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第1章 師と弟子と異世界漂流者
第一話 万屋『黒猫庵』
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ちりん、鈴の音が響く。
黒猫の看板を提げた扉がゆっくりと開かれ、一人の女性が恐る恐るといった様子で顔を覗かせる。
店の中……薄暗く、洋燈やら壺やらが雑多に置かれた、何を扱う場かも一見しただけではよくわからない店内を不安げに見渡している。
それを目にしーーーふっと笑みを浮かべて口を開く。
「いらっしゃい。……何か御用かい? お嬢さん」
突如聞こえた声に驚いたのか、ごく普通の主婦に見える女性は目を丸くし固まる。
きょろきょろと店の中を見渡して、ようやく店の奥の勘定台らしき場所にいる存在に気付いたようだ。
「そんなところに立っていないで、お入りよ。うちは来る者は拒まず、お客には誠心誠意の対応を心がけてるんでね……取って喰いやしないよ、安心おし」
「……あの」
「ここかい? ここは万屋『黒猫庵』……何でも売ってるし、何でもする、そんな店だよ」
呼びかけると、女性は迷う素振りを見せつつ、一歩ずつゆっくりとした足取りで店の中を歩いて来る。
女性から見えるのは、店の暗さに溶け込むような、黒い装い。
夜色の頭巾で顔は見えず、声も子供のようであり老人のようにも聞こえる。彼女に分かるのは、相手が同じ女であるという事だけだ。
「こんな場末の店にやって来るなんて……相当な暇人か、あるいは訳ありか。話を聞いてやってもいいけどーーーここが魔女の館である事をわかっているかい…?」
試すような物言いをすると、女性は知らぬうちにごくりと息を呑む。
年上か年下かもわからない、謎の人物。
怪しさしかない、初めて訪れた店の主人が何もかも見透かしたような事を語れば、警戒するに決まっている。
「魔女の行いは契約……代価を以て初めて為される。来たからには何か事情があるんだろうが、解決を望むからには代わる物がないと……お前さんは、何を差し出す?」
台を挟んで、主人と女性が向かい合う。
震えながら、ぎゅっと互いに握られる女性の手が怯えを示す。それでも立ち去らないところを見るに、相応の悩み事を抱えているのだろう。
不敵に笑い、頭巾の下から女性を見上げるーーー藤色の目で、闇の中から客人を探る。
「さぁ、話してみなよ……お前さんの望みをーーー」
がんっ!!
凄まじい衝撃が脳天に突き刺さり、視界が真下にずれ落ちた。
「ひぃっ!?」
女性が悲鳴をあげ、後ずさる音が聞こえる前で、脳天を押さえて呻き声を漏らす。
割れた、これは確実に割れた。
今まで何十回も受けてきて、決して慣れる事のないよく知った相手からの折檻……おそらく拳骨により、乗りに乗っていた気分が一瞬で萎んだ。
「う、うが…! あががが、が、ぐぎ…!」
「……どうした、魔女殿。この程度で悶絶するとは、先程までの余裕綽々の態度が嘘のようではないか……客の前で調子に乗るな、馬鹿者め」
衝撃で頭巾が外れ、耳が……隠していた猫の耳が露出する。ついでに尻尾がぶわっと毛を逆立てて立ち上がる。
割れていまいか、血が出ていまいか、いつも通り容赦のない一撃で涙がぼろぼろ溢れ出してくる。
ずきずきと激痛を訴える頭に触れつつ、ぎぎぎとぎこちなく背後を振り返る。
「し、ししょー……お早いお帰りで」
「お前がまた一人で馬鹿をやっている気がしてな。楽しかったか、似非店主」
見えたのは、自分よりもはるかに黒い闇の装い。
全身に被さる複雑な模様の入った外套と、その下に纏われた光沢のない鎧、そしてーーー顔を覆う鴉を模した鋼鉄の仮面。
見上げるほどの巨体を持った男ーーー師が、蹲る己を見下ろし睨みつけて来る。
「ごっこ遊びがしたいなら他所でやれ。店番をしろと言ったはずだが?」
