妹は、悪いモノに取り憑かれたようです。

仙道佳帆

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第六章/耐えられないようです。

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 灯りのつく気配で、自然と目が覚めた。
「わ?! え……がく、なんでそんなところで寝てるの?」
 もう既に仕事用のスーツに着替えた母さんが、素っ頓狂な声を上げる。対照的に俺は、地の底から絞り出すような声しか出なかった。
「配信の……映画、大きい画面で観たくて……寝過ごしてるうちに、眠気に負けた……」
「もう……風邪引くわよ? せめて毛布ぐらいかけなきゃ」
「うん……」
 いい加減に相槌を打って、洗面所に向かう。冷たい水を顔に浴びせて、少しでも意識をクリアにしようと努めた。
 母さんにした説明は、嘘ではないけれど、因果関係が違う。部屋にいても落ち着かなくて、仕方なくリビングで映画を観始めて、気づかないうちに眠り込んだ、というのが本当だった。
 自分のベッドを眺めるだけで、悶々としてしまう。昨晩はどうやったって、あのベッドで熟睡できる気がしなかった。
「朝ご飯はどうする? お母さんと一緒に食べちゃう? それとも、ずみが起きてから――」
「一緒に食べるよ。たまには、早めに学校、行ってみる」
「そう? じゃあ、準備してあげる」
 制服に着替えるために、いったん二階に上がる。
 ひと晩ぶりに部屋に入った途端、きのうの情事の残り香を嗅いだような気がして、俺はひとまず窓を開けた。ベッドを見ないようにしながら、急いで着替える。
 廊下に出るなり、ドキ、っとした。
 俺の部屋の中よりも濃厚に、泉澄の匂いが漂っている。
 鼓動が高鳴り、身体が火照った。急いで下に降りたかったけれど、まだ眠っているはずの泉澄を起こしたくないから、なるべく静かに脚を運ぶ。やもすると下半身がたぎりそうになるのを抑えつけるのは至難の業だった。
 でも、一階でも状況はほとんど変わらない。
 ゆうべ、たっぷりと嗅いだ泉澄の匂いが、あちこちに漂っていた。一階の廊下にも、玄関にも、洗面所の付近からも、もちろんリビングにもキッチンにも、柔らかで爽やかで、少し甘酸っぱい泉澄の香りがある。
 自分が、どれほど泉澄の気配に包まれて暮らしていたのか、初めて思い知った。
 そして、その魅力を身体で知ってしまったいま、それがどれほど悩ましいことなのかも、初めて痛感した。
 勃起する手前でどうにかキッチンに辿り着き、席に着く。母さんが支度してくれたスープを啜って、ようやく人心地がついた。
「岳とふたりきりで朝食なんて……あった? 初めてじゃない? 岳、いつもお母さんか泉澄に起こされるまで目を覚まさないもんね~!」
「んー……俺、リビングで寝てる方が、寝坊しなくていいのかな?」
「やめてよ、しょっちゅうあんなことしてたら風邪引くわよ。岳が風邪引くと、泉澄が大騒ぎするんだから」
「……そうだっけ?」
「去年、三十八度近い熱を出して寝込んでたことがあったでしょ? あのとき、泉澄も学校休んで、看病してくれたのよ。
 氷枕の交換もこまめにしてたみたいだし、体力のつく食事はどうしたらいい? って、私に電話してきたの。あの娘が仕事中にかけてきたのなんて、そんなにないんだから」
「……覚えてない」
「そりゃあ、岳はず~っと熱にうなされてたからね。母親が言うのもなんだけど、あんな献身的な妹、そうそういないわよ?」
 ……俺も、そう思う。
 胸の内ではそう応えていたが、表面的にはただ頷くだけに留めた。
「――やだ、もうこんな時間?! 思わず話し込んじゃったじゃない! 岳、お母さんの分も片付けておいてくれる?」
「うん」
「ありがと! お母さん、今夜は早く帰れると思うから!」
 そう言い置いて、母さんはバタバタと慌ただしく出かけていく。
 母さんのと、自分の食器もまとめて食器洗浄機に仕掛けておいた。着替えたとき、一緒に下ろしてきた鞄を取り上げ、俺もさっさと出かけようとしたけれど、思い直してリビングに戻る。
 リビングの壁に貼ってある、連絡用のホワイトボードに、先に学校に行く旨を書き込んだ。それから改めて玄関へときびすを返す。
 泉澄が、驚いた様子で佇んでいた。
「お兄ちゃん……もう起きてたんだ」
「あ、う、うん。ゆうべ、リビングで映画観てて、そのままソファで居眠りして、母さんに起こされた」
「……今朝も泉澄が起こしてあげたかったのになぁ」
 頬を赤らめ、泉澄がはにかむ。不意打ちの愛らしさに、あり得ないほどときめいてしまった。
「朝飯も母さんと食べて……もう、やることないから、たまには早めに学校に行こうかな、て」
「えぇ~。泉澄が食べるまで待っててよ。今朝、一緒に通学するの、楽しみにしてたんだよ?」
「今日は……せっかく早起きしたし、たまにはボクシング部、覗いて来よう、って思ってさ。いくら幽霊部員でも、たまには顔を出さないと、わかしまに悪いし……」
「んん……そっか。残念……」
「じゃ……先、行くぞ」
「うん」
 名残惜しそうに頷く泉澄の横を通り抜ける。すれ違った瞬間に香る、泉澄の爽やかで甘い体臭を嗅いだ途端、身体が火照るのを感じた。
 急ぎ足で玄関を出ようとしたとき、後ろから呼び止められる。
「お兄ちゃん」
「っ?! な――なに?」
「行ってらっしゃい」手を振ってから、泉澄は照れ笑いを浮かべた。「あは……ちょっと、言ってみたくなっちゃった」
「ああ……行ってきます」
 なんでこんなに気恥ずかしいのか、家を出てだいぶ経ってから気づく。
 普段の俺は、泉澄に起こされ、一緒に家を出る。妹に見送られることなんて、滅多になかった。
 だから余計に感じてしまうのかも知れない――まるで、新婚夫婦みたいだ、なんて。
 両手で自分の頬を思いっきりひっぱたく。でも、まだ夢の中にいるような心地がしていた。

 本当は、訊かなきゃいけないことが、ひとつあった。
 ――悪いモノはもう、落ちたのか?
 でも、咄嗟に思いつかなかった。そして、思い返しても、このとき訊けた気がしない。



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