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第三章 大坂の陣
17 冬の陣
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最初の戦い──冬の陣が始まった。
宗矩は将軍秀忠のそば近くに侍し、案内役、護衛役、そして忍び働きに努めた。
一方で直盛は津和野から兵を率いて出陣したが、どこに布陣したのか、はっきりと伝わっていない。
おそらくは、遊兵的な立ち位置だったのであろう。
……その「働き」のために。
「掃部がいる」
津和野から出てきて早々、直盛が宗矩に会いに来て、そんなことを言った。
掃部とは、明石掃部全登のことであり、直盛とは、かつての宇喜多家の同輩であり、キリシタンの同門である。
その掃部が、どうやら大坂城に入城しているらしい。
「何か、まずいのか」
宗矩は、直盛の表情がすぐれないので、自分たちの「役割」に対する悪影響を心配した。
「……掃部と敵対することについては、心配しないのか」
「おぬしがそんなことで気落ちするか。敵味方に分かれてしまうのは武門の習い。何より、先の関ヶ原で、とっくに戦っておろうが」
「……そうだな」
直盛は笑った。
少し無理矢理な観もあったが、宗矩は追及しないことにした。
大丈夫たるもの、そこまで言われたくない、ということもあるだろう。
「ところで」
直盛は神妙な顔をする。
掃部のことを家康に話しておいて欲しいという。
「掃部に連絡を取ってみる。返り忠はせん男だが、例の働きについては、助けてくれるやもしれぬ」
明石掃部は名将だ。そして、すぐれた武士である。だから裏切りはしないが、千姫という女性を助けるためならば、協力を惜しまない。
直盛はそう言いたいのだ。
「わかった」
「それと、こたびの働きについて、どのような褒美が望めるか、それも確かめておきたい」
直盛は千姫を連れ出すための動きで、少なからぬ金銭を費やした。石州和紙の公家衆への販路は構築しているが、それは副次的なものだ。
大坂城内の女中衆や、出入りの商人らにも、けっこうばら撒いている。
また、武士として「奉公」」に対する「御恩」を求めることは、当然の権利である。
宗矩はうなずいた。
「そうだな。費えもさることながら、働きに対する報いは、われらの名誉にもかかわること。かならず、確かめる」
「頼む」
さっそくに宗矩は家康に拝謁し、「働きにはかならず報いる。望みのものを考えておくように」と言葉をもらった。
冬の陣は、苛烈な戦いだった。
大坂方は真田丸という出丸を築き、大軍の徳川方相手に善戦を繰り広げ、さしもの家康も手を焼いている、という有り様だった。
「これでは千姫さまを連れ出す、というのは無理筋だな」
「うむ」
いくさに加われないのは、忸怩たる思いがあるが、自分たちのいくさは千姫連れ出しにあると考え直す。
「とにかく今の、大坂方が有利、という状況では誰も千姫さまをどうこうしようとは思うまい」
「掃部の書状にも、そのように記されておる」
明石掃部は直盛の目論見通り、裏切りはしないが、千姫については助力を約してくれた。
なおこの際、直盛は自身を徳川を裏切り、大坂につくにおいがあると伝えさせた。
「危険ではないか」
「だからこその宗矩、おぬしだろう」
家康は直盛が単独で動き、嵌められるか二重に間者となることを警戒していた。そのために、宗矩を直盛への連絡役に任じたのだ。
「そんな顔するな宗矩」
直盛は笑ってそれを受け入れた。
宗矩にはまだわからなかったが、それを受け入れることによって、かれはより大きな褒美を得るつもりだったのである。
*
冬の陣は終わった。
家康は、昼夜にわたる、間断ない大砲の砲撃を大坂城に浴びせ、大坂方に音を上げさせた。
このいくさにおいて、結局最後まで、直盛と宗矩に動けと言われなかった。
それもそのはず、家康はこの和睦において、大坂城を丸裸にすることが狙いだったからである。
「総濠を埋めよ」
家康はそれを和睦の条件とした。
条件と言っている割には命令に等しい効果を大坂方に与えた。
「また、あんな砲撃を喰らっては、かなわん」
そう言う者が多く、濠を埋める作業は速やかに、最後まで進んだ。
そう……総ての濠を埋めるまで。
「気づいた時には、もう遅かった」
これは大坂方の明石掃部の台詞である。
かれは、和睦後も直盛と連絡を取り、直盛から何がしかの情報と引き換えに、千姫周りの情報を提供していた。
「こたびの徳川のやり様、凄まじいな」
掃部は素直にそう感歎した。
