柳生二蓋笠(やぎゅうにがいがさ) ~柳生宗矩と坂崎直盛、二十五年を越えた友誼(ゆうぎ)の証(あかし)~

四谷軒

文字の大きさ
17 / 25
第三章 大坂の陣

17 冬の陣

しおりを挟む
 最初の戦い──冬の陣が始まった。
 宗矩は将軍秀忠のそば近くに侍し、案内役、護衛役、そして忍び働きに努めた。
 一方で直盛は津和野から兵を率いて出陣したが、どこに布陣したのか、はっきりと伝わっていない。
 おそらくは、遊兵的な立ち位置だったのであろう。
 ……その「働き」のために。

「掃部がいる」
 津和野から出てきて早々、直盛が宗矩に会いに来て、そんなことを言った。
 掃部とは、明石掃部全登あかしかもんてるずみのことであり、直盛とは、かつての宇喜多家の同輩であり、キリシタンの同門である。
 その掃部が、どうやら大坂城に入城しているらしい。
「何か、まずいのか」
 宗矩は、直盛の表情がすぐれないので、自分たちの「役割」に対する悪影響を心配した。 
「……掃部と敵対することについては、心配しないのか」
「おぬしがそんなことで気落ちするか。敵味方に分かれてしまうのは武門の習い。何より、先の関ヶ原で、とっくに戦っておろうが」
「……そうだな」
 直盛は笑った。
 少し無理矢理な観もあったが、宗矩は追及しないことにした。
 大丈夫たるもの、そこまで言われたくない、ということもあるだろう。
「ところで」
 直盛は神妙な顔をする。
 掃部のことを家康に話しておいて欲しいという。
「掃部に連絡つなぎを取ってみる。返り忠はせん男だが、については、けてくれるやもしれぬ」
 明石掃部は名将だ。そして、すぐれた武士である。だから裏切りはしないが、千姫という女性を助けるためならば、協力を惜しまない。
 直盛はそう言いたいのだ。
「わかった」
「それと、こたびの働きについて、どのような褒美が望めるか、それも確かめておきたい」
 直盛は千姫を連れ出すための動きで、少なからぬ金銭かねを費やした。石州和紙の公家衆への販路は構築しているが、それは副次的なものだ。
 大坂城内の女中衆や、出入りの商人らにも、けっこうばら撒いている。
 また、武士として「奉公」」に対する「御恩」を求めることは、当然の権利である。
 宗矩はうなずいた。
「そうだな。費えもさることながら、働きに対する報いは、われらの名誉にもかかわること。かならず、確かめる」
「頼む」
 さっそくに宗矩は家康に拝謁し、「働きにはかならず報いる。望みのものを考えておくように」と言葉をもらった。

 冬の陣は、苛烈な戦いだった。
 大坂方は真田丸という出丸を築き、大軍の徳川方相手に善戦を繰り広げ、さしもの家康も手を焼いている、という有り様だった。
「これでは千姫さまを連れ出す、というのは無理筋だな」
「うむ」
 いくさに加われないのは、忸怩たる思いがあるが、自分たちのいくさは千姫連れ出しにあると考え直す。
「とにかく今の、大坂方が有利、という状況では誰も千姫さまをどうこうしようとは思うまい」
「掃部の書状にも、そのように記されておる」
 明石掃部は直盛の目論見通り、裏切りはしないが、千姫については助力を約してくれた。
 なおこの際、直盛は自身を徳川を裏切り、大坂につくがあると伝えさせた。
「危険ではないか」
「だからこその宗矩、おぬしだろう」
 家康は直盛が単独で動き、嵌められるか二重に間者となることを警戒していた。そのために、宗矩を直盛への連絡つなぎ役に任じたのだ。
「そんな顔するな宗矩」
 直盛は笑ってそれを受け入れた。
 宗矩にはまだわからなかったが、それを受け入れることによって、かれはより大きな褒美を得るつもりだったのである。



 冬の陣は終わった。
 家康は、昼夜にわたる、間断ない大砲の砲撃を大坂城に浴びせ、大坂方に音を上げさせた。
 このいくさにおいて、結局最後まで、直盛と宗矩に動けと言われなかった。
 それもそのはず、家康はこの和睦において、大坂城を丸裸にすることが狙いだったからである。
総濠そうぼりを埋めよ」
 家康はそれを和睦の条件とした。
 条件と言っている割には命令に等しい効果を大坂方に与えた。
「また、あんな砲撃を喰らっては、かなわん」
 そう言う者が多く、濠を埋める作業は速やかに、最後まで進んだ。
 そう……総ての濠を埋めるまで。
「気づいた時には、もう遅かった」
 これは大坂方の明石掃部の台詞である。
 かれは、和睦後も直盛と連絡つなぎを取り、直盛から何がしかの情報と引き換えに、千姫周りの情報を提供していた。
「こたびの徳川のやりよう、凄まじいな」
 掃部は素直にそう感歎した。
 いくさにおいては、詐術や謀略は当たり前。騙される奴が悪い。
 かれはそう思っていた。
 そういう意味では、掃部もまさしく、戦国の謀将・宇喜多直家の家の者だった。
「しかしこうなると次のいくさは城にはらないだろう」
 掃部はそう言った。
 それは、掃部だけでなく、誰もがそう思っていることだったが、他ならぬ大坂方の将領である掃部がそう言うことに意味がある──直盛はそう思った。

