貴き花の行方

KAORU

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 王都ルミエールに初夏の風が吹く頃、侯爵令嬢リュシエンヌ・フローレンスは、国王主催の舞踏会に招かれていた。

 リュシエンヌ・フローレンスは、宮廷一の美しき薔薇と称される貴族令嬢だった。金糸のような髪、透き通るような肌、そして一見穏やかでありながら芯に炎を宿したその瞳は、多くの貴族たちの憧れの的だった。
 
 彼女は名門侯爵の家に生まれ、優雅さと知性を兼ね備えた“完璧な令嬢”と称されていた。けれど、その微笑の奥には、決して他人には見せない寂しさが潜んでいた。
 常に完璧であろうとする彼女には、心の弱さを見せられる相手がいなかった。

 舞踏会の会場をゆっくりと進んでいると、周りの声の中に、女性たちの黄色い声が混じる。

 「……また、あの人ですね」

 リュシエンヌに付いている侍女が耳打ちをする。彼女の視線の先には、一人の青年が立っていた。

 近衛騎士クラヴィス・ヴェルノワ。下級貴族の三男という身ながらも、若くして騎士団に抜擢された実力者。その冷静沈着な振る舞いと、忠誠を貫く瞳は、宮廷内でも密かに話題になっていた。
 そして、その精悍な容姿は、令嬢のみならず、女官や侍女たちの秋波を集めている。

 ―― 彼と初めて出会ったのは、ちょうど二年前の夜だったわ。

 あのときも、舞踏会だった。人々の喧騒から逃れるように一人でバルコニーに出たリュシエンヌは、背後に気配を感じて振り返った。

 「失礼。お一人のご様子だったので」

 そこにいたのが、当時まだ近衛騎士の中でも下級だったクラヴィスだった。
 バルコニーに令嬢が一人きりだと危ないと思ったのか、一定の距離を保ったまま、リュシエンヌを護衛しているようだった。

 「見張りのつもりなら、必要ありませんわ」

 リュシエンヌは厳しく教育された侯爵令嬢だ。多少の体術の心得も教え込まれていた。

 「いえ、ただ……あなたが少し、悲しそうだったから」

 その言葉に、彼女は思わず笑ってしまった。誰にも悟られたことのない感情を、こんなにも簡単に見抜いた人は初めてだったから。

 それから数分、二人は名も告げず、ただ言葉を交わしただけだった。だが、その夜の記憶は、リュシエンヌの胸に深く刻まれた。

 ―― 私の名前を尋ねることもなく、去っていった青年。

 けれど、それから彼女は彼の姿をたびたび王城で目にするようになった。そして、気づけば目で追っていた。

 それが”恋”だと気づいたのは、ずっと後のことだった。

 「……リュシエンヌ様」

 現実に戻されたのは、当の本人―― クラヴィスの声だった。

 「あら、クラヴィス様。奇遇ですわね」

 「お身体に冷気は差していませんか。夜の空気は肌を冷やします」

 「お気遣い、ありがとう。でも大丈夫ですわ。少し人に酔ってしまったのです。しばらくしたら戻ります」

 この二年の間に、互いの存在を知った。直接名乗りあったわけではないが、リュシエンヌとて社交界では名が通っているし、彼も話題の若手騎士だ。互いの名を認識するのには十分に時間があった。
 少しずつ距離は近づく。彼ら近衛騎士にとっては王宮にいる貴族は護衛対象で、リュシエンヌが訪れるときにも護衛として彼が側にいることは何度もあった。
 あくまで宮廷を守る近衛騎士と、高位貴族の令嬢。二人きりになるなど有り得ない。それでも、何度か言葉を交わすうちに、その実直で優しさを含む彼の声が、リュシエンヌの恋心を少しずつ育てていった。
 
 淡々と交わされる言葉。けれど、いつしかクラヴィスの瞳には微かに揺れる光があった。

 ―― このまま時が止まればいいのに。

 そんな想いを抱いてしまうほど、彼の存在はリュシエンヌの心を温めていた。
 王家の行事で訪れる度、彼の姿を探した。こうして舞踏会の夜に二人きりで言葉を交わせることは稀な事だった。

 
 

 だが、数日後。

 「リュシエンヌ・フローレンス嬢は、アルヴァロ公爵家嫡男、ロジオン・アルヴァロとの婚約が正式に決定された」

 そんな報せが、王宮中を駆け巡った。

 ―― それは、政略という名の運命さだめ

 リュシエンヌは王国有数の名門、アルヴァロ公爵家との婚約を命じられたのだ。相手は次期公爵、ロジオン・アルヴァロ。冷徹で、感情を表に出すことのない青年だった。

「家のための婚約。国のための婚約…… 貴族令嬢としては当たり前のことよ。
 だから、クラヴィス様。……どうか祝福して」

 その夜、リュシエンヌは誰にも見られぬよう、ひっそりと泣いた。

 誰にも知られない場所で、たった一人で。

 クラヴィスに、『おめでとう』と一言でも祝われたらなら、きっとこの恋心は捨てられる。そう思っていた。

「……ご婚約、おめでとうございます、リュシエンヌ嬢」

 婚約が正式に公になった夜会で、そう淡々と口にしたのは、クラヴィスだった。
 この二年の間に王宮の近衛騎士団副団長にまで登り詰めた彼は、心の寂しさを見抜いたその優しさを瞳の奥に潜ませながら、儀礼的な祝辞を述べた。
 リュシエンヌの望んだとおりの台詞だった。

 ロジオンは、王家に連なる血統の持ち主だ。その婚約者となったリュシエンヌには、王宮で近衛騎士の護衛が付けられるようになった。今日の護衛は彼だった。
 
 リュシエンヌは微笑み返す。淑女としての礼儀を保ちながらも、心の中では、ひとひらの花が落ちるような音が響いた。

 ―― どうして、貴方なの。

 切なさが胸を締め付ける。
 その言葉はリュシエンヌが望んだものだったはずだ。いつまでも心に居座る恋心を捨てるために。
 なのに、彼の言葉はリュシエンヌの心にさらなる痛みを齎した。
 恋とは厄介だ。自身の理性で感情を制御しきれない。


 ロジオンとの婚約は、家の存続と政治的な安定のためのものだとリュシエンヌも周囲も理解していた。おそらくロジオンにとっても同じはずだ。

 けれどもリュシエンヌは、知っている。

 ロジオンが思いを寄せている相手が、彼女ではないことを――。



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短いお話です。
なんとなく、勢いで。
ここまで投稿してきたものとはちょっと違うテイストでお送りします。
恋愛中心です。
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