野球をやめたら妹に嫌われたので悲しい

仲間 梓

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<1> 彷徨う白、導きたい黒

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 バットの芯に当たった甲高い音が夏の甲子園球場に鳴り響いた。

 途端に歓声と悲鳴が球場を埋め尽くす。俺が切れ目野郎から打った白球は真っ青な空を切り裂いてく。俺はそれを駆け出すことなく見つめていた。伸びろ……伸びろ……、どこまでも届け、俺たちの打球。

 ドガンと鈍い音が遠巻きに聞こえてくる。白球は電光掲示板に直撃し、真下に落下した。
 一気に沸き立つ会場。俺は促されるままに塁を踏んで回る。その中で観客席にいる同じ学校の生徒が抱き合っているのが見えた。ああ、そうか、そうだよ。俺たち勝ったんだ!

 9回裏、ツーアウトからの逆転サヨナラホームランだ!

 ホームベースを踏んでチームメイトに揉みくちゃにされる。ついでに胴上げもされた。空に舞うなんて表現があるけど、まさしくその通りで、俺は青空という海に投げ出されているような心地よさを感じる。

 今日の青空はあの日ととてもよく似ていた。たった1年半前のことなのにもうとても遠い記憶に感じてしまうのはなんでだろう。そうだ、一番言いたいことを、この球場で、大きな声で。
「明音ええええええええぇぇぇ!! やったぞおおおおぉぉぉぉ!!」
 球場のどこかにいるであろう妹に向かって、いや球場の全員に聞こえるように俺は大声を出した。

「明音って誰だおらあああ!!」
 別の意味で揉みくちゃにされたことは言うまでもない。



 夢だって自覚しながら見るのを明晰夢っていうんだっけか。
 だとしたらとんでもない、人生の中で1番嫌いな、胸糞悪い明晰夢だ。

中学最後の全国予選の、最後の打席だ。毎回夢を見るたびに祈るけれど、代打に任命されるのは決まって俺だ。無理だと思いながら打席に立つ。投手が放つ白球、ヤバイ振り遅れた。ピッチャーの目の前に転がる白球。尻目に全力で走る。けれども足は一向に先に進まない。やばいやばいと焦るほど足は空回りする。目の前の一塁手の選手に球が送られてくる。

 駄目だ。終わってしまう。なにもかも終わってしまう。そんなのいやだ!


 布団を蹴飛ばしながら跳ね起きた。背中に嫌な汗が伝っているのを感じる。息が荒く、整うまで時間がかかりそうだ。意識的に深呼吸する。
「はー、はー」
 またあの悪夢だ。もういったい何度うなされれば気が済むのだろう。野球を止めてからもうすぐ1年、まだ誰にも許してもらってない。

 自分を落ち着かせるために部屋を眺めた。4畳ほどしかない簡素な和室。小学生の時に買ってもらった勉強机と本棚以外、何も置いていない。
……しいて言えば机と本棚の隙間に中学時代に使っていたバットとグローブが置いてあるぐらいだけど、俺はあえてそれを見えないように奥底にしまいこんでいた。

それよりも目につきやすい机の上に置かれている用紙を見る。「高等学校 1年 高原琴音」と書かれた成績表だ。今日から冬休みだったなと思い出す。
 大きく伸びをして立ち上がった。同時に窓の外から素振り特有のあの空気を切る鈍い音が響いてくる。

「アイツ、今日もやってるのか」

 カーテンを開けて庭を覗き込むと、大きめのユニフォームを着て黒いヘルメットをかぶり、素振りをする明音がいた。俺の5つ年下の妹だ。ショートカットの黒髪と勝気な瞳。身長は低く、俺の胸元あたりぐらいまでしかない。華奢で力が弱そうに見えるけど、野球をやり始めてもうすぐ1年になる。さすがに様になってきていた。言ったら怒るかもしれないけど腕が少し太くなってきたかもしれない。俺は明音を不審半分、見守り半分で眺めている。

 最初の不審というのは自分が野球をやめたのと同時期に野球を始めたので、あてつけではないかという不審。残りの半分は野球を頑張る妹を純粋に応援したいという思いからだった。

