誰もいないのなら

海無鈴河

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1.はじまり

9.一方的に供給

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 季節はすっかり夏らしくなった。今日も暑い。

「はぁ……」

 私は何度目か分からないため息をついた。

「どうしたんですか? リーダー」

 隣を歩く神戸くんが心配そうに訊いてくる。やさしい子だ。

「……いや、ね。そろそろテストだなぁって」
「そういえばそうですね。リーダーは成績……あっ」
「あっ、ってなに!?」

 おおかた前回の私の順位を思い出したんだろう。でもそんな申し訳なさそうな顔しないでほしい。

「神戸くんは得意科目ある?」

 話題をそらすためにもそんなことを質問してみる。

「社会ですかね。特に歴史です」

 あー。なんかそれっぽい。

「……また大隅にノート貸さないといけないのか……」

 どうやら大隅くんと神戸くんは一緒に勉強するらしい。同じ学年ってうらやましい……。

「……さすがに後輩には訊かないから安心して」
「はい?」



 生徒会室でいつものように要望書を提出し、生徒会長と一戦交え、疲労困憊になった私はふらふらと帰路についた。
 あー。帰ったら勉強しないとなぁ……。大きくため息をつくと、後ろから声をかけられた。

「大きなため息だな」
「……悪かったわね」
「別に文句は言っていない。……しかし、先ほども思ったが、今日の君はいつもよりも大人しいようだな」

 こいつはいつも私をなんだと思っているのだろうか。こういうところは一緒に居ても変わってない。

「ちょっと嫌な事思い出しただけ」
「嫌な事……あぁ。テストか」

 なぜ分かった。

「この時期に君が落ち込むようなことといったらそのくらいだろう。……君は勉強が苦手だったな」
「……それがなにか」

 改めて口に出されると少し落ち込む。やっぱこの男、私にダメージを与えようと……。そう思っていたら、予想外の言葉が聞こえた。

「今週末、君に勉強を教えてもいい」
「……え?」
「俺もテスト勉強をしたい。しかし、そろそろデートをした方が良いとも思う。どちらの問題も一気に解決できる良案だとは思うが」

 そっか。前のデートからもう1カ月くらい経ってるんだ。それに、学年一位から勉強を教えてもらうなんてそうそう無いチャンス……。
 それが宿敵の生徒会長なのが少し癪ではあるけれど。

「……よろしくお願いします」

 背に腹は代えられない。私は小さくお辞儀をした。



 問題はどこで勉強するか、だった。蒼司の家――ひとり暮らしをしている方は論外。
 吉野家はどうだ、と蒼司は提案した。ごめん、私が耐えられそうに無い。遠目から見ても豪華なお屋敷で落ち着いて勉強なんてできるはずがない。
 そうなると私の家だ。

「別に大丈夫だとおも…………あ」

 たぶん両親もいるし問題なさそう。ちょっと恥ずかしい気もするけれど。そう思って返事をしようとして、私は思い出した。不自然に言葉が途切れる。

「どうした?」

 蒼司に声をかけられ、私ははっと我に帰った。

「うちも環境的によくないかもしれない」
「なぜ?」
「……おばあちゃんがいる」
「?」

 蒼司はピンと来ていないようだ。まあ……一度しか会ったこと無いもんね。
 普段から私に色々と問い詰めてくるおばあちゃん。もし、蒼司が家に来たとしたら……控えめにいっても余計な気遣いをするに違いない!
 たとえるならそう。お見合いをやたらにすすめるおばさん……。
 ってことを早口で説明すると蒼司は考え直そう、と言った。

「やはり図書館か」

 あれやこれや考えて、蒼司がそう言った。

「……リスク高くない?今の時期は高校生が多いし」
「そこは変装で」
「また眼鏡?」
「ああ」

 もはや何も突っ込むまい。それに眼鏡の効果については前回のデートで少し立証された。

「それに図書館ではみな、何かに集中している。本や勉強に。俺たちに構っている余裕は無いだろう」

 それも確かに。いきなり大きな騒ぎになることはないはず。

「……大丈夫だよね」

 私はそう結論付けることにした。


 次の日曜日。勉強道具を詰め込んだ鞄を持って、私は家を出た。例によっておばあちゃんには見抜かれている。

「……うーん。やっぱりおばあちゃんの勘はすごい」

 もうここまでくると驚きを通り越して尊敬する。そしてやっぱり会場を図書館にして正解だったとも思った。
 市立図書館は最近リニューアルしたせいか、すこし混み合っていた。
 入り口からちょっと離れたところに立っていると、蒼司がやってきた。もちろん眼鏡無しバージョンだ。

