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番外編:Side クラヴィス
しおりを挟む夜の回廊を歩くとき、私はいつもあの夜のことを思い出す。
バルコニーの向こう、夜風に揺れる薄紅色のドレスと、その中に佇む一人の少女──リュシエンヌ・フローレンス。
初めて彼女を見た時、胸の奥に火が灯る音がした。騎士という立場を忘れそうになるほど、彼女の背中は儚く、美しかった。
「あなたが少し、悲しそうだったから」
あのとき口にした言葉は、思わず零れた本心だった。
彼女が振り返り、驚いたように笑った顔を、私は今でも忘れられない。
それから、私は彼女を目で追うようになった。
何気ない所作、誰にも気づかれぬ仮面の奥の一瞬の揺らぎ。
気づけば、私は彼女を“守りたい”と願っていた。命をかけてでも。
だが、叶わぬ想いだと知っていた。
彼女は侯爵家の令嬢であり、私は下級貴族である子爵家の三男である。継ぐ家があるわけではない。成人して家を出れば平民となる。
騎士として出世して騎士爵を得ても、それが彼女と並ぶ資格になるとは限らない。
彼女がアルヴァロ公爵家の嫡男、ロジオンと婚約したと聞いた日──
心の奥底が凍てつくようだった。
それでも、私は諦めることができなかった。
せめて、彼女の微笑を曇らせぬように。
せめて、誰よりも遠くからでも、彼女を見守ることができれば。
だからこそ、あの夜。
彼女が私の胸に顔を埋め、泣いたとき。
「どうして、こんなにも優しいの……」
その言葉が、どれほど私を揺さぶったか。
彼女の涙を、私の心で受け止めたあの瞬間だけは。
私は、ただの“クラヴィス”でいられた気がした。
そして、婚約が解かれた後も──
私は決して、彼女に「来てほしい」とは言わなかった。
それは彼女自身の意思で決めるべき道だから。
私はただ、約束した。
「待つよ。何年だって、待つ」
その言葉が、祈りであり、誓いだった。
私は騎士だ。
ただ一人の姫君のために、剣を抜き、待ち続ける者。
それが、たとえ報われぬ恋であっても。
……けれど、彼女は私の手を取ってくれた。
顔を合わさずに、交わした手紙。
記された小さなサインは見逃さなかった。
婚約を解消した一年の区切りに、彼女の元へ。
“誰かの令嬢”ではなく、ただの“リュシエンヌ”として。
私は今、ようやく彼女の手を取れる。
それは、静かなる誓いの果てに訪れた、奇跡のような光だった。
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