 兄なのに、そんな不審感抱くんじゃねぇと言われれば確かにその通り。でも去年ぐらいから明音の態度が急激に刺々しくなっていた。こちらとしても少々疑ってしまうのだ。昔は何処に行くにも俺の手を握ってついて来くる。何かがあるとすぐ俺の後ろに隠れて様子を伺うような子だったというのに。

 まあ反抗期に入り始めた女の子の兄への扱いなんてそんなもんかもしれないけれど。

 俺は1階まで降りていき、明音が素振りしている庭のほうへ歩いていく。家の庭は結構広い。なんでも
「家を建てた後で隣の土地が売りに出されたから勢いで買い取って庭にしちゃった」
 と母さんは言っていた。よって一昔前は俺の朝の練習場、今では明音の朝の練習場となっている。

 窓を開けて縁側に座り、明音の素振りを眺めていた。明音は顔の位置を変えず、ちらりとこちらを一瞥する。

「なに? 見ないで」
「いいじゃん別に」
「駄目、ヤダ、キモイ、あっち行って」
 むぅ、妹にここまで言われるとさすがに傷つく。でも努めて明るく振る舞った。

「まあまあそう言うなって。あーところでさ、なんで突然野球なんか始めたの?」
「別に理由なんかない。……あっても言わない」
 本当に俺に対してだけ、めっぽうそっけない態度を取る明音だった。
「やっぱりあるんじゃないか」
「うっさい」

 黙々と素振りする音だけが朝露の降りる庭に響き渡る。なにかを掻き切るような素振りは見ていて痛々しい。やがて静寂を破るように明音が低い声で呟いた。


「嘘つきの兄さんに話すことなんてない」


「そっか……」
 ヤダとかキモイとかよりもその一言の方が胸に突き刺さった。俺の様子を見て明音は途端に寂しげな顔をする。そうかと思うと今度は素振りをやめて急激にオロオロし始めた。

「違うの、そうじゃないの、こんなことを言いたいんじゃなくて、私は……」
 寒いからだろう頬は紅く染まり、目尻には涙を浮かべていた。
「え、いや、どうした?」
 明音は俯いて目を強く瞑る。両手で強くつかんだユニフォームの長めの裾がギュっと絞られていく。震える肩と荒い呼吸。その小さくて朝焼けに消えそうな姿は何かを耐えているようにも見えた。

「私は……兄さんの……」
 いったい俺の妹はどうしてしまったんだ。

「野球をしている姿が好きだったのよ」

 突然後ろから声がして振り返る。ピンクのエプロンをつけた母さんが立っていた。縁側に座る俺と明音を見つめながらはにかむように微笑む。
「琴音が中学の頃だったかな。明音はこっそりと試合を見に行ってたのよ」
「え、そうだったの?」
 俺が野球の話を振っても全然反応しないから、てっきり興味がないのかと思っていた。
明音が「ちょ……ちょっと待って」と焦ったように言うが母さんは待つつもりはないらしい。俺たちに向かって歩いてくるとともに、ほんとうのことを暴露し始めた。

「琴音が試合で打つたびに、家に帰ってきて大騒ぎするのよ『お兄ちゃんが今日もまた打ったよ!』って」
「お母さんやめてよぉ!」
 ヘルメットの上から耳を押さえて蹲る。顔は真っ赤だ。ヘルメット取ったら湯気が出ていそう。

「野球を始めたのだって、琴音がまた試合に出てくれることを期待してなのよ。『私がやってればお兄ちゃんもいつか、また試合に出てくれるかな』なんて言ってね」
「やめてぇ!」
 明音は頭を押さえて膝を付き、俯いている。一方俺は突然の展開にぽかんとしてしまって何も言い出せない。

 恥ずかしがっている明音を見て母さんはスイッチが入ってしまったらしい。もともと性根にSっぽいところがある人なんだ。母さんのせいで『同級生にため込んでいた秘蔵本を披露された』件は本当に忘れたい。あの時のことを考えると本気で死にたくなってくる。あの時の同級生の煩わしい流し目と「お前、爆乳が好きなんだな」という言葉、絶対に忘れない。次会ったら殺そうと心に誓う。