いくさにおいては、詐術や謀略は当たり前。騙される奴が悪い。
かれはそう思っていた。
そういう意味では、掃部もまさしく、戦国の謀将・宇喜多直家の家の者だった。
「しかしこうなると次のいくさは城には拠らないだろう」
掃部はそう言った。
それは、掃部だけでなく、誰もがそう思っていることだったが、他ならぬ大坂方の将領である掃部がそう言うことに意味がある──直盛はそう思った。
「掃部は、次のいくさこそ、われらがしかけるべきだと言うておる」
「うむ」
大坂城が丸裸になったものの、徳川は──特に秀忠は、銃火器の整備にいそしみ、大坂方から不信を唱えられていた。
そしてこれもまた和睦の条件だったのだが、大坂方は、いくさに備えて集めた牢人たちを召し放たなくてはならなかった。
「いくさをやめたいというのなら、それをすべきであろう」
確かに正論といえば正論だったが、解雇される牢人たちにとっては、たまったものではない。
「徳川、何するものぞ」
牢人たちは爆発寸前だった。
つまりは、一触即発。
そういう、状況だった。
結局のところ、そういう状況とそこから発生する事態を含め、家康の計算通りなのだろう。
「かつて治部少(石田三成のこと)を計算高いと言ったのは誰だ。大御所さまの方が、よっぽど……計算高いわ」
直盛は家康のやり様に恐れを感じているようだった。それは宗矩にもよくわかる。
天下人とは、かくあるものなのだろうか。
いや、かくあるからこそ、天下人になれたのか。
このような天下人を上に戴いて、自分は何を為すべきか。
「おい」
直盛が声をかけてきた。
少し、自失していたらしい。
「とにかく、いくさだ。次の……最後のいくさだ」
「ああ」
直盛と宗矩は動き出す。
案の定、家康から「例の件、果たせ」という命が下った。
開戦はまだだが、やれることはいくらでもある。
直盛は掃部を通じて情報を集め、また九条家や高台院からも働きかけてもらい、女官や女中たちの方から、千姫に脱出の働きかけをする。
宗矩はまた案内役が内定したので、江戸から下向し、大和を中心に諜報にいそしんだ。その過程で、城からの脱出経路を模索する。
そして慶長二十年三月十五日、ついに大坂方の牢人たちは暴発し、それを知った家康は豊臣家に大坂から出るように申し付けた。
「もはや、その城から出でよ。その城があるから、騒乱が起こる」
それは家康の本音であり、事実である。
だが豊臣家としては当然受け入れがたく、これを拒否。
開戦となった。
宗矩は将軍秀忠のそば近くに侍し、案内役、護衛役、そして忍び働きに努めた。
一方で直盛は津和野から兵を率いて出陣したが、どこに布陣したのか、はっきりと伝わっていない。
おそらくは、遊兵的な立ち位置だったのであろう。
……その「働き」のために。
「掃部がいる」
津和野から出てきて早々、直盛が宗矩に会いに来て、そんなことを言った。
掃部とは、明石掃部全登のことであり、直盛とは、かつての宇喜多家の同輩であり、キリシタンの同門である。
その掃部が、どうやら大坂城に入城しているらしい。
「何か、まずいのか」
宗矩は、直盛の表情がすぐれないので、自分たちの「役割」に対する悪影響を心配した。
「……掃部と敵対することについては、心配しないのか」
「おぬしがそんなことで気落ちするか。敵味方に分かれてしまうのは武門の習い。何より、先の関ヶ原で、とっくに戦っておろうが」
「……そうだな」
直盛は笑った。
少し無理矢理な観もあったが、宗矩は追及しないことにした。
大丈夫たるもの、そこまで言われたくない、ということもあるだろう。
「ところで」
直盛は神妙な顔をする。
掃部のことを家康に話しておいて欲しいという。
「掃部に連絡を取ってみる。返り忠はせん男だが、例の働きについては、助けてくれるやもしれぬ」
明石掃部は名将だ。そして、すぐれた武士である。だから裏切りはしないが、千姫という女性を助けるためならば、協力を惜しまない。
直盛はそう言いたいのだ。
「わかった」
「それと、こたびの働きについて、どのような褒美が望めるか、それも確かめておきたい」
直盛は千姫を連れ出すための動きで、少なからぬ金銭を費やした。石州和紙の公家衆への販路は構築しているが、それは副次的なものだ。
大坂城内の女中衆や、出入りの商人らにも、けっこうばら撒いている。
また、武士として「奉公」」に対する「御恩」を求めることは、当然の権利である。
宗矩はうなずいた。
「そうだな。費えもさることながら、働きに対する報いは、われらの名誉にもかかわること。かならず、確かめる」
