妹は、悪いモノに取り憑かれたようです。

仙道佳帆

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第三章/駄目なんです。

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 家路はすっかり朱色に染まっていた。
 俺の前を歩くずみが、ふ、と溜息をつく。
「はあぁ……もう、今日はいつも以上に疲れたよ……」
「それは当然でしょう、泉澄どの、いつにも増して全力投球でしたからな!」
「違うって……お兄ちゃん、急に来るんだもん……」
 肩越しにじろり、と睨まれて、俺は思わずのけぞった。
「……悪かったよ。どんな感じで部活してるのか、気になって、つい……」
「あ……ううん、怒ってるんじゃないの! ただ……その……」ぶんぶん、と手を振って、泉澄は目を伏せる。「目の前で、変な力、入っちゃって……恥ずかしかった」
 夕陽を浴びているせいなのか羞じらいのせいなのか、後ろから見る泉澄の頬は真っ赤に染まっていた。
「それにしても泉澄どの、恋愛をテーマに演じると、思いのほか情熱家なのですな! 兄君としては、不安になりませぬか?」
「ふ、不安って……何がだよ……?」
「あのご様子では、どこかの殿方に恋い焦がれたが最後、周りも顧みずに突き進むかも知れませぬぞ! 兄君としては、しっかり目を光らせねば、と思われませぬか?!」
「それは……だって、あれは芝居だろ? な? 泉澄……」
「う、うん……短い時間で、アドリブで、ちゃんとオチもつけて……って言われたから、頑張って絞り出したんだもん……私、本当にあんな立場になっても、さすがに自分の首は差し出せないよ……」
「されど、咄嗟に着想されるのは、泉澄どのの本質に燃えたぎるような情熱が潜んでいるからに相違ありませぬ!
 まあ、さすがに命まで投げ出しはされますまいが、いざとなれば惹かれ合った殿方と手に手を取り合って出奔、となる可能性は大いにありますぞ! ご注意召されよぉ、がくどの♪」
「っ……もうっ……!」
 反論しそうな気色を見せたが、結局拗ねた呟きを漏らして、泉澄は早足で行ってしまう。俺は揃って取り残されたゆいに、思わず訊ねていた。
「……お前、何を企んでるんだ?」
「企んでいるとは人聞きの悪い。愚生がいったい何を狙っている、とお考えなのです?」
 しれ、っと問いを返されて、俺は口籠もる。
 俺が惟花に何かしら思惑がある、と考えたのは、社にいたふたりを目撃したからだった。泉澄の抱く感情を知っている惟花が、こんな風に俺を煽るのは、彼女に何らかの意図があるから、としか思えない。
 ――だが、その推測の根拠を問われたら、きのう覗き見していた事実を避けては通れなかった。
 痴漢だ変態だ、と罵られるならまだ解り易い。惟花の場合、予想外の反応をしてくるのが厄介だった。うっかり口を滑らせて、おかしな詭弁で翻弄されたら、状況がどんな風に転がるか、もう想像も出来ない。
「……乙女とは、盛りの短い実りですぞ、岳どの」
 やけにしっとりとした口ぶりに、困惑した。「どうしたんだよ、急に」
「生物として見るなら、男性よりも女性の方が頑丈と言われておりますし、事実、そうなのでしょう。しかしそのなかの“乙女”と呼ばれる部分は繊細で、極めて脆い、僅かのあいだしか成さぬ果実です。
 その最も甘く熟れるひとときを摘み取り、味わう殿方はいずこにいるのか……岳どのは、気になりませぬかな? 心配ではありませぬかな?」
「……なんか、表現に品がないぞ」
「くふふ。ではまた来週、お逢いしましょうぞ!」
 惟花はしゅたっ、と手を上げて、走り去っていく。
 ……言いたいことを言って、ひとの気持ちを掻き回すだけ掻き回していった。

