『セカンドスクール 』 ガングロが生存していた頃のある通信制高校野球部の軌跡

ボブこばやし

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二学期の終わり

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 学期の終わりには通信制高校もテストがあった。通信制高校の生徒は所謂RSTレポート、スクーリング、テストの基準をクリアーすることによって、単位が認定され、積算された単位が七十四単位に達すれば卒業できた。
 テストは年間で三回あった。櫻井は一学期、通信制に来て最初のテストの問題を作成する時、後藤に聞いた。
「先生、どのくらいのレベルにした方が良いのですか?」
「レポートの中にある内容をそのまま出題したらどうですか。生徒が答えやすいように。レポート以外から出題しない方が良いです。凝った問題は駄目です。」
 後藤はいつものように椅子ではなく自分の机に座って答えた。
「○×の問題とか。記述式でも大丈夫ですか。」
「問題が理解できれば、良いんじゃないですか。」
 そこに櫻井の向かいに座っている、櫻井と同じ地歴の陸田が割り込んできた。
「進学校から内に来た先生で、成績の格差をつけるために偏差値の上から下まで網羅するような問題をつくりましたが、結局失敗してしまいました。平均点が十点に届かなくて差は生まれませんでしたよ。それに生徒もできないとやんなっちゃって、次のテストに来なくなってしまうのです。そうすると単位が修得できず結局卒業できない。」
「そうですか。逆に難しいな。」
 櫻井は正直な感想を言った。
「『テストに来て良かった。私も少しできた。』という満足感が得られるような問題が理想ですね。例えばですね。問題、東京には浅草があります。浅草は何という都道府県にあるでしょうか。これですかね。浅草は何区にありますか。これはだめです。」
「え、それでは答えを教えるようなものでしょう。馬鹿にしてますよ。いくら何でも。」
「これはあくまで例です。でもそうです。問題を読めば答えが分かってしまうような問題を30%作るんです。」
「はあ。」
 櫻井はそれ以後、陸田の忠告を守り二学期のテストを作成した。
 ピィヨピィヨピィヨピィヨと職員室の内線電話が鳴った。
 電話の近くにいた後藤が取った。
「桜井先生。電話。先生のクラスの生徒だって。」
 受話器を高く上げた。
「え。来られない。」
 櫻井は受話器を取ると困惑した。
「教科の先生に頼んで別の日にできるか聞くけど。無理?上田さん、赤ちゃん産まれたばっかしなんだ。それじゃ、無理だよな。ちょっとどうするか先生方と相談してみます。」
 櫻井は『産後の肥立ちは大切だ。』と母から聞かされていたのを思い出した。
 櫻井は四年生の担任だった。この学校は教師であれば誰でも担任を持たされた。それだけ生徒数が膨れあがっていた。櫻井は六十人近い生徒の担任をしていた。毎日、生徒が登校する学校ではとてもできない、生徒と教師の関わりが薄い学校であるから可能だった。
「テストに来られない生徒はどうするのですか。」
 せんべいをボリボリ食べ始めた後藤に聞いた。
「何ともなんないでしょう。」
 櫻井は後藤に軽くあしらわれ、活路を絶たれた。
「でも、赤ちゃん産まれて学校に来るのはどう考えても無理でしょう。こんな特別な事情があるのに、何にも配慮しないんですか。おかしいですよ。ここでテストを受けられないと言うことは来年の三月に卒業できないということですよ。」
 櫻井は暢気にせんべいを食べる後藤と遠くで見て見ぬふりをして、老眼鏡越しにこちらを伺っている教頭に聞こえる声で言った。
「私の経験だと、問題を持って家庭訪問をしました。その子の家でテストを受けてもらいました。」
 陸田が前の席からそうっと身体を乗り出して、櫻井に耳打ちした。
「それ、ありですか?」
「教頭先生には内緒で。」
「ありがとうございます。」
「先生もお人好しですね。お節介かな。」