「掃部は、次のいくさこそ、われらがしかけるべきだと言うておる」
「うむ」
 大坂城が丸裸になったものの、徳川は──特に秀忠は、銃火器の整備にいそしみ、大坂方から不信を唱えられていた。
 そしてこれもまた和睦の条件だったのだが、大坂方は、いくさに備えて集めた牢人たちを召し放たなくてはならなかった。
「いくさをやめたいというのなら、それをすべきであろう」
 確かに正論といえば正論だったが、解雇される牢人たちにとっては、たまったものではない。
「徳川、何するものぞ」
 牢人たちは爆発寸前だった。
 つまりは、一触即発。
 そういう、状況だった。
 結局のところ、そういう状況とそこから発生する事態を含め、家康の計算通りなのだろう。
「かつて治部少じぶしょう(石田三成のこと)を計算高いと言ったのは誰だ。大御所さまの方が、よっぽど……計算高いわ」
 直盛は家康のやりように恐れを感じているようだった。それは宗矩にもよくわかる。
 天下人とは、かくあるものなのだろうか。
 いや、かくあるからこそ、天下人になれたのか。
 このような天下人を上に戴いて、自分は何を為すべきか。
「おい」
 直盛が声をかけてきた。
 少し、自失していたらしい。
「とにかく、いくさだ。次の……最後のいくさだ」
「ああ」
 直盛と宗矩は動き出す。
 案の定、家康から「例の件、果たせ」という命が下った。
 開戦はまだだが、やれることはいくらでもある。
 直盛は掃部を通じて情報を集め、また九条家や高台院からも働きかけてもらい、女官や女中たちの方から、千姫に脱出の働きかけをする。
 宗矩はまた案内役が内定したので、江戸から下向し、大和を中心に諜報にいそしんだ。その過程で、城からの脱出経路を模索する。
 そして慶長二十年三月十五日、ついに大坂方の牢人たちは暴発し、それを知った家康は豊臣家に大坂から出るように申し付けた。
「もはや、その城から出でよ。その城があるから、騒乱が起こる」
 それは家康の本音であり、事実である。
 だが豊臣家としては当然受け入れがたく、これを拒否。

 開戦となった。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

魔王の残影 ~信長の孫 織田秀信物語~

古道 庵
歴史・時代
「母を、自由を、そして名前すらも奪われた。それでも俺は――」 天正十年、第六天魔王・織田信長は本能寺と共に炎の中へと消えた―― 信長とその嫡男・信忠がこの世を去り、残されたのはまだ三歳の童、三法師。 清須会議の場で、豊臣秀吉によって織田家の後継とされ、後に名を「秀信」と改められる。 母と引き裂かれ、笑顔の裏に冷たい眼を光らせる秀吉に怯えながらも、少年は岐阜城主として時代の奔流に投げ込まれていく。 自身の存在に疑問を抱き、葛藤に苦悶する日々。 友と呼べる存在との出会い。 己だけが見える、祖父・信長の亡霊。 名すらも奪われた絶望。 そして太閤秀吉の死去。 日ノ本が二つに割れる戦国の世の終焉。天下分け目の関ヶ原。 織田秀信は二十一歳という若さで、歴史の節目の大舞台に立つ。 関ヶ原の戦いの前日譚とも言える「岐阜城の戦い」 福島正則、池田照政(輝政)、井伊直政、本田忠勝、細川忠興、山内一豊、藤堂高虎、京極高知、黒田長政……名だたる猛将・名将の大軍勢を前に、織田秀信はたったの一国一城のみで相対する。 「魔王」の血を受け継ぐ青年は何を望み、何を得るのか。 血に、時代に、翻弄され続けた織田秀信の、静かなる戦いの物語。 ※史実をベースにしておりますが、この物語は創作です。 ※時代考証については正確ではないので齟齬が生じている部分も含みます。また、口調についても現代に寄せておりますのでご了承ください。

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】

naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。 舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。 結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。 失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。 やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。 男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。 これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。 静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。 全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。

征空決戦艦隊 ~多載空母打撃群 出撃!~

蒼 飛雲
歴史・時代
 ワシントン軍縮条約、さらにそれに続くロンドン軍縮条約によって帝国海軍は米英に対して砲戦力ならびに水雷戦力において、決定的とも言える劣勢に立たされてしまう。  その差を補うため、帝国海軍は航空戦力にその活路を見出す。  そして、昭和一六年一二月八日。  日本は米英蘭に対して宣戦を布告。  未曾有の国難を救うべく、帝国海軍の艨艟たちは抜錨。  多数の艦上機を搭載した新鋭空母群もまた、強大な敵に立ち向かっていく。

日露戦争の真実

蔵屋
歴史・時代
 私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。 日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。  日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。  帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。  日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。 ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。  ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。  深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。  この物語の始まりです。 『神知りて 人の幸せ 祈るのみ 神の伝えし 愛善の道』 この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。 作家 蔵屋日唱

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

処理中です...