 家の近くに漂っていたカレーの匂いが、玄関を開けると一気に鼻腔に押し寄せてくる。
「母さん、今日はカレー?」
「兄妹でおんなじことするんだから、もう! 帰ってきたらまず『ただいま』でしょ?」
「……ただいま~」
 注意に素直に従ったけれど、なんだかちょっと面映ゆかった。
 浴室のほうから微かに、シャワーの流れる音がしている。どうやら泉澄は先に帰るなり、さっさと汗を流している様子だった。
 一所懸命稽古をしてる姿を見学していたから、今日は変な勘繰りをする余地がない。いまは顔を合わせづらい気分だったから、ありがたくもあった。
 俺自身は稽古をしたわけじゃないけれど、やけに疲れている。部屋に戻って少し寝転ぼう、と階段を上がろうとした矢先に、母に呼び止められた。
「岳ー、お母さんのスマホ、取ってきてくれる?」
「……スマホ? どこ?」
「洗面所の、籠の辺りに置いてきたと思うんだけどー」
 一瞬、固まってしまう。「いま、泉澄が入ってるけど……」
「お風呂場になんて置き忘れてないわよ。洗面所にあるはずだからお願いー! いま作ってるカレーのレシピ、見たいのよ~!」
 そう言われて、はねつける理由が見つからなかった。なぜか、背中に脂汗が滲むのを感じながら、俺は浴室の引き戸を開ける。
 洗面台の横で洗濯機の回る音と、浴室のガラス戸越しにシャワーの音が響いていた。
 俺は視線を巡らせて、母のスマートフォンを探す。早く済ませようという焦りのせいか、すぐに見つからなかった。洗面台脇にある棚の上に放り出されているのをようやく発見して、手を伸ばす。
 浴室のドアが開いた。
 振り向いて、しまった。
 泉澄が、目を丸くして硬直する。艶やかに濡れた肌を雫が滴り、緩やかに膨らんだ乳房を伝い落ちる瞬間を、見てしまった。
 ドアが、勢いよく閉まる。
 その音で俺も我に返った。慌てて洗面所を飛び出し、戸を閉める。激しい動悸を鎮めるために、何度も深呼吸した。
「岳~、スマホは~?」
「ちょっ……ちょっと待って!!」
 どうにか少し落ち着いたところで、洗面所に向き直り、閉めたばかりの戸を叩く。
「……お兄ちゃん?」
「うん……あの、ごめん。母さんに、スマホ取ってきて、って言われて……」
「あの、いず――私は、ボディソープ、切れちゃったから……補充しようと思って……」
「う、うん。悪い……」
「だから……確かめなかった、泉澄も悪いから……いま、出るから……もうちょっとだけ待って」
「解った」
 話しながら急いで始末していたらしい。本当にちょっと待っただけで、引き戸が開いて、部屋着姿の泉澄が現れた。
「いいよ、入って」
「あ、ああ」
「ボディソープ、補充出来なかったから……入るとき、詰め替え、持ってって」
「いや……今は、母さんのスマホ取りに来ただけだから」
 俺の言葉に、何故か泉澄は唇を尖らせて俺を睨みつける。反応に困っている隙に、泉澄は小走りに二階に行ってしまった。
 恐る恐る、洗面所に入る。
 浴室から溢れてきた温気が充満していた。ボディソープの華やいだ香りに、少し酸っぱさが滲んでいる。泉澄が風呂から上がってすぐに脱衣所に行くと漂っている、馴染みのある匂いだった。
 不意に気づく。あのとき、社の前で嗅いだのと同じ匂いだった。
 ――きのう、泉澄が俺のすぐあとに浴室を使わなかった理由は、これかも知れない。
 そう察知した途端、急激に気恥ずかしくなった。そして、さっき目の当たりにしてしまった裸身に、漂う体臭が重なる。
 頼まれたものを鷲づかみにすると、浴室を出た。急ぎ足でキッチンに向かい、母にスマートフォンを差し出す。
「あ、ありが……と……?」
 お礼の言葉が怪訝そうに濁るのを背中で聞きながら、急ぎ足で階段に向かう。前屈みのみつともない格好を、母に見咎められたくなかった。



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