 後藤が机のせんべいの滓を手で払いながら他人事のように呟いた。
 櫻井はすぐ、上田めぐみに電話をして、家庭訪問する日時を調整した。
 上田めぐみは二年生まで全日制の高校にいた。上田が言うことには、職員室に呼ばれて『ピアスは校則で禁止されている。おしゃれのために自分のからだを傷つけるのはどういうことなのか。』と先生に注意されたらしい。しかし、上田は全く反省の色はなく、口をとがらせて横を向いていたら、その態度をまた注意されたらしい。『うるせんだよ。自分のからだをどうしようと自分の勝手だろ。校則校則と何かあれば校則を持ち出しやがって。第一、校則なんて、てめえらで勝手に作ったものだろう。もうこんな所にはいたくねえや。学校なんてやめてやらあ。』と啖呵を切って退学したらしい。
 しかし、本当のところは妊娠だった。相手は同級生らしい。妊娠した女子は退学になるが、男子は卒業できる。櫻井にはどうしても納得できない現実だった。そして、上田めぐみは退学し通信制高校に編入し、十八歳で二児の母親になった。
 櫻井は後日、テストの問題を持参して上田の家に行った。小さな平屋の貸家だった。櫻井は生徒についての監督をしなければならなかったが、もしや赤ちゃんに授乳しなくてはならなくなった時、どうしたらよいか分からなかったので、上の女の子と隣の空き地で鬼ごっこをして遊んでいた。
                      *   
 夕方、東京近郊の駅のホームの階段を急いで降りる佐々木と美樹。
 車掌がホームの上にぶら下がっているモニターを見て乗客の乗り降りの安全を確認していた。音を立てて降る雨で霞むモニターの中に田中と佐々木が映ってきた。電車のドアが閉まりかけようとした時、佐々木はドアの間に傘の先を刺した。車掌は憤慨した表情でドアを開けた。佐々木はカメラも、ましてや、車掌の存在も頭にはない。平然として田中を車内へ引き込んだ。その様子が車掌をあざわらうかのようにモニターに映し出されていた。
 電車が走り出すと、車内のアナンスが特定な個人を非難した。 
「駆け込み乗車は絶対にお止めください。また、無理矢理閉まったドアに傘を刺すような行為はとても危険です。絶対にお止めください。」
 過去を振り返らない佐々木は空席が目立つのに優先席に座っていた若者をその傘で排除していた。
「さあ、こっち。」
 佐々木はシルバーシートのクッションの具合を調べるように二度三度、尻をバウンドさせた。美樹は照れくさそうに隣に腰をかけた。
「よく、学校に出られるようになったね。テスト、受けた?」
「はい。」
「今日はお祝いだから。わたしに任しなさいよ。具合はどう。電車、混んでないから大丈夫でしょ。」
誰も手を通していないつり革が統一した振幅で小さく揺れていた。
「ええ。」
「分かってるのよ。パニック症ってやつでしょう。電車とかバスとか人がいっぱいいるところはダメなんでしょう。心臓がバクバクしちゃうんだよね。」 
 佐々木は両手で自分の胸を叩いた。
「ええ。」
 美樹は気持ちのない声で頷いた。前の席には、女子高校生が抱えた黒い鞄に頭を垂れ熟睡していた。
「わたし、結構おっぱいでかいでしょう。」
 佐々木は叩いていた胸を今度は両手で引き上げた。
「え。はい。」
 美樹は生まれて初めて聞くフレーズにほとんど放心状態であった。
「まあ、悩みなんてものはだれでもある。まあ、人生なんかなくちゃ、逆につまんないかもしれないよ。」
 佐々木の脳裏にはフラッシュバックのように嫁を右フックで殴っているシーンが流れた。その後スローモーションで倒れる嫁と病院の廊下で困り果てている息子の姿が混然として現われた。佐々木は映像を切るために、何度も頭を振らした。
「どうしました。」
「え?何でもないよ。・・・・美樹ちゃん。内の学校に友達いる?」
「いません。」
「友達は作った方がいいよ。今日、紹介するから。みんないいやつだよ。気に入ると思うよ。それに友達作ると、何かと便利だし。一番いい友達は、レポートの答えを教えてくれるやつね。」
