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番外編:ロジオン&シェリル
しおりを挟む冷たい石畳の廊下を、ゆっくりと歩く足音が響く。アルヴァロ公爵家の居館、その西の塔は使用人たちも近づかない、静かな空間だった。
その一室に、男が一人。
ロジオン・アルヴァロは机に向かい、手紙を書いていた。けれど筆先は止まり、紙の上に乾いたインクの香りだけが漂っていた。
「また書けずにいるの?」
背後から聞こえたのは、軽やかで、どこか棘のある声だった。振り返らずとも分かる。彼女の声は、耳に残る独特な温度を持っている。
「……シェリル」
ロジオンは静かに振り返る。そこにいたのは、彼の従妹で侯爵家の娘、シェリル・ヴェステリアだった。
彼女は、リュシエンヌと同等の美貌と才気を持ちながらも、社交界では“影の花”と噂される存在だった。冷静で観察眼に優れ、時に毒舌を交える彼女は、男たちの好奇心を惹きながらも誰にも心を許さない。
そういう鎧を纏って、彼女は男たちの中でその才覚をいかんなく発揮している。
「リュシエンヌにお祝いの手紙を送るのでしょう?」
「いいや。送るべきか、否かを考えていただけだ」
「あなたはいつもそう。計算と沈黙の狭間で、何も選ばないまま時間を逃していく。もっと素直になればいいのに。
祝福、してあげたいんでしょうに」
ロジオンは彼女の言葉に眉を寄せることもなく、ただ目を伏せた。
「私が求められたのは、家の安定と力の均衡。そしてあの婚約も ――そういう類のものだった。
それを破棄した私が、彼女を祝っていいのか迷っている」
「でもあなた、本当は彼女を好きだったでしょう?」
その問いに、ロジオンは初めて筆を置いた。
「……分からない。私は彼女の強さに惹かれたのか、隙のなさに嫉妬したのか……それとも、自分が選ばれたことに安堵していただけなのか」
シェリルは窓辺に寄り、カーテンを指で弄びながら呟いた。
「私は……あなたの傍にいることに対して、噂が出ているのは知っていたわ。でも都合が良かったから放置していたの。
でもね、リュシエンヌを見て分かったの。彼女は“選ばれる”べき人だった。だからこそ、あのままあなたの隣にいたら壊れていたかもしれないわね」
「お前は、壊れないのか」
「私は壊れる理由がないわ」
ロジオンは、彼女のその言葉に目を見開いた。けれど、シェリルは笑っていた。淡々と、凍てつくような微笑で。
「それでも、あなたの傍にいることを、私はやめない。わかるでしょう?
恋とか愛とかではなくていいの。今、あなたとしている仕事は私の生きがいだわ」
長い沈黙のあと、ロジオンは小さく呟いた。
「……ならば、その覚悟に報いよう。私の傍にいる限り、誰もお前を傷つけさせはしない」
シェリルは驚いたように彼を見た。その目に、わずかに熱を帯びた光が宿る。
「……その誓い、忘れないで」
静寂の中、二人の視線が確かに交差した。
世の中には、利害で繋がる夫婦もいる。
ロジオンの心に残ったリュシエンヌへの想いは、おそらく今後シェリルと歩む道の中で昇華されるのだろう。
リュシエンヌとは異なる形で、静かに寄り添うロジオンとシェリルの物語は、もう一つの物語として幕を開ける。
__________________________
完結です。
最後までお付き合いいただきありがとうございました!
ロジオンは不器用さんなんで、シェリルの本当の気持ちに気付くまでには時間が掛かるかな…
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