「そういえば素振りしているときも、わざと琴音から見える位置で素振りしてたよね。たまに話しかけられたらあんなにつっけんどんな対応したのに、あとでにこにこしてたね」
「いやああああああああぁぁぁ!!」
 ついに明音は悲鳴を上げながら上半身を倒し地面に突っ伏す。それは母さんに向かって土下座しているようにも見えた。母さんは急に真面目な顔つきになると、しかるように告げた。

「素直になりなさい明音、琴音」
「え? 俺も?」
 なんで俺?
「あんたたち本当はどうしたいの? なにをしたいの? それを話しなさい」
少し躊躇った。それは明音も同じらしい、上目づかいに俺を見つめてくる。
「さあここで! ナウ!」
 なぜ英語?っという突っ込みたくなるが、それはやめておこう。視界の隅で明音が立ち上がったのがわかったからだ。

しかしそこから動きがない。不審に思ってよく見てみると明音は一歩ずつゆっくりと後退し始めていた。
「逃げんな!逃げたら終わりだぞ!」
 母親の強烈な一言に明音の足は止まった。今度はうつむきながらもしっかりと両の足で立ち、俺を真剣に見つめてくる。

「私は……」
 と呟いて、再び言葉を飲み込もうとしたらしい。口をキッと結んで必死に抵抗している。けれども止めきれず、溢れだす。

「……私は、野球をしている兄さんが好き! きらきらしてて、心の底から楽しんでるのがわかって、見ていて私も楽しくなる! みんなも笑顔になる! 兄さんはそういう人なの! 周りにどんどん影響を与えてみんな感化されて兄さんの後をついていくの! 失敗しても次に繋げるとか言って夜遅くまで頑張ってる兄さんの姿を見てると、あれが私のお兄ちゃんなんだって、すごいんだ、お兄ちゃんはすごいんだって……。でもなんでなの、お兄ちゃん。なんで野球を止めちゃったの」
 最後の方は涙声になっていた。
「私は、野球をしているお兄ちゃんを見たいよ……嘘ついて悲しそうなお兄ちゃんはもう見たくない……」
 明音は消え入りそうな声で呟いた。

その妹の想いは、俺にとって一種の拷問だ。けれど妹の、明音の言っていることは間違っていない。俺は、この壁を乗り越えないといけないのかもしれない。
当て付けかもなんて訝しんでいたついさっきの自分をブン殴りたくなる。でも時を超える力のない俺にはできない。だからせめてこの一生懸命な妹に俺は何かできないだろうかと考える。
 
体は自然に動く。俺は縁側から庭に出ていた。裸足のまま、でもそんなことかまいやしない。手が伸びていき、明音を抱きしめる。たぶん二度とできないこんなこと……正直もう恥ずい。母さんが見てるのに……いや見てなかったらいいわけじゃないけどね。

明音が少し体を固くした。でもその躊躇は一瞬だったようだ。背中に手が回される。明音は俺の胸に顔を埋めて曇った声を出した。

「今のお兄ちゃんは、ダメだよ……」
「うんそうだな。兄ちゃんはダメなやつだ」
「今のお兄ちゃんは、カッコ悪いよ……」
「そうだな。カッコ悪いな」
「今のお兄ちゃんは、ヘタレで優柔不断で甲斐性なしで頭が悪くて性格ひん曲がってて運動神経鈍くて音痴でヘタレだよ」
「うんそうだな。……ってそこまで言うか! 音痴関係ないし! っていうかヘタレって二回言った!二回言った!」
「大事なことだからね」
「余計なこと言わんでよろしい」

 明音は胸元から顔を上げない。ただくすくすとこらえていない笑い声が漏れてくる。
 泣かれるよりも笑ってもらう方がいいな。って何を当たり前のことを実感しているだが。
俺はこいつの兄貴なんだ。そして家族だ。だから弱い自分も見せなくちゃいけないと思う。

「俺の話、聞いてもらってもいいか」
「うん、聞きたい」
 明音はその時、初めて顔を上げた。勝気な目、はにかむような表情と赤い頬。頼ってもいいのかも、なんて思ってしまう自分が恥ずかしい。兄は妹を助けなければならないと言われているのにこれでは俺が助けられているじゃないか……。
 俺は思わず頭を掻いていた。
 照れ隠しなんかじゃない。……断じて、ない。
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