「でも、自分でやらないと。」
「その通り、that’s right。いいね。その真面目さがいい。・・・ところで、あんた、先生のこと好きなの。」
「先生って。」
「櫻井君よ。」
 これも生まれて初めて聞く、デリカシーのかけらもないフレーズだった。
「考えたこともありません。」
「よかった。恋敵が増えると大変だから。私も十歳若ければ、誰が出できても自信はあるんだけど。」
 佐々木は外の暗さで鏡になったガラス窓で髪をなでた。その横には、微笑む美樹も写っていた。佐々木は若く張りのある美樹と自分の表情を比べると窓から視線をはずし、天上からぶる下がるつり革で懸垂を始めた。
 美樹はこんなことをする大人をやはり初めて見た。
                       *
 昨日のことだった。半年ぶりで登校した美樹は数人の教師や生徒に聞きやっとのことで櫻井を捜し当てた。櫻井は社会科の研究室にいた。
 部屋のドアには小窓がついていて、そこから中を覗き込むと、乱雑に書籍や段ボールが積まれていた。
「櫻井先生、いますか。」
 ノックして体半分、中に入ると、積まれたダンボールが崩れた。
 櫻井が服に付いた埃を手で払いながら現われた。
「あ。どうした。」
「今日、来ました。テストも受けました。」
「そうか。よかったな。無理してないよな。」
「え。この通りです。」
 美樹は小さくガッツポーズをして見せた。
「先生。何してるの。」
「野球のボールがここにあるって言うから探しに来たんだ。案外、ボールって高いんだ。前の顧問がこの部屋に置いていったって聞いたもんだから。でも、この通り。これじゃ、埒があかないよ。」
 櫻井はあたりを見回しながら閉口した。
「少し、休憩。君、お茶のむ?」
 落ちた段ボールをかき分け、先導する櫻井に田中は足元を気にしながらついていった。流しが窓際にあった。その上には。古びた赤いヤカンと電熱器、味気ない会議用の茶碗が雑然とあった。櫻井が流しの下の戸棚をごそごそ探しだした。
「あった。こんな所にあった。ボール。」
 櫻井は座ったまま一個のボールを美樹に突き出した。美樹はボールより櫻井の肩に落ちていた綿埃が気になったが、手で払ってあげることができなかった。
「よし、やっぱり紅茶のテーパックもあったぞ。」
 櫻井はケースの裏にある賞味期限を確認すると「OK!」とうなずき、田中を見上げた。
田中が笑顔を返した。
 櫻井は流しでヤカンと茶碗を洗い出した。ヤカンはたわしで外側まで磨いた。茶碗も丁寧に茶渋を磨き落とした。
「先生、家事もやるんだ。」
「俺、結構好きなんだ。こういうこと。」
 再生したヤカンが電熱器の上で『ピー』っと言いながら口から蒸気をあげた。二人はもう使われなくなった木製の机に座りながら、手のひらを受け皿にして紅茶をすすった。窓を見るといつの間にか鉛色の空から牡丹雪が校庭に落ちていた。白い木の葉が舞うようにひらひらと落ちて、会話が途切れていた少しの時間で校庭は白く染まっていった。
「先生。ここに時々来るの。」
「初めてだよ。まだ、一年たってないから、知らない部屋がいくつもあるよ。でも、ここ、なんか落ち着くね。流しがあって、お茶も飲めるし、少し、かたづけて隠れ家にするかな。」
「隠れなくちゃいけないことしてるの。」
 美樹は怪訝な顔をした。
「そんなことないけど、一人になりたい時って、誰でもあるだろう。」
「そんなこと言う人は必ず、寂しがりやだよね。」
「う~ん。そうかな。」
「先生。」
「何。」
「このお茶碗。美樹のにしていい。」
「え。そんなおじさんが飲むようなやつ。」
「これ使うね。」
 美樹は、自分が座っている机の物入れを探って見つけたマジックを差し出した。
「あ、いいよ。」
 櫻井がぼんやり、鉄棒の細い棒に均等に摘みあがっていく雪を感心しながら見ていると、田中は『ミキ』と小さなサインを茶碗に入れた。
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