「そ、そう……ししょーがいない間の代わりを努めようと」
「誰が乗っ取れといった。仮雇いの分際で何を調子に乗っている……何が魔女の契約だ、厨二病かお前は」
無情にはっきりと告げて来る師に、頭と同時に胸にも痛みが走る。さっと頬に朱が走り、誤魔化すように勢いよく立ち上がって、師に食ってかかる。
「ちゅ、厨二病じゃない…! 将来の理想像を形から再現してみただけ、格好つけたかっただけだから…!」
「未熟者の阿呆のくせして格好も何もあるものか」
「いだだだだだだ潰れる潰れる頭潰れる」
仮面の目から覗く赤い眼光を細め、呆れた様子をこれでもかと見せる師に反論する。
が、知った事かと一蹴され、がっしりと脳天を掴まれてぶら下げられる。拳骨を食らった頭蓋骨が悲鳴をあげた。
「ししょー、堪忍して。もうしない、もうしないから、すみませんでしたおししょーさま。だから降ろして、まじで割れる」
「痛みがなければ人は覚えん。案ずるな、すでに手遅れなのだからこれ以上脳を責めても阿呆にはならん」
「覚えた、覚えたから。だから人前でこの折檻は勘弁して……ああああああああ」
ぎりぎりぎりぎり、と頭蓋が軋み続ける。
ばしばしと鋼鉄の腕を叩いて限界を訴えるが、師の腕はぴくりとも動かず責め苛む。
人前で食らう説教と折檻に強烈な周知を抱かせられながら、必死に師が怒りを収めてくれるのを待つしかなくなる。
「……ぁ、その……お邪魔しました、もう結構です……」
苦痛の声を上げる間に、せっかく訪れた客人がそそくさと店を後にしていた事に気付くのは、これより数十分は後の事。
己の悲鳴と師の小言が交差する中、扉の鈴が再度、ちりんと鳴り響いた。
黒猫の看板を提げた扉がゆっくりと開かれ、一人の女性が恐る恐るといった様子で顔を覗かせる。
店の中……薄暗く、洋燈やら壺やらが雑多に置かれた、何を扱う場かも一見しただけではよくわからない店内を不安げに見渡している。
それを目にしーーーふっと笑みを浮かべて口を開く。
「いらっしゃい。……何か御用かい? お嬢さん」
突如聞こえた声に驚いたのか、ごく普通の主婦に見える女性は目を丸くし固まる。
きょろきょろと店の中を見渡して、ようやく店の奥の勘定台らしき場所にいる存在に気付いたようだ。
「そんなところに立っていないで、お入りよ。うちは来る者は拒まず、お客には誠心誠意の対応を心がけてるんでね……取って喰いやしないよ、安心おし」
「……あの」
「ここかい? ここは万屋『黒猫庵』……何でも売ってるし、何でもする、そんな店だよ」
呼びかけると、女性は迷う素振りを見せつつ、一歩ずつゆっくりとした足取りで店の中を歩いて来る。
女性から見えるのは、店の暗さに溶け込むような、黒い装い。
夜色の頭巾で顔は見えず、声も子供のようであり老人のようにも聞こえる。彼女に分かるのは、相手が同じ女であるという事だけだ。
「こんな場末の店にやって来るなんて……相当な暇人か、あるいは訳ありか。話を聞いてやってもいいけどーーーここが魔女の館である事をわかっているかい…?」
試すような物言いをすると、女性は知らぬうちにごくりと息を呑む。
年上か年下かもわからない、謎の人物。
怪しさしかない、初めて訪れた店の主人が何もかも見透かしたような事を語れば、警戒するに決まっている。
「魔女の行いは契約……代価を以て初めて為される。来たからには何か事情があるんだろうが、解決を望むからには代わる物がないと……お前さんは、何を差し出す?」
台を挟んで、主人と女性が向かい合う。
震えながら、ぎゅっと互いに握られる女性の手が怯えを示す。それでも立ち去らないところを見るに、相応の悩み事を抱えているのだろう。
不敵に笑い、頭巾の下から女性を見上げるーーー藤色の目で、闇の中から客人を探る。
「さぁ、話してみなよ……お前さんの望みをーーー」
がんっ!!