「頼む」
さっそくに宗矩は家康に拝謁し、「働きにはかならず報いる。望みのものを考えておくように」と言葉をもらった。
冬の陣は、苛烈な戦いだった。
大坂方は真田丸という出丸を築き、大軍の徳川方相手に善戦を繰り広げ、さしもの家康も手を焼いている、という有り様だった。
「これでは千姫さまを連れ出す、というのは無理筋だな」
「うむ」
いくさに加われないのは、忸怩たる思いがあるが、自分たちのいくさは千姫連れ出しにあると考え直す。
「とにかく今の、大坂方が有利、という状況では誰も千姫さまをどうこうしようとは思うまい」
「掃部の書状にも、そのように記されておる」
明石掃部は直盛の目論見通り、裏切りはしないが、千姫については助力を約してくれた。
なおこの際、直盛は自身を徳川を裏切り、大坂につくにおいがあると伝えさせた。
「危険ではないか」
「だからこその宗矩、おぬしだろう」
家康は直盛が単独で動き、嵌められるか二重に間者となることを警戒していた。そのために、宗矩を直盛への連絡役に任じたのだ。
「そんな顔するな宗矩」
直盛は笑ってそれを受け入れた。
宗矩にはまだわからなかったが、それを受け入れることによって、かれはより大きな褒美を得るつもりだったのである。
*
冬の陣は終わった。
家康は、昼夜にわたる、間断ない大砲の砲撃を大坂城に浴びせ、大坂方に音を上げさせた。
このいくさにおいて、結局最後まで、直盛と宗矩に動けと言われなかった。
それもそのはず、家康はこの和睦において、大坂城を丸裸にすることが狙いだったからである。
「総濠を埋めよ」
家康はそれを和睦の条件とした。
条件と言っている割には命令に等しい効果を大坂方に与えた。
「また、あんな砲撃を喰らっては、かなわん」
そう言う者が多く、濠を埋める作業は速やかに、最後まで進んだ。
そう……総ての濠を埋めるまで。
「気づいた時には、もう遅かった」
これは大坂方の明石掃部の台詞である。
かれは、和睦後も直盛と連絡を取り、直盛から何がしかの情報と引き換えに、千姫周りの情報を提供していた。
「こたびの徳川のやり様、凄まじいな」
掃部は素直にそう感歎した。
いくさにおいては、詐術や謀略は当たり前。騙される奴が悪い。
かれはそう思っていた。
そういう意味では、掃部もまさしく、戦国の謀将・宇喜多直家の家の者だった。
「しかしこうなると次のいくさは城には拠らないだろう」
掃部はそう言った。
それは、掃部だけでなく、誰もがそう思っていることだったが、他ならぬ大坂方の将領である掃部がそう言うことに意味がある──直盛はそう思った。
「掃部は、次のいくさこそ、われらがしかけるべきだと言うておる」
「うむ」
大坂城が丸裸になったものの、徳川は──特に秀忠は、銃火器の整備にいそしみ、大坂方から不信を唱えられていた。
そしてこれもまた和睦の条件だったのだが、大坂方は、いくさに備えて集めた牢人たちを召し放たなくてはならなかった。
「いくさをやめたいというのなら、それをすべきであろう」
確かに正論といえば正論だったが、解雇される牢人たちにとっては、たまったものではない。
「徳川、何するものぞ」
牢人たちは爆発寸前だった。
つまりは、一触即発。
そういう、状況だった。
結局のところ、そういう状況とそこから発生する事態を含め、家康の計算通りなのだろう。
「かつて治部少(石田三成のこと)を計算高いと言ったのは誰だ。大御所さまの方が、よっぽど……計算高いわ」
直盛は家康のやり様に恐れを感じているようだった。それは宗矩にもよくわかる。
天下人とは、かくあるものなのだろうか。
いや、かくあるからこそ、天下人になれたのか。
このような天下人を上に戴いて、自分は何を為すべきか。
「おい」
直盛が声をかけてきた。
少し、自失していたらしい。
「とにかく、いくさだ。次の……最後のいくさだ」
「ああ」
直盛と宗矩は動き出す。
案の定、家康から「例の件、果たせ」という命が下った。
開戦はまだだが、やれることはいくらでもある。
直盛は掃部を通じて情報を集め、また九条家や高台院からも働きかけてもらい、女官や女中たちの方から、千姫に脱出の働きかけをする。
宗矩はまた案内役が内定したので、江戸から下向し、大和を中心に諜報にいそしんだ。その過程で、城からの脱出経路を模索する。
そして慶長二十年三月十五日、ついに大坂方の牢人たちは暴発し、それを知った家康は豊臣家に大坂から出るように申し付けた。
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