「で、君が眼鏡をかけるんだな」

 私に近づいた蒼司はいきなりそう言った。
 そう。今日の私は伊達眼鏡を装着している。変装のつもりだ。

「室内だと帽子が被れないからね」
「なるほど……」

 蒼司は私の顔をじっとみて、何か言いたそうな表情だ。

「何?」

 気になって尋ねてみると、蒼司はあっさりと言う。

「頭がよさそうに見える」
「……どういう意味だ」

 酷い感想だ。……まあ、家を出る前に鏡を見て、自分でもそう思ってしまったのはこの際忘れることにする。

「さっそく中に入るか」

 人の心にダメージを与えておいて、蒼司はさっさと図書館の入り口へと向かっていく。……やっぱりこいつ、気に食わない。



 哲学とか宗教のあたりの、人の少なそうなエリアを選んで座った。
 勉強スペースは仕切りのついた個人ブースもあるけど、今回は普通に6人がけくらいの大きいテーブル席を使うことにする。
 私が座ると、その向かい側に蒼司が座った。

「どれからやる?」
「君の一番苦手な科目は何だ」
「……数学です」
「それでは、数学からやろう」

 どうやら徹底的に指導してくれるようで。……スパルタじゃありませんように!私は問題集を広げながらそう祈るのだった。
 ところが意外や意外。勉強会は穏便に進んでいた。

「ここのxが共通しているから、一まとめにできるだろう。……そっちじゃない。ひとつ隣のやつだ」
「……こう?」
「ああ。……次にyでまとめて、因数分解」

 ……とても分かりやすい。あっさり解けてしまった問題を前に私は感動していた。

「あとの問題も同じ要領でやれば解ける」
「……てっきりスパルタかと思った」
「は?」

 感動のあまり余計なことまで口に出てしまった。

「あんたのことだからめちゃくちゃ厳しいのかとてっきり」
「……因数分解も分からない人に無駄に厳しく指導したところで効果は無いだろう」
「二次方程式の因数分解はできるから!」
「当たり前だ」
 
 ため息をつかれた。すみませんね、因数分解も分からない人で。

「まあ、君が望むなら厳しくするが」
「遠慮します」

 冗談だ。と蒼司は言ったけど、目が笑っていなかった。こいつ、本気だったな……。
 蒼司は蒼司で別の問題集を開いている。……よく見ると難関大学の入試問題だった。
 蒼司は特進クラスだから試験範囲も違うらしい。私には別世界。
 それをみて、私は再び問題集に向かった。最初のほうは順調だった。
 ……が、中盤に差し掛かったあたりで私のペンの動きが止まった。つまりさっぱり分からない。
 そっと蒼司の方を見ると、彼は長い文章題を解いている。

 邪魔したら申し訳ない。自力でがんばることにした。えーと……sinθが1/2だから、こっちが……。
 うんうん悩んでいると、声がかけられた。

「そこは代入して2だ」

 蒼司がこちらを見ている。

「分からないなら言ってくれ」
「でも、そっちだって勉強あるし」
「教えると言ったのは俺だ。それに、君に心配されるほど困ってはないからな」
「……ありがとう」

 その優しさにきちんと応えないとね。私はもう一度気合を入れてペンを握った。

「それに目の前で動物みたいに唸られても集中できない」

 ……正論だけど一言余計だと思う。

「……だいぶ解けるようになったな」
「そうかな……」

 声をかけられ、問題集を見るとひとりでやるよりも進度がいい。
 蒼司の手元を見ると、国語の問題集を開いていた。
 その視線に気づいたのか、蒼司はああ、とつぶやいた。

「古典が少し苦手なんだ」

 苦手科目あったんだ……。

「私、古典は少し得意だよ」
「そうなのか。では、これは分かるか?」

 問題集を覗き込む。……ここで分かったら私すごくない?
 ……。
 ……うん?

「え、これなに?見たこと無い言葉が並んでる」
「日本語のはずだが」
「そうなんだけど、そうじゃない」

 源氏物語ってことは分かった。……って、これやっぱり難関大の入試問題じゃん。

「さすが特進……違いすぎる」
「……難しいか」
「はい……」

 ちょっとカッコつけようと思ったのになぁ……。私はがっくりと肩を落とすのだった。
 蒼司はそんな私を面白そうに見ていた。


 この勉強会の成果か、私は次のテストで順位を30位くらい上げた。蒼司は相変わらず一位だった。
 特に数学が伸びたと先生に褒められた。……勉強会効果だろう。
 私が返却されたテストをながめながら感動していたそのころ。

「蒼司、そろそろ朱莉さんを……」
「おばあ様……それは」

 吉野家が動き始めたことを私はまだ知らない。
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