凄まじい衝撃が脳天に突き刺さり、視界が真下にずれ落ちた。
「ひぃっ!?」
女性が悲鳴をあげ、後ずさる音が聞こえる前で、脳天を押さえて呻き声を漏らす。
割れた、これは確実に割れた。
今まで何十回も受けてきて、決して慣れる事のないよく知った相手からの折檻……おそらく拳骨により、乗りに乗っていた気分が一瞬で萎んだ。
「う、うが…! あががが、が、ぐぎ…!」
「……どうした、魔女殿。この程度で悶絶するとは、先程までの余裕綽々の態度が嘘のようではないか……客の前で調子に乗るな、馬鹿者め」
衝撃で頭巾が外れ、耳が……隠していた猫の耳が露出する。ついでに尻尾がぶわっと毛を逆立てて立ち上がる。
割れていまいか、血が出ていまいか、いつも通り容赦のない一撃で涙がぼろぼろ溢れ出してくる。
ずきずきと激痛を訴える頭に触れつつ、ぎぎぎとぎこちなく背後を振り返る。
「し、ししょー……お早いお帰りで」
「お前がまた一人で馬鹿をやっている気がしてな。楽しかったか、似非店主」
見えたのは、自分よりもはるかに黒い闇の装い。
全身に被さる複雑な模様の入った外套と、その下に纏われた光沢のない鎧、そしてーーー顔を覆う鴉を模した鋼鉄の仮面。
見上げるほどの巨体を持った男ーーー師が、蹲る己を見下ろし睨みつけて来る。
「ごっこ遊びがしたいなら他所でやれ。店番をしろと言ったはずだが?」
「そ、そう……ししょーがいない間の代わりを努めようと」
「誰が乗っ取れといった。仮雇いの分際で何を調子に乗っている……何が魔女の契約だ、厨二病かお前は」
無情にはっきりと告げて来る師に、頭と同時に胸にも痛みが走る。さっと頬に朱が走り、誤魔化すように勢いよく立ち上がって、師に食ってかかる。
「ちゅ、厨二病じゃない…! 将来の理想像を形から再現してみただけ、格好つけたかっただけだから…!」
「未熟者の阿呆のくせして格好も何もあるものか」
「いだだだだだだ潰れる潰れる頭潰れる」
仮面の目から覗く赤い眼光を細め、呆れた様子をこれでもかと見せる師に反論する。
が、知った事かと一蹴され、がっしりと脳天を掴まれてぶら下げられる。拳骨を食らった頭蓋骨が悲鳴をあげた。
「ししょー、堪忍して。もうしない、もうしないから、すみませんでしたおししょーさま。だから降ろして、まじで割れる」
「痛みがなければ人は覚えん。案ずるな、すでに手遅れなのだからこれ以上脳を責めても阿呆にはならん」
「覚えた、覚えたから。だから人前でこの折檻は勘弁して……ああああああああ」
ぎりぎりぎりぎり、と頭蓋が軋み続ける。
ばしばしと鋼鉄の腕を叩いて限界を訴えるが、師の腕はぴくりとも動かず責め苛む。
人前で食らう説教と折檻に強烈な周知を抱かせられながら、必死に師が怒りを収めてくれるのを待つしかなくなる。
「……ぁ、その……お邪魔しました、もう結構です……」
苦痛の声を上げる間に、せっかく訪れた客人がそそくさと店を後にしていた事に気付くのは、これより数十分は後の事。
己の悲鳴と師の小言が交差する中、扉の鈴が再度、ちりんと鳴り響いた。
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