隊に響く。
ごろごろ、と重々しい音がして、甲板に射石砲が転がされてきた。
「撃て!」
轟音が周囲の耳を劈き、砲弾が飛んで行った。
「射石砲だと?」
ピエトロはわが目を疑ったが、ヴェネツィア艦隊からの砲撃を食らって、それを信じざるを得なくなった。
この時代、射石砲はただ『虚仮威し』の道具。
精度も何もない、至近距離で壁を崩すための花火。
そういう認識だった。
ところが。
「船に射石砲を載せて、しかも撃って来るだと?」
ここまで近ければ、いかに船の上でも有効だということか。
ピエトロが動揺している間にも、ヴェネツィアから二撃、三撃の砲撃が来る。
「莫迦な」
気がついた頃には、ヴェネツィア共和国第一艦隊は、艦列を並べ、タイミングを合わせて斉射するようになっていた。
「このままでは」
ピエトロが事態の不利を悟り、この場は退こうとしたその時。
「ドーリア提督!」
ブロンドロ島にいたはずのジェノヴァ陸軍の隊長の声が聞こえた。
「何だ。退け、お前も」
この時、ピエトロはなりふり構わず逃げるべきだった。
だが血相を変えた隊長の様子に、思わず耳を傾けてしまった。
「ブロンドロ島が」
カルロ・ゼンに奪還された。
そこまで言おうとした時に。
轟音。
衝撃。
破壊。
崩落。
「な、何故」
ジェノヴァは、勝っていたはずなのに。
その発言は未然に終わった。
永遠に。
ピエトロ・ドーリア。
ヴェネツィア艦隊の一斉砲撃を受けた港湾施設の崩落に巻き込まれ、上方からの石材に圧し潰され、そのまま命を失う。
この世を去らんとする彼の耳に響くのは、未だし已まぬ、射石砲の轟音だった。
カルロ・ゼンの放言は、乗組員らの失笑を誘ったが、拒まれたわけではなかった。
「……いいか、手前ら、先に受け取ったヴェットール・ピサーニからの書状のとおりにしろよ!」
ヴェットールはカルロ・ゼン艦隊接近の報を受け、すぐさま書状を送った。
これから行うある作戦を実行するために、友軍の「効果的」な戦いについて、指示を送ったのだ。
「まさかこんな策を採るとは」
カルロの背後で、副官が天を仰いでいた。
カルロは振り向いた。
「だからヴェットール・ピサーニはヴェネツィア海軍の『司令官』なのさ」
ヴェネツィアの貴族の生まれだからこそ、ヴェネツィアの掟を、決まりを守る。
それこそが、カルロをしてヴェットールを堅物と評した所以である。
だが一方で。
「あの男には何かがある。その何かがあるからこそ、こういう作戦を取れる。元首コンタリーニをして、全権を委ねられる」
それから、この放埓無頼の男・カルロをして、その命に従わせられる……同じ何かをもっているからこそ。
だがそれは、さすがのカルロも照れがあって言えなかった。
思えば、そもそも二正面作戦を提案してきたのも、ヴェットールだった。
ヴェットールが提案しなければ自分が提案、あるいはそれが却下されたら、ヴェネツィアではなくどこかへ去ろうとしていたカルロである。
そんなヴェットールと艦列を並べて戦える。
その僥倖に、カルロは震えた。
「……よしよし、おれたちの女を襲う、くそ野郎どもに、目に物見せてやろうぜ!」
カルロが吼える。
「取り舵! そしてこのまま、ブロンドロ島へ突っ込む!」
「野郎ども! 取り舵だ!」
副官も調子が出てきたのか、カルロと口調を合わせる。
ヴェネツィア共和国第二艦隊が走る。
ヴェットールは、カルロ率いるヴェネツィア第二艦隊が、ジェノヴァ陸軍の守るブロンドロ島へ突進していく姿を確認して、アンドレア・コンタリーニに目配せした。
アンドレアは鷹揚に頷く。
「諸君。時が来ました」
アンドレアはそこまで言って、ヴェットールに譲る。
お飾りの司令官である以上、差し出口は慎むという腹づもりである。
ヴェットールはアンドレアに一礼してから言った。
「錨揚げ、舫解け!」
復活したヴェネツィア共和国第一艦隊が動き出す。
目標はキオッジャ。
だがキオッジャ奪還が狙いではない。
「天気、晴朗! キオッジャ、至近!」
旗艦の艦長が周囲を視認して、洋上の天気と目的の点――キオッジャの至近距離に達することを告げた。
晴朗きわまるキオッジャを横目に、第一艦隊は、ブロンドロ島に気を取られているジェノヴァの司令塔、ピエトロ・ドーリアの籠る港湾施設の前を進んでいく。
「射石砲用意!」
ヴェットールの朗々たる声が第一艦隊に響く。
ごろごろ、と重々しい音がして、甲板に射石砲が転がされてきた。
「撃て!」
轟音が周囲の耳を劈き、砲弾が飛んで行った。
「射石砲だと?」
ピエトロはわが目を疑ったが、ヴェネツィア艦隊からの砲撃を食らって、それを信じざるを得なくなった。
この時代、射石砲はただ『虚仮威し』の道具。
精度も何もない、至近距離で壁を崩すための花火。
そういう認識だった。
ところが。
「船に射石砲を載せて、しかも撃って来るだと?」
ここまで近ければ、いかに船の上でも有効だということか。
ピエトロが動揺している間にも、ヴェネツィアから二撃、三撃の砲撃が来る。
「莫迦な」
気がついた頃には、ヴェネツィア共和国第一艦隊は、艦列を並べ、タイミングを合わせて斉射するようになっていた。
「このままでは」
ピエトロが事態の不利を悟り、この場は退こうとしたその時。
「ドーリア提督!」
ブロンドロ島にいたはずのジェノヴァ陸軍の隊長の声が聞こえた。
「何だ。退け、お前も」
この時、ピエトロはなりふり構わず逃げるべきだった。
だが血相を変えた隊長の様子に、思わず耳を傾けてしまった。
「ブロンドロ島が」
カルロ・ゼンに奪還された。
そこまで言おうとした時に。
轟音。
衝撃。
破壊。
崩落。
「な、何故」
ジェノヴァは、勝っていたはずなのに。
その発言は未然に終わった。
永遠に。
ピエトロ・ドーリア。
ヴェネツィア艦隊の一斉砲撃を受けた港湾施設の崩落に巻き込まれ、上方からの石材に圧し潰され、そのまま命を失う。
この世を去らんとする彼の耳に響くのは、未だし已まぬ、射石砲の轟音だった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
無用庵隠居清左衛門
蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。
第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。
松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。
幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。
この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。
そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。
清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。
俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。
清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。
ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。
清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、
無視したのであった。
そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。
「おぬし、本当にそれで良いのだな」
「拙者、一向に構いません」
「分かった。好きにするがよい」
こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。
天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜
岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。
けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。
髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。
戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!???
そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。
if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜
かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。
徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。
堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる……
豊臣家に味方する者はいない。
西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。
しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。
小日本帝国
ypaaaaaaa
歴史・時代
日露戦争で判定勝ちを得た日本は韓国などを併合することなく独立させ経済的な植民地とした。これは直接的な併合を主張した大日本主義の対局であるから小日本主義と呼称された。
大日本帝国ならぬ小日本帝国はこうして経済を盤石としてさらなる高みを目指していく…
戦線拡大が甚だしいですが、何卒!
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる