柳生二蓋笠(やぎゅうにがいがさ) ~柳生宗矩と坂崎直盛、二十五年を越えた友誼(ゆうぎ)の証(あかし)~

四谷軒

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第三章 大坂の陣

16 二十五年の友誼(ゆうぎ) ~一六一五年、大坂の陣~

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 大徳寺。
 寺内塔頭、三玄院。
 この三玄院の一隅には、かの西軍の大将、石田三成の墓がある。
 というのも、三玄院の主にして大徳寺の住持であった春屋宗園しゅんおくそうえんとその弟子・宗彭は生前の三成と親交があり、その縁で三成の遺骸を引き取って、弔ったのがこの墓である。
 直盛は九条邸をあとにして、今、この三玄院にあらわれた。
 一隅にあるという三成の墓を見ると、ひとりの侍が、その墓に手を合わせている。
「宗矩」
「直盛か」
 柳生宗矩は、三成の遺骸を引き取ろうとした春屋宗園と宗彭に出会い、そこでひと悶着あったが、今ではこうして墓参に訪れる仲である。
 三成の遺骸は、まるで捨てられたかのように三条河原でさらされていた。
 宗矩はそれに心を痛めていたが、そこへ春屋宗園と宗彭があらわれた、という次第である。
「いやまさか、その宗彭が、まさかあの秀喜どのだったとは」
 但馬の出石にいた秀喜――直盛がかつて、宗矩に勝つためにはどうすればよいかを聞いた相手――は、縁あって上洛し、春屋宗園の弟子となり、その時改名して、宗彭と名乗った。
 そして今では。
ほうら、いつまで墓前におる。死者はそうっとしておくものだ。話すのなら、中に入れ」
沢庵たくあんどの」
 この年、大悟して沢庵宗彭たくあんそうほうの法名を得ていた。

 この時点で沢庵は堺の南宗寺の住職を務めているが、春屋宗園との縁で、住まいは大徳寺にあった。
「実に、都合がいい」
 直盛はそう言ったが、沢庵は迷惑そうだった。
「拙僧はな、貴顕にかかわりとうない」
 親王ですら会おうとしないこの奇僧は、心底権力とのかかわりを嫌った。のちに大徳寺の住持となるが、その時は三日でやめてしまい、堺へと舞い戻ってしまう、そういう禅僧だった。
「かかわらなくて、けっこう」
 だが直盛は気にしない。自身が参禅に訪れるだけでいい、という。
「それがそこの柳生宗矩どのが参禅に来ておる時に、の」
 つまりは落ち合う場所にさせてほしいというのである。
 この京は、昔から間者や京雀が聞き耳を立てる場所。それを避けるためには、寺社といった「結界」が張られている場所に、限る。
「……まさか御坊、求めて参禅に来るのを、妨げはしないであろう?」
「フン、まあいい。参禅はいいだろう。だがそれだけだ」
「それでいい」
 直盛はにやりと笑い、宗矩はおごそかに頭を下げた。
 そしていくばくかの話をして、最後には沢庵の出した茶を飲んで帰った。
 沢庵は片づけをしながら、こうひとりごちた。
「誰かを救う。そのために動く。それは尊いこと。しかしながら千姫か」
 ふと思う。時折、大坂城に呼ばれることがある。
 沢庵に、法話を聞かせて欲しいと言われて。
 貴顕淑女のきらいな沢庵ではあるが、秀頼のことは気の毒に思っていた。
 千姫のことも。
 だから城を訪ねるのだが、その時の千姫のはかなげな容貌を思った。
「……だがそれは千姫を狙っている、と言われやせんだろうか」

 直盛が入念に「準備」を重ねる間、宗矩もまた動いていた。
 やはり家康の命の下、大坂を攻めるに。
 宗矩と柳生の者たちは、大和から大坂へと触手を伸ばし、情報の収集に努めた。
 この任務に携わるうちに、家康は、このために柳生庄を復領させてくれたのだと思った。
「さすがに天下人は」
 そこまで言いかけて、やめた。
 直盛と同じ言葉を言うのは、芸がない。
 そう思い、ひとり苦笑する宗矩であった。
 しかしその直盛との接触もまた、宗矩の仕事につながっている。
 直盛が九条家や、直接豊臣家に会いに行く。
 その話がまた、宗矩の参考になる。
「……やはり、天下人はちがうと言わざるを得ぬ」
 おそらく、他の大名や武士にも声をかけているのだろう。
 それらを取捨選択して、あるいは混ぜ合わせて。
 徳川の天下を作っていくのだ。
「その天下において、柳生は――剣はどうあるべきか」
 最近は、ついそういう風に考えてしまう。
 戦乱においてこそ、剣は求められる。
 それが当たり前だった。
 だがこれからはちがう。
 戦乱は収まりつつある。
 そんな中。
「剣は……」

