貴き花の行方

KAORU

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 ロジオンとの婚約が発表されてからというもの、リュシエンヌの周囲は慌ただしくなった。

 高位貴族同士の婚姻。それも王家が整えたものだ。
 二人の式は、貴族社会への周知も含め、盛大に行われる予定だ。

 ドレスの仮縫い、式典の打ち合わせ、舞踏会の出席依頼……。どれも貴族の令嬢として当然の務めだったが、心は常にどこか遠くにあった。

 婚約が決まってから、ロジオンとは何度か交流を持った。しかし、心が通うような会話にはならなかった。

 ロジオンは次期公爵だ。王家に連なる家の当主となる。だからこそ、他を寄せ付けない雰囲気を持っているのだとリュシエンヌは思っていた。
 王家が整えた婚約である以上、リュシエンヌ側からは破談にはできない。
 であれば、歩み寄りをすべきだと出来る限りロジオンを知り、家族になろうと決心していた。
 でも、彼の冷徹な態度は崩れなかった。婚約者であるリュシエンヌにも、見えない壁を作り、決して踏み入らせない。
 それが逢う度、言葉を交わす度に強く感じられてリュシエンヌは失望した。
 この先の人生を想うと、絶望的な気持ちになった。
 
 貴族令嬢とは、皆、こういう想いを抱えて嫁ぐのだろう。互いに想い合って添うことなど、一握りしかない。
 そんな冷たい結婚生活を早々に想像させるロジオンとの時間は苦痛になりつつあった。

 どんなに綺麗なドレスを纏おうとも、きっと心から笑えない。
 
 それに、リュシエンヌの心に棲む相手は、家格が違う。国に利があるわけでもない。
 外から見れば、ロジオンとの結婚は羨望の的であろうが、リュシエンヌには輝く未来には思えなかった。

 この想いは捨てなければならないのに。
 優しさを滲ませるあの声が、忘れられない。
 ロジオンの冷たさに触れる度、クラヴィスの優しさを思い出してしまうのだ。
 

 そんなある日、王宮の庭園での茶会に招かれたリュシエンヌは、偶然、ひとつの光景を目にする。

 薔薇のアーチの向こう、芝の上に立つ二人の男女。

 一人は、自身の婚約者であるロジオン。

 そしてもう一人は――薄桃色のドレスを身にまとった、侯爵令嬢のシェリル。

 「……ああ、やはり」

 言葉にならない声が喉の奥で震えた。

 シェリル・ヴェステリアは、社交界でも知られた才女であり、ロジオンと幼い頃から交流のあった旧知の仲。婚約が発表されるまでは、彼女こそが次期公爵夫人の最有力と囁かれていた。

 「ロジオン様、貴方は、何も言わずに黙って、心の奥を誰にも見せない。
 あなたほどの力があれば、望む相手は手に入る令嬢でしょうに。声を上げれば、きっと彼女を得られたはずなのに。
 ―― なぜわたくしだったの」

 リュシエンヌは、遠くからその姿を見つめながら、心の中でそう呟いた。

 以前から噂はあったのだ。二人は想い合っているのだと。
 リュシエンヌは華やかな薔薇に例えられる令嬢だが、シェリルはどちらかというと百合のような令嬢だ。
 一人、凛と立つその姿と、女性でありながらその才覚をもって父である侯爵の領地経営の一角を担っているという強さ。
 唯一、ロジオンにとって彼女を選べない理由は、血の近さだ。
 シェリルはロジオンの従姉妹。同じ家門同士での婚約より、他の力ある侯爵家であるリュシエンヌのほうが政治的に利がある。
 だが、ただ、それだけだ。

 その夜、邸に戻ったリュシエンヌは、鏡の前に立ち、問いかけた。

 「私は、誰のために笑っているのかしら」

 ふと、クラヴィスのことが思い浮かぶ。

 近衛騎士団の一員として、彼はたびたび王宮内でリュシエンヌの護衛につくようになっていた。

 けれど、多くの言葉は交わさない。彼女の前に立つとき、彼はあくまでも“騎士”であり、素顔は仮面の奥に隠れてしまっている。

 ―― それでも、あの視線にだけは、嘘がなかった。

 彼の視線は、たしかに彼女を見ていた。

 「貴女が幸せになることを、心より願っております」

 そう言われたあの夜。彼はほんの少しだけ、声を震わせていた。

 けれど、願っているだけで、彼は何もしない。

 「どうして、誰も本当のことを言わないの……」

 リュシエンヌは唇を噛んだ。涙は流れない。ただ、胸の奥が冷たくなっていくのを感じる。
 何も言わないのはリュシエンヌとて同じだった。

 ―― まるで、心が凍っていくように。

 翌朝、ロジオンから届けられた一通の手紙が、彼女にさらなる沈黙を強いた。

「数日のうちに、地方への視察任務があり、王都を離れます。婚約者として、貴女の立場に影響が出ぬよう、配慮は致します。くれぐれも、ご自愛を。」

 定型文のような文面。その筆跡からも、感情の温度は感じられなかった。

 ロジオンの視察が決まり、リュシエンヌは王妃から茶会の誘いを受けた。
 婚約者がいなくては寂しいだろうから、と声掛けを頂いたのだ。
 明日、開かれる茶会のため、前もって登城を誘われた。ロジオンと一緒になることは王族と近くなることを意味している。
 王妃は、そんなリュシエンヌに少しでも馴染んでもらおうと心遣いをしてくれる。
 
 しかし、王城はリュシエンヌに優しいわけではない。
 
 そして、その噂はリュシエンヌの耳に届く。

 ロジオンの視察には、シェリルが同行していると……。

 女官たちの視線は、憐れみと蔑みが半々だ。
 シェリルとロジオンは公認と言われる仲だった。筆頭公爵家の跡取りと、当代きっての才女。
 リュシエンヌは、その間を割いた悪女という扱いだ。

 ―― 私は、ただの名札。家のために与えられた、飾りのような存在。

 その夜、リュシエンヌは一人で与えられた客室を出て、王宮の庭園へ向かった。


 静まり返った夜の空気の中、彼女は月光を浴びながら、ぽつりと呟く。

 「もし、あの人に……自分の気持ちを伝えていたら、何かが変わっていたのかしら」

 その背後に、そっと近づく足音があった。

 「それでも、きっと……貴女は今と同じ選択をしたはずです」

 静かな声。振り返ると、そこにはクラヴィスがいた。

 かつての、あの夜と同じ、穏やかで優しい瞳で。

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