 直盛が千姫を時折訪れ、話をする仲になった頃。
 あるいは、宗矩が大坂城を中心とした領域について、調べ上げた頃。
「大坂を攻める」
 家康は腰を上げた。
 それは実際には方広寺鍾銘事件――豊臣家の撰した鍾銘が徳川家康に対して不敬であったという事件――があったのだが、それは単なる口実に過ぎない。
 家康は、待っていた。
 大坂を攻める機会を。
 征夷大将軍の位を得て、それを嫡子の秀忠に継がせ、幕府という形態を採り。
 あるいは豊臣家に徳川家に対する臣従を示唆し。
 とにかくそうして、大坂の城を落とす機会を待っていた。
「大坂という城に、否、大坂という城が、邪魔だ。あれこそが、秀吉の最後のしかけなのだろう」
 家康は、秀吉という男にしかけられ、従わされる生涯を歩んでいた。
 小牧長久手には勝ったものの、最終的には従わされた。
 それも、仕方ないと思っていた。
 負けたのだから。
 だが、時を経て、秀吉は死んだ。
 秀吉の残した支配体制も死んだ。
 ならば、あとは大坂城。
「そこに誰が拠ろうが問題ではない。徳川ではない何者かがそこにいる、ということが問題なのだ」
 あの、築城の天才・豊臣秀吉が作った城。これに籠られれば厄介である。
 それが、徳川でない者――豊臣の子が入っている場合、は特に。
 だから、城は破却する。
「一度破却して、しかるのちにな城を作る」
 家康にとっては、もはやそれは既定路線であり、かれはまるで、悍馬かんばのように、それに向かってただひたすらに、それに向かって走り出していた。

 それからは、あっという間だ。
 宗矩は将軍・秀忠の兵法指南役であり、それに加えて、かねてからの下調べを評価され、案内あない役を仰せつかった。
 直盛も手勢を率いて出陣し、ふたりは、大坂城を前にして、再会した。
「久しいの」
「といっても、そんなに間は空いていない気もする」
「かもしれん」
 この時、直盛は五十半ば、宗矩は四十半ばである。
 お互い、出逢った頃より、歳を取った。
 もう、二十五年も経つ。
 だが、出逢った頃より、二人の友誼は変わらない。
 これからも。
 そして臨むは、おそらくこの国最後の大いくさ。
「こういういくさ、こういう働きは、たぶん二度とない」
 それが、直盛、宗矩の気を引き締めさせるのだ。
「ああ、だがわれら二人ならやれる」
 二十五年の友誼が、やれると確信させてくれる。
「で、家康さまの下知は?」
 直盛のいう下知とは、この場合、家康が公的に発している「大坂を攻めよ」ということではない。
 直盛と宗矩に課されている、千姫を連れ出す働きのことだ。
「おそらく、しばらくは動くことはなかろう、と」
 千姫を連れ出すのは、いくさのきわきわ、それこそ大坂落城の時だと、家康は見ている。
 いくさが始まったばかりでは豊臣の警戒も厳重だろうし、中盤に入ったとしても、まず千姫自身の意志が、大坂から脱するをうべなうとは思えない。
「それは、そうだ」
 直盛は、ここ数年で構築した伝手で、千姫がそういう意向であろうことは把握している。
 たとえば豊臣完子からもそう聞いているし、開戦にあたって城から退去した織田有楽斎も「そのとおりだ」と伝えて来た。
「おそらく、落城の折りだ。その折り、秀頼ぎみが逃がしてくるか、さもなくば……」
 直盛はそこで難しい表情をした。
 だから宗矩が引き取った。
「さもなくば、大坂方の誰かが、差し出してくる時だな。代わりに命を救ってくれ、などと言うて」
 当時、大坂はすでに徳川の間者で満ち満ちていた。
 当然ながら調略や謀略も跋扈している。
 ……裏切りの話は、枚挙にいとまがない。
「ともあれだ。こうなった以上、千姫さまをさらって徳川こちらに逃げ込もう、と思っている輩が出てくるやもしれぬぞ」
 直盛はため息をつく。
 かれ自身、間者とみなされて、そういうことを何度も聞いた。
「そういう奴こそ危ない。攫う時、連れている時に、千姫さまに何をするかわからん」
 宗矩が警戒を口にすると、直盛は、わかってる、と口を尖らせた。
 そこに直盛の若い頃のおもかげを見て、宗矩は苦笑する。
「……そのためにこそ、家康さまはあんなに早く、この働きをお命じになったのだろう」
 千姫に対してここまで網を張っているのは、直盛だけだ。
 だから直盛に知らずして、千姫をかどわかすことはできない。よしんばできたとしても、「千姫を引き渡す相手」は直盛となろう。
 それだけ直盛は、徳川方として、千姫を「欲している」と示して来たからだ。
 直盛と宗矩は、改めて家康の深謀遠慮に思いを致すのだった。
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